18.幸せなはずの記憶
「あらぁリーシャちゃん、今日も一人でお買い物かい? えらいねぇ~」
「えらくない! もう十五だからな!」
開口一番、店に入るや否やそう言われ思わずリーシャは反抗した。
「血ィくれ! 二人分!」
勘定台に金とバスケットを叩き付けるように置き、そばにあるイスにドカッと腰掛ける。
「あいよ~。はい、お菓子だよリーシャちゃん」
「わぁー」
店主の出した焼き菓子の香ばしい香りに、ムスっとした表情がすぐにほどかれる。
飛びつくように菓子を取ったリーシャは、幸せそうに頬張りながら商品が用意されるのを待った。
今日はクッキーか。
美味しいが、小さな皿に山盛りになるほどの量。紅茶付きなのがありがたい。
茶葉の香りを楽しむのもそこそこにクッキーに舌鼓を打つ。
リーシャが渋々ながらも買い出しに行くのはこれが目当てだからだった。
「今日も早いわねぇ」
「そんなことないぞ! 都会なら昼間っから店が開いてるんだ! 私は昼早くから起きる都会の洒落たヴァンパイア! こーんな長くて野暮ったいスカートなど、本来は穿かないんだ!」
背もたれに身を預けたリーシャが、自身のスカートの裾を摘まんで持ち上げる。
足を組んで得意げに語る彼女が手を離せば、スカートはさらりと脛を撫でるように落ちた。
「美しき昼の街並み! 田舎にいてはいつまで経っても知らないままだ! オババは見たことがあるか? 太陽にまばゆく輝く石畳を! 透明なガラスがふんだんに使われた店が並ぶ、煌びやかな通りを!」
「あるよぉ~、夕方でも見れるからねぇ」
「それ全然違うっ!」
「リーシャちゃんは難しい言葉をいっぱい知ってるねぇ~。ほい、一か月分の血、二人分。重いから気をつけてねぇ」
「暇つぶしが本しかないんだこの村は! にしてもオババの作る菓子は絶品だな! 都会でも売れるぞ! うちのくそばばぁにも見習わせたいくらいだ! 貰っていっていいか?」
「いいよ~、ルージュさんにも持って帰ってあげるなんて、やさしいねぇ~」
「そんなんじゃないし! じゃあな! またな!」
「まいど~」
血とクッキーの入ったバスケットを手に、無遠慮に扉を閉じる。
黄昏時。藍色に染まりゆく村を帰路につく。
農作業に勤しむ村民たち。
手を上げ「おはよう!」と声をかけてくる彼らへ、同じく挨拶を返しながら歩く。
早起きをしているリーシャにとってはもう『こんにちは』の時間なのだが。
「げ……クソガキども」
見覚えのある顔を見つけ、隠れるように近くの店へと逃げ込む。
この村では希少な同年代だが、顔も見たくない奴らだ。
仕方ない、ここで少し時間を潰すとしよう。
そう考えたリーシャは店内に視線を巡らせ、暇潰しになるものを探した。
「お、かっこいいぞこれ」
手に取ったのは、雑多に並べられたアクセサリーのうちの一つ。
ここは村唯一の雑貨屋だ……まぁこの村では唯一のものなど珍しくもないが。
見通しの悪く薄暗い店内は怪しげで、都会の煌びやかな雰囲気はない。
が、街から仕入れたらしい品々の中には、この村では珍しい洒落た物もある。
そのためリーシャもここが嫌いではなかった。
(残ったお金で買っちゃおっかな~っ。お、これもいいな。…………あー、ばばぁに買っていってやるか? ……いや~? くそばばぁだしな)
『星空』をイメージしたであろうブローチを手に取って、しばし考える。
ヴァンパイアの中では定番の、『夜』をモチーフにしたデザイン。
種類が多い分良い品も多く、値段も手頃。自分の選んだ物といっしょに買っても、お金は問題なく足りる。
「私の分はクッキー代だ。だからこれは贅沢じゃないぞ……くっくっく」
クッキーは貰ったリーシャの物。
それをあげるのだから、対価は支払ってもらわなければ。
悪巧みを思いついたように笑いながら、リーシャは店を出た。
よし、同年代の奴らはもうどこかへ消えた。
リーシャは村道を再び歩き出し、村外れの丘へと向かう。
自分用に買った月の意匠のネックレスと、もうひとつの小包。
その両方が入ったバスケットを手に丘の上の一軒家、自分の家へ。
両親が死んで、残る最後の一人。リーシャは最後の家族の待つ自宅の扉を開けて──
そこで目が覚めた。
「ッ!!」
がばりと起き上がり、今の自分がどこにいるのか気がつく。
ベッドの軋む音がやけに大きく響いた気がして、リーシャは思わず隣のベッドを見た。
そこで眠っているエレイナが起きてしまっていないか、確かめるために。
「っ……、っ…………はぁ……」
乱れる呼吸を、小さく息をついて手早く落ち着かせる。
ここが現実なのも、あれが過去の記憶なのもわかっている。
冷静だ。自分は落ち着いている。もう問題はない。
十五年前の、まだ幼かった時分。
両親を失ってはいるもののまだ戦場を知らず、自分が命を懸けて戦うなど思いもよらなかった頃。
今見たのは平和な、幸せな記憶だったはずだ。
「…………っ」
だというのにリーシャはベッドの上で膝を抱え、顔を伏せていた。
