2.ゼレウスの弱点
「三十歳といってもリーシャはヴァンパイアだ。他の種族とは寿命が違う。人族でいうエルフと同じようなものだ。人間に換算すれば……十五歳ほどか」
「あ、そうなんだ」
「なるほど……」
「ちなみに成人してるからな。精神面も完全にお姉さんだ。だからゼレウスも、安心して私の美貌に興奮していいぞ?」
「む……あまり品のない物言いをするな。お前には似合わぬ」
「それは私に気品があるからか? それとも相応しい色気がないからか」
「前者だ」
「本当か~? 試してやる」
リーシャはそう言ってニヤリと笑うと、胸元を片手で抑えながら、もう一方の手を首の後ろへ持っていった。
肘が上がり、自然と腋を見せるポーズになっているのは狙ってのことか。
ゆっくり、見せつけるように。
頬をかすかに染め挑発的な笑みを浮かべるリーシャを見れば、わざとそうしているのだとわかった。
「ちょ、ちょっとリーシャ……!?」
首元の紐がはらりと落ちる。リーシャが自らほどいたのだ。
しかしもう一方の手でちゃんと抑えているからか、あるいは構造上の理由か、胸元の水着が落ちることはなかった。
が、それだけでもゼレウスにとっては刺激が強すぎる。
まだ幼さの残る肢体。
だが細くも滑らかな曲線を描くそれは、女性的でないなどということは決してない。
もしこれがリーシャでなければ、ゼレウスもここまで過剰な反応は示さなかっただろう。
敬意だ。
エレイナに対しても同様だが、ゼレウスはリーシャに対し強い敬意を抱いている。
最前線に立って仲間を護り、戦場から下がれば傷ついた者の治療をおこなう。
そんな彼女を敬愛せずにいられるだろうか。
そして敬愛に値する相手に対して、一切何の感情も抱かずにいられるだろうか。
誘惑などされなければ、あるいは水着などという不埒すぎる格好でなければ、ゼレウスも意識などしないのだが。
蠱惑さと羞恥という相反する表情を同居させながら、頬を染めたリーシャが笑う。
「……どうだ、ゼレウス……?」
「く、何を……っ」
ゼレウスが眉根を寄せ、視線を逸らす。それがリーシャの狙いだとわかっていても。
「くく……ふわははははッ、ゼレウスを魅了してやったぞ! これで私の色気が証明されたな! ま、まぁ流石に恥ずかしすぎたからもう一生しないが! ちょっとから、からかいが過ぎたかなっ? せいぜい瞼の裏に焼きつけておけよゼレウスッ!」
耳まで赤くしたリーシャがいそいそと水着の首紐を結び直そうとする。
しかし慌てたせいか、いつもはしないようなミスをしてしまった。
ヴァンパイアであるリーシャにとっての生命線、日光を防ぐ‶夜陰の三角帽子〟に強く触れてしまうというミスを。
「あ」
未だ視線を逸らしたままのゼレウスを除く、三人の声が重なる。
一瞬の間が空いて、どさっと帽子の落ちる音。
その瞬間。
「あ゛っづッッッッ!!!!!!」
「リーシャちゃん!?」
「見えちゃう見えちゃう! ホントに水着脱げちゃう!!」
降り注ぐ日光に肌を焼かれ、リーシャが砂浜をゴロゴロと転がる。
解いた首紐はまだ結ばれていないため、胸元の水着はいつ剥がれ落ちてもおかしくない。
しかしリーシャの命にかかわる状況だ。
ゼレウスも余計な照れを振り払い、彼女を救うために前を向いた。
瞬間、素早くゼレウスとリーシャの間に入ったエレイナが、転がるリーシャの水着を必死に抑えながら言う。
「帽子被せてあげてゼレウス! お願い!」
聞き終わるより早く帽子を拾い、ゼレウスはリーシャの顔にそれを被せた。
さっきまでの妖艶さはどこへやら、顔から帽子が生え白い肢体を大の字にした、灰の煙を上げる不審者がここに誕生してしまった。
不審者がゆっくりと身体を起こす。
「うう……助かったぞエレイナ、ゼレウス……」
「もう、気をつけてリーシャ!」
「うわーん、水着守ってくれてありがとなエレイナ~~~っ!!」
ゼレウスにあんなことをしておいても、裸を見られるのは流石に恥ずかしいらしい。
「まったく、ちゃんと魅力はあると言っているだろう。何をしているのだ」
「精神面ホントに三十歳?」
エレイナに抱き着き泣くほど安堵するリーシャは、どちらかといえば十三歳だった。
◇
「気を取り直して泳ぐぞ!」
涙を拭ったリーシャが、腰に手を当て快活に宣言する。
「……なんか不安だから先に聞くけど、リーシャちゃん泳げるの?」
