28.きっと‶仲間〟になれるのだから
ウミウシの魔物の群れとの混戦の中、マーメイドの兵の声がエレイナに届く。
「氷が来るぞォーー!!」
周囲のウミウシと対峙しつつ、頭上へ警戒を向ける。
上方から次々と降ってくる巨大な氷柱。
エレイナは自身へ向けて落ちてくる一つを、魔剣を振るってなんとか受け流した。
剣を握る手からの出血がまた激しくなってきている。
戦いの合間に光魔法で治してはいるものの、魔剣を使っている限りきりがない。
「エレイナちゃん……もうそっちを使うのはやめて、ボクを使ってよ……魔法を使う相手なら相性もいいでしょっ……?」
人の身長ほどもある氷柱だが、海底に落ちて役割を終えた瞬間跡形もなく消滅する。
忽然と消えるのは、魔法によって生み出された現象である証。
確かにフュージアの力を借りればあの氷柱はたったの一振りで消滅し、労せず対処できる。
なんといっても彼は‶魔封じの聖剣〟なのだから。だが──
「ダメよ……今はこっちのほうが早く敵を倒せるから」
「それはそうだけどっ……!」
現在、この戦場には新たな三つの脅威が現れていた。
‶上位適性〟を持ったウミウシの魔物。
‶上位適性〟とはその名のとおり、火、水、風、土といった基本的な属性より上位に位置するとされている属性である。
魔法を巧みに操るという時点で他のウミウシとは一線を画しているが、さらに‶上位適性〟を有した三体の魔物。
それぞれ爆破、氷、雷の適性を持つ彼らを中心にこの戦場は動いていた。
「動きは遅い! 下がれ下がれッ! 近づきすぎると感電するぞッ!!」
まずは、最前線にいる雷を操る白いウミウシ。
半透明の身体に透ける白い内部は、生気のない幽霊のよう。
背中の器官と触覚は根元から赤紫、黄色と変色し、その部分から雷の魔法がバチバチと迸っている。
常に雷を纏っているため誰も近づけず、そのために最前線での行動を許してしまっているのだ。
上位適性の魔法は属性的強度が高く、下位の魔法での突破は困難。
つまり生半可な魔法では纏う雷を突破できず、雷を突破できない限り近づいて攻撃することもできないということだ。
「うわぁあぁッ! また‶文様〟だッ! 爆撃が来る!」
海中に展開される褐色の幾何学模様。
立体的に広がるそれ自体には触れても特に害はない。
しかし──
「触っちまった! みんな逃げろォッ!!」
幾何学模様を光が走り、触れてしまった者へと向かっていく。
光は逃げる兵士のもとへ到達すると、小規模な爆発を引き起こした。
狙われた兵士は間一髪逃れたが、それができたのも今までの犠牲あってのものだ。
すでに爆撃に討たれ、マーメイドの兵士は幾人も撤退を余儀なくされている。
あの幾何学模様は‶導火線〟なのだ。
群れの最奥に身を潜める、爆破の上位適性を持つウミウシの。
他のウミウシとの戦闘中だろうとお構いなく正確に狙い撃ちをされるあれは、間違いなくこの戦場最大の脅威だろう。
中盤で氷柱を撃ち出し続けている、青い蓑を背負った見た目のもう一匹の上位適性持ち以上に。
確かに、身を護るという観点ではフュージアの力を借りるほうがよいだろう。
だがエレイナの目的はこの魔物たちの一刻も早い殲滅だ。
だからこそ、彼女は傷つきながらも魔剣を振るう。
「あたしが突破する!! 可能な者は援護をッ!」
「なっ……無茶だッ! 魔剣使いの嬢ちゃん!」
「馬鹿野郎! 今は彼女についてくんだよッ! 恐ろしい魔剣使いも、味方なら女神サマだぜッ!」
マーメイドの兵を引き連れ、エレイナが群れへと突撃する。
この剣が魔剣だとは一言も言ってないはずだが、まぁ使い手を傷つける不気味な赤黒い稲妻を見れば、誰だって察しはつく。
エレイナがウミウシを斬り付け動きを封じれば、マーメイドたちが瞬く間に追いついてとどめを刺す。
狙いは群れの最後方、爆破属性のウミウシだ。
斬り付け、進むたびに両手が拒絶反応に傷ついていく。
またあの‶文様〟が広がる。
「危ないエレイナちゃんッ!」
腰元でフュージアが叫ぶ。
爆破属性のウミウシに近づくということは、爆撃までの猶予も短くなるということ。
さらにエレイナはマーメイドに比べ、水中での機動力は大きく劣る。
迫る導火線の光。もう避けることは不可能だ。
「まずい、下がれ嬢ちゃん──ッ!?」
マーメイドの兵が言葉を詰まらせる。
……いや、彼は言葉を失ったのだ。
爆撃を受け、息絶えたウミウシの影から出てくるエレイナを見て。
「え、エグいことする女神サマだな……」
支配の魔剣で斬り付けたウミウシの一体を操り、盾にしたのだ。
人を襲う魔物に対して同情の余地はないが、恐ろしいと思うことに変わりはない。
言葉を失うマーメイドたちだったが、エレイナは彼らを一瞥もしなかった。
