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旧魔王に聖なる封印を!  作者: モタモタ猿
第二章 冷たさにゆらめいて
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19.‶海藻みたいなの〟


「うーわっ、すっごい絶景っ!」



 シシュルトレーゼの海底都市を囲うように巡らせた、連なったアーチ状の建造物を抜けて十分ほど。

 途切れた海底、その断崖の下をゼレウスたちは覗き込んでいた。



「あれが‶旧海底市街〟! 私も見るのは初めてだ……!」


「こ怖……高いし暗いし……」



 五十メートル以上はあるだろうか。

 断崖の下に、青みがかった薄灰色の街並み。

 しかし海の色に紛れ、遠くの家々の輪郭ははっきりとは見えない。

 それほど大きな街なのだ。



「『浮力制御』は機能していますか? ここから降りましょう」


「え、あの、降りるって……? 階段は?」


「申し訳ありません、マーメイドには必要ないので階段は存在いたしません。ですが大丈夫です、エレイナさまにも必要ないはずです。浮力制御中の下降速度も、速くはありませんので」


「そ、それはそうなんですけど……」



 海底に手と膝をつき、おそるおそる断崖を覗き込んでいるエレイナ。

 崖から身を乗り出して景色を見渡すリーシャとは対照的だ。

 同行しているネザリーの側近、ルフゥの指示に従い、ゼレウスたちは各々身に着けた風の魔道具‶風の泡葉(バブル・リーフ)〟に手を触れた。


 『浮力制御』とは、‶風の泡葉(バブル・リーフ)〟に搭載された、海底から身体が浮き上がらないようにする機能のことである。

 これがあるおかげで海底を地上と同じように歩くことができるのだが、この機能は同時に危険性も孕んでいた。


 浮力制御を機能させている間、使用者は常に海底へ引っ張られることになる。

 ウミウシの魔物を倒した時のゼレウスのようにジャンプすることはできるものの、海上まで浮かび上がるにはそれ相応の強い脚力か、あるいは泳力が必要である。

 それこそゼレウスほどの脚力か、マーメイドの泳力に匹敵するほどの力が。


 つまり海峡や海溝に見られる『途切れた海底』に身を踊り出してしまった場合、浮力制御を解除しない限り、ゆっくりと海底深くへ引っ張られ続けてしまうのだ。

 しかし逆に言えばそれは、労せず海底深くへ潜ることができるということでもある。

 ルフゥが浮力制御を機能させているか確認を取ったのはそういう意味だった。


 ゼレウスたちが初めて海底都市へ潜る際、‶風の泡葉(バブル・リーフ)〟の説明は入念にされている。

 三人は何の問題もなく浮力制御が機能していることを確認し終えた。

 エレイナだけは泣く泣くといった様子だったが。



「そう怖がるなエレイナ。もし魔法の泡が弾けてもすぐに張りなおせばいいんだからな。どうしてもというなら私が手を握っておいてやろうか? そうだ、ゼレウスはどうだ? 怖くないか? 私の手を握るか? 私のほうがお姉さんなんだからな、遠慮なく頼っていいんだぞ」



