独身時代最後の冬に見るイルミネーション
挿絵の画像を作成する際には、「Ainova AI」と「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
梅田から難波までの四キロ余りを結ぶ御堂筋は、地下においては鉄道の大動脈として、地上においては経済の中心地として、この大阪市を支える重要な役割を担っておりますの。
そんな大阪市のメインストリートである御堂筋では、季節に応じて様々なイベントが開催されておりまして、浪花っ子はもとより関西一円の人々の耳目を集めておりましてよ。
秋には市役所から南海難波駅までの三キロ余りを舞台に繰り広げられる御堂筋パレード、新春にはチャリティー目的のマラソン大会。
そして空気の澄み切った冬の今は、LEDライトのイルミネーションが四キロ余りの目抜き通りを鮮やかに彩るのですわ。
照明ライトによって夜の闇に照らし出される本願寺や難波神社の威容は圧巻で御座いますが、LEDライトで装飾された銀杏並木の美しさたるや、世界記録認定も頷ける程に見事な物で御座いますの。
音楽連動イルミネーションやマイメッセージツリーなど、イルミネーションの要である銀杏並木のライトアップには様々な工夫が盛り込まれておりますが、その最たる物は何と申しましても、御堂筋の地域別に施された色分けで御座いますわね。
梅田から大江橋までを照らす金色の光の眩さに、伏見町から淡路町までを照らす雅やかな桜色の輝き。
いずれも甲乙付け難い美しさで、散策しながら眺めておりますと思わず心が弾んでしまいますわ。
ましてや今年は、私の未来の伴侶である生駒家御曹司の竜太郎さんと御一緒なのですからね。
此度のイルミネーション見物は、言わば婚約者との夜デート。
御召し物につきましても、例年以上に拘らせて頂きましたわ。
草花の少ない冬という季節柄、饅頭菊をあしらった華やかな赤い御着物を選ばせて頂き、防寒対策に用意致しました羽織も、袴と同様の深緑色。
足元からの防寒対策として、御履物も草履ではなくて編み上げブーツを選ばせて頂きましたわ。
この袴に編み上げブーツという大正初期の女学生のような組み合わせは、秋の御見合いデートで竜太郎さんに御褒め頂いたコーディネートで御座いますの。
何しろ竜太郎さんは、和装が御好みで御座いますからね。
「首の角度はこれでいかがでしょうか、竜太郎さん?」
「良い感じですよ、真弓さん。この桜色のイルミネーションですと、真弓さんの赤い御着物が映えますね。やはり真弓さんには和装がお似合いですよ。」
首から提げられた一眼レフカメラで私を撮影しつつ、竜太郎さんは感慨深げに呟かれたのでした。
戦国武将である生駒家宗公の末裔にして、爵位持ちの華族様であらせられる生駒家の御曹司。
そうした由緒正しき肩書きもあってか、竜太郎さんには厳格な堅物という第一印象が御座いましたの。
此度のイルミネーション見物に致しましても、黒の三つ揃えに中折れ帽という生真面目で折り目正しい装いで御座いましょう。
ところが御見合いデートとして秋の京都を訪れた際に、その端正で生真面目な面持ちの下に隠された意外な一面に触れる事が出来て、私は竜太郎さんの伴侶となる決心を固めたのですわ。
何しろ竜太郎さんの初恋相手たるや、私の御先祖様の若き日の写真なのですからね。
私の実家である小野寺教育出版が明治期に手掛けた学習教材の写真の中に混ざっておりました、舞妓に扮した御先祖様の写真。
その古びた写真に、少年時代の竜太郎さんは魅せられたのですわ。
−初恋の相手が明治期の女性である以上、幾ら思いを募らせた所で決して成就する事はない。
そう割り切ったはずの少年時代の初恋が思わぬ形で叶ったのは、適齢期を迎えられた竜太郎さんがお見合いを始められた頃でしたの。
お見合い写真の束の中から見出した、少年時代の初恋の人と瓜二つの女性。
それこそが、この私こと小野寺真弓なのですわ。
御先祖様との意外な巡り合わせもさる事ながら、厳格な御曹司という第一印象だった竜太郎さんの少年のような直向きな情熱に共感させて頂き、私は生駒家への御輿入れを決意致しましたの。
御堂筋の銀杏並木を彩るイルミネーションの美しさを愛でては、手頃な場所で記念写真を撮影して。
そうして漫ろ歩きをしておりますと、時間が経つのを忘れてしまいますわ。
「ちょうど、この辺りからイルミネーションが変わるんですね。僕達が写真を写した辺りのイルミネーションは桜色一色なのに、向こうは青一色ですよ。」
「あの辺りは淡路町ですからね、竜太郎さん。水都ブルーと申しまして、淡路町周辺の銀杏並木は青いLEDで照らされるのですわ。古くから大阪は川の多い町として有名で、川に架かる橋の数も評判で御座いましたの。」
物珍しそうな竜太郎さんに応じさせて頂きました私ですが、勝手知ったる地元の事となりますと、つい饒舌になってしまいますわね。
嗚呼、私とした事が何と端無い…
「徳川幕府の治世では『浪速の八百八橋』と称された事を踏まえ、今日の大阪は『水の都』を目指した町興しに取り組んでいるのですわ。」
