3:カビリア
12月6日 午前6時00分 南方大陸西部カビリア王国 王都リンザ 聖レーザ大通り外縁
海に面した王都リンザを照らす朝日は夜明け間もないことを日光とともに指し示していた。
四代前の当時の女王の名前を冠したこの通りは百年前以上前の姿を今に至るまで残す赤煉瓦造りの壮麗街並みに面しており、まさに王都に相応しい場であった。
それ故にこの通りの周辺は特別区として現国王の勅命もあって行政府は聖レーザ大通りは厳しく制限され、カビリアでも限られた騎士階級以上の人間でない限り決して立ち入ることは許されなかった。
それも『粗野な下層民に聖域に立ち入れさせてはならない』という差別意識が根底にあったのが要因だが………。
その聖レーザ大通りの外縁の検問所に一人の青年はいた。
身分証明書を歩哨の国家警備隊の武装兵に見せ、ゲートを潜ればそこは別世界であることが一目で分かる。
聖レーザ大通りを抜けた先の平民街は上品で落ち着いた雰囲気ーーとは真逆であった。
無数の人々の嬌声が飛び交い、所狭しと合法、違法を問わずに住宅街が立ち並んでいる。
王都リンザは貿易港としての側面も兼ねている。
平民街から続くなだらかな坂を下れば港へ降り立つことができるが、坂の頂上部である青年のいる地点からであれば大小様々な船舶が出入港を繰り返し、カビリアの主要輸出品である鉄鉱石を詰んだ大型輸送船を一望することができる。
青年……ロイド-アザクレスは“仕事”の一環で街の様子を見てくるように、と彼の雇い主から指示を受けていた。
仕事。
この貧富の差が激しいカビリアで平民ロイドが就く職業は実に恵まれたものと言えるだろうーー。
駐カビリア日本大使館という雇い主を持つロイドは、“大学”で培った語学能力を買われて『カビリアにおける円滑な友好関係の樹立』を目指して大使館が雇った現地人協力者の一人であった。
燻んだ金髪を捻りながらロイドは街行く人々をさり気なく観察する。
「おたく先月の稼ぎはどうだった?」
「相変わらずさっぱしだよ。息子も国営鉱業に出稼ぎに行ってるが低賃金な上にクソみたいな労働環境らしい」
格差の拡大、政府への不満、そして王家への反感ーー。
良くない兆候だった。
語学に加えて社会政治もある程度齧った身としては、それを放っておくと取り返しのつかない事態になることぐらい理解しているーー。
家が商売で大成功を収めたロイドは平民としては異例の“大学”にまで上がることができた。
その上、安定した収入を得られる職業に就けたことは何処かの国の言葉で言う“勝ち組”であったが、それ故にお上は何を怠けているのかと一人のカビリア国民として呆れざるを得ないロイドがいた。
南方大陸最西部に位置するカビリア王国はペルネシア海峡に面しているという地理的条件に恵まれて、鉄鉱石といった鉱石類の輸出産業が盛んで貿易国家として名高いズイル公国や世界へと続く『海の道』を構成する一国だ。
君主制を標榜するカビリアは王家が平民を直接統治するという至って単純な政治体制であり、転移以来自国が属する南方大陸が列強諸国に侵食される中でも何とか体制を維持してきた。
そして純度の高い良質な鉄鉱石が採れるーーということに目をつけた極東の島国日本はこの北海道ほどの小さな王国に硬軟織り交ぜた取引を持ちかけた。
具体的には採掘した鉄鉱石のうち6割を日本へ輸出するというものだ。
良質な鉱石を求めていた日本はこの小国に鉱業への技術支援、港湾施設の建設や空港の開設などインフラ支援を実施し王家、というよりは実質的に政府機能を担う行政府は日本政府の思うがままに操ることができるようになったが、日本として求めるのは自国への優先的な輸出であり、それ以上は大して望むことはなかった。
その日本にとって重要度の高いカビリアが政治体制が極めて脆弱であり、日本政府が呆れ返るほどの汚職ぶりに気づいたのは随分と最近のことだったがーー。
特に王家への反感ーー。
カビリアを覆うこの不景気の最中に王家は何度目となるか分からない勅令によって平民から重税を取り立て、新たな宮殿を作り上げる始末で、かつては敬意と尊敬とを集めていた王家の威光はどこに行ったのやらという具合だ。
それと更に王家の幾つものスキャンダルが露見したことで、火に油を注ぐ事態となった。
過日に同一高賃金、国民皆平等を掲げる労働者勢力が抗議活動で平民街を練り歩き、やがて国王へ直訴しようと聖レーザ大通りに突入を試みたが、国王の命令で国家警備隊は実弾射撃を持って抗議者らを駆逐し、ロイドが今歩くこの坂はドス黒い血が溢れんばかりに流れるいわくつきの坂となった。
ともかく大使館も含めて日本政府はコレに頭を悩ませていたが、この労働者勢力の矛先が日本にも向き対岸の火事で居られなくなったといって良い。
だからこそ雇い主である大使館は生の情報を知るべく自分を送り出したーーとロイドは港へ向かっていた。
埠頭を見下ろす丘の上にある屋台村にたどり着いたロイドは木箱にペンキを塗っただけの粗末な椅子に腰を下ろし、注文した魚料理が出てくるのを待った。
相席を基本とするこの場でロイドはちょうど隣で腹を空かせて料理が届くのを待っている中年の男に声をかけた。
