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旧魔王に聖なる封印を!  作者: モタモタ猿
第二章 冷たさにゆらめいて
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11.勇気と進歩の御名


 ‶恐怖〟とは、人の根底に存在する生存本能である。

 人々が暗闇を恐れるのは、魔法の灯が存在していなかった時代、夜の闇の中に身を置くことが自殺行為に等しかったからだ。

 闇を恐れることで人々は生き残ってきた。

 証拠に、暗視能力を持ち闇の中を生きてきたヴァンパイアは暗所を恐れない。


 人の意志とは弱いものだ。

 これは例えばの話だが……『追い詰められれば人の本性が現れる』と、そう考える者は多いのではないだろうか。

 だがゼレウスの考えは逆だ。


 生きとし生けるものは残酷であり、怠惰であり、臆病である。

 確かに、追い詰められて現れるそれらの負の情動を本性と呼ぶこともあるだろう。

 しかし薄汚さを持たない者など存在しない。

 であれば、誰もが持つその薄汚さを本性と呼ぶのは、それこそ残酷ではないだろうか。


 ゼレウスにとって、それらを抑え込む心の力こそが‶意思〟であり‶本性〟だ。

 心持つ者たちだけが慈悲を、勤勉さを、勇気を持つことができる。

 追い詰められて現れる情動は、所詮追い詰められたからこそ見えるものでしかない。


 薄汚さを抑え込む意思の力こそが人の本質なのだ。

 それは誰もが持てるものではなく、たとえ得られたとしても脆く弱々しい力。

 だからこそゼレウスは尊ぶ。

 強い意志を持つ者を。優れた能力を持った者を。


 しかしたとえ強い意志を持っていたとしても、根底に存在するこの本能を……‶恐怖〟を抑え込むことは難しい。

 いや、抑え込むことは間違っているとすら言えるだろう。

 なぜなら、恐れることこそが人の生存本能なのだから。



「……うん、つまりゼレウスは何が言いたいのかな?」


「えぇと……人の中には必ず弱い部分があって……それを抑えることが大切、ってこと?」


「いや海に入るのをビビってるだけだろ」



 腰に手を当てたリーシャが呆れたように指摘する。

 ゼレウスたちは現在、シシュルトレーゼのもう一つの街、マーメイドたちの住まう‶海底都市〟へと続く階段の上にいた。

 陸から海を裂くように海上を伸びる白い廊下を抜ければ、同じく純白の小さな神殿のような外観の施設があり、海底都市への階段はその中に設置されている。


 ゼレウスはその階段の前で立ち止まるや否や、先程の話を三人に語り始めたのだ。

 階段は途中から海水に浸かっており、ちゃぷちゃぷと小さな波を立てている。



「恐れることは悪ではない。我がここで多少尻込みしてしまったとしても、それは悪いことではないのだ」


「あ本当に怖がってるだけなんだ? あたし普通に感心しちゃったんだけど」


「それもっとカッコいい場面で言ってよ~、今の一連の話~。もったいないよ~」


「ダサいぞゼレウス!」



 非難轟轟。

 しかしゼレウスは言い返すことなく、泰然とした態度を崩さなかった。

 これこそ魔王の器。強き意思の力である。

