16:発火
6月7日 午前11時14分 ミレリヤ帝国 首都ヴェリオン市内
春も半ばが過ぎ、夏を予感させるように気温は緩やかに上昇を続けていたがヴェリオン上空を気味が悪いほどに禍々しい黒い雲が覆っていた。
そう、空はまるで世情の写鏡かのように暗示している。
遡ること開戦日である6月1日。国内有力紙が号外という形で一面にニホン軍の奇襲攻撃によって前線部隊が壊滅したとの旨が取り上げたのだ。その衝撃的な事実を前に燻っていた反政府感情がここで爆発し、群衆は激情に任されるがままに臨時議会が開かれている帝国議会議事堂を包囲した。
翌日から今に至るまで群衆たちと警察の治安維持部隊との睨み合いが続き、一触即発の状態となっている。
情報統制こそ成されているものの、幾つもの情報源を持つ報道各社は敗報を続々と出し始めている。
だが彼らは楽観的であった。
なるほどニホン軍は確かに当初の予測に反して強力で我が軍を圧迫している。だがそれは奇襲攻撃に後手になってしまっただけであり、反攻が開始され次第、精強なる帝国陸海空軍は鮮烈な反撃を開始するだろうーーと半ば政府の望み通りのまま書き立てていたーー。
しかしーー。
「参謀本部勤務の友人からの話なんだが……大東洋艦隊が壊滅したらしい」
市内の喫茶店の奥で二人の男たちはヒソヒソと各々の持ち寄った情報を交換していた。
「冗談だろう……?主力艦だけでも10隻以上ある艦隊だ。一体何をどうしたらーー?」
男たちの正体は幾つかある有力紙に勤務する若手記者だった。
スクープを出すのが生き甲斐とする記者たちの中、彼らは情報を横取りしないことを条件に今日も特ダネを交換しあっていたのだ。
「実際にケンドランのタランド港に損傷した艦艇群が入港している。これに現地人は勢いづいて独立機運が再び高まっているとか……」
「まぁケンドラン総督府の統治は苛烈すぎるからな。独立機運が高まるのも無理はない……」
弾圧されながらも独立運動が繰り返されているーーということに二人は身震いをした。
どこの誰が火をつけたかは知らないが、これにケンドラン奥地で今なお抵抗を続ける王国軍残党や地下組織が触発されればケンドラン方面軍は進撃するニホン軍への対応だけでなく反乱軍への対処と二正面作戦となる可能性もあった。これに無法者ーーディトランドのハイエナ共が南侵すれば事態は混乱という一言では収められないほどのカオスとなるーー。
ところでーーと男が言った。
「これは出すのか……?」
苦々しく頭を横に振るもう一人ーー。
「まさかーー出来るわけがないさ。部長にも泣かれたし、これを出してしまえば利敵行為も同然だ……」
「だろうなーー」
加えて内務省国家保安部にも差し止めするように統制を受けたと続けた時、男はさもありんと納得した時、店内に入店したことを告げるベルが鳴った。
20代半ばぐらいの女性だろうかーー?
普段ならばただの同胞としか認識であろうが、女性が着る服は喪服で一瞬だが泣き腫らした顔が見えた。
そして腕の中には夫であろう男性の遺影ーー。
「多くなったな……」
呟きに男は同意した。
開戦から一週間も過ぎていないというのに街では喪服を着始める人間が多くなった。
転移以来、ミレリヤは対外戦争を繰り返してきたが今までこのようなことはなかった。
何故かーー?と自問する男にもう一人の男は独白するかのように言った。
「これは俺の同僚の話なんだが……『ミレリヤは初めて現代戦を戦っている』だそうだーー」
ーーー
6月8日 午後16時40分 ミレリヤ領植民地ケンドラン南部 タランド市 貧民街
ここ数日間ケンドラン全土を覆う低気圧の所作か、ここタランドでも雷雨が轟き続けているーー。
ケンドラン屈指の天然の良港を持つタランドは侵略者ことミレリヤ人がやってくるや否や、商船で賑わっていた貿易港から大小さまざまな軍艦が停泊し、ドックから工廠と巨大な海軍基地へと変貌を遂げていた。
ゆえにタランド市ーー特に海軍基地周辺では戦車から攻撃ヘリを揃えた警備部隊や総督親衛隊が闊歩しているーー。
雷鳴ーー!
薄暗い空に走った雷光が市内の至る所から立ち上る黒煙を照らし出した。
城壁のごとき威圧感を与えるコンクリート壁の内側にはコロニーと呼ばれるミレリヤ人街があり、現地人のテロ攻撃や反乱軍の侵入を防いでいる。
では壁の外に目を向ければどうだろうかーー?
