40.あなたの隣へ
「言わなきゃならないことがあるってボクが言ったの、エレイナちゃん覚えてる?」
月明かりの薄く差し込む、暗い部屋の中。
ゼレウスとの戦いの傷を癒し終わり、目覚めてすぐのこと。
ギルドからすぐに帰還したエレイナは、ゼレウスの看病をリーシャと交代していた。
リーシャはソファに寝転がり、クッションを枕に寝息を立てている。
横たわるゼレウスはまだ目を覚ましていない。
「ええ……どんな言葉でも受け止めるわ」
「え? ……あ、文句がいいたいわけじゃないよ? むしろその逆というか」
ベッド脇のイスに腰かけ、穏やかな寝息を立てるゼレウスを神妙な面持ちで眺めていたエレイナは、フュージアのその言葉に視線を移した。
「逆?」
「うん、あの時はそんな暇なんてなかったから説明できなかったんだけど……ボク、ゼレウスのこと、‶夢見の魔王〟って呼んでたんだ」
「夢見の……?」
「そう。八百年間ほとんど寝てたから、それを茶化してね。でもあの言葉にはもうひとつ意味があった……ゼレウスにも知られてない意味が」
静かな語り口。
フュージアらしくないとも思ったが、どこか神聖さを感じるその凛とした声は、彼によく似合っているようにも思えた。
「ゼレウスの野望が……夢が、あまりにも荒唐無稽に思えたから」
「……全種族の支配?」
「うん……たぶん、ボクはゼレウスの夢をどこかで信じてなかったんだ。エレイナちゃんが魔剣をゼレウスに使った時、二人は同じ未来を見てるんだってわかった。種族や手段は違っても、同じ平和を願ってる。でもボクはそれを実現できると信じてなかったんだ……無意識に、どこかでそんなの無理だと思ってた……だから『夢見』だなんて茶化して……ゼレウスの相棒なのにね」
「フュージア……」
彼が自分と同じものを抱いているのだとエレイナは理解した。
罪悪感という、拭い難い感情を。
「あの時、ボクはエレイナちゃんのことを責められないと思ったんだ。ボク自身がゼレウスを信じてないのに、『どうしてゼレウスを裏切ったんだ』なんて……言えるわけない」
「……それじゃあ、私もエレイナを責められないな」
「! リーシャ……起きてたの」
「今起きた。フュージアの声色がいつもと違うからかな……それが気になったみたいだ」
ソファで横になりクッションに顔をうずめていたリーシャが、あくびをしながら身を起こす。
「寝起きでするには重たい話題だが……フュージアがそう言うなら私も同じだ。ギグル殿に謁見した時、私もゼレウスの野望を笑ったからな」
「エレイナちゃんやリーシャちゃんがゼレウスの言葉を信じられなかったとしても、それは当たり前だと思う。でもボクは八百年ずっといっしょにいた相棒なんだ。なのに……」
「許してもらえるんじゃないか? ゼレウスは寛容だ。大切な友人なら……いや、だからこそ苦しいのか」
「……そうね」
こう言ってはなんだが、リーシャの言うようにゼレウスなら気にしないだろう。
しかしだからこそフュージアは自らを責める。
ゼレウスの寛容さに自分は相応しくない、と。
「超えちゃいけないラインって、超える側はわかってないものでしょ? ボクもそうなんじゃないかって……ゼレウスはまだあの言葉の意味をちゃんと知らないだけで、知ったらきっと悲しむ」
「本人には話さないのか?」
「……怖いんだ」
暗く沈んだ声。
表情も仕草も持たないフュージアとのコミュニケーション方法は声だけしかない。
だからこそその変化は如実に感じられた。
今のフュージアは強い不安に苛まれている。
「エレイナちゃんはすごいよ。目的のために覚悟を決めて……その目的だって他の誰かのためだった。ボクはゼレウスに失望されるかもって考えると……怖くて言い出せないんだ。ごめんね、二人にこんなこと話しちゃって」
「ううん、大丈夫。でも……そのこと、ちゃんとゼレウスに話すべきだと思う。もし機会が貰えるなら、あたしに協力させて。まだゼレウスがあたしをどうするかはわからないけど……」
「その時は私もいっしょだ。共犯者だしな」
「共犯者って」
リーシャの冗談めかした言葉にエレイナは苦笑した。
「ありがと……エレイナちゃん、リーシャちゃん。ボク泣きそう……涙出ないけど」
「……それ冗談か? フュージア結構余裕あるのか?」
「今のはどっちかというと自虐だよ? 冗談でもあるけど。心配させすぎたかなと思って」
「……そうか。しかしどうする? ゼレウスがめっちゃ怒ったら」
「想像つかない……あたしにならともかく、フュージアに怒るなんて」
