24.どっちつかずの異形
「うっっおぉぉおぉおおッ!!?」
蔦のように伸ばした影に引かれ、海溝の間を飛ぶように渡る。
ゼレウスは闇の魔法を扱えないため、操っているのはリーシャだ。
「リーシャ、しっかり掴まれ!」
「来てる来てる! 食いつかれるぞゼレウスッ!!」
影を解除し、海溝の側面に着地。
力をギリギリまで溜め、岸壁をリーシャを背負ったまま蹴り出す。
ゼレウスが飛び立った瞬間、巨大な口が背後をかすめるようにして通り過ぎていった。
魔物が肢体を岸壁にこすりつけながら、再び浮上する。
「なんと面妖な生物だ。あれもウミウシなのか?」
丸い口腔の中に生え揃った、無数の細やかな牙。
巨大な魔物のずんぐりとした頭部の前面、そのほとんどは口だ。
少しだけなら口を伸ばせるようで、捕食の際はそうやって獲物に食らいつくのだろう。
今実際に目の当たりにしたので確実だ。
「‶アオミノウミウシ〟だあれは! たぶんだが! 実物は指先に乗るくらいらしい! 昨日水族館で教えてもらった! 本来なら神秘的でカッコいい生物のはずなのに、デカくなるとキモいな! っ……影を引くぞ!」
反対側の壁へ影の杭を打ち込み、ロープのように伸ばしたそれを頼りに再び海溝を渡る。
「水族館か……」
「なんだ、ゼレウスも行きたかったのか?」
「ああ、聞いているたびにどんどんと興味が湧いてきた。奴を倒した暁には……くっ」
「くそっ、海流が強い!」
影を手繰るのをいったん停止し、流れに身を任せる。
抵抗しすぎると風の魔法が弾けるおそれがあるからだ。
海流は魔物の正面へと流れていく。
奇怪な口がぐにゃりと伸び出し、ゼレウスたちを容易く呑み込めそうなほど大きく開かれた。
「浮力制御を起動しろリーシャ!」
「!」
迫る無数の牙を前に、それぞれ自身の‶風の泡葉〟に触れる。
海溝を渡るために解除していたそれを起動させれば、二人の身体がグンッ! と下方へ移動した。
海流は役目を果たしたからかすでに止んでいるため、浮力制御を起動すればその影響はしっかりと出る。
そして二人分。
二人分の浮力制御を働かせることで、通常よりも強く海底へ引き込まれることになる。
ゆえに攻撃の軌道から逃れられた。
「おぉおッ!」
ゼレウスが伸びた口を下から殴り飛ばし、その軌道をずらす。
不意の反撃に驚いたのか、ウミウシは殴られた勢いそのままに浮上していった。
「いいぞゼレウスッ! このまま逆に追いかけるかっ?」
「いや、まずは浮力制御を解除しろ。そして影の杭をできるだけ上方に打ち込むのだ。奴の逃げていったほうとは逆方向にな」
「逃げるのか?」
不満そうな様子を見せながらも、リーシャは言われたとおりに闇の魔法を操る。
「もしこれがマーメイドの策略どおりなら、今危険が差し迫っているのはエレイナだ」
「! よし、一刻も早く戻ろう!」
影を手繰って海溝の岸壁に着地。ゼレウスが蹴り出して跳び上がり、リーシャが再び影の杭を上方の壁へ打ち込む。
「しかしウミウシということは、群れの長は奴だったということか。討伐しなければ根本的な解決にならない。ネザリーの依頼は不達成ということになるか」
「でもルフゥ殿は実力を認めてくれたぞ!」
「ああ。だが倒さねばまたマーメイドたちが襲われる可能性が高い」
「どっちなんだ! マーメイドの裏切りを懸念するのか、心配をするのか!」
「どっちもだ。我はどちらも切り捨てない」
「ああもう! だから全種族の統一なんて目指してるんだったなっ! じゃあどうするんだっ?」
「マーメイドの助力を待つことはしないということだ。奴を倒すか、退路を作る。どちらにしても、エレイナに危機が及ぶ前に」
「なる、ほどな……だがどうやって倒す? ゼレウスは全力で殴れないし、私は移動だけで手いっぱいだぞ…………どうした?」
上へ上へと移動しながら互いの認識を確かめ合っていたが、急に黙り込むゼレウスにリーシャは訝しむ。
「……何かおかしい」
ゼレウスが呟き、岸壁を蹴り出しながら周囲を窺う。
違和感の正体にはすぐに気がついた。
