1:水面下
新世界歴9年 12月2日 ミレリヤ本国より南へ1500kmの海域 深度400m
………光の届かない深海に生きることが許されるのは気の遠くなるような年月を経て、進化してきた深海魚やプランクトンといった極小数の生物ーーそして潜水艦だった。
海底に横たわるように着底した一隻の潜水艦は、三週間近くこの海域に留まっているからか一帯に流れる海流の力によって酷く傷んでいる………。
海上自衛隊の潜水艦隊に属するSS-511『おうりゅう』は母港たる呉基地より3000km以上の距離を隔てた海域まで進出し、“特殊任務”を果たすべく隠密を続けている………。
任務艦、という存在が世間に知られるようになってまだ十数年の時しか経っていなかった。任務艦は敵国あるいは仮想敵国の存在する国土の近海にまで進出し、その任務内容は航路図の作成から海底ケーブルの盗聴、敵潜水艦の追跡など過酷なものであった。
だが、向こう数十年は決して明るみになることはないであろうものがある………。
“特殊任務艦”と呼ばれるものだ。
彼の旧世界で冷戦真っ只中であった時代はアメリカとソビエトは敵国に第一撃を与える、あるいは本国が核攻撃を受けた際の反撃を実施するために核を搭載した弾道ミサイル潜水艦を射程内まで忍ばせ、事があらば搭載する兵器を敵国中に降り注ぐことができるように務めていたのだ………。
それを自衛隊がやることになるとは……!
『おうりゅう』艦長の瀬戸 2佐は自身の肩にのしかかる重圧を前にため息をついた。
彼の首元にはある“鍵”がかけられており、通信中継機として改造されたP-1を経由しての本国からの通信があり次第、副長と共にロックを解除。
そして後部VLSよりミレリヤ本国へ向けて発射するーー。
詳細を聞かされた時には文字通り背筋に悪寒が走ったが、今となっては緊張こそすれどあまり考えないようにしていた。でなければ、核戦争の火蓋を斬るかもしれないという重圧で身体が持たなくなるーー。
『在日米軍の置き土産』であるW80核弾頭に12式地対艦誘導弾の派生である巡航ミサイル型に搭載することで戦略兵器としての運用を可能にしらしめ、『そうりゅう』型潜水艦のSS-507『じんりゅう』より船体を数メートル延長、八セルのVLSシステムを埋め込むことで攻撃型潜水艦としての任務を受けたのだ。
12式トマホークの通称で呼ばれる国産巡航ミサイルは配備開始以来、不具合を起こすことなく運用が続けられ、本家トマホークの後継としての役割を全うしている………。
航路図に目を落とす瀬戸2佐は口を開いた。
「副長、バッテリーの残量はどうか?」
傍に控える瀬戸2佐と同じ壮年の幹部はディスプレイに目を遣ったのち応じる。
「若干の哨戒行動と生存システム維持しか使用していないので、あと一週間は潜り続けられるでしょう。その頃には我々も交代しているでしょうが……リチウムイオン電池ってのは便利ですな」
リチウムイオン電池ーーそれが『おうりゅう』の何よりの目玉と言えるだろう。
『そうりゅう』型が装備するAIP機関は通常動力型潜水艦としては破格の高性能を誇る代物であったが、いかんせん機関の規模に対しての低出力さがネックとなり、より長時間での高速航行を行えるリチウムイオン電池型に換装されたという経緯があった。
「全くだ。原潜並みとはいかんが、俺たち海自にとっちゃ十分すぎる能力だよ」
元より海上自衛隊における潜水艦とは日本近海での運用が基本で、『おうりゅう』のように遠方まで進出することなどイレギュラーなことであった。
しかし、『おうりゅう』も含め、海自潜水艦はその運用を可能に知らしめるだけの性能があった……。
「皇民党、原潜を造れってやかましいらしいですね。核のこともそうですが……」
あのサドレア戦争に日本が勝利したことは確かに日本にとって良いことであったが、一方で弊害も出てきている……。
具体的にはミレリヤの言葉を借りれば、『極右政党』に分類される皇民党といった急進的な政治団体が台頭するといったものであるが……学生時代に『WW1敗戦とナチス・ドイツ』を研究していた瀬戸2佐にとっては憂慮すべき事態ではあったが、自衛官であるが故に、それを表に主張することは御法度であると理解している。
そのような意味でも瀬戸2佐は任務に忠実なる一自衛官であると言えるだろう……。
一例を挙げるのならば、サドレア戦争直後で第二次大河内内閣が発足後に大河内政権と皇民党の間では国会にて苛烈な論戦が起こっていた。
「ミレリヤ帝国!あのならず者どもが核兵器を保有していることを総理を含めて政府与党は一体何を考えているのかお聞きしたい!」
喚き立てる皇民党議員を前に大河内はこの日何度目か分からない答弁に内心ため息を吐くが、援護射撃とばかりに“友軍”の皇民党議員団がヤジを飛ばした。
「内閣総理大臣、大河内くん」
「核の恫喝もあり得るとのことで憂慮しており、警戒を怠ってはならないと考えております」
その気だるげな答弁に議員は機関銃の弾幕を浴びせるかのように口早く怒鳴る。