 リーシャが『にや~っ』と笑みを浮かべながらゼレウスに問いかける。

 が、そもそもからかわれていることに気づいてもいないのか、ゼレウスは気にした素振りすら見せなかった。



「いや、我は大丈夫だ。この状況にも慣れてきた。だがもし泡が弾けたなら、その時は頼むぞ」


「あ、あたしはお言葉に甘えます……」



 エレイナがおずおずとリーシャの手を握る。



「おお~……任せろエレイナぁ!」



 感動と驚愕の入り混じった声で、リーシャが繋いだ手を掲げた。

 自分より身長も高く、少なくとも外見上は年上に見えるエレイナに頼られたのが嬉しかったらしい。

 エレイナが普段あまり周りを頼らないから、というのも大きな要因だが。



「リーシャちゃん、お姉さんぶってると逆に子どもっぽいよ?」


「お姉さんぶってなどいないが? なぜならホントにお姉さんだからだ」


「そっかぁ」


「あら、お手を繋いでいただけるのでしたら、わたくしが皆さまを神殿まで引っ張っていきましょうか?」


「名案だな、ぜひ頼もう。一刻も早く民の心に安寧をもたらすために」


「それではお手を拝借」



 ルフゥがゼレウスの手を取り、もう片方の手をリーシャたちへ差し出す。

 その瞬間、リーシャがエレイナへ向けて声を潜めた。



「た、大変だエレイナ……彼女は相当なやり手だぞ! あんなにもいとも容易く異性の手を取るとは……!」


「もうお姉さんぶるのやめたら?」



 リーシャは恐れおののきながら、苦笑するルフゥの手を取った。

 水中ゆえゼレウスには届かなかったようだが、マーメイドであるルフゥにはしっかりと聞こえたらしい。

 『相当なやり手』という、リーシャのずれた評価が。



「それではわたくしがお運びしますので、予定を変更して皆さま浮力制御の解除を。参りますよ」



 気を取り直してルフゥは右手にゼレウスを、左手にリーシャとエレイナを引き連れ断崖へと身を踊り出した。

 薄暗い海底市街を見下ろしながら、一行は海中をスイスイと進む。



「うわぁ~、なんか不思議! (あさ)(もや)の上を飛んでるみたい」


「おぉ~、詩的じゃないかフュージア。確かに薄暗くて冷たくて、肌寒い冬の朝のようだな。なぁエレイナ」


「…………うん」


「いや目ぇ瞑ってるじゃないか。やっぱ高いところ苦手だなエレイナ」


「そんな、勿体ない! 綺麗な景色だよ? まさかゼレウスも目閉じてないよね?」



 ルフゥを挟んで反対側。ゼレウスへフュージアの声が向けられる。



「見ているとも。美しい街だ。だがどこか……」


「……不気味、ですか?」


「いや…………いや、そうだな。少々恐ろしくも感じるのは、我が泳ぎを苦手としているからだけではないだろう」


「やはりそうですか……神殿も含め、この街も観光資源とする案が挙げられたこともあったのですが、この薄暗さを理由に断念したのです。マーメイドにとってはこの程度の暗さ、あってないようなものなのですが……」


「私も暗くないぞ、ヴァンパイアだからな! しかしマーメイドにも暗視能力があるとは」


「いえ、マーメイドに暗視能力はありませんよ。その代わり……‶反響定位(エコーロケーション)〟をご存じでしょうか?」


「あ、なんか最近聞いたかも! なんだっけ?」


「えーと、イルカとかクジラが使う、音の反響で周囲の状況がわかるやつ……だっけ。ほら、昨日の」


「ああ、水族館で教えてもらったやつか。お、エレイナ目ぇ開けてるな。偉いぞ」


「う~っ、ルフゥさん話を続けてもらっていいですか? 気がまぎれるので……」



 フュージアたちが口々にそう答えると、ルフゥはくすりと上品な笑みを浮かべた。



「この街を楽しんでもらえているようでなによりです。エレイナさまの仰るとおり、‶反響定位(エコーロケーション)〟はイルカやクジラなどが持つ特殊な技能でございます。他の生物には聞こえない音波を使い、同族とのコミュニケーションも可能…………陸上においてもコウモリなどが使用していますが、わたくしたちマーメイドも同じことができるのです」


「そうか、ではこの海底の薄闇も、マーメイドにとってはあってないようなもの」


「そのとおりです。まぁわたくしたちが本格的に‶反響定位(エコーロケーション)〟に頼るのは、もう少し暗い場所でですが」



 マーメイドは優れた聴力を持っている。

 先程、リーシャの言葉がゼレウスには届かずルフゥにだけ届いたのはそれが理由だった。



「海は広大ですが、マーメイドが快適に住める場所は限られています。暗所で活動可能でも、浅い場所のほうがやはり住みやすいですから。幸い、同種族で争わなければならないほど少なくはありませんが」


