30.‶くそばばぁ〟
ヴァンパイアは放任主義が多い。
それが寿命の長さゆえか、あるいは家族団欒の機会が少ないからかわからないが、リーシャ・リネイブルの家庭もまたその例に漏れなかった。
だからか両親が戦死した時、リーシャは泣かなかった。
「ボロい帽子だねぇ。新しいの買ってやろうか? ネックレス型のほうがまだ安全だぜ」
だけど自分を引き取った祖母にそう言われた時、年寄りだとか家族だとか関係なく、リーシャは思いっきり彼女に殴り掛かった。
この‶夜陰の三角帽子〟は両親の形見だ。
確かに泣きはしなかったが、馬鹿にされるのは許せない。
付き添いの者に後ろから抱えられたためぶん殴ってやれなかったが、血のボトルをラッパ飲みしながら憎たらしく笑う祖母を見て、リーシャは決めた。
こいつは『くそばばぁ』と呼ぶ、と。
「ここがお前の寝床だよ」
「屋根裏じゃないか。狭いし汚いぞくそばばぁ」
「ああ? 誰がばばぁだ。生意気なガキが」
「ばばぁじゃなかったらしわしわおばけだ。略して『しわおば』だ」
「それもばばぁみてぇじゃねぇか。この『生ガキ』が」
「私は貝類じゃないぞ!」
「今からこの屋根裏で慎ましく過ごすんだよ、貝みてぇに大人しくな。いいか? 綺麗なところに住みたかったら自分で掃除するんだ。美味いもんが食いたかったら自分で作るか見つけるんだ。あたしは放任主義さ。てめぇはてめぇの力で生きろ、生ガキ」
「~~~っ!!」
ムカついたので一日中掃除して綺麗にした部屋を見せつけてやったら、くそばばぁはまた憎たらしい顔で笑った。
リーシャには特別な力があった。
‶従属の呪言〟。
両親の死をきっかけに目覚めたその力は、ヴァンパイアの‶偉い奴〟にとって利用価値があったらしい。
手厚い援助を受け、生活に困る心配はなかった。
だが‶従属の呪言〟使いであることを秘匿するためか、もしくは親を失った幼い少女に同情したのか、リーシャは祖母に引き取られる運びとなった。
リーシャたちと離れ片田舎に住んでいた祖母が、偶然にもその偉い奴と知り合いだったかららしい。
リーシャにとっては、少なくとも物心ついて以降会ったこともない祖母だったが。
「お前の親、人族と戦って死んだんだって!?」
引き取られて少し経ったある日、村の同年代にそんな風に話しかけられた。
どこから知ったのやら。ため息をつきながらリーシャはそいつらを無視してやった。
くだらない田舎のガキなど歯牙にもかけない。そんな大人で都会の淑女が自分、リーシャ・リネイブルなのだ……などと思いながら。
「おれの親は二人とも狩人なんだ! 村いちばんの! 人族なんて魔物に比べりゃザコだぜ! そんなのに殺されるなんてお前の親、よっぽど弱いヴァンパイアだったんだな!」
クソガキどもが笑う。
田舎には娯楽がないから、そんなことで笑えるのか。
少なくともリーシャはくすりともしなかった。
心底ムカついたが、くそばばぁの時のように殴り掛かりはしない。
自分のほうが精神的に大人だから……ではなく、もっといい仕返しを思いついたからだ。
「ねぇあなた? 動かないでくださるゥ?」
猫を被り、啖呵を切ってきた奴のそばに笑顔で近づく。
あからさまにうろたえるその少年の肩に手を置くと、リーシャは耳元で優雅に囁いた。
‶従属の呪言〟を。そして命じる。
「……お前は笑いのセンスゼロだ。せめて面白おかしく踊ってみせてくれないか? とりあえず十分くらいな」
呪言に続けてそう囁いてやると、少年がその場で一心不乱に踊り出した。
「お、おい、なんで急に変な動きしてんだよお前!」
仲間の一人にドン引きされつつも、少年は無言かつ無心で踊り続ける。
くねくねと、おどけたように。
「アハハハハハハッ! なかなか上手じゃないか! 踊りの才能はあるみたいだなァ!?」
戸惑うクソガキどもを放置し、高笑いしながらリーシャはその場をあとにした。
そしてその次の日。
「オイお前! 昨日はよくもやってくれたな! おかげで変なところが筋肉痛だぞコラ!」
クソガキどもはまたちょっかいを掛けてきた。
リーシャは耳に手を当て、とぼけて見せる。
「はぁ~? 証拠はァ~~? 私が何をしたってんだぁ? お前が勝手に踊っただけだろ」
ちなみこれはくそばばぁの真似だ。
奴は老人であることを笠に着てよくからかってくるのだ。普通に耳聞こえてるくせに。
声を掛けてきたクソガキ代表がこちらを指さしながら声を荒げる。
「なんかしたんだろお前が!! じゃなきゃおれがあんな馬鹿みたいなことするわけねぇ!」
「ホントは馬鹿だからしたんじゃないか? 現実を受け止めろよ。じゃ、悪いけど私は忙しいから。買い物をサボってくそばばぁに嫌がらせをしなきゃいけないんだ」