「ならば核保有をすべきではないか!?この新世界が弱肉強食であるとは総理もご存知のはず。私の友人の専門家によれば我が国は三ヶ月程度という短期間で核兵器を製造できるだけの能力があるとのことだが、今すぐ実施すべきではないか?」
自信満々に言い放つ議員と拍手喝采を浴びせる議員団であったが、現実的に考えて濃縮プラントの建設から安全対策、その運用を含めて少なく見積もっても防衛予算と同程度の“金”と年単位での時間がかかる……。
こいつアホかーーと大河内は思ったが、顔には出さず再び答弁する。
「議員が贔屓にしている専門家とやらがどなたかは存じ上げませんが、国家の財政を圧迫する途方もない数の莫大な予算が要ることや、その他の諸々の課題も含めて難しいのではないかというのが私の考えです」
あえて、国民感情について触れなかった。
日本が今まで経験してきた動乱によって国民の、いわゆる核アレルギーは薄まったと言えるがそれでも心情的には持ちたくない、というのが多くの国民の意見でそれは大河内も同意するところであった。
それも含めてここで核兵器についてのあれこれを断言してしまうと、今後公にすることとなった時、国民は政府に騙されたーーと感じるであろう………。
壇上から去るとき、一人の議員と目が合った。
議員引退直前にして民主党党首を引退した吉田一茂その人だった。
目線だけのやり取り……それに気づくものは誰もいなかった。
その視線に含まれていたのは、お前さんも大変だなーーという同情の目。
自席に戻った大河内は皇民党の例を見ても、ナショナリズムが高まり急速に社会が右傾化しつつある今において、安全保障に弱いーーという大衆の見方を抑えて活動する民主党の立ち回りは実に老練なものと言える………。
良くも悪くも日本の政治は変わったと断言できるが、それが果たして未来へと繋がる良い変化なのか、まだ誰も知らなったーー。
再び『おうりゅう』に戻る。
「国籍不明潜水艦探知……!」
その一言で静寂に包まれていた艦内はにわかに慌ただしくなった。
号令が飛び交い、瀬戸2佐らは海図とディスプレイを眺め比べ始める……。
「識別急げ。距離、方位は?」
「方位0-0-5、距離8km。速力は5ノット。どうやら今まで海流に乗ってきていたようです」
だから懐まで迫られているのに気が付かなかったのかーーと発しかけた言葉を押し留め、瀬戸2佐は言った。
「こっちに気づいてるか?」
同時にデータ照合を終えたソナー員が言った。
「不明潜水艦はミレリヤ海軍アルヴァロス級と判明。こちらには気がついていないようですね。おそらく哨戒任務かと」
同型艦が全てアの文字で始まることからA級とも評されるミレリヤ海軍のアルヴァロス級は性能から音紋に至るまで海上自衛隊は徹底的にマークしている。
サドレア戦争前は最新鋭潜水艦として配備も始まったばかりのようであったが、海上自衛隊の強力な対戦作戦遂行能力を前に相次いで撃沈されていた。
これに対してミレリヤは戦後、静粛性に優れた高性能艦を就役させつつあるようで自衛隊側もその詳細を掴もうと躍起になっているが『おうりゅう』もまた、その任務を遂行する一躍を担って居る………。
「奴さん、やはりこちらを探し回っているようです」
周辺を手当たり次第、探し回って居るようだが練度が低いのかサブマリナーとしてあるまじき、雑音を立てまくっている………。
そう、練度。
サドレア戦争での大敗でミレリヤ帝国軍が直面したのは職業軍人といった熟練兵の欠乏であった。
何百年も昔と違い、現代の兵士を育成するのは相当な時間と労力がかかる。
尤も戦車、艦船、航空機といった兵器の窮乏も問題であり、開戦前と同レベルの戦力まで回復するには少なくとも十年はかかると見積もられているーー。
では再編成の途上にありながらも植民地を維持せねばならないミレリヤはどうしたのかーー?
植民地の先住民、つまり現地人を植民地兵としてミレリヤ軍の一員に加えることであったが、もう一つ、注視しなければならない存在があった。
『傭兵』である。
中世の時代で最盛期を誇った傭兵は形を変えながら現代でも存在し、戦乱が渦巻く不安定な地域でその姿は見られていたが、ミレリヤでは軍務省と懇意にしている軍需企業が傭兵を雇い、正規軍の任務の一部を肩代わりするという民間軍事会社、といった形で現在に続いている。
具体的には補給や輸送といった兵站部門の協力だけでなく、一部の植民地といってもその軍需企業の利権が存在する地域に”傭兵“を送り込むことで、現地に展開していた正規軍は他の方面に注力できるといった構図だ………。
民間軍事会社、ミレリヤにはこれに相当する言葉は在らず、日本側の表現を借りたが自衛隊ーー特に特殊作戦群はこの勢力と少なからぬ縁がある。
それも悪い縁で特戦群が派遣された数々の大小の任務の内、三つの特務の一つでは某友好国の利権を掠め取るべく国家を転覆しようと企てた“傭兵軍団”と交戦しており、マスコミ等に取り上げられるほどの事件にまで発展していた………。
水面下で繰り広げられる大国から個人の思惑と陰謀が渦巻く『冷戦』に日本は足を突っ込んだというよりは”引き込まれた“のであったーー。