「確かに怒られたことないなぁ……ボク結構好き勝手言ってるんだけど。ゼレウスが起きてもしばらくは安静にして……話すのはしっかり元気になってからにしようかな」
「それがいい。……ふぁあ……また眠くなってきた。あともう少しだけ寝させてくれエレイナ、それから交代しよう」
「そうだ、エレイナちゃんも病み上がりだった! ほんとごめん、病人にこんな話しちゃって!」
「大丈夫よ、リーシャもゆっくり眠って」
このままゼレウスが目を覚まさない可能性は考えていない。
彼ならきっと大丈夫だ。不思議な確信が、三人の無意識の中にはあった。
◇
ゼレウスが目覚めて一週間。
エレイナ、ゼレウスの療養を終え、三人と一振りは出立の準備をしていた。
街の外、門の近くで、用意した馬車に荷物を積み込んでいく。
「ねーゼレウス~、聞いてもい?」
馬を撫でるゼレウスへフュージアが問いかける。
食料の入った箱を馬車へ積むエレイナは、聞こえてくるその会話にふと耳を傾けた。
「なんだ、また心配事か?」
「あ! む~、こっちは嫌われる覚悟であれ話したんだけど」
「ふ、あの程度のことで嫌うわけがない。我が野望が夢物語なのは、魔王だった我こそが最も理解していること。信じられないのが当然だ」
あの夜にフュージアが話したことは、数日前にエレイナ、リーシャとともにゼレウスへも伝えられた。
話を聞いたゼレウスの反応はけろりとしたもので、フュージアの懸念は『信じられないのが当然だろう』とあっさり笑い飛ばされていた。
聞こえてくる会話に、エレイナの表情が自然とほころぶ。
やっぱりあの二人は仲がいい。
「でも、ゼレウスは叶えられるって信じてるんでしょ?」
「我も信じてなどいない」
「えっ!?」
その場から離れ次の荷物を取りに行こうとしたエレイナは、その言葉に思わず足を止めた。
フュージアと同じように、エレイナも心の中で驚愕の声を上げる。
「必ず成し遂げると決めている。だから信じる必要などないのだ。くく……驚かしてやった」
「ぐぬ……引っ掛かった」
(……あたしも引っ掛かっちゃった)
笑みと呆れを交えながら、エレイナは少し寂しげな表情を浮かべる。
次が最後の荷物だったはずだ。
作業を再開しようとしたエレイナだったが、リーシャがそれを運んできてくれているのを見つけて立ち止まった。
ヴァンパイアであるはずの彼女は、相も変わらず日光を気にせず太陽の下を闊歩している。
エレイナは手を上げて彼女へ礼を伝えた。
「目的地はどこなの? 他の街に行って協力者を集めるのはわかってるけど、ゼレウスは全種族の支配が目標なんだよね。人族と魔族、どっちの街に行くの?」
「魔族だ。そちらのほうが比較的安全かつ効率的だからな」
エレイナは馬車に乗り、リーシャの運んできた木箱を受け取って馬車の奥へと滑らせる。
最後の作業を終わらせたエレイナは馬車から降り、リーシャに声を掛けた。
「ありがと、リーシャ」
「おう。これで最後だ、お疲れエレイナ」
「……おっと、少しサボってしまったな。二人ともあとはゆっくり休んでいろ。出立の準備はいいな?」
馬のもとを離れ、ゼレウスがエレイナたちのそばへと歩み寄ってくる。
「ええ、もう全部積み終わった」
「私の案内なしには目的地にも辿り着けまい。御者は私がやるぞ?」
「いや、小窓があるからな、そこから指示を出してくれればいい。砦から向こうは街道沿いでいいのだろう? 我にも土地勘はある……八百年前のものだが」
「不安だ……が、お言葉に甘えて私は涼しい馬車の中にいさせてもらうとしよう」
「そっか、そろそろ暑い季節なんだね。ゼレウスはその服、暑くないの?」
「暑い」
「あ、冷気出す魔道具あるから使って。魔力籠めとくから」
「助かる。我の服も仕立てなければな。魔族の街なら可能だろう」
木箱の中から魔道具を一つ取り出し、魔力を籠める。
御者台の屋根に取り付ければ、冷気が降り注ぐ。そんな魔道具だ。
必要な魔力は少なくないが、リーシャがいれば魔力の心配はあまり気にしなくてもいいだろう。
「ふっふっふ……暑くてたまらなくなるこの季節、朗報があるぞゼレウス!」
突然、腰に手を当てたリーシャが得意げに宣言した。
「私たちが向かうのはマーメイドの都市! つまり海! とくれば~~?」
「ま、まさか──!」
エレイナははっとする。
マーメイドの都市。エレイナも噂に聞いたことがある。
「海水浴だぁ! 私とエレイナの水着も見られるぞ! よかったなゼレウス!!」
「水着なんてあるの!?」
「あ、あたしも着るの……?」
ほぼ下着と同じ布面積しかないと聞く。
それをゼレウスに見せるのは……。
…………。
まぁ、ゼレウスになら……?
