5.素敵な考え方
ふわふわ。すべすべ。
首筋や肩、頬に感じる相反する感触。
ゼレウスはその不思議な感触に目を覚ました。
「はぁ~、あッついわねぇ~……」
「みたいだね~、なんかジリジリしてるもん景色。……あっ!」
山なりの影が二つと、その向こうで弧を描く大きなシルエット。
手前の影はわからないが、大きな影のほうはパラソルだろう。
晴れ渡る空と輝く水面。
縦に伸びる水平線を見て、自分が砂浜に寝転がっていることに気がついた。
「おっは~ゼレウス、気分はどう?」
「む……」
フュージアに声を掛けられ、ゼレウスは反射的に起き上がろうとした……のだが。
「あら、起きたの? あ待って、動いちゃダメ」
降り注ぐイリーリャの声。
離れようとしたゼレウスだったが、そっと肩に添えられた彼女の手に制止させられた。
目の前には白くきめ細やかな肌。
どうやら彼女に膝枕をされているようだ。
首筋や肩に当たるふわふわとした感触は、ハーピーの太ももの外側を覆う羽毛だったらしい。
「身体は大丈夫? 私の身体に見惚れて倒れたのよ、あなた。頭痛とか、体のだるさはない?」
「いや……ない」
フュージアがほっと息をつく。
山なりの影のせいでイリーリャの表情は見えないが、彼女の声は気遣いに満ちた穏やかなものだった。
「情けないところを見せた」
「ホントそうね。まぁでも暑さのせいかもしれないから……ゆっくり起きてみて」
「ああ」
視界を埋めていた二つの山なりの影を避けながら、身体を起き上がらせる。
上着で肌を隠し、足を崩して座るイリーリャの姿。
やまなりの影の正体は彼女の胸だったらしい。
今は上着によって隠されたそれだが、それでもなおその大きさを主張している。
汗に濡れた首筋が空気に触れて、ひんやりと涼しい。
身を預けていた時には気がつかなかったが、彼女の太ももの羽毛を汗で湿らせてしまっていたようだ。
長い間膝枕をさせてしまった証拠である。
「暑苦しい思いをさせてしまった。すまない」
「いいのよ。一応私が原因だし」
「いや、そちらに非はない。すべて我の弱さゆえの出来事よ」
「まぁ……そうかもね?」
くすりと笑いながら、イリーリャが羽根の一枚から水の魔法を展開する。
操作されたそれは彼女の持つコップを洗い、新たに生み出された水がその中を満たす。
‶虹天王〟イリーリャ・ミディスの持つ、魔力を宿した七色の翼。
羽根の一枚一枚から魔法を展開可能なそれが、水だけでなく火、風、土の属性も操れることは先の戦場でも確認していることだ。
「……やはり素晴らしい力だな。美しいだけでなく、神秘的ですらある」
「ふふ、ありがとう。はい、ゆっくり飲んで」
「助かる」
「……ねぇ、ちょっと聞いておきたいんだけれど」
「む、なんだ?」
胡坐を組んで座るゼレウスにイリーリャが身を寄せ、ひそやかに問いかける。
「私の身体……気絶するくらいよかった?」
「……っ」
イリーリャは上目遣いに上着の胸元を引っ張ると、ちらりと谷間を見せつけた。
いたずらっぽく笑う彼女の表情は妖艶さだけでなく、どこか幼さを内包している。
……やっていることとスタイルはまったく幼くないのだが。
ゼレウスは身体ごと目を逸らし渋面を作った。
「返答に困る……あまりからかうな、イリーリャ・ミディス」
「ふふふっ、意外すぎて楽しいわぁ、あなたの反応」
「ちょっとイリーリャちゃん! それ以上ゼレウスをからかうのは許さないよ! ゼレウスとボクは一心同体なんだからね!」
「えー?」
「おお、そうだ、言ってやれフュージア」
「ゼレウスはボクの相棒!」
「そのとおり」
「ゼレウスはボクのおもちゃ!!」
「なに」
「エレイナちゃんとリーシャちゃんが怒るよ!!」
「我も怒るぞ」
ゼレウスが胸元のフュージアを手刀でトンと叩くと、彼は「わぁ」とおどけた声で驚いてみせた。
「ところでそのエレイナとリーシャはどこにいる? 我はどれほど長い間眠ってしまっていた」
「十分もないくらいかなぁ。二人とも買い物に行ってるよ。ゼレウスのこと心配してたけど……う~ん、同じくらい心配してなかったよ」
「どういうことだそれは。どっちなのだ」
「ちょっと呆れてたよ」
「喜ぶべきか……失望されなかったことを」
「強いわね心」
思わずゼレウスは天を仰いでいた。
「……ねぇ、少し話しておきたいことがあるんだけれど」
「え! もうさっきみたいなえっちなことしちゃダメだよ?」
「しないわよ」
フュージアの言葉に苦笑うイリーリャ。
声を静かに、どこか神妙な面持ち。
「あの娘が帰ってくる前に話しておかなきゃ」
「あの娘?」
「……リーシャのことよ。あなたに任せたほうがいいと思うから」
フュージアの問いに応えながら、イリーリャがゼレウスの瞳を見つめる。
ゼレウスは視線で疑問を示し、続きを促した。
「……オオカミの姿になったあなたが暴走した時、リーシャなら一人でどうにかできた……そう考えたことはない?」
自身を巨大なオオカミの姿に変え、エレイナ、リーシャ、フュージアの力を借りて‶竜王〟ザナドを倒したあと、ゼレウスが支払わされた代償。
目の前にいるイリーリャと、オークの魔王ギグルの協力を得てようやく、ゼレウスの暴走は治めることができた。
