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旧魔王に聖なる封印を!  作者: モタモタ猿
第一章 魔王の器
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38.旧魔王に聖なる封印を


 ──‶背中で護ってくれるような人〟に憧れがある。

 幼い頃の話だ。

 両親に、二人の馴れ初めの話をねだったことがあった。



「レーナもきっと、素敵な人と出会えるわ」



 自分がなんと聞き、なんと答えたのか。記憶の沼へ沈み込んで、定かではない。

 覚えているのは、父が気恥ずかしさから席を外したことと、撫でてくれた母の手の重み。


 両親は冒険者だった。

 母はどこかのダンジョンで父に助けられたらしい。

 そこで二人は出会い、行動を共にするようになり、やがて恋人同士となった。

 母はとても楽しそうに語ってくれた。

 まるで麗らかな少女のような笑顔で。


 それが、エレイナの幼い憧れのきっかけだった。

 両親に憧れ、冒険者に憧れ、物語に憧れ、いつしか恋に憧れた。

 そのまま幸せであり続けられたなら、今頃恋を知ることもできていたかもしれない。

 両親が戦争に駆り出され……死ぬことさえなければ。



(──あれ?)



 景色が変わる。

 懐かしい両親の姿が消え、どこかの街へ。

 エレイナが生まれ、両親の死をきっかけに離れた街、その冒険者ギルド。



「……自決?」



 大人になったエレイナが、ギルドの隅のテーブルで一人の冒険者と対面している。



「ああ、間違いない。二人の遺体を戦場から運び出したのは俺だ。今でも覚えてる、やけに綺麗な遺体だったからな」



 情報は幼い頃の記憶と合致する。

 記憶に残る両親の遺体も、確かに綺麗だった。

 戦場で命を落としたとは思えないほどに。



「……情報を漏らさないためだろう。立派な生き様だと俺は思う」



 魔族に敗北した両親は、捕らえられる前に自ら命を・・・・絶った(・・・)

 魔族の捕虜となった人族の末路は悲惨だ。

 男はハーピーやサキュバスの所有物となり、女はオークのもとへと送られる。あるいは性別関係なく、ヴァンパイアの食い物にされるか。


 二人はオークやハーピーに尊厳と貞操を侵される前に、自ら死を選んだ。

 だから遺体は綺麗なままだったのだ。



「…………ありがとう。これ、少ないけどお礼」


「そんな顔した奴から受け取れねぇよ」



 エレイナの差し出した小袋を受け取ることなく、冒険者は席を立つ。



「長生きしろよ」


「…………」



 言い残して、冒険者はその場から立ち去った。

 彼の気遣いの言葉には答えず、エレイナも小袋を回収してギルドから出る。


 暗い通りを、魔力灯を再現した街灯に照らされながら進む。

 すっかり夜も更けてしまったが、この街に戻った初日に両親の情報が得られたのは幸運だった。

 が、疲れがエレイナの肩をどっと落とす。

 歩きながら、震える指で魔剣の柄をなぞる。


 ああ……やっぱり疲れている。

 宿に戻ったエレイナは、部屋に入るや否やベッドに突っ伏した。



(そっか……これ(・・)がそうなんだ……)



 どこからか聞こえる、泡の音。

 弾けて赤く染まる。

 エレイナの思考は夢の中のように曖昧に浮かんでは消え、過ぎ去っていく。

 初めての経験だ。

 たぶん、誰にだって一度しか訪れない感覚。



(これが、走馬灯(・・・)……)



 過去のエレイナは、ベッドに突っ伏したまましばらく動けずにいた。

 あの疲れの理由が、長距離を移動したからだけではないことをエレイナは知っている。


 ……自分が両親の‶いちばん〟だと思っていた。

 家族の愛を比べたいわけじゃない。

 自分が酷なことを言っているのも理解している。

 だけど、そう思わずにはいられなかった。

 愛とはそういうものなのだろうか。それともそれが『恋』というものなのだろうか。


 あぁ、本当に疲れてしまっている。

 自分自身の人生に。

 だからどうか、言葉には出さないから許してほしい。

 この思考の中に浮かぶ、戯言を。



 ──『恋』は、たった一人の娘を見捨ててしまえるほどに素晴らしいものなの?



