3.跳ねる魔王
「すまない。我は泳げるが、顔を水に浸けるのは苦手なのだ」
「イヌか。そういえばオオカミに変身してたな」
「ごめんなさいゼレウス、犬かきは『泳げる』の範疇には入ってないかも……」
「なんでちょっと強がるの?」
エレイナとリーシャに引き揚げられてすぐ。
無事意識を取り戻したゼレウスは砂浜に背を預けていた。
燦々と輝く太陽に目を細めながら、身を起こす。
「……迷惑をかけたな」
「気にしないで。これくらいのこと、迷惑でもなんでもないから」
「ゼレウスは無敵なんだと思っていたが……水が弱点なのか? 水魔法をぶつけられれば一発で倒されちゃうのか」
「いや、ある程度の深さの水に浸かっていなければ問題はない。毎朝顔は洗っているわけだし、風呂にだって入れる。流水でさえなければな」
「ならそう簡単に負けはしないか……誰もゼレウスの弱点がこんな単純なものだとは思わないだろうしな」
「──そうねぇ、実際に見ていなければね?」
「っ!?」
聞き覚えのある声。
リーシャがそれに最も過敏に反応したのは、その声の持ち主と並ならぬ関係だからだろう。
‶虹天王〟イリーリャ・ミディス。
その二つ名のとおり美しい虹色の翼を持ったハーピーであり、八大魔王の一人。
振り返れば、リーシャと犬猿の仲である彼女がそこに立っていた。
「やけに騒がしい子たちがいると思ったら、まさかあなたたちとはね。目立つ格好してるからすぐにわかったわ。でもこんなところであの最強の旧魔王サマの弱点を知れるなんてねぇ? ……なにしてるの?」
立ち上がりイリーリャと相対したゼレウスの両目は、エレイナとリーシャによって左右から塞がれていた。
かつては戦場で敵対したイリーリャだが、今はこの場に相応しいオレンジ色の水着を身に着けている。
つまり彼女も、ゼレウスの言う『不埒が過ぎる』恰好をしているということだ。
イリーリャのスタイルはいい。
特にとある部位に関しては、この砂浜すべてを含めたとしてもトップクラスである。
エレイナとリーシャが『これはゼレウスの目に毒だ』と言葉を交わさずとも意思疎通し、彼の視覚を封じたほどに。
「いやなんでもない。それより貴様がどうしてここにいる。まさか私たちをつけてきたのか」
「なわけないじゃない、そんなに暇じゃないし。ここに来たのはバカンスよ」
「暇してるじゃないか」
「休むのも立派な仕事の内なわけ。ね、旧魔王サマならわかるでしょ?」
「……ああ。思えば、我ももう少し暇を取っていればよかったな。であればこんな無様も晒さなかったかもしれぬ」
「……あの、目を見て話してもらっていい? なんで隠しているの? なんでその状況をみんな普通に受け入れてるの?」
そう言ってイリーリャが訝しげに腕を組むととある部位が持ち上げられ、さらに破壊力が増す。
「く……流石にずっとこのままというわけにはいかないか。イリーリャ、まずはそのポーズをやめろ」
「はぁ? なんで? ……まぁいいけど」
「よし。離すぞエレイナ……ゼレウス、覚悟はいいか?」
「何も問題はない」
「どこから来てるのその自信」
フュージアの疑問の声を受けつつも、ゼレウスの視界は解放された。
ゆっくりと、彼の目がイリーリャへと向けられる。
「……あれ、意外と平気じゃん?」
「な……戦いの中で成長したというのか!」
「戦いって……煩悩との?」
「?? もう全然意味わかんないんだけど」
正面からまっすぐ、ゼレウスの視線はイリーリャの瞳へ注がれる。
エレイナやリーシャの時のように、顔ごと背けられることもなく。
そのせいもあってかイリーリャはいまだ状況を掴めずにいた。
「久しいな‶虹天王〟イリーリャ・ミディス。会いたかったぞ」
「光栄ですわ、旧魔王サマ」