 ……返す言葉がないだけかもしれないが。



「まったく、仕方のない奴だな。ここは私が一肌脱ぐとしよう。年上のお姉さんとしてな!」



 言うや否やリーシャはゼレウスの手をパシッと軽快に取り、そのまま階段へ向かう。

 彼女は一足先に階段を数歩降りると、ひと息溜めてから水の中へ足先を差し込んだ。

 今日は水着ではなく普段着のままだが、風を身に纏う魔道具‶風の泡葉(バブル・リーフ)〟を使っているため濡れる心配はない。



「ほら、私の手を握っていれば心強いことこの上ないだろう? ……おっと。エレイナ、お前も来い。いっしょにゼレウスの手を握ってやれ」


「えっ、え、あたしも?」



 ニヤニヤとした笑みで、リーシャがエレイナを手招きする。

 いたずらを思いついた子どものようなその表情を見れば、彼女がこちらをからかおうとしているのがエレイナにはわかった。


 今朝の夢騒動。

 エレイナの夢の中にゼレウスが現れたことが思い返される。

 もしかして、手を繋ぐ機会を作ったのは気遣いか。

 ……たぶんからかい半分、気遣い半分なのだろう。



「……いい? ゼレウス」



 照れくささを上目遣いに秘めながら、エレイナはゼレウスに問いかける。

 まぁ恋愛的な意味を除いても、リーシャとゼレウスだけが手を繋ぎ自分がその輪の中にいないのはどこか寂しさがある。

 ということで、エレイナはリーシャの思惑を大人しく受け入れることにした。



「……そうだな、確かに心強い。もし我が気絶してしまったなら……あとは頼んだぞ」



 二人に視線を送りながら、ゼレウスは硬い表情でエレイナの手を取った。

 骨ばった大きな手の硬さと、不思議な安心感。

 頬をわずかに染め、顔を俯かせるエレイナにゼレウスはまったく気づかなかった。



「ゼレウス、こういうのには緊張しないんだね」


「? どういう意味だ?」


「別にー」



 ゼレウスの疑問をさらりと流すフュージア。

 女性の身体に触れるのはあれだけ意識していたのに、手を握るのは気にしないのか。

 八百年来の付き合いであるフュージアでも、そのあたりの細かい判断基準はわからない。

 揺れる水面を前にした彼の真剣な表情を見る限り、もしかしたら今はそんなことを考える余裕がないだけなのかもしれないが。



「では……ゆくぞ」



 両手をエレイナとリーシャに引かれ、ゼレウスはゆっくりと階段へ足を踏み出す。

 途中から水に浸かるそれを下れば、ちゃぷちゃぷと波立つ水面を足首に感じた。

 やがてその感覚は(すね)、膝を超え、腰へと至る。



「ぬおぉ……問題ない」


「まだなんにも聞いてないよ」



 笑みを含んだフュージアの声。

 少しだけ強くなる手を包む感覚を、エレイナは同じくらいきゅっと握り返した。



「ゼレウス、ここまで来たらあと少しだ。いっそ飛び込んでみないか?」


「え、リーシャ、それは──」


「……いいだろう」



 引き留めるエレイナを制し、ゼレウスは静かにそう返す。

 その瞳に宿る彼の決意に、リーシャはニヤリと笑った。



「水は魔道具が防いでくれる。私の帽子も、昨日は被りっぱなしだったがほんの少しも濡れていなかった。潮の匂いすら残っていなかったほどだ。だから大丈夫さ。──じゃあ行くぞ?」