あと数体も倒せば、爆破属性のウミウシに近づけるのだから。
道を塞ぐウミウシを次々と斬り付け、左右へ移動させる。
開いた道を駆け、上位適性のウミウシと対峙する。
後方に隠れているということはそれ自体が弱点。敵の動きは遅い。
白く濁った半透明のウミウシ。
海底を這っているのは他のウミウシと同じだが、背中のシルエットはまるで違う。
背中にはパイナップルの皮のようにいくつもの突起があり、その頂点からはあの文様と同じ色の線が放射状に広がっている。
突起の中に触覚が混ざり、一見しただけでは身体の前後がわからない。
が、そんなことはどうでもいい。
魔剣の力があれば、急所を狙う必要すらないのだから。
幾何学模様がエレイナの眼前で広がる。
ウミウシの突起の先端が光り、身体の文様を走って周囲に展開された幾何学模様へ。四方へと広がる。
そのうちの一つ、狙いはエレイナだ。
もはや互いに小細工は不可能な距離。より早く相手に攻撃を撃ち込んだほうが勝利する。
エレイナは駆ける勢いそのままに、下段に持った剣を振り抜いた。
(ああ、くそっ……)
だが……心の中で悪態をつく。
自分の剣よりも早く奴の爆撃が届くと、振り抜くよりも早くわかってしまったからだ。
呼吸が乱れている。足に力が入らない。
海中、そして慣れない砂の上で全力を出し続けたせいだ。
そんな単純なことに今になってようやく気づくほど、エレイナは焦ってしまっていたのだ。
ゼレウスとリーシャを助けに行きたいと思うあまりに。
光が眼前に迫る。
「伏せてッ!」
しかしその瞬間、エレイナの視界は白い靄のようなものにぼやけていた。
驚く間もなくその『白さ』が目の前で砕け散り、エレイナは尻餅をつく。
「エレイナさんっ!」
氷魔法だ。あの白くぼやけたものの正体は。
駆けつけるネザリーと、ウミウシに対峙するルフゥの背中を見てそれを理解した。
ルフゥがエレイナの前に氷魔法の壁を創り、ウミウシの爆撃を防いでくれたのだろう。
「ネザリーちゃん、ルフゥちゃんっ! 来てくれたんだっ!」
「エレイナさま、ご無事でしょうかっ!?」
「は、はい! ……痛ッ……!」
首だけで振り返るルフゥへ答えるが、両手に走る痛みに呻く。
魔剣の拒絶反応による傷だ。
手のひら、甲、前腕部が傷つき、焼け、滲み出る血で赤く染まっている。
「ひどい傷……っ、治療はできますか?」
「いえ……あたしの魔力はもう尽きてますから」
「そ、そんなになるまでどうして……! いえ、私たちが不甲斐ないからですね……。ですがここから先はお任せを。エレイナさんのおかげで、あのウミウシにここまで近づくことができましたから。──ルフゥさんっ!」
「はい、ネザリーさま」
「私の友人を傷つけた者に、最も重い罰を」
「承知いたしました。いえ……お言葉ですが」
冷静沈着なルフゥの声色が、ほんの少し猛りを帯びる。
「言われなくともです……ッ!」
背中越しでもわかる怒気。
ルフゥが氷の槍を一振り、真一文字に薙ぎ払う。
たった一撃で爆破ウミウシの背中の突起、その先端すべてが刈り取られる。
「よくもエレイナさまを攻撃してくださいましたね……魔物風情がァッ!!」
ルフゥが浮かび上がり、槍に付いた血と肉片を払い落とす。
気づけば彼女の持つ槍の先端には、薙刀のような長い刃がついていた。
魔力を注ぎその形状を変化させたのだろう。
同時にルフゥの纏う雰囲気も、普段の落ち着いたものから激しいものへと変化している。
「うわぁ、ルフゥちゃんどうしちゃったの? 急に雰囲気が……」
「……ルフゥさんは我慢強い方です。なんでも、かつて仕えていた先代‶海闢王〟がとても奔放な方だったらしく……」
「それはネザリーちゃんもじゃないかな?」
「おっと危ない」
氷のウミウシが降らせている氷柱を、ネザリーが槍を振るって受け流した。
フュージアの指摘は華麗にスルーされ、彼女は何事もなかったかのように話を続ける。
「我慢に我慢を重ね、その許容量を超えた瞬間、ルフゥさんはあんな風になってしまうのです。そんな身体になってしまったのです……先代‶海闢王〟のせいで。ギャップですごく怖いですよね」
「うん、でも面白いよ」
「お、面白っ!? そうですか……それならやっぱり私もギャップを狙ったほうが……?」
ネザリーが何事か呟き、「いやでも……」と頭を悩ませる。
気を抜いているようにも見える彼女だが、周囲への警戒は怠っていないとなんとなくわかった。
だがそれは魔物に対してだ。エレイナに対してではない。
ネザリーはまるで信頼しきっている仲間のように、エレイナに対して無防備な姿を晒していた。
──マーメイドは……‶海闢王〟は敵ではない?
