1.公爵令嬢レティシア・ウォールトンの断罪
「レティシア・ウォールトン公爵令嬢! 其方の振る舞いは目に余る!!!」
きらびやかな王城の夜会の場。
王族のバルコニーから大広間へと下りる、階段の高みから声を張り上げた王太子をレティシアは見上げ、「きたきたきたきた!」とスカートの陰で両手をぐっと握る。
それにしても。
子供の頃はひ弱な泣き虫王子だったのに、いまや立派な青年に成長したものだとレティシアは思う。
白にロイヤルブルーと金を配した衣装が、その金髪碧眼の美貌と長身を凛々しくも美しく引き立てる姿は感慨深い。
「アリシア・バルドズ伯爵令嬢の身に起きたこと! 許し難い所業の数々、すべて把握している!」
かたわらに想い人の小柄な令嬢を庇い、怒りに満ちた目をレティシアに向ける彼の姿は本当に格好いいと彼女は思う。まさにヒーローだ。
八歳の時、レティシアは転生前の記憶を思い出した。
ここは愛読していた小説世界。
前世の記憶が甦ってすぐ、引き合わされた婚約者の成長を見るレティシアの目は親戚のおばちゃん目線に近い。
(だって、前世享年二十五歳プラス、現世の年齢と思うと……ね)
とはいえ前世、レティシアは小説のこのラストシーンが大好きで十回以上は読んでいる。王太子フレデリック・アレクサンドル・ベネルの台詞から、その行動の描写を一字一句違わずに言えるくらい。
《フレデリックは、一歩、大階段を下りた。階段の真下にいる、幼い頃からの婚約者である公爵令嬢が彼を見上げ……》
あ、見上げないと。
レティシアは出来るだけふてぶてしい悪役令嬢として人の目に映るように、ゆっくりと階段を見上げ、藤色の目を細めて微笑んでみせる。
だって、そう小説に書いてあったから。
原作は大事。出来るだけ尊重したい。
完全に犯罪なことを、レティシアが直接ヒロインに行う描写がなかったのは幸いだった。おかげで悪いことはせずにすんだ。そもそもレティシアの出番は少ない。
「まあ、一体なんのお話でしょうか。殿下」
まったく小説と同じ言葉を返し、肩を滑りおちた艶やかな銀髪を高飛車な仕草でレティシアは払う。
作中、ヒロインは、悪者に攫われ森の奥の小屋に監禁されて火をつけられたり、お茶会で毒を飲まされそうになったり、階段から突き飛ばされたりと何度も狙われる。
しかし、レティシアがそれを企てる描写は一切ない。
思うに、作者は別の展開を考えていて、大人の事情で悪役令嬢を犯人とする展開に変更にしたのではないだろうか。
そんな気がするくらい、レティシアは存在感のない登場人物である。
(悪役なのに王太子の綺麗な婚約者ってだけ。途中の心情描写もゼロ。唯一の見せ場がこのラストの断罪シーンって……おかげで自由に過ごせたけれど)
お話のメインは、あくまで伯爵令嬢のヒロインと王子の二人が恋と絆を深めていく過程だ。王子の婚約者といった関係上、レティシアは二人のそばにはいる。
ヒロインを狙う事件は、たしかにレティシアの近くで起きていた。
最後に取ってつけたように、黒幕でしたとなっても不自然はない。
目立たなかった分、かえってラストで不気味な存在感を得たともいえる。
「とぼけるな! それに私が“国を担うに相応しくない”と、彼女に言ったそうだな?」
「ええ、申しました。宰相の娘でこの国唯一の公爵令嬢との婚約を蔑ろに、他の方に気を向けるなんてあり得ませんもの! 王太子としての立場を……」
「黙れ! 素直に犯した罪を認めれば多少の温情はかけるつもりでいたものをっ」
フレデリックの言葉に、それまで静かに事の成り行きを見守っていた大広間にいる貴族達が「どういうことだ?」「まさか公爵令嬢が?」とざわつき始める。
人々の刺すような視線をレティシアは感じた。