 目を合わせ、ゆっくりと頷きを返すゼレウス。

 二人はエレイナにも視線を送って、潜るタイミングを合わせた。

 必要はないのに思わず大きく息を吸い込んでしまったのは、陸に生きる者の(さが)か。

 引かれる手に任せ、ゼレウスは階段の先へと身を投げ出した。


 ざぶんっと柔らかな衝撃ののち、浮遊感。

 纏う風越しに感じる、全身を包み込む冷たい水の温度。

 思わず目を瞑ってしまっていた自分に気づいたゼレウスは、内心苦笑しながら目を開いた。


 ……どうやら気を失わずに済んだらしい。

 その理由が首に下げた風の魔道具のおかげなのか、両手に感じる彼女たちの体温のおかげなのか、あるいはその両方なのかはわからないが。


 浮かぶ足先の向こうにはまだ階段が続いているが、視界を取り囲んでいた壁はもうない。

 広がる海底の世界。

 階段の下からは海底都市への道が続いており、その先には白い街並みが見えた。


 とその時、髪の長いマーメイドが一人、水中に浮かぶゼレウスたちのもとへと泳いでくる。



「無事潜水なされたようでなによりです」



 そう言って両手を身体の前で合わせる彼女は、ネザリーから遣わされた案内人である。

 さっきまでいた地上の施設、彼女とはその入口で落ち合い、長い廊下を歩きながら自己紹介などを済ませた。

 彼女の名は『ルフゥ』といって、ネザリーの側近の一人とのことだ。

 先んじて海中に潜り、ゼレウスの長話が聞こえてもなお粛々と待っていたあたり我慢強い性格らしい。



「遠くに見えますのが‶海闢王〟さまの住まう海底宮殿でございます。ここからはわたくしが先導いたします……それでは参りましょう」


「はーい」



 深い藍色の髪の彼女へフュージアが応える。

 彼女が手のひらで示した丸い屋根の宮殿が海中に納まる程度に水深は深い。

 魔道具のおかげで地上と同じように海底を歩けるうえ、髪や服が水の流れに逆立ったりもしない。

 浮かんでいることを除けば、地上とほとんど変わらない感覚である。


 だからこそゼレウスは早く海底に足を着けるべきだろう。

 気休めかもしれないが、そうすれば水中にいることへの恐怖心を少しでも和らげることができるのだから。

 が、ゼレウスはルフゥの言葉に何も返さず、浮かんだまま動こうとしなかった。



「……どしたのゼレウス?」



 地上と同じように白く、しかし海の蒼さに薄らと染まる街並み。

 陽光が揺らめく水面を通り、透明な光を街へ不規則に落としている。

 まるで雲間から降り注ぐ光芒(こうぼう)のように。



「なんと…………なんと神秘的な街だ……」



 気づけばゼレウスはそう声を漏らしていた。

 ゼレウスの知っている地上とはまた異なる世界がここにはある。


 ゆらめき、うつろう光のカーテン。だが地上から見た雲はこれほど早くは動かない。

 照らされる家々は、まるでスポットライトを浴びているかのよう。だが地上の世界は、たとえ夜であってもここまで蒼くはない。


 ゼレウスは答えなかったわけではない。あまりの感動にしばし言葉を失っていたのだ。

 リーシャたちの握るゼレウスの手が、力が抜けるように離される。



「お褒めに預かり光栄でございます。この街はマーメイドの軌跡そのもの。‶海闢王〟さまもお喜びになられるでしょう。ネザリーさまだけでなく、歴代の‶海闢王〟さまも……と、今は無粋なお話でしたね」



 今まで丁寧だが事務的な態度を崩さなかったルフゥが口元を抑え、くすりと茶目っけのある笑みを浮かべた。

 あまりに感動した様子のゼレウスに、思わずといった様子で。

 ゼレウスも苦笑いを含めながら、彼女に小さく笑みを返した。



「いや、知りたい。詳しく聞かせてくれるか?」


「承知いたしました」


「歴代って……そういえばネザリーちゃんが言ってたね。‶海闢王〟の名前は代々受け継がれてるって」


「はい。かつて初代‶海闢王〟は海を飛び出し、かの‶竜王〟を他の魔族と協力し打ち倒すことでその力を示しました」



 そう切り出しながら翻るルフゥを先導に、ゼレウスたちは階段を下り始める。



「‶竜王〟……ザナドか」


「ええ。……そういえば、かの王はゼレウスさまの旧友なのでしたね。申し訳ありません、気分を害するようなことを……」


「気にしていない。それより続きを」



 すぐに振り返り頭を下げるルフゥを、片手を上げて制す。

 彼女は「承知いたしました」と返すと、再び水中を進み始めた。

 階段を下りきり、一同は街道へ。



「……‶海闢〟とは、海を切り開く力。しかしそれはあくまで手段でしかありません。肝要なのは『内』ではなく『外』へ向かうこと」


「『外』? 海の外ってこと?」


「……今となっては少し異なります。『外へ向かう』とは、未知なる海を切り開き、新たな道を見つけること。初代‶海闢王〟は海の外で事を成した最初のマーメイド。以降、マーメイドの価値観は変化を尊ぶものへと変わりました。ですがそれは海の外での変化に限らず、我々の住まう地……つまりこの広大な海の中での変化も含むのです」


