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旧魔王に聖なる封印を!  作者: モタモタ猿
第二章 冷たさにゆらめいて
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14.デーモンのくせに


「なんだこいつは……っ!」



 館の外に出た瞬間、ミドラの吐き捨てるような呟きが少女のもとへ届く。

 彼女は腰に佩いた剣に手を添えながら、姿勢を低く駆け出していた。

 向かう先には、巨大なナメクジのような魔物。



(アオウミウシ……?)



 少女はその姿を、マーメイドが経営する水族館で見たことがあった。

 もちろんあれほど……人を飲み込めそうなほどの大きさではなく、手のひらに乗る程度の大きさのものを。


 海底にいてもなお目立つ青い身体に、黄色の縁取り。

 オレンジ色の一対の触覚と、身体の後部に白と(だいだい)の花のような器官が一輪生えている。

 背中に並ぶ黄色の斑点は、通常のサイズなら可愛らしく感じただろうが、この巨大さでは不気味にしか感じなかった。


 だが今はそんなことはどうでもいい。

 重要なのは、あの巨大なウミウシの魔物に捕らえられている者がいるということだ。



「スイ! もうちょっとだけ耐えてて! ローリエ、絶対私の後ろから出ないでね!」


「うん、お姉ちゃん!」



 両手に短剣を持ったアロエが、ウミウシと対峙しながら叫ぶ。

 彼女のすぐ後ろでは幼いサキュバスが小ぶりの杖を構えている。

 杖は魔術式構築の補助をしてくれるものだ。通常では必要ない。

 つまりあの幼いサキュバス、ローリエはまだ未熟な魔法使いということ。

 魔物との命を懸けた戦いなど、させるべきではないほどの。



「はぁあッ!!」



 ミドラが抜刀し、風のようにウミウシのそばを駆け抜ける。

 居合のように振り抜かれた剣は、魔物の側面に一文字の大きな傷を残した……のだが。



「! 再生能力があるのか!?」



 瞬く間に傷口が塞がっていく。

 舌打ちしつつ、ミドラはウミウシの後方から声を荒げた。



「ローリエ下がれ! アロエもだ!」


「イヤです!」


「ミドラさん! スイちゃんの‶風の泡葉(バブル・リーフ)〟がっ!」


「? ……まさか!」



 驚嘆とともにミドラがアロエたちのもとへと駆ける。

 攻撃を急いだ今の彼女の位置からは、まだ見えないのだろう。

 だがウミウシの正面にいる少女はそれを確認することができた。

 そして理解した瞬間、少女もまた駆け出していた。


 ウミウシの身体から伸びた触手に捕らえられた、年若いサキュバス──スイの腰につけられた魔道具。

 空気を供給する、海底の命綱とでも呼ぶべきその魔道具が。

 砕かれ、その機能を失っているのだから。



「…………! ……ッッ!」



 苦しげに顔を歪め、懸命に口を抑える彼女は今、まったく呼吸ができていない。


 スイを捕らえているものと同じ触手が、ウミウシの背中の黄色い斑点から新たに伸びる。

 やはり魔物、通常のウミウシではありえない光景だ。