 なんて残酷な問いかけだろう。

 無意味で、間違った問いかけなんだろう。自分でもわかっている。

 だけど……。



「なんで死んじゃったの……なんで、あたしを待ってくれなかったの……」



 籠もる声は震えて途切れ、ほとんど言葉になっていない。

 無理を言っているのは理解しているが、どうしてもこの考えを消し去ることはできなかった。


 死んでさえいなければ、希望を持てたのに。

 『この戦争を終わらせる』などという、分不相応な希望に(すが)らずにいられたのに。


 今のエレイナにとって、‶支配の魔剣〟は希望だった。

 両親が残した遺品の内で、最も貴重な物。

 銘は知らない。

 魔剣や聖剣は、本来の使い手でなければ名前を知ることはできないから。

 だがその能力は知っている。


 エレイナには特別な力があった。

 気づいたのは、両親が残した魔剣を初めて抜いた時。

 剣を抜くと同時に、柄を握るエレイナの右手に赤黒い稲妻が走った。

 稲妻は彼女の柔肌を焼き、痛みと傷を残す。

 しかしエレイナが驚愕と苦痛に剣を取り落とせば、それはすぐに収まった。

 光魔法で傷を癒しながら、エレイナは勇者や魔剣使いが本能的に剣の使い方を理解するのと同じように、自らに与えられた特別な力を悟った。



 ──この手は、選ばれた者にしか扱えないはずの武器を操ることができる。



 魔物や動物相手に試し斬りをし、魔剣に秘められた能力を完全に理解した時、エレイナは自らのすべきことに気がついた。



 ──もしもこのチカラを、‶魔王〟相手に行使できたなら?



 魔族を内側から崩壊させるのも可能かもしれない。

 魔族も一枚岩ではない。序列の存在がそれを示している。

 であれば、いずれかの種族を‶八大魔王〟を通じて支配し、他の魔族と争わせることもできるはず。


 しかし現実的ではない。

 魔剣の存在を秘匿し続けるなら、魔王あるいは地位の高い魔族が一人でいる状況、かつチャンスは一度きり。

 能力には発動条件もある。対策は難しいはずだが、不可能ではない。

 この脅威を知られれば最後、エレイナは始末されてしまうだろう。

 しかし今のエレイナにとって、これは確かに希望だった。


 復讐心ではなく、人族のために。

 あの『間違った問いかけ』はある種エレイナを救っていた。

 両親の自刃に対する行き場のない懐疑心が、エレイナを復讐心のみに染め上げることを防いでいるのだ。


 どうせ見捨てられた命だ。そうやって自嘲するように決意する。

 だがそんなエレイナの思惑も、計画も、希望も打ち砕かれた。

 ‶旧魔王〟ゼレウス・フェルファングに出会ったことで。


 ……もうお役御免だ。

 魔剣の力が露呈し、自分にできることはなくなった。

 これ以上魔族に立ち向かう必要もない。

 ここで死んで、すべてから解放されたっていい。

 ゼレウスに打ち砕かれた、エレイナの希望。

 魔剣に縋ったこの希望の中には……その根底には深い絶望があった。


 エレイナに剣の才能はない。

 それどころかあらゆる近接戦闘の才能がなかった。

 孤児院で出会った冒険者に鍛えてもらっても、その芽は出ずに終わった。

 そんな中で、弓は唯一可能性のある武器だったのだ。

 だからこそ……ゼレウスの言葉がどれだけ心に響いたか。



 ──お前が弓に費やしたその月日が、その最初の一歩こそが‶抗う強さ〟だ!! 魔剣でも聖剣でもなく、それこそがお前の本当の武器だ!



 エレイナはどこか救われた気分だった。

 もう死んでしまってもいいと感じるほどに。

 そう、思っていたのだが。



 ──ならば、我が救いに行こう。



 魔族でありながら、人族すら救おうとしたゼレウス。

 その中にエレイナは入っているのだろうか。



(きっと……入っているんでしょうね。それなら──)



 ──ついてくるか? エレイナ。



 あの牢屋から連れ出してくれた時のように、またこの手を引いてくれるだろうか。



どっちでもいい(・・・・・・・)、そんなの……ッ!)



 血が弾ける。

 聞こえる泡の音は、喉から零れる空気に泡立つ、自分の血の音だ。



(あなたがあたしを許してくれようがくれまいが、関係ない!!)



 一気に現実に引き戻される。

 エレイナの意識は覚醒し、喉から肩まで走る激痛を自覚する。

 背後へ倒れようとする上半身を引き留め、一歩後ろへ出した右足で強く大地を踏み返した。

 魔剣を握っていた右手を胸元へ持っていき、最低限の治療を施す。



(ここじゃ死ねない……ゼレウス! あなたに・・・・あたしの・・・・命は・・背負わせない(・・・・・・)!!)



