告白には嘘を添えて。
「好きです、つき合ってください」
お昼、十二時十七分。社食。
いつものようにくり広げられる告白。
――またか。
――まただ。
――またなのか。
カウンター越し、定食の載ったトレーの受け渡しに必ず行われる。もはや儀式。「いいお天気ですね、そうですね」レベルのやりとり。恒例行事。
昼食をとりながら、ピクリと聞き耳を立てる社員たち。
うどんを食す者は、ズルズルと啜るのを止め、割り箸を持った者は、両手でつまんだままパキンと割るのを待つ。トレーを手にした者は、それを盾のようにして身構える。
なんでもないふりをして、全身が耳になる。なんでもないふりをして、しっかりガン見。
耳目を集めての告白。
その答えや――いかに?
「ごめんなさい」
――またや。
――またやな。
――またやのう。
注文された料理を提供し、ペコリと頭を下げる社食の女性。返事と料理を受け取るのは、社員の男性。
とたんに社食は、ガヤガヤ騒がしいいつもの社食に戻る。
――どんまい。
――次も頑張れ。
――って、アイツ、コクるの何回目?
――飽きもせずに。
――懲りねえなあ。
というのが、今の社食の総意。
通算12回目と内心数えているヤツもいる。
そう。それほど多い。
今日ぐらい、そろそろイケるか? 予想していた者は嘆息し、食事へと戻る。
誰もが成功を期待しつつ、失敗も残念がらない不思議な問答。
「諦めた方がいい」「脈ナシ」と男を止めないのは、断られても男がめげることなく美味そうに提供された定食を平らげるから。
定食に、必ず炊き込みご飯のおにぎりをつけて注文する男。
――断られてもめげずにコクるなんてなあ。
――平気な顔どころか、うれしそうに飯食ってんぞ。
――アイツのメンタルどうなってんだ? 鋼か? ダイヤモンドか? タングステンか?
「飽きねえな、お前」
男の向かいの席に来た同僚。男の前に自分の食事を置くと、よっこらしょっと椅子に腰掛ける。
この場合、「告白→お断り」を飽きないのか、それとも「炊き込みご飯おにぎり」を飽きないのか。どっちともとれる質問だったが。
「うん。だって旨いし。あ、そんな欲しそうにしてても分けてやらないからな?」
どうやら後者。独り占めしたくなるぐらい、炊き込みご飯おにぎりは旨い(らしい)。「ちょっと食べてみな?」みたいな、旨いものを布教して共有する気はないようだった。一粒残さず、それでもじっくり味わいつつ、一つ目を平らげる。
「いや、別にいらねえよ」
同僚が、自分のトレーに載ったカレーへとスプーンを突っ込む。
「そんなに旨いかねえ。それ」
旨そうに頬張られても、疑義を挟む。
あまりに旨そうに食す仲間を見て気になって一度は食べたことがあるのだけれど、結果は、「普通」。嫌いってわけじゃないけど、毎日食べたいってほどでもなかった。不味いわけじゃないが、食べ続ければ飽きる程度の味。コンビニのものよりは旨いけど、言ってしまえばそれだけ。
だからこそ、毎日旨そうに頬張る仲間が不思議に思える。
「旨いよ。しっかり味付けしてあるし。僕の好みだし。このゴボウへの味の染み方が好きなんだ」
「ふーん」
そんなもんかねえ。ってかゴボウ? そこ?