「やぁどうも。最近調子です?」
ギョロリと男は目を向けたがロイドが真面目なただの青年と思ったのか口を開いた。
「ーーオレは港で荷下ろしやらをやってるんだけどよ。給料が安くていけねぇな。利益も港湾長やら幹部が懐に収めて残った少しばかりの稼いだ金もお上が掠め取っていきやがる……!先代国王の時は良かったんだがなぁ」
男の愚痴を聞きつけたのか傍に居た数人ばかしの集団がやってきた。
「そうだそうだ!お上のクソ共は法ってのを分かってねぇんだ!そこらかしこに金をばら撒いて全部思い通りにしやがる……!」
図体のデカい若い男が吐き捨て、事情を知らないロイドにこう言った。
「こいつはアルムって言うんだがな、幼い息子が大臣の馬鹿息子に殴られてな。その上馬鹿息子が憲兵に賄賂を渡したもんだからどれだけ訴えても門前払いさ」
良くある話であった。
ここカビリアでは金と権力を持っている者が絶対だ。
それらに押されて泣く泣く惨めな目にあった人間などザラにいるーー。
「それと食料だ!今年は特に作物の実りが悪かったってのに王城の備蓄も出さずにいやがる。官士も集団で買い占めて高く売るから地方じゃ毎日のように餓死者が出ているらしい」
運ばれてきた魚介スープを啜りながら聞いていると、いつの間にか国家への不満を述べる集団は二十人ほどまで膨れ上がっていた。
内心、あんまりな現状に絶句を隠せないでいるロイドであったが、そこへ一人の女が言った。
「その点、十月協会の人たちは違うよ。あの方たちは炊き出しとかをやってくれるからね」
全くだーーと相次いで頷く一同にロイドはさり気ない口調で尋ねた。
「自分無知なもんで、その十月協会って何ですか?」
一瞬驚いた表情をした女は次に目を輝かせながら応じた。
「アンタ知らないのかい?十月協会ってのは何とかって言う貿易会社に属してる支援団体だよ。アタイみたいな弱き者に手を差し伸べてくれるありがたい存在さ」
納得する表情を見せながらロイドは過日に行われた情勢会議の内容を思い返していた。
「ーー大使は十月協会なるものをご存知ですか?」
日本の警察庁なる治安維持組織に属するロイドの上司の一人である杉原という男は駐カビリア大使の椅子に身をおさめる松岡 忠範に尋ねた。
「いや聞いたこともないが……」
心得たという風に杉原の視線に気づいたロイドはモニターを巧みに操りながら口を開いた。
「十月協会。これはとある異国の貿易企業の配下にある社会支援団体で、表向きは取引先である現地人との融和を目的に炊き出し支援や短期間の雇用などを実施しているのですが……」
執務室の正面に設けられたモニターには隠し撮りされた十月協会なる団体の構成員がカビリアのものではない真っ白な衣服を身に纏って下層民たちに食を与えている姿が映し出されていた。
何か匂うなーーと言いたげな表情をする松岡大使にロイドは告げた。
「この十月協会の支配者、つまり異国の貿易企業の国籍がミレリヤ帝国と言ったらーー?」
驚愕する松岡大使に杉原は被せるように言った。
「当方の内偵では事実上の反政府勢力となった鉱山労働者団体に手を回し、国家転覆を企てていることが判明しておりますーー」
社会の不条理さに嘆き、喚く集団を遮ったのは野太い汽笛だった。
ーーー!
怪獣の雄叫びを思わせるそれの正体。
港に入港する“船団”の姿を認めた一人が叫んだ。
「デカい!デカいぞ!」
「何て大きさなんだーー!」
カビリア海軍の警備艦に先導されて入港する大艦隊。
その中心には艦橋を右に寄せ甲板を平らにし、所狭しと翼を休める艦載機の群れーー。
彼らは知らなかったが、空母「かが」を筆頭とした空母打撃群の寄港地としてカビリアも含まれていたのだ。
産まれて初めて見る大艦隊の威容に圧倒される集団を前にロイドはこれ幸いとそそくさとその場から離れた。
元来た坂道を早足で登る最中、市民らが口々に言っているのを耳にする。
「港にニホン海軍が来ているらしい」
「ニホン人め。きっと母なるカビリアを侵略するに違いない……!」
市民らが言い合う内容にどれもが反日的であるのにロイドはため息を吐いた。
ここ、カビリア王国において“日本”という国家に対しての印象はあまり良くない………。
サドレア戦争後、日本との貿易拡大で自動車や機械などの大量の”ニホン製製品“がカビリア内に流入したが、それは暮らしを豊かにする一方で技術競争に敗れたカビリアの産業は大いなる打撃を被った。
つまるところ日本人はこのカビリアにおいては「嫌われ者」でお世辞にも歓迎されるとは言い辛かった。
その日本が支援するカビリア政府すらも一枚岩とは言えなかったが………。
聖レーザ大通りの一角にある五番街は各国の大使館が立ち並ぶ、いわば“外交の街”であった。
カビリア人とはいえ大使館職員であるロイドは顔パス同然であったが保安上、許可証と身分証とを必要とする。
それら目の前の建造物を守備する警備の顔馴染みの自衛官に見せ、ロイドは“帰宅”を果たした。
日の丸をはためかせ煉瓦造りの趣きを見せる建物ーーそれが日本大使館の姿だった。




