6:決意
4月12日 午前10時34分 アルビオン王国 首都レイヴィル 日本大使館
日本の直上、旧世界でいう朝鮮半島辺りだろうかーー。
立憲君主制を掲げるアルビオンはオルジニア大陸を構成する国家であったが、北に南侵政策を国是とするディトランド連邦を抱え、少数とはいえ海外領土を抱えるアルビオンとしては同じ立憲君主制かつ強大な国力を持つ日本と手を組むことは国家の安寧において最も重要なことであった。
食料供給の半分をアルビオンに依存する日本としても、同盟関係が結ばれたには必然であっただろうーー。
そのアルビオンの首都、レイヴィル。
王都の通称で呼ばれるレイヴィルは旧時代の歴史的建造物が多く存在していることから、高層ビルなどの建築は法律によって規制されている。
代わりに経済都市的な役割を担う都市は他にあるーー。
レイヴィル四番街ーーと少しその方面の分野に詳しいアルビオン人が聞けば外国公館が立ち並ぶ市街地と間違いなく答えられるだろう。
その一角、アルビオン王侯貴族がかつて別邸として利用していたという屋敷に在アルビオン日本大使館はあった。
その応接室ーー。
窓から見下ろせる道を行き交う人々を眺める二人ーー。
一人はこの大使館の主たる緒方 淳子 大使だった。
その横に立つ壮年の男ーー。
『首相閣下におかれましては今回の支援の件、日本を代表して感謝いたします』
グラハス-フォード アルビオン王国首相。
それが男の肩書きであった。
海軍軍人として少佐まで勤め上げ、退役後に政界に出馬し紆余曲折を経て今の地位についていた。
そのフォードが緒方大使の流暢なアルビオン語に微笑しながら答えた。
『いえいえ、同盟国として当然のことです』
謙遜の口調を見せるフォードだったが、『アルビオンにおける日本の顔』たる緒方としてはアルビオンの協力には頭が下がる思いだった。
事実、サドレア亜大陸への自衛隊派遣のためにアルビオン経由で展開する他、戦時には後方支援を実施すると約束していた。
『又聞きですが、外交の方は上手くいっていないようですな』
『そこまでご存知でしたかーー』
緒方は顔を曇らせた。
昨夜から始まった外交交渉ーー。
内容が内容ゆえに明日まで緘口令を引いていたが、国民も交渉が暗礁に乗り上げていることを勘付き始めている。
外務省の選りすぐりの外交官を送り込み、意気揚々と待ち構えていた日本側が目の当たりにしたのは傲岸不遜、自らの主張を正当化しこちら側のことを「蛮族、蛮族」と罵るばかりだ。
緒方の内心には暗雲が立ち込め始めていたーー。
一方、日本国 都内某所。
明治期以来の名家が多く存在する高級住宅街は、現代においても要職を務める人間を輩出する、特異な場所であった。
大企業総帥、有力国会議員、著名作家ーー。
そして外務大臣ーー。
広大な敷地に立つ家ーーというよりは屋敷の表現が適切だろう。
その内部は一般的な豪邸内部の豪奢な造りというよりは、落ち着いた雰囲気が漂い、さりげなく調度品が至る所に置かれていたはずだーーと和人は思い起こしていた。
玄関の重厚な扉を開け放った瞬間、見えたのは仁王立ちをして待ち構える父、菅原 真の姿ーー。
沈黙のまま対峙する両者ーー。
「久しぶりーー」
口火を切ったのは和人だった。
「そうだな……」
続けて菅原は言った。
「怪我はもう大丈夫なのか?」
そう言った父に和人は脇腹を見せた。
「全治1ヶ月だよ。傷跡は残るけど元通り動けるよ」
痛々しい銃創は縫合され、炎症を防ぐために包帯が巻かれている。
あの戦闘のあと意識不明のまま、緊急搬送用の輸送機にて治療を受けながら九州の自衛隊病院に運び込まれた和人が目を覚ましたときには丸3日が過ぎていた。
サドレアの地と海で起こる対峙する戦友たちを憂いながらリハビリの目処がついた時に、自衛隊入隊前に喧嘩別れした父からの手紙は届いた。尤も、和人にとっては呼び出しというよりは召喚状に近いものだったがーー。
「和人……やはり俺はお前に地盤を引き継いで欲しい。戻る気はないかーー?」
その語りかけるような口調に和人は驚いた。
出奔前は傲岸不遜で昭和親父を体現したかのような気性だったというのにーー。
「ーー実際、向こうに行って来て分かったけど間違いなく戦争になる……。小規模な紛争とかじゃなくて国家の行末を決する戦争にーー」
静かに和人は言った。
「それでどうするんだ……?」
「もう一回、あの地に戻るよ。一人の自衛官として見届けるーー。それで生きて帰って来れたら……もう一回、政治家を目指してみるーー」
その後、一時間ばかし母や家族と再会を分かち合ったのちの別れ際。
「これからどうするんだーー?」
「戦死した小谷って部下の遺族に会ってくる。指揮官は俺だったから……」
和人に非がなくとも現場指揮官であったからには、場合によっては責任を取らねばならないということに今更ながら菅原は気がついた。
帰路に着く息子の後ろ姿ーー。
数年前とは大きく違う、頼もしい背中。
「大人になったんだなーー和人も……」
側で心配そうに見送る妻の肩に手を置き、菅原は言った。
「見届けてこい、和人ーー」
数時間後、ズイル公国で開催されていた外交交渉はミレリヤ側の最後通牒の提示によって決裂ーー。
日本中の誰もが戦争は避けられないことを理解したのだったーー。