「忙しくねぇじゃあねぇか! バカにするのもいい加減にしろ!! ザコヴァンパイア!」
「……田舎のバカは感性だけじゃなく品性も語彙力も足りてないな。もっと他の罵倒はできないのか?」
「うっせぇバーカ! ザーコ! 親がザコだからお前もザコだろ! やーいザーコ!」
「…………付き合ってられないな」
こんなカスとは話していても時間の無駄だ。
リーシャは背を向け、その場から立ち去ろうとした。
「逃げてんじゃねぇよ! このっ……オラッ!」
クソガキが何かしてきたらしい。
心底イラつきながらリーシャは振り返り、何をされたか確認する。
リーシャの近くの地面にぶつかる、硬いもの。
それは闇魔法だった。
小さな黒い礫。
危険極まりない行動だが、少年は覚えたての魔法を使いたがっていたのだろう。
そして覚えたてだからこそ、脅すだけのつもりだったそれは思惑を外れた。
小さく、しかし鋭利な部分を持った黒い礫は、リーシャの帽子のつばを少々斬り裂いてしまっていたのだ。
それに気づいた瞬間、リーシャの堪忍袋の緒はぷっつりと切れる。
「いい加減にするのはお前のほうだろうがァクソガキッ!!」
「ぅ……っ」
リーシャが乱暴に胸倉を掴むと、少年は息を詰まらせながら驚愕の声を上げた。
が、今のリーシャはその程度では止まらない。
喉の奥から絞り出すように、胸の奥底から何もかも吐き出すように叫ぶ。
「ザコはお前だろうが!! 父さんと母さんは誇り高く戦って死んだんだッ!! お前らみたいなくだらない奴らのために死んだんだッ!! 代わりにお前みたいなのが死ねばよかったんだッッ!!」
「っ……!」
「お前なんて死んでしまえッ!! ‶今すぐ喉を掻っ切って死んじまえ〟ッッ!!!」
少年の胸倉を投げ捨てるように放し、リーシャは今度こそ立ち去ろうとした。
が、少年が闇魔法の輝きを手のひらに宿したのを見て、怒りに立ち止まる。
「いい加減にしろよカス……ザコはお前のほうだって教えてやろうか」
リーシャにだって魔法は使えるのだ。
もしこいつがもう一度魔法を使うようなら自分だって……そう考え身構えた時だった。
「? 何してんだお前?」
少年は手のひらを自分に向けていた。自分の首元へと。
黒い輝きが大きくなる。もう間もなく魔法が発動する合図だ。
「はっ? おいバカ何してんだッ!?」
魔法が発動する。
少年の首を斬り裂こうと、湾曲した闇の刃が伸びる。
その瞬間。
駆け込んできた何者かが少年の顔面を横から蹴り飛ばした。
「!!?」
くそばばぁだ。
ばばぁといっても腰は曲がってないし、こうやって飛び蹴りできるくらいピンピンしている。
だからリーシャも雑用をサボることに躊躇はなかったのだが……いやそんなことより!
「オラァッ! てめぇうちの雑用係に何してくれてんだオラッ! オラッ! オラッ!」
「うわぁやめろくそばばぁ! 流石に殴りすぎだぞっ!」
ばばぁは魔法の刃の伸びる少年の手を押さえつけながら、何度も彼を殴りつけた。
リーシャがその背中にしがみついても彼女は止まらない。
それどころかリーシャに対しても怒鳴りつけてくる。
「‶やめる〟のはお前のほうだ生ガキッ! 今すぐこのガキを‶やめさせろ〟ッ!!」
「ッ!?」
突如現れた老婆の不可解な言葉に、周囲の子どもたちが困惑する。
だがリーシャにだけはその意味が伝わった。
いや、リーシャにだけ伝わるようそう言い回したのだろう。
‶従属の呪言〟だ。
リーシャは昨日使った‶従属の呪言〟の力を解除し忘れ、そのまま命じてしまっていたのだ。
少年に『自分の喉を掻っ切れ』と。
「や、‶やめろ〟ッ! ……やめろばばぁ! ほら、もう大丈夫だからっ!」
「あー? オラァッ!」
「痛ってぇ!」
「なんでもっかい殴った!?」
馬乗りになっていたばばぁが、最後に一撃加えながら少年から離れる。
「生ガキ、早く買い物済ませてこい」
「あ、ああ……」
そしてそのまま嵐のように去っていった。
そんななか倒れていた少年がケロリとした様子で起き上がる。
「あれ、なんかもう全然痛くないぞっ?」
「マジ!? うわ、なんもなってないじゃん! あんなに殴られてたのに!」
(……治癒魔法か? 癒しながら殴ってたのかよあのくそばばぁ……)
痛みは与えつつ証拠は残さないエグい手口だ。
流石のリーシャも少年に同情した。
といっても諸々の言動を許したわけではないが。
尻餅をついた体勢で、少年がぽつりと呟く。
「……お前のばぁちゃん、バケモンみたいだな」
「初めて共感できたぞ、クソ田舎ガキが」
でもとりあえず溜飲は下がった。
吐き捨てるように言って、リーシャもまたその場をあとにした。