6.‶海闢王〟と‶魔女の泡沫〟
「我を知っているのか?」
「もちろん! 少なくとも八大魔王の中では有名人ですよ! これからは民衆にもその名が知られていくことでしょう! 視覚的にもわかりやすい特徴がありますしね!」
そう言って彼女はゼレウスだけでなく、その胸元のフュージアへも微笑みを向ける。
鱗を纏った下半身と、足の代わりに魚のような尾ヒレ。
上半身は人間に似ているが耳だけは異なり、これまたヒレのようなものがエルフの耳のように伸びている。
ゼレウスの知る八百年前のマーメイドと変わらない姿だ。
……その身体を預かるごつい機械さえなければ、だが。
「歩行式‶噪天の爪〟……‶魔女の泡沫〟といったか?」
「! 興味がおありですか、フェルファングさん!」
「ゼレウスで構わん」
‶魔女の泡沫〟から身を乗り出すネザリーを、ゼレウスが手を上げて制する。
「ではゼレウスさん! もし聞きたいことがありましたらなんでもお教えしますよ! ‶魔女の泡沫〟の企画発案は私ですし、開発にも深く関わっていますから!」
「落ち着きなさいネザリー、悪い癖が出てるわよ」
「はっ! すみません、つい興奮してしまって……」
水色の髪の彼女。
垂れ気味の目で柔らかな雰囲気の顔立ちを、外ハネした肩に触る程度の髪がどこか爽やかで活発に見せている。
「いや、我もこの時代の知見を深めているところ。ぜひとも詳しく話してくれ、ネザリー・リッツァクアよ」
「! ほんとですか!? わかりましたっ!」
前言撤回。
ゼレウスの言葉にぱぁあっと花開く彼女の表情を見れば、髪型など関係なく溌剌に見えたことだろう。
「なんだこれー!?」
その時、キュッ、キュッと高い足音とともにリーシャたちが戻ってきた。
聞き比べてみれば先程の‶魔女の泡沫〟とリーシャたちの足音の差は歴然である。
リーシャがネザリーの乗る‶魔女の泡沫〟へ駆け寄り、機体をぺたぺたと叩く。
機体表面を触って「あっつ!」と身を引くリーシャへ心配の声を掛けながらも、ネザリーの声色はヒートアップし始めた。
「あの、もしかしてあなたも興味がおありですか!? これは‶魔女の泡沫〟といって‶噪天の爪〟から着想を得て私が企画・開発したものですのでなにか疑問がありましたらなんでもお答えできます! マーメイドは魔法を使わなければ地上での活動が不可能ですが、これが皆に行き渡るほど量産できるようになれば──」
「あ、圧がすごい!」
リーシャの目が、存在しない風圧に圧されるかのように細められる。
「今はまだ開発途中で私の乗っているこれも試作品の一つでしかありませんが、リザードマンの職人さんたちと協力して計画をどんどん進めているところで──」
「ネザリー」
「はっ! すみません!」
リーシャがネザリーの言葉の乱打に晒されるなか、一緒に駆け寄ってきていたエレイナはゼレウスのそばへと歩み寄っていた。
「ゼレウス、体調はどう?」
「ああ、もう大丈夫だ。心配かけたな」
「ううん、よかった……あの人は?」
「‶海闢王〟ネザリー・リッツァクアちゃんだよ! マーメイドの魔王なんだって!」
「! 魔王……」
「なに、ネザリー・リッツァクアだと!? あの‶深淵の秘宝〟ネザリー・リッツァクアか!」
リーシャがフュージアの言葉に振り返り、驚愕の声を上げる。
「‶深淵の秘宝〟?」
「ほう、‶深淵の秘宝〟か……」
「なにそのかっこいいの! どういう意味なの‶深淵の秘宝〟って!」
「わぁー連呼しないでください! 深海出身ってだけですよ! 秘宝だなんてお恥ずかしい!」
ゼレウスたちが復唱すれば、ネザリーが頬に手をやって悶えた。
「かわいー」
「騙されるなフュージア! 奴は危険だぞ……!」
隙を突いてネザリーから逃れ、リーシャがゼレウスの懐、フュージアのもとへ。
声を潜める彼女に、エレイナも前屈みになってそこに加わった。
「危険って、すごい圧で話されるだけでしょ? ボクはむしろ色々聞きたいくらいだよ」
「我もだ」
「違う! もっと恐ろしい事実があるんだ! 奴は……『イリーリャと仲がいい』……!」
「なにそれ」
深刻な表情を浮かべるリーシャへ、エレイナが呆れたような顔を向ける。
「だってあの性悪女だぞ!? 仲がいいということは気が合うということだ! 性悪と気が合うということは奴も性悪ということ! なっ!?」
「根拠薄っ」
「でもボクイリーリャちゃんのこと好きだよ? ゼレウスもさっきまで仲良く話してたよね~?」
「我はほぼからかわれていただけだったが」
「どんな会話してたの?」
「あ……な、内緒! 内緒だよねゼレウスっ?」
「ほーぉ、内緒にしなければならないようなことがあったのか」
「あぁ、口が滑った!」