「御詳しいですね、真弓さん。僕の実家がある堺にも『東洋のベネチア』という異名があるそうですよ。お互い、水には縁があるようですね。」
私の出過ぎた御国自慢に快く御付き合い頂きましたばかりか、そこから会話を広げて下さるなんて…
竜太郎さんには本当に頭の下がる思いですわ。
「流石は船場生まれの船場育ちですよ、真弓さん。御堂筋の事には御詳しいんですね。」
「ホホホ…まあ、竜太郎さんったら…」
竜太郎さんの仰る通り、船場の商家に生まれた私には、この界隈は庭のような物ですわ。
本願寺に難波神社と、御堂筋界隈には思い出深い場所がそこかしこに御座いますの。
そうした馴染み深い建物がイルミネーションの一環で美しくライトアップされているのを眺めておりますと、子供時代からの思い出が蘇ってくるようですわ。
「やはり真弓さんは、御堂筋のイルミネーションには毎年御越しなのですか?」
「ええ…仰る通りですわ、竜太郎さん。」
船場に居を構える小野寺教育出版の創業者一族の長女である私にとって、御堂筋で開催されるイルミネーションは心弾む冬の風物詩で御座いますの。
幼い頃は両親や使用人に連れられ、物心付く頃になりますと兄や友人達と連れ添って見物を致しましたが、夜の御堂筋を鮮やかに照らすイルミネーションの美しさは、決して色褪せる事なく私を魅了し続けたので御座いますわ。
「小野寺教育出版の本社からも実家からも、御堂筋は近う御座いましょう?昨年などは御仕事の後に、母と一緒に見物致しましたわ。今年は竜太郎さんとの夜デートが御座いますので、母との同行は兄の役目と相成りましたの。」
「よろしいのですか、真弓さん?この御堂筋でのイルミネーションは真弓さんにとって、御家族との思い出深いイベントのはず。それなのに、僕なんかが御一緒させて頂くなんて…」
嗚呼、これはしたり…
何気無い自分語りで竜太郎さんに余分な御気遣いをさせてしまうだなんて、全く私とした事が…
「ホホホ…御心遣い感謝致しますわ、竜太郎さん。ですけれどもね、竜太郎さん。万事これで、よろしゅう御座いますの。」
動揺を悟られまいとして着物の袖で口元を隠しながら、私は竜太郎さんに余計な御気遣いをさせずに済むよう、論旨を組み立てたのですわ。
そう言えば、母は出掛けにあのような助言を授けて下さいましたわね…
「確かに私は竜太郎さんの伴侶として生駒様の御屋敷へ嫁がせて頂きますが、その事で生家である小野寺の家との縁が断たれる訳では御座いません。父母や兄が私の大切な家族である事は、これまでと何ら変わりませんわ。」
「それは仰る通りです、真弓さん。真弓さんの夫となる僕から見ましても、小野寺家の皆様は大切な親族になるのですから。」
竜太郎さんは早くも、私の実家の家族をも親族として認識して下さるのですね。
昨今では個人が重んじられるようになりましたが、やはり結婚は家同士の結び付きで御座いますもの。
親族同士の折り合いは、良いに越した事は御座いませんわね。
その点、家族や親族の絆を重要視される竜太郎さんならば、安心で御座いますわ。
「然しながら、『小野寺真弓』としての私が竜太郎さんと御一緒出来ますのも、今年の御堂筋イルミネーションが最初で最後。仮に来年の冬に再訪したとしても、それは『生駒真弓』としての私なのですわ。」
「あっ…!それは盲点でしたよ、真弓さん。確かに、僕と真弓さんが婚約者として過ごせる時間には限りがありますからね。」
どうやら竜太郎さんも、御気付き頂けたようで御座いますね。
祝言を前後に、決定的に変わる物が何であるかを。
「同じ相手でも立場や関係性が異なれば、その情愛の意味合いにも変化が生じると思いますの。少なくとも私は、恋人や婚約者に向けた愛情と自分の伴侶に向けた愛情とは、似て非なるものであると存じ上げますわ。『今しかない婚約時代を、後悔する事なく楽しんでいらっしゃい。』と、母は申しておりました。」
そして私も、母の言葉を反復する事で、今という時の大切さを改めて実感したのですわ。
古人曰く、光陰矢の如し。
一度過ぎ去った時間が決して戻らない以上、今この瞬間を疎かにする訳にはいかないのですから。
「そうでしたか、真弓さん。僕との婚約期間を、そこまで重んじて下さったとは…この生駒竜太郎、光栄の至りですよ。そうなれば、此度のイルミネーションは存分に楽しみたい所ですね。何しろ僕と真弓さんの、婚約時代の思い出になるのですから!」
「はい、竜太郎さん!この小野寺真弓、此度のイルミネーションを満喫する心積もりは出来ておりますの。」
愛する人の呼びかけに笑顔で頷かせて頂きながら、私は銀杏並木を彩るイルミネーションを改めて視界に収めたのですわ。
次に御堂筋がイルミネーションで彩られる来年の冬には、私は生駒家へ御輿入れを果たしているのでしょうね。
そうして夫婦となった竜太郎さんと私の目には、このイルミネーションはどのように映るのでしょうか。
それを思いますと、祝言の日が今から待ち遠しい限りで御座いますわ。