流石は魔王というべきか。
イリーリャはすぐに困惑を表情の裏へ隠すと、慇懃無礼な礼を返した。
「礼を伝えたかった。お前のおかげで我は誰も殺さずに済んだ。ありがとう」
「……言葉だけ? 思ったより小さい男なのね、あなた」
「イリーリャちゃんは思ったとおり大っきいけどね……」
「?」
ゼレウスへ挑発的な笑みを投げ掛けるイリーリャだったが、フュージアの呟きをはっきりと聞き取れなかったためにすぐにきょとんとした表情へと変わった。
「我に何を望む?」
ゼレウスが彼女の強かさに口角を上げながらそう問いかけると、イリーリャも我が意を得たりと微笑む。
「流石は旧魔王サマ、話がわかるわね。でも今はいいかな。私が困った時に頼らせてもらうから。あなたほどの札、そう簡単に切りたくはないもの」
「ふ……いいだろう」
「……さっきの言葉、撤回させてもらうわ。あなたの器は──」
「構わん。我が恩を返した時、相応しいと思ったなら撤回するがいい」
「! ふふ……やっぱりいい男」
イリーリャはいつもどおり妖艶に、しかしどこか満足げに笑った。
「ギグルにも礼をしたいのだが、どこにいるか知っているか?」
「詳しいことは聞いてないけど、たしか武器を作り直すって言ってたかしら。あぁ……別に気にしなくていいと思うわよ? 彼も気にしてなかったから」
使い物にならなくなった、騎士王ギグルの大剣。
オオカミに変身し、暴走してしまったゼレウスが噛み砕いてしまったものだ。
残念ながら、その謝罪を伝えるのはまた別の機会になりそうだった。
「そうか……アーズルードはどうなった?」
「魔王の地位から降ろされたわ」
魔族の王たちが一堂に会する序列会議にて。
ロントリーネでの戦いが終わってすぐ、集った魔王たちによってアーズルードは裁かれたらしい。
ザナドの鱗という唯一無二の秘宝を使っておきながら、何の成果も上げられなかったためとのことだ。
「今頃、どこかの鉱山で強制労働とか? 知らないけれど」
「惜しいな、奴ほどの才能が……」
その人格が信頼に値するかどうかはまだわからないが、ゼレウスにとっては彼も将来有望な若人である。
自然と声が沈み込んでしまう。
「ねぇねぇ、みんなで‶ビーチバレー〟しないっ? ちょうど人数も揃ったことだし!」
が、重くなりかけた空気はフュージアの明るい声が吹き飛ばした。
「……もしかしてそれ、私も数に入ってるのかしら?」
「もち! ……だめ?」
フュージアの提案に困惑を垣間見せたイリーリャだったが、肩を竦めて了承を返す。
「……まぁいいけれど。リーシャ姫は嫌がるんじゃなぁい?」
「私は絶対にお前とは組まんぞ」
嫌味っぽく言いながらイリーリャが振り返ると、リーシャは既にボールを小脇に抱えていた。
「準備万端じゃない」
「じゃあゼレウスとイリーリャちゃんで組もうよ! 夢の新旧魔王タッグだよ!」
「イリーリャちゃんって……」
「あたしとリーシャで組むの? 足引っ張っちゃうと思うんだけど……」
「いや、バレーボールは連携が肝要。私とエレイナならばゼレウスにだって勝てる!」
「そうかなぁ、あたしがいるチームが負けそうだけど」
「じゃあゼレウスはボクと交互に触らなきゃダメってことにしようよ! そしたらいい感じのハンデになるんじゃない?」
「いいなそれ! それならフュージアも参加できるしな!」
「決定~」と声を揃えるリーシャとフュージア。
ということで、ここにビーチバレー大会の開催が決定した。
ビーチバレー用のコートはマーメイドたちが管理している。
ボールを確保したリーシャいわく、コートは自由に使っていいとのことだ。
他に使いたがっている者たちもいないため、交代時間を気にする必要もない。
