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旧魔王に聖なる封印を!  作者: モタモタ猿
第二章 冷たさにゆらめいて
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36.暖かな朝


「おはよう、ゼレウス」



 ウミウシの魔物を討伐した翌日。

 起床したゼレウスがリビングへ行けば、すでにリーシャが朝の紅茶を楽しんでいた。



「おはようリーシャ。体調はどうだ」


「私は大丈夫だ。それよりゼレウスはどうなんだ? 息苦しさとか、倦怠感はないか?」


「ないな。あの程度の出血なら一日もあればどうとでもなる」


「普通の人はもうしばらく安静にしてなきゃいけないんだぞ」



 ゼレウスと会話しつつ立ち上がったリーシャは、そう言って笑いながら台所のポットを手に取った。

 ティーカップを用意し、そこへお湯を注いで少し待つ。カップを温め、紅茶の香りをさらに引き出すためだ。

 湯を捨て、テーブルにある紅茶の入ったポットへ。ゼレウスの分を淹れ、砂糖をひと掬い。

 ゼレウスもまたテーブルに着き、彼女へ礼を伝えた。



「ではリーシャはどうなのだ?」


「ん、私か? 私は……ゼレウスに比べれば普通の人かな」



 リーシャが冗談めかして笑う。

 ひと手間掛けただけあって、リビングには豊かな香りが広がっていた。

 ゼレウスは一口紅茶に口をつけるとかすかに微笑み、穏やかな声を返す。



「ならば今しばらくは安静にしていよう。お前は腹を貫かれたのだ。我以上に出血をしたはず」


「いいのか? 水族館に行きたいんだろ?」


「我の都合など些末なものよ。お前の身体に比べればな」


「なんかやらしい言い方だな」


「なんだと……。お前の……健康に比べれば些細な……」


「ふふっ、冗談だ。というか言い掛かりだ。気遣ってくれてありがとうな、ゼレウス」



 わざと笑みを消してみせたら、真に受けたゼレウスが言葉を選び始めた。

 その様子にリーシャがくすりと笑うと、彼もまた笑みを浮かべる。



「当たり前のことだ。礼などいい。立場が逆ならお前も同じようにしたはずだ」


「かもな。でも……その時はゼレウスの礼を聞かせて欲しいぞ、私は」


「……そうだな。ならば我も受け取ろう。どういたしまして」



 また二人で微笑み合う。

 打てば響く心地よい感覚。二人して紅茶に口をつけ、ほっとひと息。

 なんだか穏やかで幸せな朝だと、リーシャは思う。



「ところで……似合ってるじゃないか、その服」



 ゼレウスの着ている、いつもの分厚いローブとは異なるそれを視線で指し示す。



「ああ。間に合わせではあるが良い物を見繕ってくれた」


「いつもの一張羅はどうだ? 直せそうか?」


「預けてはあるが元どおりとはいかんだろうな。少し傷つけすぎた。しかしいい機会だ。このまま何着か着替えを用意して、元のローブは保管しておいてもよいだろう。たとえもう使い物にならなくともな。浄化の魔法があるとはいえ、替えの服は必要だ」