アリシア嬢は王太子の想い人だ。彼女が何度も派手に狙われては、フレデリックやその側近に助けられたことは貴族達も知っている。
着々とエンディングに向けて物語は進行している。
この先どうなるか知っているレティシアも、さすがにどきどきと心臓の音が大きくなり緊張してきた。
(大丈夫)
レティシアの行動記録は、護衛騎士の従兄に警護日誌をつけさせて完璧だ。
どこで誰が側にいたか、後で調べることも容易にできる。
レティシアはもちろんアリシアの命を狙ったりしていない。
悪者を雇ったのが別人であることも、毒の流通経路も、すべて公爵家の跡取りとなるレティシアの義弟に協力してもらって調べ済み。宰相を務める父に報告済みだ。
調べがついたのが昨日で、ぎりぎりセーフで冷や汗は出たけれど。
だって王太子や公爵令嬢であるレティシアの近くで、そんな事が頻繁に起きるなんて怖すぎる。王家を狙っていたら大変だ。
(アリシア嬢へ嫌味を言ったり、物を取り上げたり、嫌がらせもちゃんと目撃者付きでやったし。フレデリック様がさっき尋ねた悪口も言って、王家を軽く貶めもした)
これはあくまでレティシアの個人的な嫉妬による所業だ。
王太子の想い人への軽い嫌がらせと、実害は少ない不敬罪。
(いける! これだけなら処刑にも国外追放にもならないし、公爵家を取り潰すまでの罪にも相当しない!)
悪評は出るだろうが、人の噂も七十五日。
嫉妬で失脚した令嬢なんて、みんなすぐに忘れる。
さて、いよいよ物語も大詰め。レティシア最大の見せ場だ。
(原作の、この場面のレティシアは好き。だからすごく練習したんだから)
夜会の場にいるすべての者を魅了する、優雅な淑女の礼をして、レティシアはすっと背筋をまっすぐに、フレデリックの顔を見詰めて寂し気に笑った。
すべてが虚しいといった雰囲気の演技をものにするのは苦労した。
「こうなっては仕方ありません」
フレデリックの青い瞳が、動揺にわずかに揺れた。
しかしすぐ我に返って、彼は声を張り上げる。
「レティシア・ウォールトン公爵令嬢を連行しろ!」
さすがは将来国を担う、王太子。
右手を掲げて命令する声はよく通り、レティシアと同い年の若さでも威厳がある。
レティシアを取り囲むのが衛兵ではなく近衛騎士であり、「拘束しろ」「捕えろ」ではなく「連行しろ」と言ったのも、彼なりの優しさを感じて少しほろりとなる。
乙女心をくすぐる恋愛小説のヒーローは、怒りを向ける悪役令嬢にも紳士的だ。
(ここで私は退場。フレデリック様とアリシア嬢は真実の愛に結ばれ、めでたしめでたしで物語は終わり)
十数人の近衛騎士に包囲され、外へと誘導されながら、レティシアは小さく首を後ろに回した。アリシア嬢を両腕に抱え、レティシアをじっと強い目で見つめるフレデリックの姿があった。
さようならと、目を伏せてレティシアは静かに大広間を去った。
*****
数日後――。
処罰確定まで軟禁されていた離宮から、レティシアは移送されることになった。
粗末な箱形の馬車はがたがた音を立てるものの、振動防止魔法でもかけているのか揺れは少ない。
「護送中に馬車酔いしないように? 中が豪華なのは貴族仕様? いくら身分的配慮でもこれはどうなの?」
レティシアは座席に敷かれたふかふかクッションの上で首を傾げる。
公爵家の馬車の内装とさほど変わりない。むしろ立派なくらいだ。
移送先は、王城の広大な敷地でもとりわけ陰気な北の森にある幽閉塔。
「幽閉――貴族にとってそれは社会的な死」
暗い森の緑しか見えない、馬車の上部に開いた鉄格子の窓をレティシアは見上げてつぶやいた。そしてうつむき細い肩を震わせる。
人が見れば哀れな姿と思うかもしれない、けれど違った。
(ふ、ふふふっ、計画通りっ!)