開拓者たちの殖民を名目に趣のあるレンガ造りのケンドラン建築物はそのほとんどが取り壊され、利便性のみを追求したコンクリート造りの殺風景な街並みが広がっている。
その外縁部からさらに広がるのが現地人街ーー通称:貧民街だった。
上空から見下ろせば、独立を求めて抗議活動を続けるケンドラン人たちの姿が垣間見えるはずだ。
発端はサドレアに送り込まれ、死傷したミレリヤ軍将兵たちが設備の整った病院へ後送される様子を間近で目撃したことだろう。『三名以上の集会禁止』、『反ミレリヤ的活動禁止』などの法律が平気で施行されていて、摘発されればその場で処刑であるというのに、ケンドラン人はあれだけ暴虐の限りを尽くすミレリヤ軍が東方の島国ニホンとかいう国の軍隊になす術もなく敗走しているようだーーと厳しい情報管制の最中でも口々に言い合った。
そして拍車をかけたのが、あれほどの威容を誇った大東洋艦隊がニホン海軍との海戦で敗れ、無惨な姿で帰港したことだった。
ここで燻っていた独立機運は一夜にして全国土での民衆抗議という形で爆発したのだったーー。
鎮圧部隊、デモ隊の抗争はやがて過激化し、収拾のつけられない大事となっているーー。
その混乱の中、貧民街の一角の安宿の扉が不快な軋みを立てながら開いた。
受付に座っていた店主が怪訝な表情をする。
来客は見慣れない異邦人たちだった。それもまるで麦俵のような大荷物を背負ったーー。
「部屋はあるかーー?」
最前列にいた大柄な男が片言のケンドラン語で言った。
「あ、あぁ。上の奥の部屋が空いている……鍵はこれだ」
客らは礼を言い、階段を登っていくのを一瞥した。
このご時世、訳ありの者が素性を隠して訪れるのはありふれたことだーー。
そう独白しながら店主は手元の帳簿に目を落とし、客への興味を失った。
五人の外国人ーーこと特殊作戦群の隊員たちは無事、当分の住処を確保したのだった。
ボロ部屋に座り込んだ彼らは泥を落とし、盗聴器などの類がないか確認したのち麦俵のような大荷物から荷物を取り出してゆく。
それらは単に特殊部隊用の高価な装備類だけではない。
ケンドラン人に溶け込めるよう現地の衣類に合わせた服装からミレリヤ軍兵士に偽装するための軍服。
果てはミレリヤ軍制式のガロム-62自動小銃から高性能通信機とおよそ必要と考えられる限りの装備を持ち込んでいた。
潜水艦よりタランドへ浸透した彼らが成すことは先に現地に潜入している隊員たちとの合流、そして地下組織として活動を続ける独立軍の支援だったーー。
チーム-リーダーこと藤堂 和樹 一尉は愛用のUSP拳銃を入念に手入れしながらブリーフィングを思い返した。
「ーー概要は既に聞いているだろうが、改めて言う。本作戦はサドレア戦争の趨勢を決する重大なものだ。ケンドランでは開戦前から諜報員が多数潜入しているが、彼らによればケンドラン人はもう暴発寸前とのことだ……。そこで君たちがすべき事は、独立軍首脳とコンタクトをとり無鉄砲な暴発を抑える。そして独立支援をすることであるーー」
習志野駐屯地内の情報作戦室の大型ディスプレイにはとある写真が藤堂一尉らを映し出していた。
映し出されたのはまだ青年であろう若い男ーー。
端正な顔つきだったが、その眼は激戦を戦い抜いてきた戦士の色があった。
「この青年は独立軍リーダーのドゥビア-バレンジだ。元は商売人だったらしいが、極めて優秀な戦略家である上に人望が厚く、慕われているとのことだ」
こんな若者が反乱軍のトップなのかーーと隊員たちは感慨に耽った。
独立軍といっても一枚岩とは言えず、内部闘争も当然ある。
バレンジが率いるのは旧王国軍近衛派と民衆派と呼ばれる最大派閥、そして内なる敵対者が貴族や富豪といった有力者一派に加えて、旧王国軍将校だった。
今でこそ“共通の敵”という脅威があることで不和は生まれていないが、それは表面化していないだけで両者には、決して埋める事はできない深い溝があるとのことだと解説されるが、それは着いてからの問題だ。
次に映し出されたのが高圧的な印象を受ける風貌の男だ。
「そしてコイツがケンドラン総督のレオルドだが、厄介なのはレオルドの配下にある総督親衛隊だ」
続いて映し出されたのが街中を闊歩する装甲車と濃灰の軍服を着用した武装兵たちーー。
「厄介なのは連中がナチス武装親衛隊のように苛烈な取り締まりを持ってケンドラン人を弾圧することである。無秩序的な独立運動が始まれば間違いなく各個撃破されるのがオチだーー」という情報官の解説を振り返りながら藤堂一尉は情報端末が映すバレンジの容貌に目を遣った。
ドゥビア-バレンジーー。お前は今、何処に居るーー?
潜入の時期が大河内の話と一致しないように見えますが、潜入自体は大河内の承認のもと開戦前から開始されています。→閣僚級では防衛大臣と外務大臣以外知らなかったと言いたいんだ……。
次話は明日か明後日か明明後日のいつかだと思います。