スプーンでカレーに突き立て、頬杖をつく同僚。福神漬マシマシカレーをかき混ぜ、多めに取ってきた福神漬の証拠隠滅が謀られた。
今日の定食は「焼き鯖定食」。焼いた鯖に、ほうれん草のお浸し、きんぴらごぼう、豚汁、白米と渋いメニューながらもやや豪華。なのにおにぎりを頬張る男には、それは添え物で、メインは「炊き込みご飯おにぎり」。いつも適当に定食を完食し、おにぎりを最後の一粒まで味わうようにじっくり咀嚼し、嚥下する。
この男、いつもは営業課でバリバリに仕事をこなすクールなデキるキャラなのに、このときばかりは幸せに顔が緩みっぱなしになる。きっと女子ならここで足をバタバタさせて喜びを表現するんだろうなって顔。
「ホント、先輩、それ好きっすよねえ」
言いながら、隣に座ったのは男の後輩。
手にしていたのは、朝、カノジョが作って持たせてくれたと、自慢気に語っていた弁当。パステルファンシーな柄の弁当を机に置くと、早速のように包みを開く。「ウヒャッ」と軽く息を飲むような声を上げたのは、蓋を開けた中身がキャラ弁だったから。潤んだお目々のうさぎみたいなキャラ。お目々と頬は海苔、耳ん中はハムでいいとして、その隣、友達っぽいキャラの薄水色の耳(!?)の部分は何で出来てるんだろう。謎。
「あげないぞ」
二つ目を食べ始めた男が、おにぎりを守るように軽く身を捩った。
「わかってますよ」
別にいらないし。
その水色の謎米部分を避けるように食べ始めた後輩。ご飯で作られたキャラが箸で真っ二つに分断される。
「それより先輩って懲りないですよね。めげないっていうか、諦めの悪いっていうのか」
パクッとキャラを食べた後輩。
先輩に対する遠慮も、真っ二つに叩き割ったキャラへの申し訳無さもないもない、ケロッとした表情。
「どうして、そんなに彼女に固執するんですか?」
こら待てやめろ。
慌てた同僚が口を塞ぎにかかる。
どうにも気になって気になって仕方ないことだったとしても、気になりすぎて仕事が手につかなくなっても、眠れなくなっても訊いていいことと悪いことがあるんだよ。
仲いい同期だって訊きづらいのに、ケロッとシレッと後輩が訊くな。
「なんていうのかなあ。この味、もっと食べてたいって思うんだよねえ」
同僚と後輩の攻防なんて気にもとめず、男がおにぎりを一口食べて思案する。
「この味を毎日食べていたい。彼女の作ったもので、この体を構成したいっていうのかなあ……」
――なんだそりゃ。
後輩と同僚が顔を見合わせ、どちらも理解できずに首をひねる。
「お前、彼女に“カノジョ”になって欲しいんじゃなくて“おさんどん“、“飯炊き女”になって欲しくてコクってるのか?」
「うわ、それは断られるね」
ウンウンと頷く後輩。
「好きです。だから自分の飯を作ってくれ」じゃあなあ……。「料理がやりたくないから、カノジョが欲しいの? つき合ってるアタシの意味ってゴハンだけ? アタシはアンタのひみつ道具、グルメテーブルかけじゃないのよ!」ってなる。
それは誰でも断るでしょ。断って正解。よっぽどかいがいしく世話したがる、お世話is最高!! お世話が趣味っていう奇特な女性でないと無理。
「うーん、そういうんじゃないんだよ……。説明しづらいなあ」
男が軽く顔をしかめ、頭を掻く。
「とにかく、僕は諦めないよ。12回ダメでも、13回目ならOKってこともあるかもしれないし」
いや「ない」。
「ない」ほうに賭けるわ。
あんだけ断られてるじゃん。それで次回に期待するってやっぱりメンタルツヨツヨ。
「ねえ、それが仕事で、営業で成功させる秘訣なの?」
「粘ったら勝ちってか? 相手が諦めて受け入れるまで挑戦する? ――ストーカーじゃん、それ」
ヒソヒソと話し合う後輩と同僚。
男の営業成績を見る限り、それも一手なのかもしれない。(しれないだけ)
実際、男は優秀な営業マンだし。成績トップをキープしているし。
「まあ、きみたちには理解できないだろうけどね。特にカレーなんて食べてるお前には」
「うっせ。カレーにはな、インド人の知恵と愛情がじっくりコトコト煮込まれてるんだぞ? バカにすんな」
「いや、それ市販ルーだし。多分、業務用の」
それと大量の福神漬。誰が作っても多分きっと同じ味。
先に食べ終えた男が立つ。
「仕事の験担ぎぐらいに思ってくれればいいよ」
確かに、あの男はお昼を食べた後にバリバリ働いて、かなりいい結果を残す。先日だってデカい商談をサラッと簡単にまとめてきた。
それが、あの味ご飯おにぎりのご利益なのか? それともあの男の実力なのか。