震える身体を抑えるために。
誰にも、この震えを知られないように。
◇
「──ってことで、ウミウシの魔物に警戒するようにってさ!」
「ふむ……」
フュージアの話にゼレウスが思案する。
朝、貸別荘のリビングにて。
最後に起きたエレイナを交えて、フュージアの見た夢の情報が皆に共有されていた。
「リーシャ、『ヴェルナ』という名のサキュバスに覚えは?」
「いや、ない」
「そうか……。ネザリーが我を始末しようとしている、か……」
「あのネザリーちゃんがそんなことするなんて思えないけど……。でもヴェルナさんも悪い人だとは思わなかったな……二人とも、嘘をついてるかどうかはまではわからないけどさ」
「水中でマーメイドを相手取るとなると、我も無事ではいられまい。もしネザリーに陥れられれば、大した抵抗もできずに死ぬだろう」
「! そんなに……」
「じゃ、じゃあ行くのやめようよ! ボクやだよ!? ゼレウスが……みんなが死ぬなんて!」
「我も同じ思いだ。……だが行くべきだと考えている」
「……勝算があるということか?」
「いや、何か策があるわけではない。もしそうなら頭を悩ませる必要もなかった。……しかしネザリーを信じようが、そのヴェルナというサキュバスを信じようが、どちらにせよマーメイドの協力は必須。人族と最も近い距離にいる魔族なのだからな。その経験も含め、情報も戦力も、マーメイドは我の欲しいものを多く所持している」
ゼレウスの言葉にエレイナが納得したように頷く。
「結局いつかは関わらないといけない相手だものね……しかも依頼を受けた今、逃げれば信用も失う」
「ゼレウスの名に傷が付けば、他の魔族からも軽んじられるようになる、か……」
リーシャがソファの背もたれに深く身を預ける。
コトリ、とソファの上で音を立てて倒れたフュージアを、エレイナが再び背もたれへと立て掛けさせてあげた。フュージアが礼を呟く。
「我の格ならばまだしも、魔族の協力が得難くなるのは避けたい。それだけ『全種族の支配』が遠ざかるわけだからな。だからこそ行く。……皆はどう考えている?」
ゼレウスが三人へ視線を巡らせると、エレイナが決意を秘めた声色で答えた。
「平和のためなら、あたしも命を懸ける覚悟はある。ゼレウスが行くならあたしも行くわ」
「ボクは結局ゼレウスについていくしかないしなー。剣だし。ひとりじゃ何にもできないしー」
すねたような声色で冗談めかすフュージアに、ゼレウスは小さく笑う。
「それは違うぞ。お前の言葉は我の力となる。我が何かを成した時、その半分はお前の手柄だ」
「ゼレウス……! ……はぁ、ゼレウスってボクのこと好き過ぎない?」
「すごい勢いで調子に乗ってる」
「精神の姿なんて見たらもう虜だよ。ボクやだよ? ボクの操り人形になったゼレウスなんてさ」
「大丈夫? ウザがられて嫌われない?」
「いや、確かに虜になるかもしれんな」
「なるんだ……」
「えー、照れちゃうなぁ。ボク赤面してない? かわいい感じで。絶世の美少女なんだけど」
「……いつもどおり、神聖な感じよ」
「そっか! まぁね!」
「リーシャ、お前はどうだ? どうするべきだと考えている」
この中で現代の魔族に最も詳しいのはリーシャだ。
彼女の意見は欠かせない。ゼレウスたちはそう考えているし、リーシャ自身も自分の判断が重大であることを理解している。
考え込む様子を見せながら、リーシャは慎重に自身の考えを述べた。
「……ネザリー殿の悪い噂は聞いたことがない。だが優秀だとは度々聞いている。ゼレウスの強さを示しさえすれば、始末するよりも利用することを考えるはずだ。常識や定石に囚われずにな。私も……ゼレウスの夢に多くの者が救われるのなら、それに命を懸けるつもりだ」
「……そうか」
ゼレウスが静かに立ち上がる。
「もしネザリーが我に試練を課すなら、それが悪意であろうと乗り越える。だがひとりも欠けることなく、だ。お前たちの懸けた命は、我が必ず護りきる。……背中は預かったぞ」
三人は「はい!」「うんっ」「ああ」と、それぞれ気合を籠めた返事で応えた。
「……ところでさ、リーシャちゃん大丈夫?」
「? なんだフュージア。私に何か変なところがあったか?」
「う~ん、なんか……声色? 雰囲気かな? なんかいつもより元気ないよ?」
「! ……まったく、機微に聡い奴だな」
リーシャは苦笑混じりにそう言うと、テーブルに置いていた帽子を手に取り立ち上がった。
「ちょっと嫌な夢を見ただけ。それだけさ」
「夢? そっか……魔族だから、サキュバスは関係ないよね」
「ああ。たまに見るんだ。まぁ気にしなくていい、慣れてるしな。それより今日の準備を始めよう。話は終わりだな、ゼレウス?」
「ああ。…………」
帽子を被り、ゼレウスのそばを通って部屋を出る。
大きなつばに隠れた彼女の表情は、笑みの浮かんだ口元こそ見えてはいたものの、どこか有無を言わさない雰囲気があった。
これ以上踏み込むなと、言外に語るような。




