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旧魔王に聖なる封印を!  作者: モタモタ猿
第二章 冷たさにゆらめいて
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33.冷たさに身を焦がされて


 暗い……ランタンがなければ、ヴァンパイアですら暗視が効かないほどに暗い部屋。

 リーシャはそこに一人でいた。

 壁を照らして揺れるランタンの()に、数日前の……あの夜を思い返す。



『ルージュさんは私を庇って死んでしまったんだッ!! すまない……本当にすまないぃ……ッ!』



 膝を折り、泣き崩れながら謝る村長の息子。

 嗚咽を漏らし、言葉を途切れさせながら何度も何度も謝り続ける彼に、リーシャは気がついた。


 大人だって弱いんだ。

 間違うし、涙を流すし、簡単に死んでしまう。

 ……あの時彼を責めていればもっと楽だったかもしれないと、今になって思う。

 リーシャは彼を責めなかったし、ルージュの亡骸を見ても泣かなかった。

 陽の光に弔われたルージュの遺灰を、村の墓所に収めた時だって。



「寒いな……」



 ランタンを手に階段を下りる。

 ここは家の地下だ。ルージュが倉庫と呼んでいた、リーシャが入ったことのない部屋。


 古びた木の扉を開き、地下室に足を踏み入れる。

 地下室は一部屋だけのようで、そこまで広い構造ではない。

 奥のほうはまだ見えないものの、近くにある本棚などは見える。

 リーシャはその内の一冊、見覚えのある背表紙を手に取った。



(この本……私がだいぶ前に読んだやつだ……いつの間に新しい本を買ってきたんだと思っていたが、ここのと入れ替えてたのか……)



 リビングにも本棚はある。

 いつもそこから暇つぶし用の本を見繕っていたが、気づかないうちに見覚えのない本が増えていることがあった。

 その理由が今になってわかるとは。



「…………」



 本を元の位置に戻し、ランタンを掲げながら奥へと向かう。

 ルージュが死んだ原因は自分にある。少なくともリーシャはそう考えている。

 それなら彼女は……自分を恨んで死んでいったのだろうか。

 もしかしたらこの地下室でその答えが掴めるかもしれない。

 彼女の遺品を見てみれば、何かが。


 物を置くための棚や大小様々な箱、使わなくなった家具などの間を通り、奥へ。

 本棚と違いどれも埃を被ってしまっている。

 だが突き当りの壁際。そこに置かれた中くらいのテーブルの上に埃はなく、最近まで誰かが使っていた形跡があった。

 間違いなくルージュだろう。

 その証拠に、テーブルの上にはいつだったかリーシャが彼女へと送ったブローチがあった。



 ──どうだ、嬉しいだろう! かわいい孫からの贈り物だぞっ!


 ──あぁ、確かにかわいいねぇ。センスがガキみてぇに‶かわいらしくて〟普段使いできないくれぇに。


 ──あ゛ぁ!? センスくそばばぁ!


 ──ばばぁじゃねえ。まぁでも、勿体ないから貰っといてやるよ。



 彼女の声が、笑い声が蘇る。

 ブローチは滑らかな布の敷かれた小箱の中に入っていた。

 大切にされていたのかはわからないが、少なくとも埃は被ってないし汚れてもいない。


 リーシャはランタンをテーブルに置き、静かにブローチを元の位置に戻した。

 と、その時。

 リーシャは目の前の壁に掛けられた大きな布に気がついた。



(なんだ、これ……?)



 壁に掛けられた板状の何か。その上に布が覆い被せられている。

 リーシャはその布を掴んで剥がそうとしたが、板の上のほうで固定されているようで簡単には外せない。



「ん……固っ。隙間に無理やり突っ込んでるなこの……っ、~~~~っ! どわぁ!」



 固定された板と壁の間に詰め込まれていた布の上部を、勢いよく引き抜く。

 反動で尻餅をついてしまったが、そんなことはどうでもいい。

 リーシャの目は露わになった板……肖像画に吸い込まれていた。



「……母さん……?」



 血のように紅い瞳に、長い銀髪。リーシャのものと似た色をした、若い女性。

 だけど。



(いや、違う…………)