「魔力を使うからな……まー正直洗濯するより遥かに楽だが。寝る前なら多少浪費しても問題ないし」


「そうだな」


「……私のせいで大切なローブを傷つけてしまったと謝るのは……無粋か?」


「ああ。その謝罪は決して受け取らない」


「そっか。……じゃあ何か埋め合わせをさせてもらうとするか。何がいい?」



 リーシャがいたずらっぽい笑みでそう問いかけると、ゼレウスは手にしていたカップを軽く持ち上げ答える。



「お前の淹れた紅茶と、この心地の良い朝で足りている」


「……そっか」



 目を伏せ穏やかな笑みを浮かべる彼の言葉に、リーシャは満ち足りたような……でも少し物足りないような表情で微笑んだ。





  ◇





「眩しっ」



 エレイナが手をかざし、陽の光に目を細める。

 彼女に続いて、リーシャとゼレウスもガラス張りの正面玄関から外へ出た。

 中は展示された物が見やすいよう薄暗い造りとなっていたため、明暗の差に二人もエレイナと似たような反応をする。


 ここはゼレウス念願の場所……水族館だ。

 開館時刻から入り、今は昼過ぎ。マーメイドによって本格的に再現された海の神秘を楽しみ尽くしたところである。



「ウミウシ可愛かったぁー。あれなら何匹だって居てくれていいのにねっ」


「ね」


「私はしばらく見たくないかもなぁウミウシは。ゼレウスはどうだった?」


「水族館……まさかこれほどとは……」



 腕を組んだゼレウスが感心したように息をつく。そして感動に拳をわななかせた。



「巨大で透明なガラスというだけでも驚きだというのに、なんと美しき叡智の結晶の数々……我は楽しかったぞ……!」


「よかった」


「水族館のガラスで感動してるのゼレウスだけだよ、たぶん」



 満足げにそう宣言するゼレウスへエレイナが微笑み、フュージアはツッコんだ。

 と、その時。



「あっ、皆さん!」



 水族館の出入り口付近、いくつか設置された白い丸テーブルの一つから手を振る人影。



「ネザリーちゃんとイリーリャちゃんだ~。二人も見てきたの? 水族館」


「ええ」


「む、それはなんだ」



 二人の前にそれぞれ一つずつ置かれた、鮮やかな色のそれをゼレウスが覗き込む。



「シャーベットです。わかりやすく言うと凍らせた果汁です」


「その言い方だと風情がないわねぇ」


「お、ゼレウスも食ってみたいか?」



 ぴょこりと見上げてくるリーシャの問いに、ゼレウスは一も二もなく肯定を返す。



「じゃあ買ってきてやる。行こうエレイナ、こないだ買わなかった味買おうぜ~」


「うん」



 水族館に併設された氷菓子の店へ、エレイナとリーシャが向かう。

 ゼレウスはその背中を見送りがてら周囲を確認すると、二人の魔王へ問いかけた。



「ミネシアはいないのか。彼女もまた今回の事件解決の立役者と聞いたが」


「残念ながらミネシアさんはお帰りになられました。ここへも本当は三人で行こうと思っていたのですが……ホントに残念です……」


「あ~それは……まぁまた今度ね」


「そ、それってイリーリャさんもまたいっしょに来てくださるってことですか?」


「はいはい、行くわよ」


「楽しみにお待ちしていますっ! あっ、そうだ! ゼレウスさん、体調にお変わりはありませんか……?」



 言葉どおり本当に楽しそうに笑うネザリーだったが、すぐに心配げな面持ちに変わる。

 ころころと表情を変える彼女の子どものような無邪気さに、ゼレウスもまた微笑を浮かべた。



「ああ、おかげさまでな。リーシャもエレイナも、もう心配はない」


「ん、おかげさまって?」


「お見舞いの品をいくつかお持ちしたんです。お口には合いましたか? あ、どうぞ遠慮なさらずお座りくださいっ」


「ああ、ありがとう」



 ネザリーが手のひらで示したイスへ腰掛け、彼女たちと相席する。

 ゼレウスは何度か頷きながら、少々興奮した様子を覗かせ語り出した。



「まったく、この時代の食べ物には驚かされてばかりだな。どれも我が魔王だった頃のものより美味だったぞ。特に魚と果物は格別だ」


「喜んでいただけてなによりですっ! お魚でしたらイリーリャさんのふるさとのお料理も美味しいですよねっ!」


「まぁ地味だけどねぇ。旧魔王サマは生魚はイケる口?」


「慣れてきたところだ。かつてザナドに食わされたことがあったが、今回の見舞いですっかり悪い印象もひっくり返ったな」


「あ悪い印象だったのね」


「今は冷凍技術の普及で生食も安全になりましたからね。文化的な障壁がなければもっともっと広まっていくことでしょう。そうだ、文化といえば!」



 ネザリーがぽんと手を叩き、その表情と同じようにころりと話題を変える。



「今回の事件を受けて、旧海底市街の警備を強化することにしたんです。将来的には神殿を修繕して、あちらにもお客さんを呼び込もうかと。そうすればマーメイドの文化も知ってもらえて、怖がる人も減るかも……と思いまして」


「ふむ……素晴らしい案だ」


「街だけじゃなく街道も整備して、他の街からもマーメイドに来てもらって……歴史的にも建築学的にも優れたあの神殿があれば、海神龍信仰に(あつ)いマーメイドも喜んで移住してくれるのではないかと。そうなれば人口が増えて、人口が増えれば物流も人材も増えて、経済が回って大儲けなのです! それはもうがっぽりと!」