「ふぅん……変化を尊ぶって、ゼレウスと同じだね?」


「ああ。変化とは進歩の証。どんな変化だとしても、それはさらなる改革の礎となる。……そうなるように進むのが、人々の向かうべき道だ」


「まさにおっしゃるとおり。‶海闢王〟の名は、新たなる道へと向かうマーメイドの、勇気と進歩を称える御名(みな)なのです」


「なるほどな……幅広い見識と知識を持つネザリーは、まさにその体現者というわけか。それと……強い好奇心もだな」


「まさしく。……流石は‶旧魔王〟さまですね。本質を見抜く心眼をお持ちになられています。好奇心こそがネザリーさまの知識の礎。ネザリーさまこそ、この時代の‶海闢王〟に最も相応しいお方……戦っても強いですしね」


「へー、やっぱそうなんだ? 海割れるくらいの魔法使いだもんね。それくらいのほうが『魔王!』って感じするよね!」


「ふふ、そうですねフュージアさま。……どうやらゼレウスさまは、わたくしたちマーメイドの理念を理解しておられるご様子。お見事です」


「言葉で言うだけなら簡単なこと。我は実現できなかった」


「ご謙遜を。あなたの名はマーメイドに最も深く関わった旧魔王として残っておりますよ」


「む……」


「なに、ではマーメイドたちの間ではゼレウスは有名人なのか?」


「有名というほどでは……どちらかというと‶竜王〟ザナドのほうがよく覚えられていますね」


「出たそのパターン。ゼレウス、知名度あったら今頃崇め奉られてるかもなのにね~」


「まぁあっちは悪名含めての知名度だから……」



 苦笑しながらエレイナがそうフォローする。

 話をしているうちに、一同は海底都市へと足を踏み入れていた。

 正面に宮殿を見据え、大通りを進む。



「興味深い話だった。礼を言うぞルフゥよ」


「恐悦至極に存じます」


「……と、我としたことが大事なことを忘れていたな。……リーシャ、エレイナよ」



 二人の名を呼んで立ち止まると、隣を歩いていた彼女らも遅れて立ち止まり、不思議そうな顔で振り返る。



「お前たちがいなければ、我はこの神秘の街を知らずにいたかもしれぬ。これこそまさしく革新へと至る変化よ。少なくとも、我にとってはな。……ありがとう、二人とも」



 ゼレウスがそう言っていつもどおり泰然とした笑みを向ければ、リーシャは「まぁな!」と得意げな表情を返し、エレイナは顔をほころばせた。



「よかった。この魔道具はあたしも初めて使うけど、結構信頼できそうね」


「まぁ魔法を展開したまま戦闘も可能らしいからな。防御性能がない代わりに攻撃を受けても弾けない。……いやでもゼレウスほどの速度で動くと弾けるか?」


「なに?」


「ゼレウス怖いのよく我慢した! 頑張った! すごいぞゼレウスー!」


「ああうむ、ありがとうフュージア。しかし待て。リーシャ、この魔道具の安全性は確かなものだと聞いたが?」


「いやぁ、ゼレウスの速度についていく魔法を自動制御するのは流石に無理があるだろー。とはいえもし弾けてもマーメイドの誰かが助けてくれるさ。ここは治安もいいしな。海底でマーメイドに逆らう奴はいないし、種族問わず悪いことはできないだろう。戦う機会なんてこないさ」


「そのとおりです。海底都市でそのような事故死は起こりえません」


「……そう、か」


「あは、もっかい手握ってもらったら、ゼレウス?」


「いいぞ! リーシャお姉さんの手を取るがいい! ほれェ!」


「……(つつし)んで遠慮させてもらおう」



 腕を組んで拒絶の意志を示すゼレウスに、エレイナとルフゥはくすりと笑った。


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