26.‶竜〟の裁き
旧海底市街からシシュルトレーゼへ。
海中を高速で泳ぐルフゥに手を引かれ、エレイナたちは海底宮殿に帰還していた。
道中、魔物相手に戦うマーメイドの兵とすれ違いながら。
目にしたのはすべてウミウシに酷似した魔物だった。
すれ違いざまに兵士たちから情報を聞き、大体の事態は把握している。
「ルフゥさん!」
宮殿に入った途端ネザリーに声を掛けられた。
‶海闢王〟の護衛たちを含め、広間には多数のマーメイドの兵士たちが戦闘準備を整えネザリーの周囲に控えている。
ルフゥは側仕えから武器を受け取る彼女のもとへと急いだ。
「ネザリーさまっ! 不敬ですが挨拶は省略させていただきます! そして重ねて無礼を承知でお聞きします! 現在の状況はどれほど伝わっておりますか!?」
「市街地にウミウシに似た魔物多数。シシュルトレーゼ近郊の海流の乱れ。旧海底市街に巨大な魔物の影」
「ではそこにもう一つ情報を。ゼレウスさんとリーシャさんがその巨大な魔物によって海溝の方角へ連れ去られ、安否不明です」
「! ゼレウスさんが……」
「あら、あの‶旧魔王〟サマ、魔物如きにやられちゃったの?」
ルフゥとネザリーが情報交換するなか、聞き覚えのある声が挟まれる。
虹色の翼を持ったハーピーの魔王、イリーリャだ。
誰かは知らないが、フードを目深に被った少女がその後ろをついてきている。
「お、お二人がどうしてまだここにっ? 少々お待ちくださいっ、すぐに護衛を手配いたしますので!」
「待ってくださいルフゥさんっ! イリーリャさんとミネシアさんは魔物討伐を買って出てくれたのです! マーメイドの民……そして魔王同士の友情のために!」
「ぁわ、わた…………」
フードを被った少女が何か言ったような気がしたが、途中で諦めたように言葉が途切れる。
「まさかネザリーさまも戦われるおつもりですか?」
「もちろんです。民を護るのが‶王〟の仕事ですから」
「王が矢面に立たないでください……ゼレウスさまの影響ですか?」
「イリーリャさんの影響でもあります!」
「なんで得意げなんですか……」
「ごめんなさいねルフゥ。でもまぁ、魔物程度に負ける魔王なんていないから」
「それに何かあっても、ルフゥさんが護ってくれますよねっ!」
「! 当然です、お任せください!」
「ぁ……そっか……そうやって説得するんだ……なるほど……」
フードの少女が納得したように何か呟いたが、誰にも届くことなく消えた。
「ね、エレイナちゃん。ミネシアってことはあの娘が‶黒廻王〟だよ。ゼレウスが出会ったサキュバスの魔王……かわいい娘だねっ」
「そうね……あたしからじゃあんまり顔は見えないけど」
「エレイナさん! 私たちは旧海底市街の市民の方々の避難路を確保します! 安全が確保でき次第ゼレウスさんの救助に行くつもりです。あなたも来ますか?」
「! もちろん! お願いします」
三人の魔王、そしてルフゥを筆頭に護衛を引き連れ、エレイナたちは宮殿を出た。
宮殿周囲と海底都市の大通りを中心に避難路は確保されている。
そこへ新たに確保する旧海底市街からの避難路を繋げる、というのが狙いだ。
「旧海底市街に魔物の姿はなかったんですよね?」
「はい。少なくともわたくしたちが向こうを出た際は」
「それなら狙いはこの街か……海底都市の住民はすでに地上への避難を進めています。残るは旧海底市街の方々だけです」
アーチ状の建造物を抜け、ルフゥたちの通ってきた道へ。
ついさっき通ってきた場所のはずなのに、見覚えを感じないほどに状況は様変わりしていた。
「こんな大群、さっきは……!」
珊瑚礁の散在する広大な海底。
その白い砂地を埋め尽くすほどの色とりどりのウミウシの大群に、ルフゥは息を呑んだ。
「大規模な魔物の侵攻……報告にあった巨大な魔物が指揮しているのは確実でしょう。そして、姿を直接見たリーシャさんはその魔物を‶竜〟と呼んだ……」
「まさか、これが‶海神龍〟の裁きとでも仰るつもりですか」
「それこそまさかです。しかしもし相手が‶神〟だとしても、民のために戦うのが‶王〟のあるべき姿! 行きましょう皆さん、戦闘開始!!」
ネザリーの号令にマーメイドの兵たちが怒号のように応え、ウミウシの魔物たちとの交戦を開始する。
海底に蠢くこの無数の魔物たちを倒さなければ、エレイナにとってゼレウスの救出など夢のまた夢。
ここで戦うほかない。
「ウミウシは再生能力を持っているとの報告もあります! 皆さま持てる限りの火力を注ぎ、迅速な討伐を!」