「当たり前だっ! 風魔法のコーティングで帽子も濡れないし、なんの懸念もない!」
「脱げる懸念があるでしょ。顎紐留めたからって油断しないこと」
「あーい」
生返事をしながら波打ち際へ移動するリーシャを、ゼレウスたちが追う。
三人揃って濡れた砂浜へ足を踏み入れると、緩やかな波が彼らを優しく歓迎した。
さらさらと海水がわだかまり、白い泡が毛糸玉のように絡んではほどけていく。
エレイナがそれをつま先で掬うように蹴り上げれば、糸のように散ってぷつりと切れた。
「おぉー、なんか足に当たる感じが……不思議な感じだな……無性に掬い上げたくなる!」
「ちょ……わっぷ! …………しょっぱい」
リーシャが何度か蹴り上げた波のひとつがエレイナのおでこに当たり、眉間を伝って唇を濡らす。
「すまんエレイナ! おりゃおりゃ!」
「ちょ、こら、謝りながら攻撃してくるな!」
足から手に切り替え、リーシャはエレイナへ向けて波を何度も掬い上げる。
負けじとエレイナも波を掬ってリーシャへぶつけた。
二人の笑い声が重なって響き合う。
「平和だねぇ……」
「ああ。これが我々の目指すべきもの。マーメイドの街も魔王も、しっかりと参考にせねばな」
「ほらゼレウス! 貴様ももっとこっちへ来い! くらえ!」
言われたとおり深みへと移動しながら、ゼレウスはリーシャが救い上げた波を高速で回避した。
最小の動作で平行に回避するゼレウスは、瞬間移動したようにも見えるほどだ。
「いい回避だ! だがこれはどうだ! おりゃおりゃ! エレイナも加われ!」
「うん! ホントに速……なんかやけに本気で避けてない?」
「面白い! いつまで避け続けられるかな、ゼレウスよ!」
左右に避けるたびにバシャバシャとゼレウスの足元が波打つ。
リーシャはちらりとエレイナの波を掬うリズムを確認し、機を伺った。
(エレイナのタイミングに勝手に合わせて……ここだッ!!)
水面下で闇魔法を展開。
ぬらりと艶めく、鋭いシルエットの闇の手。
波の間に隠したそれで、勢いよく海水を掬い上げた。
エレイナのタイミングに合わせたことで生まれる波状攻撃。
意識の外からの攻撃だ。しかも闇の手はリーシャの手よりも大きいため、単純に攻撃範囲も広い。
リーシャの狙いどおり、ついにゼレウスの顔面に海水がヒットした。
「やったッ! どうだゼレウス、悔しかったらやり返してこ…………い?」
海水を浴び、目を瞑ったゼレウス。
なぜかその身体が前に倒れ込んでいく。
倒れていくゼレウスに困惑していた二人だったが、彼の全身が海に浸かってしばし。起き上がる気配がまったくないことに気づいた瞬間、その困惑は焦燥に変わった。
「ゼレウスーーーーーーーーーーッ!!?」
「なんでなんで!? リーシャそっち回って! 起こすわよ!!」
二人はそれぞれゼレウスの左右から近づくと、肩を支えて起き上がらせた。
ゼレウスの足を引き摺りながら、波の届かないところまで必死に引き揚げる。
「大丈夫かゼレウス!?」
「っ! ……大丈夫だ。もう離していい、肌が触れ合ってしまっているぞ」
「そんなの気にしなくていいからっ! てか絶対大丈夫じゃないでしょ! 今気絶してたわよね!?」
自分の足で立ち上がったゼレウスの背に手を添えたまま、二人とも心配そうにゼレウスの顔を見上げる。
起き上がらせてからほんの少しの間、ゼレウスは目を閉じていた。
復帰が早すぎてそうは見えなかったが、おそらく彼は気絶していたはずだ。
「あー、そういえばゼレウスって泳げないんだっけ」
「えっ……意外。けどそれなら先に教えてよ。そしたらあんなことしなかったのに」
「いや我は泳げるぞ。見ていろ」
ゼレウスはけろりとした様子でエレイナたちから離れ、再び海へ向かった。
彼は深すぎず浅すぎないところまで行くと、頭部以外をゆっくりと水に浸からせる。
ハラハラするエレイナたちを尻目に、ゼレウスは泳ぎ出した。
ゼレウスの顔と、大空へ向けて突き立ったフュージアの剣身だけが波間を移動していく。
「犬かき、かぁ……」
「ゼレウス……」
「すまん、ちょっと失望していいか?」
反論する間もなく、ゼレウスの顔を少し高い波が襲った。
そして彼は動かなくなった。
「ゼレウスーーーーーーーーーーッ!!」
今度はフュージアが彼の名を叫ぶ。
波間をうつ伏せで漂うゼレウスを、エレイナたちは黙々と救出した。




