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旧魔王に聖なる封印を!  作者: モタモタ猿
第二章 冷たさにゆらめいて
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25.胃が痛くなる華やかなお茶会


 シシュルトレーゼの海底宮殿内部、その中庭の美しさは筆舌に尽くしがたい。

 と、訪れた者は皆口を揃えるという。


 謁見の間などもそうだが、宮殿の一部は海水ではなく空気で満たされており、そのどれもが客人を招くための場所である。

 つまり、マーメイドの得意とする水中ではなく空気の満ちた地上と同じ環境に招くことで、『あなたを信頼しています』という姿勢を示しているのだ。


 ここ中庭においてもそれは同様である。

 中庭は当然屋外にあるが、天井はドーム状のガラスに覆われ海中とは隔絶されている。

 中庭には地上の植物が植えられ、ガラスとその向こうの海を通った陽の光がそれらの光合成を促している。


 内部には地上の世界が広がり、ガラスの向こうには海中の世界が広がる。

 それがこの中庭、シシュルトレーゼの誇る建築美のひとつ。

 が、ここを訪れる機会を与えられる者はほんの一握りである。

 それを『惜しい』と嘆くのもまた、ここへ招かれた者たちの常套句だった。



(ああ、早く終わって……)



 しかしその美しさを楽しめない変わり者がここにひとり。

 まぁ‶彼女〟はそれを楽しめないのではなく、そんな余裕がないだけなのだが。



「あっ、見てくださいイリーリャさん、ミネシアさんっ! イルカがこっちを見てますよ!」



 ‶海闢王〟ネザリー・リッツァクアがテーブルに身を乗り出し、真上を指さす。

 彼女の言うとおり、ドーム状のガラスからこちらを覗き込むイルカが数匹。

 好奇心の赴くままにやってきた彼らは何度か頷くように動き、やがて興味を失って去っていった。



「へぇ~、なに? 仕込んでたのネザリー?」



 ‶虹天王〟イリーリャ・ミディスがいじわるな笑みで問いかける。



「そんなことしませんよ~っ。でも迷い込んじゃっているのかもしれませんね。あとで調査しておきましょう」


「ふ~ん。仕込みじゃないなら……まぁ素敵な体験だったわ」



 一転、笑みを消したイリーリャが肩を竦めながら言う。

 興味なさげを装っているが、世辞を言わない彼女だ。ネザリーの顔はぱぁっと華やいだ。



「よかったです喜んでもらえてっ! ミネシアさんもご覧になりましたっ?」


「えっ、あっ、あ…………よく見えませんでした」



 嘘だ。

 イルカの姿はしっかり見たけど話が広がってしまいそうだったからサキュバスの魔王……‶黒廻王(こくえおう)〟ミネシア・リリカーラは咄嗟に嘘をついたのだ。

 しかしネザリーが目に見えてしょんぼりしたため、彼女は慌てて前言を撤回する。



「あ、や、やっぱり見えました。かわ、かわいかったですむぇ……」


「『やっぱり』? やっぱり見えることなんてある?」



 緊張と焦りで語尾がおかしくなってしまった。

 それについてはツッコまれなかったが、イリーリャに訝しげな視線を送られる。

 が、ネザリーは額面どおりに言葉を受け取ってくれたらしく、顔をほころばせた。



「かわいいですよね~っ! イルカは賢いといわれているので、何か芸を仕込めるんじゃないかと考えているんです! 地上ではイヌやネコに芸をさせるんですよね?」


「ネコは無理よ。気まぐれだもの」


「え~っ!? イルカさんも結構残酷なんですっ! じゃあ無理かもしれませんねっ!」


「え、イルカが? あのナリで? こわ~。まぁでもやってみたら? 成功すればいい客寄せになるわよ」


「じゃあ挑戦してみましょう! ですがマーメイドが……例えばイルカといっしょにショーをしてしまうと、人族からマーメイドそのものが見世物のように扱われかねないという懸念がありまして……」


「排他的な人族のしそうなことねぇ」



(よ、よかった……っ、私抜きで会話してくれてる……っ!)



