4:事変
同日 4月5日 午後18時40分 日本国 東京 首相官邸
大河内が執務を終え、官邸と隣接している首相公邸に帰ろうとしている時に橘川防衛相、そして自衛隊制服組トップの古賀 俊彦統合幕僚長は訪れた。
入室した古賀に大河内は目を遣った。
転移前、ペルシャ湾派遣、インド洋派遣などとおよそ考える限りの海上自衛隊が経験してきた国外任務の中に彼の姿はあった。
海上自衛隊出身を示す濃紺の冬季常装に身を納める男ーー。
それが古賀 俊彦統合幕僚長だった。
その古賀幕僚長を伴って橘川防衛相は訪れたーー。
よく見れば両名共に顔色があまり良くなかった。
何があったのだろうかーー?と疑念もそのままに橘川防衛相は古賀幕僚長に視線を向けた。
一歩進み出た古賀幕僚長が口を開いた。
「本日午後15時30分、サドレア大陸派遣部隊の一部隊が『武装集団と交戦中』との無線を最後に通信が途絶。該当部隊は通信機が故障した部隊への無線機の輸送中であり、合流しようとした時に戦闘が勃発したものと考えておりますがーー隊員によれば現地には明らかに孤立部隊が交戦していた形跡があり、これを裏付けるように先ほど通過した人工衛星が行方不明であった隊員全員の遺体を捉えました………」
手元の資料によれば、その連絡部隊とやらは隊員一名が戦死。また、一名が重症を負い今に至るまで意識不明の重体だというーー。
新たに入室する者らがあった。斉藤 国交相と富永 海保長官だ。
一同に促されるままに富永長官は言った。
「つい先ほど、西サドレア海において航路防衛に当たっていた巡視船が違法貨物船を発見し臨検しようとしたところを国籍不明艦三隻が接近。現在、海域では睨み合いが続いていますーー」
ーーー
午後19時00分 ミレリヤ帝国 首都ヴェリオン 総統官邸「エイザ-リョール」
いつもであればゼネウスは公邸にて豪華な夕食を食していただろうーー。
だが今日は執務室に篭り、備え付けられた大型テレビを注視しているだけだった。
幼児向けの娯楽番組を一心不乱に見つめている主人に、秘書官はついに頭がどうかしたのではないかーー?と勘繰ったときだった。
娯楽番組を放送していた番組が軽快な音楽と共に赤色に点滅する。
秘書官はそれが臨時ニュースを告げるチャイムだと知っていた。
『番組の途中ですがここで軍務省報道官の緊急発表を申し上げます』
続いて画面が軍務省の記者会見場に移り変わった。
『本日午後14時40分、植民地ケンドラン国境部にてケンドラン総督指揮下の武装親衛隊が極東の国家、ニホン軍による奇襲を受け応戦。同部隊救援のため現地駐留の帝国陸軍ケンドラン方面軍も戦闘に加わり、蛮族を撃退しているとのことーー。現地軍はサドレア大陸の平和と安寧という大義の元に進軍中であり、これはミレリヤ人生存のための自衛戦争であると宣言するーーー』
続いて手元の電話機より着信を告げるベルが鳴った。
『サミュエルでありますーー』
『うむ。して、問題ないか……?』
『無論でございます。ついては閣下には帝国軍活躍のための下準備をーー』
『分かっておるわいーー』
通話が終わり、ゼネウスは秘書官に鋭い目を向けて言った。
「外務大臣を呼んでくれ……。薄汚れた蛮族を処理するにはにはまず下準備をせねばならん」
一方その頃、ミレリヤ領植民地ケンドランーー。
かつて、ミレリヤの植民地支配を受ける前は400年の伝統を持つ由緒正しい立憲君主制国家だった姿は最早見る影もない。
旧首都ヒガリはケンドラン王国時代の伝統的なレンガ造りの低層建築物は取り壊され、近代的で無機質な高層ビルが立ち並ぶようになっていた。
だが唯一、ケンドラン王国時代の歴史を残している建造物があった。
ヒガリ中央部に流れるイリヤ川の東側に聳え立つ宮殿ーー。
かつてここを敬意と共に見つめていたケンドラン人は今では憎しみに満ちた表情で悠然と立つ宮殿を見上げている。
それもそのはずだろうーー。
宮殿は総督府として改築され、自身らに圧政を下すケンドラン総督が住まう場と化したのだからーー。
総督府を中心に広がる市街地の至る所に駐留軍の治安維持部隊、植民地警察が闊歩している。
反乱を企てようとする者、またはそれを支持する者はその場で処刑することが許可されている。
ミレリヤ人の機嫌次第で自らの命運が決まるーーということを肌身を持ってケンドラン人は辛酸を舐めているーー。
ヒガリ郊外の駐留陸軍用に設けられた駐屯地にはケンドラン方面軍を構成する二個師団の内の第25歩兵師団が駐屯している。
芝生造りの練兵場では25師の将兵たちが来たる戦役に向けて研鑽を育んでいた。
それを庁舎屋上から見下ろす男ーー。
「ここに居られましたか」
駆け寄る部下に頷いたその男の胸元を飾る勲章の多さーー!
「眺めが良いからな。全てを見渡せる……」
副官が相槌を打とうとした時、怪訝な表情をする。
「珍しいですな閣下、礼装を着なさるとは……」
「総督殿と面会だよ。全くあの豚と来たらーー」
強烈な嫌味を言う男ーーフィルリン-メイ-カーダス少将は25師団の師団長であった。
ミレリヤにおいて“英雄”としての知名度があるカーダスだったが、もし勲章で彩られた軍服ではなく市井の人間が着るであろうくたびれた服装であったら誰もその正体を知ることは無いほど、冴えない平凡な見た目だ。
一般的に名将というのは立派な口髭を生やしているか、それとも威厳を感じられるものだったが、無精髭を生やして欠伸をする姿ーー。
威厳がない、と周囲は口酸っぱく進言するがそれをカーダスは聞こうとすらしていない。
それがミレリヤ陸軍発足以来、最も優れた指揮官の姿であり、ミレリヤにおいては珍しく士官から一般兵と幅広い支持を集めるカーダスだったが、軍上層部の心象は最低に近いものだ。
勲章式は欠席する、陸軍総司令官ーー果ては軍務大臣に大して不平を言うという点が彼をこれ以上出世させる壁となって阻んでいた。
だがカーダスはそれが良かった。
出世して本国の、権力だけはある馬鹿共とパーティーをするよりも、第一線において将兵たちを鍛える方が余程性に合っているーーとカーダスは自負していた。
地上へ降り、練兵場を見て回るカーダスに兵たちは殺到する。
徴兵制が施行されているミレリヤだったが、暴力的な上官がほとんどな中で慕われる上官、しかも将官というのは極めて稀であった。
「閣下!」
「おう、皆んな良くやってるか?」
未だ子供ーーと見まごうばかりの青年たちと戯れ合う指揮官に微笑む従兵ーー。
カーダスが去ろうとするときに兵の一人が言った。
「あのう閣下……」
「何だーー?」
「戦争は近いのでありますかーー?」
頷くカーダスに歓声を上げる兵たちーー。
立ち去る中、従兵が言った。
「閣下は喜ばないんですか?」
立ち止まる上官に、何か粗相をしたかと動揺する従兵。
「平和の方が良いに決まっているさ……」
そう言い、カーダスは再び歩き出した。
どこか哀愁を漂わせながらーー。