「いや、我は隠し事など……先程のリーシャと似たようなことをされただけだ。帽子を落とす前の」
「私の、あの絶世の誘惑と似たようなことを!? なんて破廉恥な女だ!」
「それ自分の首も絞めてるわよ」
自分で『絶世』と言っていることへのツッコミはもはや放棄した。
そんなエレイナの背後から、イリーリャの非難の声が掛かる。
「ちょっと、陰口なんて感じ悪いんじゃないお姫さま? 全部聞こえてるけど。誰が破廉恥よ……てか同じようなことしたの?」
「イリーリャさんは性悪なんかじゃありませんよ!」
「……そっちはあんまり否定しないけど。ネザリーが物好きってだけよ。そこまで仲がいいわけでもないし」
「え、ええーっ!? 仲良くないんですか、私たち……」
「うっ……」
沈むネザリーの表情と潤いを帯びる上目遣いの瞳に、イリーリャが怯む。
「いや……ほら? あんまり会えてないし、友達……し、親友って呼ぶにはまだ早いかもって話……ねっ?」
「え! じゃあもっと仲良くなれるんですか私たち! すごい! 私頑張ります!」
「ほら、やっぱりいい娘じゃんイリーリャちゃんとネザリーちゃん」
「ぐぬ……」
一転、イリーリャの言葉でネザリーの表情は明るく華やいだ。
否定するのも無粋だと考えたのか、リーシャは唸りながらもそこで引き下がる。
キラキラと瞳を輝かせるネザリーに、イリーリャは「頑張らなくていいわよ」と苦笑を送った。
「ところでそれはなんだ?」
ゼレウスがリーシャの持つ奇妙な物体を指さす。
透明な皿のような物の上に、山盛りになった白い何か。
初めて見る物だ。エレイナも少々色が異なるものの、同じ物を持っている。
「‶かき氷〟だ! 食ってみろ」
ガラス製の波打つ縁の容器に山なりとなった、雪のように白いそれ。
どうやらその名のとおり氷を細かく砕いた物のようだが、掛けられた赤い液体と暑さで少々溶けてしまっていた。
添えられたスプーンで掬い、口に運ぶ。
「わぁ~、なにそれなにそれ! どんな味がするの、ゼレウス!」
「む……かなり冷たいな。味は……果実のような香りだ。甘い」
「イチゴ味だ。白い氷に赤いシロップが映えて、まるで私のようだろう? エレイナのはレモン味だぞ。そっちも食べてみろ。いいよなエレイナ?」
「うん。…………あ」
エレイナが自身のかき氷をゼレウスへと差し出す。
しかしここへ戻ってくる道中、すでに何度か口をつけてしまった物だ。
それをゼレウスに渡してしまえばどうなるか……エレイナは渡してから気がついた。
思わず硬い表情でゼレウスを見つめてしまう。
「なんだ? ……美味かったぞ、ありがとうエレイナ」
「……う、うん。あ、ないでもないからっ」
「ほらもっと食えゼレウス! かき氷には向こう側の世界があるんだ!」
エレイナへ器を返したゼレウスに、リーシャがかき氷の乗ったスプーンを差し出す。
二人とも気にしないんだろうか。その……間接キスとか。
エレイナはゼレウスから返されたスプーンで掬ったかき氷をしばし眺めると、ひそかに意を決してから口を付けた。
ひとり悶々としているエレイナを尻目に、リーシャがゼレウスの口にかき氷を放り込み続ける。
「……ふむ、美味いぞ、暑い日には最適だな。こんなものがあるとは──ぐぅっ!?」
差し出されるままかき氷を食べていたゼレウスが、突如眉根を寄せた。
組んでいた腕を解き、こめかみのあたりを指で押さえる。
「頭が割れるようだ……!」
「大丈夫ゼレウス!? 頭痛いの!?」
「それがかき氷の向こう側の世界だ! 風物詩という奴だな」
「痛いのが!? かき氷こわ!」
「痛みを楽しむとは……時代の流れとは恐ろしいものよ」
「じ、時代の流れは関係ないかなー……」
ほのかに頬を染めたエレイナが、視線を逸らしながらそう呟いた。
「てかゼレウス、さっきから間接キスしてない? それってゼレウス的にはセーフなの? 不埒じゃないの」
「!」
フュージアの不意の指摘にエレイナがパッと顔を向ける。
「む、これは……確かに不埒かもしれんな。我としたことが……すまないリーシャ、エレイナ」
「私は別に、ゼレウスとなら気にせんが」
「あ、あたしは気にするけどっ、イヤってわけじゃないから! 謝るほどじゃないから!」
「! いや待て! やっぱ私も気にするぞ! そっちのほうが女の子っぽいからな!」
「え! じゃあボクも気にしよっかな!? ゼレウスの不埒者! 間接キス魔!」
「む、なんだ? 混乱してきた。我はどうすればいいのだ?」
「そ、そのままでいいから……」
「……なにこの会話」
「仲良しさんで羨ましいですっ」
呆れた表情のイリーリャとのほほんとした顔のネザリーを見て、エレイナの頬はまた別の羞恥に染まった。