「海流が止んだ……? なぜだ、奴は我らを逃がさないために海流を操っているはずだ」
ウミウシの姿は海溝の闇に紛れて見えない。
反対側の壁も見えないほどに広く、すでに陽の光も頼れないほどの深さなのだ。
「確かに不気味だが……チャンスだぞゼレウス! 今のうちにどんどん浮上しよう!」
「……ああ」
リーシャの言うとおりだ。二人は影のロープを手繰り、岸壁を蹴って上昇していく。
しかし何度かそれを繰り返した時、ゼレウスは視界の端に光る何かを見つけた。
岸壁のちょうど反対側、ゼレウスたちよりも高い位置。
光はチカッ、チカッ、と連続して煌めいてはすぐに消える。
無論太陽の光などではないだろう。
上昇するたびに自然とその光に近づいていく。
充分に警戒しつつ登っていたゼレウスだったが、その光の源がなんなのか気づいた時、驚愕を抑えることができなかった。
「バカな……あの巨体がもう一体いるというのか!?」
岸壁に張り付き、明滅するそれ。
さっきまで戦っていた竜に似たウミウシとは異なる、ナメクジに似たウミウシらしい姿。
ただし、その身体の長さはナメクジなどとは比較にならない。
クジラを思わせる細長い巨体。
白い身体にオレンジ色のラインが走る鮮やかな姿はウミウシらしいといえるだろう。
だがまるで蓑を背負っているかのように背中から伸びる、連なった突起物。
身体の色とは対照的な、黒い褐色にオレンジ色の線、白い縁取りのそれは黒い炎のよう。
光を放っていたのはその背中の突起物たちだった。
あの光は攻撃の予兆だ。
迫ってくる無数の黒い何かにそう気づく。
「‶棘〟!? ──防御するぞゼレウスッ!」
「待て! 我が弾く!」
闇の盾を展開しようとするリーシャを制し、ゼレウスは水中で構える。
盾を構え、視界が制限されてしまうのを嫌ってのことだ。
リーシャが迫る黒い棘から逃れるように影のロープを手繰る。
岸壁近くに自分たちを移動させ、次に打てる手を増やすために。
後方への逃げ道がなくなってしまうが、ゼレウスには必要ないはずだとリーシャは判断した。
「む──重い! そのうえ硬いぞ!」
両手を手刀の形にして振るい、無数の黒い棘を受け流していく。
棘は背後の岸壁に突き刺さっていくが、ゼレウスの真後ろだけはぽっかりと空間が空いていた。
ゼレウスの背中から離れたリーシャが岸壁へ掴まり、突き立った棘のひとつに手を伸ばす。
「これは……溶岩か? あの光は溶岩を撃ち出す際の光だったのか。海流を操るウミウシと溶岩を撃ち出すウミウシ……本当に二体いるのか? いや、もしそうなら海流が止んでいることの説明がつかない。とすれば──」
ゼレウスは無数に迫る棘の迎撃に集中している。
謎を解くのは自分の仕事だと、リーシャは闇の向こう側へ目を凝らした。
いや、『闇の向こう側』というのは誤りだ。
ヴァンパイアであるリーシャなら、闇などあってないようなものなのだから。
「ゼレウス……朗報と悲報がひとつずつある」
「奇遇だな、我もだ」
「先にそっちを聞こうか?」
芝居がかった言い回しで茶化しているが、リーシャの声色は緊張を帯びている。
「飛来する棘は直線的な動きしかしないということと、第二波がこれからやってくることだ。そっちはどうだ。何か見えたか」
「ああ。ウミウシは二体いるわけじゃない。奴は変身しているんだ。最低でも二つはある形態を、その状況によって使い分けているらしい」
「らしい、か……」
彼女の言葉にこれから起こる事態を理解し、ゼレウスは構え直した。
リーシャがその背に再び飛び乗り、警告する。
「撃ち出された棘が海流に操られているぞッ!! ‶全部〟だッ!! 海流も、棘も、‶奴自身〟もッ!」
闇の中から無数の棘が迫ってくる。
海流がその動きを操り、直線的な動きしかしていなかった棘のすべてがゼレウスたち目掛けて飛来する。
そして……闇の向こうから。
「来るぞゼレウスッ!!」
あの奇怪な口が、美しい翼が、どっちつかずの異形が。
無数の棘とともにゼレウスたちへ襲い掛かった。




