15.やめて言わないで!
「紅茶で~すっ」
「ああ、ありがとう」
「あ、ありがとうございます……」
アロエが男と少女にそれぞれカップを差し出す。
簡素な装飾の施された銀のトレイを胸元に抱え、アロエはにっこりと笑みを送った。
館の内部、客間にて。
少女は一人掛けのソファに、デーモンの彼は二人掛けのソファに腰掛け、出された茶の香りを楽しんでいた。
話し合った結果、彼に危険性はないと判断。
どころか危ないところを救われたため、再び縛るなどは言語道断。むしろ歓迎の席を開くことになった。
ただ彼がそれを謹んで辞退したため、『せめてお茶だけでも』となんとか引き留め今に至る。
少女にとってこれは渡りに船だった。
歓待の席は少女に対しても開かれる予定だったが、そんなもの正直言って胃が痛くなるだけだし、彼女たちに気を遣わせたくもない。
かといって断っては角が立つかもしれない。
そこでデーモンの彼だ。
彼の歓迎と自分の歓迎をひとまとめにして、代わりに彼に喋ってもらう。そうすれば自分が喋る必要はなく、大人しく茶でも楽しみながら置物のように鎮座していればいいのだ。
完璧な作戦だ。なんとか勇気を振り絞って提案してよかった。
少女の目論見は今のところ大成功していた。
「さっきの……アオウミウシでしたっけ? あの魔物については私がマーメイドたちに報告しておきますので。よろしいですかリリカーラさま」
「ん……はい、お願いしますっ」
これくらいの会話、作戦の成功の余韻で余裕の帳消しだ。
少女は悠々と紅茶を楽しむ。
「……いい香り。紅茶?」
「おかえりスイ。お、なんか気合入ってない~? 服」
「別に普通だし。茶化すなっ」
客間の扉が開き、着替えを終えたスイが入ってくる。
その後ろには焼き菓子の乗った皿を、ローリエがトレイを抱えるようにして運んできていた。
「お菓子持ってきたよ~」
「ありがとローリエ、お二人にお出しして」
「はーい。どうぞ」
「頂こう」
「ありがとうございます」
サクサクのクッキーだ。
美味しい。それに食べていれば喋らなくても不自然じゃないのが最高だ。
言葉に詰まっても、乾いた喉を言い訳にしてしまってもいい。
まぁいざとなるとその言い訳すら言い淀むのだろうけど。
そんな自虐もすんなり受け入れられるほどの余裕で、少女はクッキーに舌鼓を打った。
「その……改めて謝らせてほしいの」
彼の正面に座ったスイがしおらしい様子で言う。
彼は「そうか」と小さく返事をし、続く言葉を待った。
「えっとまず……あなたの言ったこと、頭ごなしに否定してごめんなさい」
「疑うのが尋問官の仕事。仕方のないことだ」
「え~っと、そもそもあたし尋問官じゃないんだけど……なんかそれもごめん」
「それなら私も……全然言ってること信じてなかったし……ごめんなさい」
スイの隣にローリエを抱いたアロエが座り、彼女に続いて謝罪した。
スイたちのそばに立つミドラもまたそれに続く。
「そうだな……手のひらを返すようでみっともないが、私も謝らせてもらうよ。すまない。それと……こいつらは私の預かりだ。何があろうと、すべての責任は私が取る」
「え、ミドラさん……」
「……きりがないな」
彼はため息交じりにそう呟くと、背もたれに軽く身を預けた。
「すべて許す。吐き出したいことがあるなら続ければいい。例外なく許す。二言はない」
「……!」
「おお~……器でかいな」
ミドラが驚き半分、感心半分にこぼし、アロエが興奮した様子でコクコクと同意を示す。
「え! えっと、それじゃあ軟派とか変態とか、あと不審者とか言っちゃったのもごめんなさい! あと一回頭叩いたのと、頭おかしいって言っちゃったのとかもごめん!」
「気にしてない」
「いや知らない間にめちゃくちゃしてるなスイ……」
「あと…………あの、名前なんだっけ?」
「スイお前……もう最悪だなお前…………もう許してもらうなお前」
「だって嘘だと思ったんだもん! 話半分に聞いてたんだもん!」
「許すぞ我は」
「許しすぎじゃないか!? いやもう本っ当に失礼を働いた。はぁ~~っ…………そういや自己紹介がまだだったな。私はミドラ。もうわかってるかもしれないけど、こっちの黒髪がスイ、白いのがアロエとローリエだ」
「よろしくね~」
三人を代表して、アロエが彼へ『にへら~っ』と笑い掛ける。
「……変わった髪色だな」
「メッシュにしてるんだ~、かわいいっしょ?」
「ああ。…………めっしゅ?」
肯定しつつも、彼は不思議そうに首を傾げていた。
黒いロングストレートの子がスイで、白のサイドテールに水色のメッシュの子がアロエ。白髪のふわりとしたショートカットの小さな子がローリエか。
ミドラはともかく、彼女たちとは初対面だ。
クッキーを頬張りつつ、少女は頭の中で情報を整理した。
「ゼレウス・フェルファングだ。ゼレウスでいい」
「わかった。……それで、ゼレウス殿は一体何者なんだ?」
(ん……?)