『‶海闢王〟は‶旧魔王〟ゼレウス・フェルファングを始末しようとしている』。
その疑念が今はっきりと揺らぐ。
もしフュージアの出会ったサキュバスの言ったことが本当ならば、今頃エレイナは血の海に沈んでいたはずだ。
エレイナを始末するのなら、今は絶対の好機だった。
なんと言っても直接手出しをしなくてよい状況だったのだから。
ただ爆撃されるエレイナを見捨てればいいだけ。それだけでよかった。
だけど、彼女たちはそうはしなかった。
「エレイナさまは一途に想い人を心配なさる、素敵な方ですッ!!」
(え、えぇ~~…………)
爆破属性のウミウシにとどめを刺しながら、ルフゥがそう叫ぶ。
彼女の言葉に、周囲のマーメイドたちも「おぉ~、それであんなに」「羨ましいぜオイ」などと感心混じりに納得していた。
「…………」
「よかったねエレイナちゃん、みんなの誤解が解けて。エレイナちゃんは怖い時もあるけど、本当はすっごくかわいい子なんだって!」
羞恥に顔が赤くなっているのが、鏡を見なくてもわかる。
だけど慌てて隠したりしたらもっと恥ずかしい思いをすることもわかっている。
だからいったんルフゥの言葉を訂正することを諦め、エレイナは尻餅をついた時に落としてしまっていた魔剣を拾い上げた。
「エレイナさんっ! それはもう使わないでくださいっ!」
エレイナの手にネザリーの手が優しく添えられる。
もし魔剣の力を使えば、彼女もいっしょに傷ついてしまうほど近くで。
「そうだよエレイナちゃん! ゼレウスも拒絶反応の痛みに耐えてまで使う必要はないって言ってたでしょ?」
「…………」
「ゼレウスさんがそんなことを……でしたらエレイナさんっ」
「それに、リーシャちゃんだってエレイナちゃんが傷つきながら戦うのは嫌なはずだよ! それにそれに──!」
「わかったわよ、そんなに言ってくれなくても」
「! エレイナちゃん……」
「ネザリーさんも……ありがとう」
二人を安心させるように、エレイナは笑みを浮かべた。
魔剣を鞘に納め、代わりにフュージアを抜く。
「ごめんね、血で汚しちゃうけど」
「そんなの気にしないよっ!」
「あとでちゃんと綺麗にするから。それじゃあ……あなたの凄さ、みんなに見せてあげましょう、フュージア」
「うんっ!」
周囲を守ってくれていたマーメイドの兵たちに礼を伝えながら、エレイナも戦列に加わる。
ルフゥもネザリーと合流すると、エレイナの近くで魔物と対峙した。
──彼のように笑えただろうか。
ふとそんなことを思う。
彼のように、誰かを安心させるような笑みを浮かべられただろうか。
ほんの少しだけ、目指すような‶立派な人〟に近づけただろうか。
(心配されるようじゃまだまだか……ごめんなさいリーシャ、ゼレウス……)
焦る心を落ち着かせ、フュージアを構えてひとつ息を吐き出す。
まだ救助には向かえそうにない。
だけど絶対、二人は今も必死に戦っている。
必ず助けに行く。
魔剣じゃなく、フュージアといっしょに。
フュージアだけじゃなく、力を貸してくれる人たちといっしょに。
エレイナはネザリーたちマーメイドに背中を預けた。
彼らもきっと、同じものを目指す‶仲間〟になれるのだから。