「オレも食べたほうがいいかな。オレ、この後会議なんだよなあ」
同僚がこぼす。
その会議はちょっと厄介で、かなり面倒くさい。
「カレーよりはご利益あるんじゃない?」
後輩が、最後の一口を頬張ると、弁当箱の中のキャラをすべて消し去った。
* * * *
(う~ん、やっぱあの味、あの味なんだよなあ~)
仲間より先に部屋に戻る途中、くり返しあの味を思う。
食べ終わった食器を返却するときにも見かけた彼女。「美味しかったです、あの味ご飯」って声をかけたけど、遠すぎたせいか、仕事に一生懸命だったせいか、特に反応はなかった。代わりに、彼女の同僚が「仕事がんばってください」って返事をくれたけど。
(やっぱり、彼女じゃないのかなあ)
子供の頃訪れた曾祖母の家。
あのおにぎりは、そこで食べたのとまるっきり同じ味だと思った。
――味ご飯。
「炊き込みご飯」でも「かやくご飯」でも「五目ご飯」でも「混ぜご飯」でもない。「味ご飯」。
曾祖母は自分が中学に上がる前に亡くなったけど、それまでは、遊びに行くたびによく作ってくれた。
(彼女だと思うんだけどなあ)
あの頃、曾祖母の家で味ご飯を一緒に食べる女の子がいた。
曾祖母の家の近所に住む子で、「こんな田舎やから、することあらへんやろし、一緒に遊んでおいで」とよく外に放り出されていた。自分より三つ、四つ年下の女の子だったけど、過疎地なので、近所にはその子しか子どもはおらず、その子もまた自分以外遊ぶ相手がいなかった。
女の子なんだし小さいんだからと、花でも摘んで適当に遊べばいいかと思ったら、意外とアクティブで。近くの川でザリガニ獲ったり、カブトムシを捕まえたりして遊んだ。ツツジの花の蜜の甘さを教えてくれたのも彼女。「蜂が蜜を採った後のツツジは美味しくない」とも教えてくれた。
曾祖母の家にいる間、その子の祖母が作ったという手作りの味ご飯を何度も食べた。少し濃い目の味だけど、自分の中に流れる血、DNAがそれを欲しているのか、すごく美味しいと思っていた。
一緒に遊んで一緒に食べて。
夏休みとかの短い期間だったけど、すごく楽しかったのを覚えてる。
曾祖母が亡くなって、一緒に食べられなくなることが寂しかった。残念に思ってた。
だから。
(間違ってないはずなんだけど……)
食堂で働く彼女。
彼女があの子で間違いないと思うんだけど。
あの頃の彼女は、よく日に焼けて僕より色が黒かった。屈託なくよく笑う子で、小さいのに率先して前を歩くような子だった。今の彼女は色も白いし、ほんのり化粧もしているし、ニカッと白い歯を見せて笑うこともない。背だって大きくなったし、ほっそりと女性らしいスタイルになっている。
田舎にいる親戚にはすでに確認している。
彼女は、あの子は今どうしてるって。
親戚は、突然の電話に驚きながらも、「彼女は東京に出て働いてる。たしか飲食関係の資格を持ってたから、そっち方面で働いてるんじゃないか」って教えてくれた。
東京で働いてる。飲食関係。
それだけで彼女=あの子は短絡的すぎる。上京して働く女の子がどれだけいるんだよって、自分でも思う。こんなところで再会だなんて、偶然がすぎる。
でも、あの社食で初めて会った時、なんとなく二人がつながって、初めてあの味ご飯のおにぎりを食べた時、彼女があの子だって確信に変わった。
どれだけ姿形が変わっても、この味は変わらない。自分のDNAに染み込んだ、大好きな味。
思い出と現在がつながったから、だから好き――というわけじゃない。それなら、小学校や幼稚園の仲間は、再会したら「好き」になってしまう。幼い頃に会ったというのはあくまで「きっかけ」。
彼女の仕事っぷり。
厨房でテキパキと仕事をこなす彼女。お昼の厨房は殺人的に忙しい。注文する側は、腹を空かせているし、時間が惜しい。並んで受け取るのもうんざりして、どうかするとイライラしてる。厨房側だって忙しい。いくら準備してたって、作ったものを盛り付け、配膳、受け渡しは大変だろう。同僚の食べてたカレーぐらいなら、サッとよそうだけだけど、場合によっては追加で作らなきゃいけなくなる。時には、「遅い」と文句を言う客にも、笑顔で対応する。(その客は殴ってやりたいと思う)
仕事を嫌な顔ひとつせずこなしていく彼女。
先程、食べ終わった食器を返却に行ったときも、彼女は奥で使い終わった炒め鍋を洗っていた。タワシを持ち、鍋を擦る横顔はとても真剣。
かわいいな、好きだな、と思う。
顔だけじゃない。その仕事ぶりもすべてがかわいい。好み。
(僕のこと、忘れてるのかな?)