「水着とはなんだ?」
「それは見てからのお楽しみだ!」
「? そうか、では楽しみにしておこう」
「ボクも楽しみー。マーメイドの街ってどんな感じなの?」
「美しい街だぞ。だがそれ以上に、私たちにとって最も参考になる街となる」
「ボクたちにとって? どういう意味?」
「我もリーシャから聞いただけだが、マーメイドの街には人族が入ることが許されているらしい。そして内部では一切の争いが許されておらず、マーメイドも人族に手を出すことはない。我の時代では考えられなかったことだが、それゆえに最も我が野望に近い都市といえる」
美しい海と、地上から海底へ広がる街並み。
人族、魔族問わず歓迎される理想郷。
それがエレイナの聞いた噂だったが、鵜吞みにする人族はいなかった。
近づくのは変わり者か、命知らずくらいだろう。
「我のやろうとしていることを、一部とはいえすでに実現している種族がいる……我が野望にも現実感が出てきたな。エレイナに恩を返す時も近い」
「恩? あたしに?」
「一宿一飯の恩だ。まだ返していない」
「……なにかと思ったら、そんなこと?」
「そんなこととはなんだ。我は魔王、返す礼も相応に大きくなければならない。世界を支配した暁には……エレイナ、お前に贅の限りを尽くした礼をするぞ」
(あ…………)
ゼレウスが浮かべる、不敵な笑み。
彼と出会ってからまだ十日ほどしか経っていないが、何度も目にした笑み。
その笑みに自然と惹かれている自分がいることに、エレイナはふと気がついた。
人族も魔族も、魔剣も聖剣も。
きっと、彼の不敵な笑みには本当に敵などいないのだろう。
自分を裏切った相手すら、味方にしてしまうのだから。
「じゃあ……期待して待ってる」
「フハハハッ! そう長くは待たせん! さぁ馬車に乗れ二人とも! 出発するぞ!」
ゼレウスが颯爽と御者台に乗り込む。
彼の姿が見えなくなるまで目で追ってから、エレイナも馬車に乗り込んだ。
ゼレウスが馬を操り、馬車が動き出す。
高鳴る胸の鼓動が、馬車の揺れに混じって消える。
──これが『恋』なのだろうか。
両親が殉じたかもしれない感情。
ふわふわとした不確かで弱々しい心地よさと、大きな不安。
今はまだ不快感のほうが強いのは、両親へのわだかまりが残っているからか。
成就すればまた違う感情になるのだろう。
だけど。
(今は……いいや。自分の感情を疑いながら、誰かを好きになんてなりたくないし)
振り向けば、遠ざかっていく街が見えた。
復讐、迷い、疑心、孤独、喪失感。
その象徴だった戦場を通り過ぎていく。
(恋や物語に憧れるのはもうおしまいにしよう。だって──)
‶背中で護ってくれるような人〟に憧れがあった。
だけどそれは幼い頃の話だ。
今は違う。
(あなたの隣に立てるような立派な人に、あなたに背中を預けてもらえるような自分に、あたしがなりたいから!)
他の誰かじゃなく、なりたい自分に憧れを。
彼の背中を見て、彼に背中を預けてもらってそう思えた。
小窓からゼレウスに話しかけるリーシャを見ながら……護りたいと思う仲間たちの姿を見ながら、エレイナはひそかに、しかし確かに。
心からの笑みを浮かべた。