 描かれている女性にはどこか溌剌とした雰囲気がある。

 しかし母はもっとおっとりとした笑みを浮かべる人だった。

 肖像画に描かれているのは別人だ。物言わぬ絵とはいえ、母親の顔を見間違えたりはしない。

 とするとここに描かれているのは──



「…………ばばぁ、なのか……」



 呆然と眺める。

 肖像画の女性は黒い三角帽子を被っていた。

 リーシャがこの女性を母親だと思ってしまったのは、顔立ちが似ているからだけではなく、大きな帽子のつばのせいで印象が少し変わって見えたせいだった。

 大きな黒い三角帽子。

 見覚えのある……いや、毎日見ている、今だって被っているあの帽子。



(……そっか……もとはばばぁのだったのか……)



 ‶夜陰の三角帽子〟はルージュのものだったのだ。

 それを母親が貰い受けたのだろう。

 そして母親が死に、リーシャの手に渡った。



(…………あぁ、くそ…………ダメだ……)



 初めて会った時の、ルージュの言葉が脳裏に蘇る。



(ダメだダメだダメだ……!!)



 もうこれ以上考えちゃダメだ。

 どうしようもなく、止められなくなる。

 それが嫌で、リーシャは吐き捨てるように悪態をついた。



「もとは自分のだからって、『ボロい』とか言うなよ!! おかげで嫌いになってただろうがァッ!!」



 目を瞑り、俯き、叫ぶ。



 ──ボロい帽子だねぇ。新しいの買ってやろうか? ネックレス型のほうがまだ安全だぜ。



 思い返してみれば、ルージュは初めて会った時からこの帽子のことを知っていた。

 この帽子に陽の光を防ぐ効果があるからこそ、彼女は買い替えることを薦めたのだ。

 帽子だと簡単に脱げてしまって、危ないから。

 最初から、彼女はリーシャのことを気に掛けていたのだ。

 ぶっきらぼうに、不器用に。



「──なかったら……ばばぁがそんなこと言わなかったらっ! っ、もっとっ……もっと長くいっしょにいられただろうがァぁあっ……!!」



 地下室の石床を雫が濡らす。ぽたぽたと、途絶えることなく。

 再び肖像画を見上げたリーシャの目からは、大粒の涙が零れ落ちていた。



「ううぅ……うわぁあぁあぁああああっ! あぁあああぁあああッ!!」



 人目を憚らずに叫ぶ。

 幸いここは地下室だ。泣き声は地上へ届かない。



「ああぁあぁぁぁぁッ! うぅっ、う、ぇえっ、ぅ、うぅうぅぅう~~~~っ……!」



 うずくまる。

 きっと、三人分だ。

 この涙が失った悲しみから来るものなら、きっと三人分の涙だろう。



(止まれ止まれ止まれ止まれ……っ!)