ラップに包まれたおにぎりのネームプレートは「味ご飯」ではなく「炊き込みご飯」。まあ、東京だからね。東京だからしかたない。
だから、ちょっとカマをかけた。「味ご飯、美味しかったです」と。
彼女ならきっとあれを「味ご飯」と呼ぶ。あれで、僕のことを思い出してくれれば、恋人は無理でも、幼なじみだってことはわかってもらえる。そしたら、そこから少しは脈を探していくんだけど。
同僚に言われたような、「おさんどん」「飯炊き女」になってほしいわけじゃない。一緒に食べて、「美味しいね」「美味しいよ」って言い合いたいだけ。彼女の代わりに僕が作ったっていい。
思い出の彼女だけじゃなく、今の彼女も好き。
だからこその告白。だからこその味ご飯なんだけど。
(あーあ。今日も玉砕かあ……)
同僚には、「13回目には」みたいなことを言ったけど、実際、そこまでの自信はない。ないどころかマイナス。それなりに落ち込むし、ヘコむ。今だって、足取りは重く、無理やり膝を持ち上げて歩いてる状態。
だけど。
(よっしゃ、頑張るか)
軽く頬を叩いて自分を叱咤。
今日もあの味ご飯を食べられたわけだし。今はそれで満足。それで充分。
さあ、仕事、仕事!
これから、次のプレゼン資料作成!
あの味に応えるためにも、シッカリ仕事で結果を残さなくては。情けない男のままだと、いくら告白してもずっと「NO」のままだろうから。
あの告白は、僕が立派な男になるまでの予防線。ああやって告白し続ければ、他の男が言い寄る気は起こさないだろうし。好きになってもらえなくても、忘れられてても、他の男に取られるわけにはいかないもんね。
それにもしかしたら、ワンチャン好きになってもらえる、「OK」もらえるかもしれないし。
(ってこの思考、僕ってやっぱりストーカー?)
初めて気づいた。
* * * *
「ねえ、あれでいいわけ?」
同僚のため息交じりの言葉に、タワシを持つ手がピクリと止まる。
「『美味しかったです』だそうですよ、先輩」
よかったですね。
隣で食器を食洗機に放り込みながら、後輩が茶化す。
(言われなくても知ってる)
ちゃんと聴いてたから。
聞こえないふりしてたけど、仕事が忙しいふりしてたけど、ちゃんと耳をダンボにして聴いてた。
――美味しかったです。あの味ご飯。
彼はいつもそう言ってトレーを返却に来てくれる。
「炊き込みご飯」でも「かやくご飯」でも「五目ご飯」でも「混ぜご飯」でもない。「味ご飯」。
今日注文していたのは、「焼き鯖定食」。
焼いた鯖に、ほうれん草のお浸し、きんぴらごぼう、豚汁、白米とやや豪華。食堂のちょっとした人気メニュー。なのに。
――美味しかったです。あの味ご飯。
味ご飯のおにぎりだけを褒めていった彼。
いつだってそう。
とんかつ定食でもハンバーグランチでも何を食べても、絶対、味ご飯を褒めていく。一緒に注文したランチや定食は添え物で、お腹を満たすためにとりあえず食べてるってかんじ。
あの味ご飯おにぎりで心を満たしているような――。
(いやいや、それは考え過ぎ!)