 ミネシアの早まる鼓動が安堵に鎮まっていく。


 とある夏の日。

 ここ海底宮殿の中庭では、三人の魔王によるお茶会が開かれていた。

 白く滑らかな手触りの丸テーブルに並べられた、細やかで豊富な菓子の数々。

 三人の魔王の手元には、紅茶の淹れられた煌びやかな装飾のティーカップ。


 胃が痛くなる華やかなお茶会。少なくともミネシアにとってはそうだ。

 従者や護衛もつけない、魔王水入らずのこの会合。

 胃を痛めつつも、今のところミネシアなりに上手くいっていた……のだが。


 ‶虹天王〟イリーリャ・ミディス。

 彼女は危険だ。

 ‶海闢王〟は騒がしいものの素直でいい人っぽい。

 だが彼女はダメだ。目聡そうだし、表情とか顔立ちが……なんだか鋭くて怖い。

 同胞であるサキュバスならまだしも、他種族の魔王に弱みを握られるのはまずい。


 ミネシアの弱み……ほんのちょっぴり(・・・・・・・・)人見知りである、という弱点は。

 特にあのハーピーの魔王は弱みを握り次第、あれやこれやといろんなことを命令してきそうだし。

 と、ミネシアは警戒に満ちた視線をイリーリャに返した。

 すでに相手の興味は別のものに移っているため、チラチラ見ても目が合う心配はないのだ。



「あら、美味しいわねこのケーキ」


「ふふふ……そうでしょう! 人族から仕入れた情報で職人さんに作ってもらった、最新のスィーツですから! こちらの紅茶はヴァンパイアから仕入れた物で、結構値が張ったんですよ~っ!」


「いいわね、ここにはどっちの種族の物もあって」



 イリーリャが優雅に菓子と茶を楽しみ、ネザリーが楽しそうに笑う。

 正直、羨ましい部分があることは否めない。

 大人の女性らしく優雅に振る舞いたいし、友人相手に談笑もできたらいいなとは思う。



(紅茶って……あんまり違いがわかんないよね)



 貧乏舌というやつなのかもしれない。いや紅茶なのだから、舌ではなく鼻か?

 などと考えながら、ミネシアも負けじと紅茶を楽しんでやった。

 できるだけ優雅な雰囲気を醸し出しつつ。



「でも別に大丈夫でしょう? 魔族だけじゃなく人族相手にも商売してるんだから。稼いでるんじゃない?」


「そんなことないですよ~。結構綱渡りな部分が多いですし」


「……まぁそうか。それならあの‶旧魔王〟サマも厄介の種だったり?」


「! それなんですけど……」



 ネザリーの雰囲気が変わり、急に緊張感が広がる。



「お二人とも、ゼレウスさんとの面識はありますよね? これはあくまで世間話として受け取ってほしいんですが……。お二人は彼を……‶旧魔王〟という存在をどうお考えですか?」



 かなり真剣な雰囲気。そして自分たちサキュバスにとっても重要な話題だ。

 世間話として……というのはこちらの警戒心を削ぐための方便だろう。

 そうミネシアは気を引き締めたが、イリーリャは変わらぬ余裕で答えた。



「そうねぇ……彼の言うとおり人族と仲良くなって、ハーピーの繁栄に繋がればいいわね。ま、ありえないけど」


「確かに、人族との交流ができればハーピーにとっては追い風ですよね」


「略奪はできなくなるでしょうけどね。そうなれば内部分裂、紛争の可能性もありえる。最悪ハーピー同士の戦争……そんなことをする余裕はないけど。あら、もしかして彼の狙いはそれなのかしら? 魔族の力を削いで、人族との戦争をする余裕をなくす……みたいな?」


「彼がそんなことをする人に見えましたか?」


「さぁね。でももしそうなら‶旧魔王ゼレウス・フェルファング〟は、魔族でありながら魔族の敵ということになる」


「…………ミネシアさんはどうお考えですか」


「えっ……えっと……」



 たしか、こういう時は話を合わせるべきだと聞いたことがある。

 よし、そうと決まれば大人の余裕を漂わせながら──



「ひ、人族との和平が進めば……サキュバスにとって、あの、利点になると思います。食糧事情が改善されれば……ですけど」


「もしゼレウスさんがサキュバスを取り巻く現在の体制を解体したなら? 人族との和平を進めるなら、まずはこちらが手を引くことになるかもしれない。そのあいだ、サキュバスの食糧をどうやって確保するおつもりですか?」