ルフゥがウミウシの一体を凍らせ、続けて生成した氷の槍を手に貫き、砕く。
「流石ですねルフゥさんっ! 私は──」
ネザリーが一本の槍を手にウミウシへ肉薄する。
彼女の持つ金属製の槍は細やかな装飾が施されており、一見実用性に欠ける儀礼用の物にも見えた。
が、ネザリーが魔物へ槍を突き入れ、手元のパーツを回転させた瞬間。
魔物が甲高い声で鳴き、その身体がうねうねと蠢く。
「──内側から焼いちゃいましょう」
ウミウシの身体が内側からボコボコと盛り上がる。
槍を突き入れた箇所から炎が漏れ出し、海水によって瞬く間に消火される。
「わっ、ちょっと魔力を籠めすぎましたっ! できるだけ苦しめないようにと思ったんですが……」
ネザリーが息絶えたウミウシから申し訳なさそうに槍を引き抜く。
その穂先は突き入れた時と違って二つに裂けており、その間から魔力の輝きが漏れ出していた。
その輝きの向こうに内部の機構、組み込まれた‶歯車型魔法陣〟の数々が垣間見える。
「うわ、ネザリーあなた結構戦い方グロいわね」
「ええっ!? カッコよくないですかこの槍!」
「槍は……ねっ!」
イリーリャは海底から飛翔するように浮き上がると、ウミウシの上を通過していく。
彼女の虹色の羽根が、ゆらりと一枚ずつ。ウミウシの頭上で揺れ、拳大の岩になる。
「面倒だから……全部‶圧死〟で」
元の場所に戻りイリーリャがそう呟いた瞬間、小さな岩たちが膨れ上がるように巨大化し、ウミウシたちに向けて勢いよく降下した。
魔法が解除され残ったのは、潰れたウミウシと美しい虹色の羽根だけ。
「イリーリャさんの戦い方も怖くないですか? あ、でもこれでお揃いですねっ!」
「ポジティブねぇ」
会話しながらもネザリーは迫るウミウシの触手をひらりと躱し、イリーリャは風魔法でそれを切り落とす。
すぐに反撃をしようとした両者だったが、風の刃に両断される触手の主を見てその必要はないと悟った。
振り返り、風のギロチンを落とした張本人へ礼を伝える。
「ミネシアさんっ、ありがとうございます!」
「…………」
「! もしかしてミネシアさんって戦場では寡黙なタイプですかっ!? カッコいい……!」
「たぶん違……まぁいいか」
イリーリャは黙す。
フードをクイッと引いて目元を隠し、くすりと意味深な笑みを浮かべるミネシアを見て。
黙したまま新たな標的へ魔法を放ち始める彼女に、何か芝居臭さのようなものを感じたからだ。
『こうすればもっとそれっぽく見えるかな?』といった感じの。
イリーリャは肩を竦め小さく苦笑うと、その場で飛び上がって戦場を俯瞰した。
その視界の中で、エレイナがウミウシの群れへ突っ込んでいく姿が映る。
エレイナはすれ違いざまにウミウシへ一太刀浴びせると、さらに前進。
踏み込んだ勢いを殺さず、回転しながら別の標的を斬り付け、狙いをまた別のウミウシへ。
余計な力のない、流れるように華麗な攻撃。
しかし残念ながらどれも致命傷には程遠い傷である。
何のためにそんなことを。
そんなイリーリャの疑問は、エレイナの叫びに氷解する。
「あたしの剣でウミウシの身動きを封じました! 今のうちにとどめを!」
魔剣の拒絶反応により、柄から迸る赤黒い稲妻が彼女の肌を焼く。
その異様な光景に困惑しつつも、周囲のマーメイドの兵たちがウミウシたちへ攻撃を仕掛けた。
エレイナはその様子を一瞥すると、すぐにまた別の標的へ向かう。
「へぇ~、意外とやるじゃない従者ちゃん」
あれなら迅速に魔物を処理でき、安全も確保されている。エレイナ自身を除き、ではあるが。
(‶支配の魔剣〟……複数体相手にも使えるのね)
新たに得た情報に笑みを浮かべながら、イリーリャは再びウミウシの頭上を通過していった。
混戦の中、エレイナもまたその姿をちらりと見る。
(あのハーピーの魔王なら……ゼレウスを助けてくれる可能性は比較的高い)
ネザリーもゼレウスの救出に向かうと言ってくれているが、まだどうなるかはわからない。
しかしゼレウスの力を欲しがっているイリーリャなら、利害の一致から一時的な味方にならなってくれるかもしれない。
彼女にゼレウスが利用されるのは気になるものの、そもそも自分だって卑劣な手段で彼を利用しようとしていたのだ。文句は言えないし、彼の命には代えられない。
(待っててリーシャ、ゼレウス……すぐ助けに行くから!!)
拒絶反応の痛みに耐えながら、エレイナは新たなウミウシへ向けて斬りかかった。