あの味が彼にとって好みってだけで、それ以上に深い意味はないのよ、きっと。
「でも良かったですね~、今日で12回目ですよ~」
「懲りもせず、飽きもせず、よく続けられるわよ」
同僚と後輩が笑い、呆れる。
「好きです、つき合ってください」からの、「無理です。ごめんなさい」。
通算12回。数えてもらわなくても知っている。
「いつまで続けるわけ?」
「いい加減、OKしたらどうなんですか?」
(私だってOKしたい。したいのよ)
だけど……。
(はぁぁぁ~。あの時、あの時さえ……。ああああぁぁ~)
重く長~いため息とともに、シンクに手をかけたまましゃがみ込む。
ホント、あの時のことさえなかったら。
極大の後悔が背中にのしかかる。
初めての「好きです、つき合ってください」の時。
私、すっごく舞い上がってた。
彼のこと、覚えていたから。
彼、私が幼い頃、一緒に遊んだ相手。近所のおばあさん家の曾孫とかで、夏休みとかでないと会えない子だった。色の白い、線の細い男の子で、年上だけど田舎のことをあまり知らなくて。近所に友達がいなかったのと、知らないことを教えてあげるお姉さん感覚が楽しくて、彼を連れて率先して歩いてた。ホントはカエルもザリガニも苦手だけど、平気なふりして捕まえてみせた。だから、彼のおばあさんが亡くなって会えなくなったのが寂しかった。
高校を卒業して、調理師免許を取って、どこで働くかってなった時に、選んだのが彼のいる東京だった。なんとなく会えたらいいな程度。こんな広い、人も多すぎる東京で、そんなヒョイヒョイ会えるわけないじゃない。偶然にもほどがある――って思ってたのに!
彼がいたのよ! ここに! エリートリーマンとして!
線の細さは相変わらずだけど、それはやつれてたり、ヒョロヒョロって意味じゃなくって、シュッと大人びた洗練された都会の人ってかんじで。体格は良い方なんじゃないかな。背も高いし。カッコいいし。
そんな私に、彼が? 私を? 好き?
驚いた。
うれしかった。
けど。
――おーい、追加の天津飯まだぁ?
私にかかった仕事の呼び声。
「無理です!」
……とっさに返しちゃった。「今、仕事は」をつけるのを忘れて。
ホントは、ホントはね。そこでOKしたかったのよ。心臓破裂しそうなぐらいドキドキしてたし、頭から湯気出そうなほど真っ赤になってテンパってたし。こんな奇跡みたいな偶然から始まる恋ってありなの?って舞い上がっちゃってたし。
だから。
「そっか」
短く彼に諦められたのが悲しかった。「違う」って訂正したかったけど、その傷ついたような顔に胸締め付けられて、言葉が出てこなかった。
私も後悔したし、悔しかった。あの天津飯野郎め。そんなに欲しかったら頭に天津載せてやる!!(あんかけつき)
次に会ったらちゃんと謝ろう。
謝って自分も好きだと、昔一緒に遊んだのは私だと言おうって決めてた。
こんな偶然の再会、絶対神様が決めた運命の恋なんだからって。(言ってて自分でも恥ずかしい)
けど。けどね。
お昼の社食の仕事ってメチャクチャ忙しいのよ!
「忙殺」、心を亡くす、殺すっていうけど、ホント、心なんて残ってない。心? そんなもの知らない。淡々と料理し、提供する。文句? 知らない。右から左へちくわの如く、スルーッと聞き流すだけ。機械人形にでもなった気分。
だから、「次に」も「次は」もできなかった。
(ううん。これは言い訳ね)
ホントは、「次を」自分でやる勇気がなかった。
彼はみんなの前で告白してくれたけど、自分にはその勇気も度胸もなかった。
彼は告白してくれたけど、断った今も同じで私を好きでいてくれるの? もし、「ゴメン、もうそういう気はなくなった」って言われたら? そう言われても、私はここで料理を提供し続けなきゃいけないんだよ? どんな顔で仕事を続けるの?
逃げてるんだと思う。逃げてたんだと思う。
だから二回目の「好きです」はすごくうれしかった。今度こそ、今度こそ「はい」って言おう、そう決めてたのに。
定食とともに、彼が手にした「味ご飯おにぎり」に目が行った。
味ご飯。
彼に私のことを思い出してほしくて、無理やり提案して置いてもらったもの。あの味を食べたら、私とのことも思い出してくれるかなって。仕事で大変だろうから、あの味で癒やされてほしいなって。そう思って置いたのだけど。
(――ねえ、これって、彼がこの味を食べたいから言ってるだけじゃないの?)