「えっ、えっ? え……っと…………わか、りません……」


「もし解決策がなければ、サキュバスは滅びの道を歩むことになりかねません。最悪ゼレウスさんと敵対し、魔族同士で同盟を組むことも想定しなければ」


「て、敵対……!? あ、あんな相手む、無理ぃ……っ!」


「それをどうにかするのが我々‶王〟の仕事なのです! もう一度聞いておきますが、本当に解決策は──」


「ストーップ、ネザリー。ただの世間話なんでしょ?」


「っ──!」



 ネザリーがハッとした様子で口を噤む。

 彼女はすぐにペコリと頭を下げ、「すみません」とミネシアへ謝罪した。

 ミネシアはブンブンと頭と両手を振り、慌てて気にしていないことを伝える。



(こ、こここ怖かった……!! ‶海闢王〟さん意外と怖かった!)



 もはや世間話ではなく詰問だった。

 真剣さも相まって圧がすごかった。

 そういえば‶海闢王〟とはマーメイドいちの頭脳と武力を持つ者のことだったと、今更ながら思い出す。



(ああぁでも……イリーリャさん意外といい人だ……助けてくれた……)



 ネザリー怖い人、イリーリャいい人。

 あまりにも簡単に評価を入れ替えるミネシアだった。



「たしかまだ魔王になって一年も経ってないとかでしょ? わからないことがあっても仕方ないわよ。ほら、ケーキでも食べて落ち着きなさい。全然進んでないじゃない」


「あっ、はい」



 イリーリャに勧められるまま、小さくて可愛らしいケーキのひとつをフォークで切り分け、口に運ぶ。



(おいしい……っ!)



 貧乏舌でもわかる安心の美味しさだ。よかった。



「顔に出るタイプなのねぇ、あなた」


「はっ……すゅ、すみまひぇ……」


「別に怒ってないわよ」



 かすかにだがイリーリャがくすりと笑う。

 裏表を感じさせない、柔らかな微笑。



(あぁ……イリーリャさん優しぃ……)



 今のミネシアには彼女が虹色の天使に見えた。



「よ、喜んでいただけてなによりです……! ……その、さっきは本当にごめんなさい、ミネシアさん」


「あ、えと……その、私が未熟だから、ですから……こちらこそごめんなさい」


「あなたたち似たもの同士ね~。どっちもコミュニケーション能力に難あり、だわ」


「ッ!?」


「はぁあ~~……反省します……」



 秘密にしていたはずなのにバレてしまった! と、ふいにミネシアを絶望が襲う。

 やはり油断ならない存在だと、「アハハハッ!」と楽しそうに笑うイリーリャをチラチラと伺うミネシアだった。



「‶海闢王〟さま! 失礼いたします!」


「はい、なんでしょう?」



 突如中庭へ一人のマーメイドが。

 緊迫感に満ちた声色の彼は、同時に焦燥感にも襲われているのだとその表情から伝わった。

 彼が耳打ちをして何か伝えるとネザリーは眉をひそめ、イリーリャたちへ向き直る。



「不躾で申し訳ありませんが……今日はここでお開きとしましょう。お二人とも、すぐに避難を」


「避難? 何が起きたのネザリー」


「魔物の群れの襲撃です」



 落ち着きつつも緊張感のあるネザリーの声色に、イリーリャの表情が初めて真剣さを帯びた。

 ‶海闢王〟としてのネザリーが伝令へ命令を下す。



「二人に護衛の手配を。安全を最優先に避難させてあげてください」


「待って。……水臭いわねネザリー? あなたも出るんでしょ? なら私も手伝うわ」


「よ、よろしいんですか!?」


「美味しいケーキのお礼にね?」


「イリーリャさん……!」



 立ち上がったイリーリャがネザリーへウィンクをする。

 ミネシアもまた決意を秘めた顔で立ち上がり……そのまま帰ろうと思った。

 のだが。



「あなたも戦えるんでしょ、ミネシア? 噂に名高い天才魔術師の力、見せてもらうわよ」


「──え?」



 ミネシアは今、心の底から理解した。

 このイリーリャというハーピーは天使ではなく、人の心を弄ぶ悪魔なのだと。

 そして人見知りだから断れないのではなく、断れないから人見知りなのだ、と。

 ……いやそれはどっちも同じか。


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