 それでも、冷たい石床に爪を立て、これ以上涙が零れないようにとリーシャは願った。

 泣いたら全部、消えてしまうから。

 父さんも母さんも……ばばぁも。

 誰一人として残ることなく。

 家族が、自分の中から零れ落ちて消えてしまうから。



「やめてくれ…………消えないでくれ……っ。泣かないからっ……、っすぐに……止めるからっ! お願いだから…………私を、独りに……」



 暗く冷たい地下室の中。うずくまるリーシャに、手を差し伸べる者はいなかった。





  ◇





 ルージュの怪我は治っていなかった。

 あの時、彼女の亡骸を目の当たりにした時。

 リーシャはルージュの身体にとある一つの傷を見つけていた。

 ルージュが窮地に陥った少年を蹴り飛ばし、その際についたふくらはぎの裂傷。

 ルージュが自分で治すと言っていたあの傷だ。

 それが治っていなかった。


 もしかしたら、彼女はあの程度の怪我も治せないほど消耗していたのではないだろうか。

 すでに、リーシャたちを逃がしたその時にはもう。

 そして村長の息子たちと合流し、彼を庇って死んだ。


 少年と共に魔物と対峙したあの時、状況は膠着状態にあった。

 魔物はこちらを警戒し、攻撃をためらっていた。

 焦って呪言など使わず、村の大人たちが来るまで耐えていれば……少なくともルージュは怪我をしなかったかもしれない。

 そしてもし怪我をしていなかったら、彼女は今もまだ……。


 考えても仕方のないことだが、そんなもしもの可能性を考えてしまう。

 少年は‶従属の呪言〟によって恐怖を忘れたから、魔物へ立ち向かってしまった。

 単純に『逃げろ』と命じていればあんなことにはならなかった……そんなもしもの話を。


 バカみたいな話だ。

 たった一言……ほんの少しの言葉選びを間違ったせいで少年を危険に晒し、ルージュを傷つけた。

 その末に大切な家族を失った。

 『逃げろ』と命じていれば……そう後悔したが、それそのものが間違いだ。


 ほんの少しの言葉選びで人の生死を左右するほど、‶従属の呪言〟は危険なものなのだ。

 ルージュの忠告を破り、呪言を使ったこと自体が間違いだったのだ。

 リーシャにとってこれはバカみたいな話ではなく、何よりも恐ろしい話だった。

 その日以来、人に対して呪言を使うことができなくなったほどに。


 事態を知ったリーシャの後見人──リーシャをルージュへ預けた、ヴァンパイアの‶偉い奴〟──の主導で調べてわかったことだ。

 魔族、人族の両方、果てはペット、野生動物でさえ。

 家族(・・)のいる、誰かに大切にされている存在……そう考えてしまうと、たとえ呪言を正しく唱えようと効力が発揮されることはなかった。

 操れるのはせいぜい魔物くらいだが、その程度ではリーシャの利用価値などなかったらしい。

 ‶偉い奴〟の養子になって地位を与えられつつも、リーシャはそれ以降気に掛けられることもなくなった。


 村では‶従属の呪言〟の力が周知された。

 皆リーシャを気遣うような素振りも見せるが、彼らの瞳には恐れが見え隠れしていた。

 リーシャはもう呪言を使えない……その情報が秘されたためだ。

 しかし仮に秘されていなかったとしても、それを誰が信じられるだろうか。恐ろしい力ということに変わりはない。

 だから、リーシャはルージュの遺品を調べた数日後には村を去った。

 居心地が悪いからという理由だけではなく、償いをするために。


 皮肉にもリーシャは自由だった。

 地位は与えられたが、必要とはされていない。

 養子にはなったが、保護はされていない。

 一人で戦場へ向かうことも許された。


 結局ルージュが……ばばぁが自分を恨んで死んでいったかは、今になってもわからないまま。

 だから決めたのだ。

 戦場でかつての彼女のように誰かの命を救い、せめてもの罪滅ぼしをしようと。

 ……それが、リーシャ・リネイブルが戦場へ出る唯一の理由だった。



(ゼレウスは、どうなんだ……?)



 海溝の中、窪みに横たわるリーシャは、朦朧とする意識の中で考えていた。



(今、お前は私のために戦っているのか? 私を救うために……怪我だってまだ治ってないのに、それを隠して……本当は水が怖いのに、それを押し殺して……)



 もしそうなら。

 彼が自分のために戦ってくれているのなら、伝えなければならないことがある。



(もしそうなら……どうか、私のために命を懸けないでくれ……っ、私なんかのために……っ!)



 窪みに手をつき、震える身体を必死に持ち上げる。



「う……げほッ! ぐ、うぅ……ッ」



 吐血。痛みに身体を沈める。

 血が身に纏う風を超えて地面に付着し、やがて海流に溶けて消える。

 貫かれた腹に残る痛みに耐えながらも、リーシャは立ち上がる。

 その身を突き動かしているのは焦燥感だった。



(大丈夫……傷はもうほとんど塞げた。吐血したのは身体の中の出血が遅れて出てきただけだ。私はもう戦える……!)



 大人にだって弱い部分はある。誰にだって弱い部分はあるのだ。

 それなら。



(ゼレウスにだって弱い部分があるんだ! 私がそれを補わなきゃいけないんだ!! ……今度こそッ!!)



 あの時のルージュの後ろ姿が、暗闇に消えていったゼレウスに重なって見えた。

 流れる涙が悔しさから来るものなのか、寂しさか、不安か、痛みか、罪悪感か、あるいは失うことへの恐怖なのか、もうわからない。

 でも泣いて這いつくばっている暇などないことは確かだ。

 壁を支えに立ち上がったリーシャは、窪みの縁を蹴り、暗闇の中へ身を投じた。


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