それほどの騒動を彼女はリーシャ一人で解決できたと言う。
「それってどういうこと? ゼレウスを止めるのはみんなが力を合わせてようやく、って感じだったよ?」
「いや、そうか……‶従属の呪言〟か」
「そう。あの時‶従属の呪言〟をあなたに使っていれば、労せず事を収められた。もちろん呪言を唱える時間は多少必要だったでしょうけど」
イリーリャの目が輝く海へ向けられる。
パラソルの影に並んで座り、ゼレウスは彼女の横顔を見やりながら続く言葉を待った。
「リーシャが‶従属の呪言〟を使わなかったのは、使えなかったからよ」
「えっ……それってどういうこと?」
「トラウマか。デニアス砦で言っていた」
「ええ。……その様子だと、あの娘は自分の抱えるトラウマを話してはいないみたいね」
「ああ、聞いていない」
「ボクも」
「それなら……あなたたちには詳しく話しておこうと思う」
「リーシャのトラウマについてか?」
「知っておいたほうがいいわ。もう立派な仲間同士みたいだし……あなたたちみたいな関係、あの娘には今までなかったはずだから」
まるでリーシャのことを気に掛けているかのような口振り。
しかし二人は犬猿の仲だったはずだ。少なくともゼレウスたちの目にはそう見えていた。
同じような疑問を抱いたフュージアが問いかける。
「あれ、イリーリャちゃんってリーシャちゃんのこと嫌いじゃなかったの?」
「生意気だし、話してると腹は立つわねぇ。といってもそうなったきっかけは私にあるし……いつまでもいじいじ引きずったままだったから、つい余計なことをね」
「いじいじ? あのリーシャちゃんが?」
「そう、あの娘のトラウマは──」
「待て」
イリーリャの言葉をゼレウスが遮る。
「リーシャが何かを抱えているとしても、我は本人以外からそれを聞くつもりはない」
「……たぶん自分からは話さないわよ?」
「それはまだリーシャにとって我が話すに値しないだけのこと」
有無を言わさない、ゼレウスの真摯な眼差し。
気圧されるイリーリャではないが、彼の意志を変えることは困難だと悟り、小さく息をついた。
「素敵な考え方ね……でも確かに、あなたたちにならいつかリーシャも話すかも。だけど残念、からかっちゃったお詫びにと思ったんだけど」
「詫びなどいらん」
「そう?」
肩を竦め、イリーリャは小さく笑った。
「あ、帰ってきたかな」
ギュ、ギュ、と近づく、砂を踏む音にフュージアが呟く。
エレイナとリーシャの足音だ。
そう思ったゼレウスたちは振り返るが、その一瞬前、先に背後を視認したフュージアは驚愕の声を上げた。
「んなんこれ!!?」
胸元から大きな声がふいに上がれば、流石のゼレウスも多少は驚く。
フュージアの声色に恐怖のようなものが混じっていればなおさらだ。
振り返ってみれば、黄褐色の輝く艶めき。
その奇怪な姿そのものに見覚えはないが、よく似た物は記憶に新しい。
ゼレウスが訝しげに呟く。
「……‶噪天の爪〟か?」
デニアス砦で乗り回した空飛ぶ馬、‶噪天の爪〟とは似ても似つかない形状だが、金属製のボディに排気用パイプと、共通する要素がいくつか見て取れた。
二本脚の生えた卵のような造形のそれ。
卵部分は雛の生まれたあとのように上下に分かれており、上部には屋根と背もたれ、下部には人ひとりが腰を下ろせる程度の空間があった。
いわゆるコックピット。そこに人が搭乗し操作をするのだと、何の知識を持たないゼレウスでも見当がついた。
そこに座り、機体の内側、左右のレバーに手を添える女性がいたために。
「よくぞ聞いてくれました! しかし答えは否! これは‶噪天の爪〟を元に開発した歩行式‶噪天の爪〟! 名を‶魔女の泡沫〟といいます!!」
ごついシルエットの革のゴーグルを着けた彼女が、快活に言う。
説明してくれるのはありがたいが、どう返すべきかわからずゼレウスとフュージアはしばし閉口してしまった。
「ネザリー……あなた、どうしてここに?」
「イリーリャさんがいらしたと聞いて会いに来たんじゃないですか! つれないですねぇ、もう!」
「別にわざわざ来なくてもあとでこっちから会いに行ったのに」
「ホントですか!? 嬉しいです! あ、そういえばミネシアさんもいらっしゃってますよ! あとでいっしょにお茶会でもどうですか?」
「いいけど……怖がられないかしら、私」
「大丈夫ですよ! イリーリャさんはいい人だって私が誠心誠意お伝えしますので! では準備を進めておきますね!」
機械に乗った彼女が満面の笑みでイリーリャと言葉を交わす。
「知り合いか?」
「ええ。いちおう……同僚、って感じかしら?」
「……なんだと?」
‶虹天王〟イリーリャ・ミディスの同僚。
第四魔王、ハーピーの魔王である彼女の同僚となれば、その地位は一つしかないだろう。
イリーリャが返事とともに立ち上がり、彼女を手のひらで指し示す。
「この子は第五魔王、マーメイドの魔王よ……こんななりだけど」
「こんななりってなんですかぁ! ……お初にお目に掛かります、‶海闢王〟ネザリー・リッツァクアです! これからよろしくお願いしますね、‶旧魔王〟ゼレウス・フェルファングさんっ?」
革のゴーグルを額へずらし輝くエメラルド色の瞳を覗かせて、彼女は柔和な笑みをゼレウスへ向けた。