 のろのろとした本体と比べると意外なほどに触手は素早く、鋭くミドラたちに襲い掛かる。



「!? ……っ」



 回避には成功したが、一瞬前に自分がいた地面に触手が突き立つのを見て、ミドラの背中に冷や汗が噴き出た。

 鋭利に尖った触手の先端はアロエとローリエにも迫っている。

 が、彼女たちは予想外の攻撃に身を固くしてしまっているようだった。


 ……間に合わない。

 剣で斬り落とすのを諦めて、この身を彼女らの盾にしなければ。

 そう判断した時、ミドラはほんの一瞬の逡巡もなく剣を捨て、さらに加速した。

 武器なら彼女たちを護ったあと、アロエの短剣を借りればいいと。

 もちろんそれは触手に貫かれたあと、命が残っていればの話なのだが。

 だがその覚悟は意外な形で裏切られる。



「…………?」


「み、ミドラさん、これって……?」



 アロエの不思議そうな声に気がつく。

 黒い……壁のようなもの。

 アロエの前に身を晒し、来たる攻撃に備えていたミドラの視界いっぱいにそれは広がっていた。


 壁越しに聞こえてくる硬質な音。

 それがあの鋭利な触手を弾いた音なのだと理解できた時、ふわりと壁が取り払われた。

 強靭さと柔らかさを兼ね備えたこれが翼なのだと、小さくなっていく壁の根元を見なければ気づけなかっただろう。



「あ、あの人……」



 翼の根元、振り返った先には、あの捕らえていたはずのデーモンが立っていた。

 ローリエが呆然と呟くなか、ゆっくりと落ちていく触手の切れ端にミドラはふと気がつく。

 鋭利な切り口の断面。おそらく風魔法だ。



「リリカーラさま……っ!?」



 もしかしたら、あの翼の盾がなくとも触手は届かなかったのかもしれない。

 デーモンのそばに立ち、こちらに手をかざす黒いローブの少女の姿を見つけたミドラはそう感じた。



(翼、あんなに大きくできるんだ……)



 隣にいるデーモンをちらりと見ながら、少女は感心する。

 その速度も強度もさることながら、特異な力を持ったデーモンだと。

 翼や角はデーモンの力の象徴。

 あれほど研ぎ澄まされた能力を持っている彼は、いったいどれほどの強者なのだろうか。



「奴の身体からあのサキュバスを切り離せるか」


「あ、はいっ!」


「頼んだ」



 言い残し、彼は駆け出す。

 今はその疑問も切り離しておこう。一刻も早くあの子を助けなければならないから。


 目を伏せがちに、息を細く吐き出す。

 集中。敵を視認し、攻撃するべき箇所を検討。


 スイという名のサキュバスは四肢を触手に絡め取られ、ウミウシの側面、その表皮に包まれ呑み込まれようとしている。

 左腕と左足の半分程度と腰のあたりがウミウシに埋没してしまっており、どこまで切り離していいか判断が難しい。

 だけど、少女には絶対の自信があった。

 人と話すのは人並外れて不得手だが、魔法の操作なら誰にも負けない。その自負が。


 少女のかざした手のひらの先、ウミウシの上方で巨大な風の刃が展開。

 扇状の不可視の刃が、水の中でその姿を浮かび上がらせる。



(……あとは頼みました、デーモンさん)