クッキーを持つ手が止まる。
なんだかどこかで聞いたことがある名前のような……。
なぜか本能的に湧き上がる嫌な予感に、少女は記憶の中を探った。
えーと、たしか今いちばん会いたくない相手がいて──
「‶虚脱の聖剣タイダリス〟によって封じられていたが、八百年の時を超えて蘇ったかつての魔王。‶旧魔王〟ゼレウス・フェルファングの名に聞き覚えはないか? それが我だ」
「…………」
「ね? ねっ? あたしの気持ちわかったでしょミドラさん!! ずっとこんな調子だから一回叩いちゃったの! 今は信じようかなって思うけど、信じられないのも無理ないですよね!?」
「い、いや~? しん、信じるさ……」
「絶対半信半疑!!」
「そのとおりだ、信じられんのも無理はない。だからこそネザリーに確認を取るよう言ったのだ。もし他に‶旧魔王〟を名乗るものがいたとしても、我でさえすぐには信じられんだろうからな」
旧魔王、旧魔王……。
旧魔王ゼレウス・フェルファング……?
「──ごふッ!!?」
「!? リリカーラさま、どうなさいましたか!?」
「水、水! アロエコップ出して! ローリエ水!」
「けほっ……けほっ……!」
喉に詰まらせそうになったクッキーをなんとか嚥下し、咳き込む。
ロントリーネ侵攻作戦にて突如現れ、戦況をたった一人で左右した存在。
‶全種族の支配〟を掲げる狂人であり、三人の魔王相手に互角以上に戦った圧倒的強者。
それが今、目の前にいる……?
(なんで!? 聖剣が刺さってるんじゃなかったっけ!?)
そんな目立つ存在なら、出会う前に遠ざかることも簡単だったはずなのに……そのつもりだったのに!
「む、大丈夫か? リリカーラといったか。残りの菓子はすべてお前が食べていいから、落ち着いて食べるといい。馳走になったな、美味かったぞ」
「美味しいでしょ! アロエが焼いたの! 女子力最強なんだからアロエ! てかそれより、いくらあたしの命の恩人といってもリリカーラさまを『お前』呼ばわりするのは見過ごせないわよ?」
「そうか、すまない。改めよう。……思えばまだ聞いてなかったな。リリカーラは何者なのだ」
「む、呼び捨て……まぁいいわ。でもそっか、ホントに‶旧魔王〟なら知らないわよね。リリカーラさまはね──?」
──やめて言わないで!
いったん秘密にしといて!? こっちの知らないうちに、『あ、そうなんだ、意外~』くらいのテンションで受け取ってほしいから!
ちょ、咳き込んで声が出せない!
喋れない少女の代わりに、なぜか得意げに胸を張るスイが善意で紹介した。
「このお方はサキュバスの魔王その人! 第三魔王‶黒廻王〟ミネシア・リリカーラさまよ! 齢十六にして魔法で並ぶ者なしと謳われるほどの、超天才なんだから!」
思えば……今までが幸運過ぎたのだ。
どういう因果か、ここまでお互い名前も正体も知らずにいられた。
ああ、そのままで居られれば心の平穏は保たれただろうに。
相手は魔王三人相手に怯むどころか勝利した存在。
全種族の支配を目論む‶旧魔王〟にとって、現代の魔王は邪魔者なのではないだろうか。
もしそうなら──
(私も殴られる! 死んじゃうぅ!)
涙目になっているのは咳き込んだからだけではない。
あのウミウシのように、ぐしゃりとトマトのように潰れた自分の未来が見えた気がした。
「リリカーラさまどうぞ」
「けほ、けほ…………んぐ……はぁっ……あ、ありがとうございます……っ」
いや待てよ?
アロエに手渡された水を飲んで、多少落ち着きを取り戻せた。
彼は‶いい人〟だ。さっき自分でそう感じたはず。伝え聞いたことよりも実際にこの目で見たことを信じるべきだ。
勇気を出して、ミネシアはちらりと彼の様子を伺う。
「ほう……‶黒廻王〟……超天才か……」
あダメだ、やっぱ怖いや。
彼はなんというか、獲物を見つけた獣のような笑みを浮かべていた。
「まだ年若いというのに、立派なものだな」
「そうでしょ! 最強の魔法使いなのに、あたしとひとつしか変わらないの。あと一年で同じようになれるなんて、夢にも思わないわ」
「いや、リリカーラだけではなく、お前たちもだ。ここにいる誰もが他者を想って動くことのできる人物だと、我のこの目でしかと確かめた。尊いことだ。お前たちは必ず大成する」
「え……え~、そう? そうかなぁ~? えへへ。ありがと」
ゼレウスの言葉に、スイたち三人が照れくさそうな笑みを浮かべる。
「お前たちが我が民となる時が楽しみだ」
「…………怖!」
笑みを失ったスイの言葉に、ミネシアは心底同意した。
「……さて、我はそろそろ帰らせてもらうぞ。明日の準備があるのでな」
「ああ、送るよ」
「その必要はない」
「いや、今日は本当に助けられたし、無礼もしてしまった。見送りだけでも」
「……そうか、ではゆこう」
「三人とも、少しの間リリカーラさまを頼んだよ」
スイたちの返事を背にミドラとゼレウスが部屋を出る……と思いきや彼は立ち止まり、肩越しにこちらへ声をかけた。
「……また会おう、‶黒廻王〟よ」
(ぴぇッ!!)
言い残し、扉がばたりと閉まる。
その言葉に秘められた、また会うことを確信している……いや、必ず実現させるという意思に、その溢れる自信と強者の余裕に、ミネシアの背筋を冷や汗が流れた。
「……やっぱ変な奴じゃん」
「でも面白かった」
「そうだね、ローリエ」
(あ、嵐だ……)
まさしく嵐のように過ぎ去っていった。
彼女たちに説明するべきだろうか。あの人物が……。
いや、そもそもあの人は危険人物? それともいい人?
わからないし、知らない同年代と話すのも怖い。
ミドラが戻ってきたら自分も帰らせてもらおう。
ミネシアはクッキーに手を伸ばした。
この中でたった一人、心底疲れきってしまっている自分を癒すために。