砂は手入れされており、たとえ転んだとしても石や貝殻で怪我をすることはないだろう。
コートまで移動したゼレウスたちが、ネットを挟んで対峙する。
急に決まったビーチバレー大会。
新旧二人の魔王が参戦する注目度の高い大会だ。観客はいないが。
一回戦かつ決勝戦。ここで雌雄が決する。
ルールどころか『ビーチバレー』という単語すら知らなかったゼレウスだが、もう頭には叩き込んだ。
ゲームはイリーリャのサーブから始まる。
経験のないゼレウスは、参考にするためにその様子を眺めていた。
緩やかな稜線を描いてボールがネットを超える。
「よし来た! エレイナ!」
「はい!」
リーシャがレシーブしたボールをエレイナがトス。
リーシャの身長は決して高くはない。
しかしそのジャンプ力はかつて滞空するイリーリャに肉薄できたほどだ。
彼女の手は簡単にネットを超えた。
「くぅ……っ」
威力の高いアタック。受けるイリーリャから呻きが上がる。
だがボールは上がった。ゼレウスが賞賛を送る。
「よくやった! ……こうか!」
「ナイスゼレウス! 上手いよ!」
見よう見まねでトスを上げるゼレウス。
イリーリャはハーピーだ。やろうと思えばネットなど関係のない空高くまで飛べる。
が、それは事前に禁止としている。
しかし彼女はハーピーの優れた脚力を活かすことで高い位置からのアタックを可能にした。
「ナイスイリーリャちゃ──うわぁっ!?」
挑戦状を叩きつけるかのように、イリーリャが強烈なアタックをリーシャ目掛けて打ち込む。
だから、その事実に気づいたのはエレイナとフュージアだけだった。
なぜかゼレウスがその場で回転したという事実。
フュージアが驚いたのはそのためだ。それほどの速度での回転だった。
ネット越しのエレイナが困惑しつつもトスを上げる。
リーシャのアタックが今度はゼレウスを襲う。
ゼレウスはそれをちらりと視認すると、フュージアの剣身の角度を調整し背中越しにレシーブをした。
先程、目にもとまらぬ速度で回転したのはこれが理由だったのだろうか。
ゼレウスの神業にイリーリャが驚愕を漏らす。
「すごっ! はい、決めて魔王サマ!」
「ふん!」
ゼレウスの力強いアタック。
エレイナが受け損じ、ゼレウスチームの得点が決まった。
背中越しにレシーブするゼレウスの神業に誰もが感心したが、同時に誰もが違和感にも気がついた。
ゼレウスは裏拳を使ってアタックをした。
ビーチバレーでは指の腹を使ったフェイントは禁止されているが、指先や手の甲側の部位を使ってのフェイントは許されている。
ゼレウスの裏拳を使ったアタックはフェイントと呼ぶに相応しくない威力はあったものの、ルールには反していない。
しかしどうして彼は裏拳を使ったのだろうか。
その理由に思い至ったのは、イリーリャ以外の三人だけだった。
「ゼレウス、もしかして……」
胸元からの指摘の気配に、ゼレウスの額に汗が浮かぶ。
ゼレウスは裏拳を使いたくて使ったわけではない。
とある人物に背を向ける過程で、そうせざるを得なかったのだ。
「もしかしてイリーリャちゃんのほう見れないの?」
バレーとは過酷な競技だ。
決してボールを落としてはならず、ボールが落ちないうちはコート内の誰もが休むことを許されない。
二人でやるビーチバレーであれば、なおさらその責は重い。
受け、走り、飛び、跳ねる。
……跳ねる。
そう、跳ねるのだ。
暴力的にも思える、彼女のとある部位が。
「……見れない? なんで?」
ゼレウスが回転したのは、アタックを打ち込むイリーリャから目を背けるためだった。
しかしまさかゼレウスが女体に耐性がないなどとは、露ほどにも思っていないのだろう。
当の本人はただ困惑を深めていくだけだった。