「へぇー、じゃあ深海に人はいないんだ?」


「いえ、海中の断崖や海溝などでは魔物発生の恐れがありますから、迎撃用の拠点を建設することがあります。近くに住居や街道などがある場合ですね。ネザリーさまは深海付近の防衛都市出身ですが、‶海闢王〟に選ばれたのもその豊富な戦闘経験あってのものです」


「それで‶深淵の秘宝〟か~! でもネザリーちゃんが魔物をバタバタなぎ倒すの、あんまり想像できないかも」


「わたくしもあまり想像できませんね」


「え、なんでルフゥちゃんも?」


「王に戦わせるような真似はしない、ということだろう」


「ご明察のとおりです、ゼレウスさま。いざという時はわたくしが先に戦い、命尽きるまでネザリーさまをお護りします。……そしてその『いざという時』が訪れるほど、マーメイドは弱くありませんから。といっても、マーメイドは他種族と比べて戦う機会そのものが少ないのですけどね」



 そう言ってルフゥは冗談めかすように笑った。



「さぁ着きました。ここが海底神殿でございます」


「おぉ……」



 神殿の前でルフゥが手を離し、ゼレウスたちへ浮力制御の再起動を促す。

 ‶風の泡葉(バブル・リーフ)〟に触れ、内部の‶歯車型魔法陣(マ・ギア)〟に干渉しながら海底神殿を見上げたゼレウスたちは、自然と感嘆の声を漏らしていた。


 旧海底市街の街並みよりも高い位置。断崖の上に(そび)え立つ巨大な神殿。

 その大きさはゼレウスたちの招かれた、‶海闢王〟の住まう宮殿にも並ぶほどだ。

 やはりというべきか階段はなく、これまたやはりというべきかエレイナの足が竦むほど高い場所に神殿は建っていた。


 海面から差し込む光が神殿の影を揺らす。

 厳かに立ち並ぶ白い石柱が海の蒼さに染まり、美しくもどこか不気味な雰囲気を醸し出す。

 畏怖。

 マーメイドたちにとってはそうではないのだろうが、海の中の世界を知らないゼレウスたちにとって、まさしくこれは畏怖の対象だった。



「立派な神殿~~……そういえばさ、ここって何を祀ってたの?」


「‶海神龍〟でございます」


「龍って……変身したザナドみたいな?」


「かつてはマーメイドたちの前に頻繁に姿を見せていたとのことですが、どんな姿をしていたのか、残るは口伝や壁画、彫像のみです。ザナドさまはどのような姿をしていらしたのですか?」


「腕の長い……角と翼の生えたトカゲのような姿だ。海神龍はどのような姿をしていたのだ?」


「細く長い体躯に、まるでヴェールを纏ったかのような神秘的な姿……そう伝わっております」


「ふ~ん、じゃあちょっと違うんだ。あれ、てかそれってどんくらい前の話なの?」


「ゼレウスさまのいらした八百年前よりさらに昔、マーメイドがまだ文字を扱うより以前の話です。二千年以上前といわれております。この神殿も、八百年前の時点ですでに建てられていたはずですよ?」


「歴史ある場所ということか。魔物を屠る際は壊してしまわぬよう気をつけねば」


「お気になさらなくて結構ですよ? ここより小さいですが、‶御神体〟もすでに新しい神殿へ移していますし」


「‶御神体〟って?」


「海神龍の身体の一部と伝わる、‶海藻みたいなの〟です」


「……ん? なに? なんて? 海藻?」



 なんだそのふんわりした表現は、とフュージアの反応が一瞬遅れた。

 が、ルフゥは変わらず涼しげな表情のまま答える。



「‶海藻みたいなの〟です。見たままの名称でございます」


「……それめちゃめちゃ偽物だったりしない?」


「こーら、失礼だぞフュージア」



 前屈みになったリーシャに柄の部分をデコピンされるフュージアだった。


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