転生したと気がついたレティシアは、法律を勉強し計画を練った。
小説は断罪エンド。“王太子はヒロインと結ばれる〜”で、完結する。
その後の描写はない! 一巻完結書き下ろし作で、続編もない!
原作は大事だ。でもそのために処刑はない。住み慣れた国を出たくもなく、家族に迷惑もかけたくない。
王太子とヒロインの恋を成就させ、いい感じの処罰に収める計画。
「王太子妃なんてムリムリ。ああ、これで自由! 貴族の義務からも解放される……三公爵家で唯一同世代の女児で、当時は虚弱な王子の後ろ盾としての婚約だったし」
幽閉塔送りなら、レティシアとの婚約は破棄されたはずだ。
アリシア嬢は何度命を狙われても、フレデリックに寄り添った。
彼の健気な想い人で、伯爵令嬢ならひどく身分が低いわけでもない。
ウォールトン家以外の公爵家の養女になって婚約も十分可能だ。
フレデリックも昔のような弱い王子ではない。
「苦難の末に愛を成就させたんだもの。きっと皆にも受け入れられるはず。どうぞお幸せに」
両手を組み合わせ、静かに目を閉じ、レティシアは二人に幸あれと祈る。
幽閉塔は罪を犯した王族、高位貴族の思想犯などを収監してきた貴族牢だ。
いまは無人のはずである。
そう、どんな所かレティシアはちゃんと調べた――貴族牢ゆえに内装と設備は本人の希望が通る。
さらに身分的配慮で侍女を二人まで付けられ、三食お茶付き。
監視を兼ねる看守だけれど、執事のごとく要望を聞く専属管理人もいる。
罪人を収監する牢だから警備兵が常駐し、セキュリティ万全!
「宰相の一人娘。王太子の婚約者。王家を陰日向と支えるウォールトンの直系。子供の頃からアリシア嬢の比ではなく、それはもう狙われたもの……外国に連れさられそうになったり。権力って怖い」
そして幽閉塔で、一番の高ポイント!
高貴な身分の者が病んで自害しても困るため、適度な気晴らしのための庭と図書室つき! なにこの高級レジデンス!
「当然、塔の敷地に施された逃亡防止の結界の外へは、一歩も出られないけれど」
貴族にとって他者との交流が絶たれ、閉じ込められるのは死んだも同然。
自由を奪われなど、屈辱の極み。
だが、レティシアは違う。
前世は働きたくない社会人。心は庶民。
「一人静かにゆっくり過ごせる……っ」
うきうきと処罰に応じたレティシアだったが、しかしそんな彼女の優雅な幽閉ライフはたった十日で終わってしまった。
ちょうど塔での暮らしに慣れた頃。
レティシアを訪ねてやってきた人物は、侍女が出したお茶を静かに飲むと、柔らかな金髪を揺らし青い瞳を細めて微笑んだ。
「レティシア、君の名誉は回復したよ。出てきてくれないかな?」
「どうして……」
「君が義弟殿に命じ、バルドズ卿の悪事を暴く手掛かりを掴んでくれたのだろ? おかげで迅速に処理できた」
「は? でも、殿下はアリシア嬢が」
レティシア、と。
妙に圧の強い声のフレデリックの呼びかけに、言葉を中断させられる。
「君以外に、私が本気で心を移すとでも?」
「ならまさか、遊……」
「違うよ。アリシア嬢は……そう、少しばかり手伝ってもらっただけかな」
にこにこしてても、時折、妙に威圧的なのは王太子であるためか。
幼馴染だからって人の言葉を途中で二度も遮るなんて、将来王様なのによくないよと思いながらレティシアもお茶を飲む。
まさかこんな展開になるとは思わなかった。
「そう仰られても、一度は裁かれ世間を騒がせた身です。王太子妃にも相応しくな……」
「なんてことだ! そんなに妃教育に疲れていたなんて!」
「いや、そうではなく」
物語のエンド後に、ヒロインの家の不正を暴いたからって。
呼び戻しにきても困る――!
mixi2:異世界恋愛作家部・氷雨そら先生の、「愛が重いヒーロー企画」参加させていただきました。
次回はなんだか圧の強い、フレデリック側のお話です。
楽しんでもらえたらうれしいです。