「可愛らしい顔して案外俗っぽいわよねぇネザリーって」



 頬杖をついたイリーリャがシャーベットをスプーンでクルクルといじりながらそう言うと、ネザリーは赤く染まる頬を両手で抑えた。



「か、可愛いって……! イリーリャさんのほうが美人で可愛いらしいお方ですよ、もうっ!」


「嘘……あなたの中で私ってそんな認識なの?」



 イリーリャが愕然とした表情を見せ、機嫌よく回っていたスプーンがはたと止まった。



「信仰を知ることは文化を知ること。あの神殿を見れば、訪れた者は種族関係なくマーメイドへ敬意を払うことだろう」


「ですよねっ! これからが楽しみですね~」


「変なのに騙されないよう気をつけなさいよ。……で、旧魔王サマはこれからどうするの? また別の街に行くのかしら?」



 楽しそうな様子のネザリーをちらりと眺めたあと、イリーリャがゼレウスへ問いかける。



「ああ。次はリザードマンの街に行くつもりだ。ここからそう遠くないうえ、ギグルもそこにいるのだろう? 礼を伝えねばな」


「ふ~ん、律儀ねぇ」


「もしかしてラグラドの街でしょうか? 私も魔道具関連の視察や依頼でよく赴きます。よろしければごいっしょしませんかっ? 街のご案内もできますよ!」


「それは助かる。しかしよいのか? これから忙しくなるところだろう」


「‶海闢王〟の配下の方々は皆さん優秀ですので、私がいなくとも大丈夫なのです! 当面の方針と計画をある程度煮詰めておけば心配いりません」


「では頼もうか。出発の日程はそちらに合わせよう」


「ありがとうございますっ! 準備はすぐに済ませますのでご安心くださいっ」


「いや、気にせずじっくりと話し合ってくれ。そのほうが我の得にもなる」


「あ、将来的にはマーメイドの支配をするんですもんね……ふふ、確かにそうですね」


「そこそんなにすんなり受け入れるところじゃないからねネザリー。いち種族の王的に」


「ふふ、ごめんなさいっ」



 口元に手をやり、ネザリーは穏やかに微笑んだ。



「おーし、買ってきたぞゼレウスー。オレンジ味でいいか?」


「む、ありがとうリーシャ、エレイナ。さて……邪魔したなネザリー、イリーリャよ」



 ちょうど会話が終わったタイミングで帰ってきたリーシャたちへ礼を伝えながら、ゼレウスが立ち上がる。



「いえ。良い休日を、ゼレウスさん」



 ネザリーは小さく手を振りながらその背中を見送った。



「あぁー、結構溶けちゃった。長話しすぎたわ」



 イリーリャがシャーベットをかき混ぜ、皿に当たったスプーンがカチャリと音を立てる。



「ああっ、ごめんなさいっ。新しいのをご用意しますか?」


「いいわよ別に。ほら、あなたも早く食べないと。ていうか全然進んでないじゃない」


「大丈夫です。溶けても美味しいマーメイド自慢の一品ですので!」


「じゃあ溶けてないほうが美味しいんじゃない?」


「確かに……!」



 イリーリャのもっともな指摘を受け、ネザリーもシャーベットにスプーンを差し入れた。

 ネザリーたちとは別のテーブルに着き、談笑を始めるゼレウスたち。

 ネザリーはその様子をちらりと目で追う。



(ゼレウスさんとサキュバスさんたち……どちらを切り捨てるべきか、結局答えは出せませんでした……)



 でもそれも仕方のないことなのかもしれない。

 沿岸都市と旧海底市街。住まう人の数は違えど、どちらかを切り捨てることなどできないように。

 命を天秤にかけてはならないのだ。

 だけど‶王〟というものに求められるのは、その天秤をも自らの意思で傾けられる者なのだろう。



(‶王〟として選ぶべきは……あなたなんでしょうね、ゼレウスさん……だから)



 どうしても誰かを切り捨てなければならないなら、彼を選ぶべきだ。

 そうすれば改革の可能性は消えても、無慈悲な変化が起こることはない。



(だからどうか……あなたに失望させてください)



 サキュバスだけじゃない。ヴァンパイア、オーク、ハーピーだって。

 ネザリーはイリーリャをちらりと見て、またすぐにゼレウスの横顔を眺めた。

 彼を放っておけば、みんな滅んでしまうかもしれない。



(……見極めさせていただきます、ゼレウスさん……)



 浮かびそうになった謝罪の言葉を、ネザリーは心の奥底へ沈めた。

 赦しを請う王など、必要とされるはずがないのだから。


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