 ギロチンのように、だが音も立てずに落ちた刃がウミウシの身体を両断した。

 スイが解放され、遅れて炸裂させた風が切り離されたウミウシの身体ごと、彼女をこちら側へと押し込む。


 と同時に、デーモンの彼がウミウシの上方へ浮かびあがっていた。

 ウミウシの身体の再生が始まっている。

 風の魔法で切り離した身体は全体の三割程度だったが、狙いどおりウミウシは切り離されたほうの身体を放棄してくれた。

 あとは残る本体を倒すだけ。

 瞬く間に再生していくウミウシの本体を眼下に、彼が右腕を引き絞った。


 デーモンなのに魔法を使わないのか。

 ふと浮かんだそんな疑問はすぐに解消される。



「!!」



 ズドン! と鈍く重たい衝撃がウミウシの魔物を貫く。

 水中だということを忘れるほどに大きな音、腹の底まで響くような衝撃。

 大地に叩きつけられたウミウシの身体が海底に大きな波紋を生み、離れた場所にいる少女のローブすらはためかせた。

 どうやら魔法を使わなかったのは、その必要がなかったかららしい。

 彼の拳はウミウシの魔物をたった一撃で叩き潰し、その身をトマトのように弾けさせていた。



「脆くて助かった。加減しなければ風の魔法が弾けかねん」


「あ、あれで加減してたのか……」



 ミドラが呆然と呟く。

 冷や汗をかいている彼を見れば、その言葉がはったりや冗談ではないとわかった。



「スイちゃんっ!」


「大丈夫っ!?」



 ミドラのそばから離れたアロエとローリエが、スイに飛びつくように抱き着く。

 三人の身体が触れ合った瞬間‶風の泡葉(バブル・リーフ)〟の範囲が広がり、スイに空気が供給された。



「ッ……だはぁーっ! はぁっ! はぁ~っ……~~~っ、ああ~っ! 死ぬかと思ったぁ! 空気おいしいよぉ~~~っ!」



 アロエたちをひしと抱き返し、涙目で喜ぶスイ。

 呼吸を激しく乱してはいるのものの、特に目立った怪我もなく元気そうだ。

 なんの後遺症もなく迅速に救助できたのは、間違いなく彼のおかげだろう。

 少女がその立役者を見やると、彼は魔物のそばを離れてこちらへ歩いてくるところだった。

 目が合うのはやっぱり怖いので、ささっと視線を落とす。



(でも……いい人だったな……)



 ぞんざいな扱いをしていたのに助けてくれるなんて。

 もう彼を拘束する必要はないのかもしれない。

 他のサキュバスたちも同じ結論に至ったようで、険のない声色で彼に話しかけた。



「やー、助かったよホント。あなたが‶海闢王〟さまと友人かどうかなんて確認する気すらなくなった。これだけの実力者を要人がほっとくわけないしね」


「おにーさんすっごく強いんだね! ね、お姉ちゃん!」


「ね! 助けてくれてありがとうございます! リリカーラさまも、ありがとうございまた! ほらスイもお礼っ!」


「う、うん……リリカーラさま、お助けくださり本当にありがとうございます。……それと……」



 アロエ、ローリエと手を繋いだままのスイが、デーモンの彼に横から歩み寄り声をかける。



「あの、ありがとうございました。それと……ごめんなさい。あたしあなたのこと悪く言って──」


「構わん」



 短い返答がスイの言葉を遮る。

 彼なら言葉どおり気にしないだろうとなんとなく思うものの、スイのほうを一瞥もしないのはやはり思うところがあるからだろうか。

 どうフォローするべきか。

 少女は言葉に迷ったが、考えているうちにスイが懸命に言葉を重ねた。



「あ、あなたのことあんな風に扱ったのに助けてくれて、本当に感謝してます! 許してくれなくてもいいから、それだけはわかって」


「気にしていないと言っているだろう。それより早く館に戻って着替えろ。身体を冷やすぞ」


「え…………あ、うん……」



 虚を突かれ、呆けた様子でスイがこくりと頷く。



「スイちゃんびしょびしょ」


「あ、ごめん。二人も濡らしちゃった」


「そんなの気にすんなって~。ん? あ……てかスイ……透けてる」


「え? ──っ!」



 自らの胸元をクイクイと指さすアロエに、スイもまた自分の胸元を確認した。

 海水に濡れ、淡い水色の下着が透けてしまっている。

 気づいた瞬間スイは胸元を勢いよく隠し、デーモンの彼のほうを見た。


 館の入り口へ向かう彼はこちらを一瞥ともしない。

 最初から、ずっと。

 もしかしたら彼は、水に濡れて浮きあがった身体を見てしまわないよう、目を逸らし続けていてくれたのではないだろうか。

 スイと同じタイミング、いち早くそれに気づいたアロエが問いかける。



「もしかして~、スイのかわいい下着見ないように目逸らしてたんですか、おにーさんっ?」


「ちょ、か、かわいいって……やめろバカ!」



 ニマ~と笑うアロエが、頬を赤くしたスイにポカリと殴られる。



「さぁな」



 泰然とした声を残し、館に戻る彼。

 ほとんど動いていない表情に、なんとなくちょっと困ったような雰囲気。

 館の入り口のそばにいたために、少女だけに見えたその表情。

 人の好さの滲むその表情に、少女は思わず小さな笑みを浮かべた。



「デーモンのくせに紳士じゃん……」



 ぽつりと呟くスイの言葉に、彼はどんな表情をしたのだろうか。

 すでに隣を通り過ぎていったために見えなかったその表情を、少女はちょっとだけ見てみたかったと思った。


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