ふと思ってしまった。
――あの味を食べたいから、この女をキープしておくぜ。ゲヘヘ。
いや、彼がそんな下劣な思考をしてるとは思いたくないし、思ってないけど、そう思ってしまった。
だって。
(私、どこを取っても好きになってもらえる要素ない)
そりゃあ昔よりはキレイになる努力はしたよ? 肌の美白にも務めたし、髪だってキチンと手入れしてる。ポッチャリしてたのが気になってダイエットも試みた。
けど、いくら私が努力しても、彼と同じオフィスで働いてる女性に比べたら田舎臭さは否めない。厨房で化粧は汗かいて無駄だからあまりやらない。服装だって汚れてもいい普通の服。腕には油ハネでできたヤケド痕があるし。丁寧に梳かした髪だって束ねて丸めてハイ終わり。三角巾で隠れてる。爪にマニキュアなんて塗ってない。
(そんな私のどこを、彼が好きになってくれるの?)
営業トップの成績。仕事のできる都会の人。
途端に怖くなった。
だから次も断った。その次もその次も。そして12回目も断った。断ってしまった。
(もう少し、もう少し勇気が出たら、自分に自信が持てたら「YES」って言えるのに)
もう少しキレイになって、彼につり合うだけの容姿になれたら。たとえそれが「味ご飯」目的のおつき合いだったとしても安心できるのに。彼につり合う、都会の女になれたら。
それに、一回「NO」って言ったら、引っ込みつかなくなっちゃった。「YES」って言葉は喉まで出かかってるのに、上手く言い出せない。やすい女に思われたくない、ほだされてしかたなくって思われたくない。へんなプライドが「YES」を喉で抑え込んでる。
逃したタイミングが取り戻せない。
「ねえ、それでこれからどうするんですか? 先輩」
「そうよ。これからも告白してくれる、待っててくれるとは限らないんだからね」
食堂の恒例行事になりつつある告白だけど、いつまで続くかなんてわからない。次はないかもしれないし、別の女性に取られちゃうかもしれない。
(わかってるわよぉ)
わかってる。わかってるのよ。言われなくてもわかってるのよ。
だからこうして告白してくれたことに、断っておきながらどこかホッとしているの。ああまだ私を好きでいてくれてるんだって安心しているの。
あの味ご飯。
彼ほど食べてくれる、鬼リピートしてくれる人のいない味ご飯。
あの味ご飯さえあれば、彼はまた告白してくれるんじゃないかって期待してしまってる。
味ご飯に願掛け?
だって彼、「炊き込みご飯」じゃなく「味ご飯」って言って褒めてくれるから。東京の人は言わない、「味ご飯」。私の故郷の方言、「味ご飯」。
彼がこの味を忘れない限り、また告白してくれる、好きでいてくれるって思ってる。だから――
「よっしゃ。次も頑張る。今回のはゴンボが少し硬かったし。もう少し味を染み込ませへんと」
おばあちゃんから習ったレシピ。もう少し上手に炊けるように工夫したい。美味しく美味しく懐かしく作れたら、きっと彼は喜んで食べてくれるだろうから。
美味しく美味しく炊けたなら、味ご飯に自信が持てたら、そしたら、このやっかいなプライドも何もかもなくして、勇気を出して「YES」って言えるかもしれない。
「――ゴンボってなに?」
「ゴボウ。関西弁」
「ええ、またゴボウ? この前からきんぴらとか豚汁とかゴボウ料理ばっか作ってるのに?」
今日の豚汁はその成れの果て。最近の食堂メニューはどこかに必ずゴボウ混入。
「いいんじゃない? この食堂のレパートリー増えるから。ヘルシーだしさ」
げんなりする後輩と、あっけらかんとした同僚。
「炊き込みご飯にこだわるなら、鶏肉にでもこだわってよぉ」
鶏肉もヘルシーじゃん。後輩、精一杯の抗議。
「無理じゃない? あれだけゴンボに張り切ってたら」
洗い物を終え、明日のためにゴボウの在庫確認を始めた私の後ろで、腕組みした同僚が言った。
「このゴンボ娘が『はい』って言うのはいつになるんだろうね。土臭さが採れて、水に晒したゴボウみたいにキレイになったら言うのかねえ」
「――無理じゃないですか? あの人、ゴボウみたいに告白玉砕、身を削りながら待つしかないですよ。かわいそうに」
うまいね。
同僚と後輩が笑いあった。
味ご飯=三重弁。炊き込みご飯、かやくご飯、五目ご飯のことです。