 ゼレウスが望むなら、どんな贖罪をも全うしよう。

 だがもし彼が贖罪を望まないのならせめて……報いよう。

 心を軽くしてくれたあなたの言葉に。

 この歪んだ希望を打ち砕いてくれた、あなたの行動に。


 弾けた走馬灯を泡沫(うたかた)の如く振り払って、エレイナは巨体のオオカミを正面から見据えた。

 再び爪が振り下ろされる。



「エレイナッ!」



 届く前に、飛び込んできたリーシャに抱き飛ばされて逃れた。

 地を滑り、土がエレイナとリーシャを汚す。

 あまりにも大きな隙。獣と化したゼレウスといえど見逃すはずはない。

 だが追撃が来ることはなかった。



「リーシャ殿!」



 ギグルが両者の間に入り、ゼレウスへ向けて剣を振るったためだ。

 しかしそれは牽制の一撃に過ぎない。当然のように避けられる。

 振り抜いた隙を見逃すことなく、ゼレウスはギグルへと飛び掛かった。

 ギグルは引き戻した剣で間一髪、牙を受け止める。

 オークの王といえどもこの体格の差は大きい。

 剣に爪を掛けられ、上から押しつぶすように体重を掛けられた。



「ぐ……うおぉおおッ!!」



 さらにギグルの肩に置かれたもう一方の爪が、血を滲ませながら皮膚を裂き、ずぶずぶと沈んでいく。



「ギグル殿! くそ……ッ!」



 起き上がり、ギグルのもとへ向かおうと翻るリーシャの外套を、エレイナが弱々しく掴む。



「……リー、シャ……」


「っ……喋るのもやっとじゃないか! ここで待っていろエレイナ、私が──」


「あたしがや゛るッ!!」


「!!」



 鬼気迫るその様子に、リーシャはしばし息を呑んだ。

 赤く濡れたエレイナの胸元で、露出した筋肉が蠢く。

 出血しすぎて肌と服の境目すらわからない。

 乱れる息を弱々しく吐き出す彼女だが……その瞳には確かな力強さが宿っていた。



「……私たちがゼレウスを抑える。(たく)したぞエレイナ!」



 リーシャが駆け出し、ギグルへ加勢する。



「すまんゼレウス!」



 ゼレウスとギグル、両者の懐に入るや否や、リーシャは下からゼレウスの顎を蹴り上げた。

 瞬間、何かがパラパラとリーシャの頭上に降り注ぐ。



「な、おれの剣が……!」



 太陽の光に煌めくそれは、砕けたギグルの大剣だった。

 リーシャの強襲に怯みもせず睥睨するゼレウスの口元から、パラパラと破片が零れ落ちる。

 強靭に鍛え上げられた大剣を噛み砕いたというのに、その牙は折れるどころか欠けることすらなかった。


 根元を砕かれた剣の切っ先が落ちる前に柄を捨て、ギグルがゼレウスの空いた胸元へタックルを仕掛ける。

 ほんの少しだけ、ゼレウスの巨体が浮き上がった。



「う……ぐ、ぅう……っ」



 ギグルたちの後方。

 地面に手をついたエレイナは、痛みに軋む身体を奮い立たせていた。

 胸元から流れ落ちる血液がぬかるみのように手に絡みつくが、大地に爪を立てて力任せに身体を持ち上げる。



(魔剣は……)



 リーシャの駆けていった先、ゼレウスの近くにあるはずだ。

 視線を巡らせばすぐに見つかった。

 知らぬ間に蹴り飛ばされたのだろう、思ったよりも近い位置。

 一歩踏み出そうとして……しかしエレイナはほんの一瞬だけ逡巡する。


 罪悪感だ。

 ゼレウスを裏切り魔剣を振るったこの罪悪感が、どうしても拭い去れない。


 視線の先では戦況が刻一刻と変わっていく。

 満身創痍だというのに、残された時間は少ない。

 個人的な感傷如きで迷っている暇などありはしない。

 すべて切り捨て、エレイナが踏み出そうとしたその時だった。



「エレイナちゃん!」



 魔剣の反対側から聞こえる、少年のような声。

 刹那、エレイナは駆け出す。

 痛みと消耗で速度は出ない。

 だがもう、迷う必要はない。



「──ボクを!」



 大地を貫き、自身を抜き去る勇者をいざなうように。

 魔封じの聖剣フュージアはエレイナを呼んだ。



「お願い、ゼレウスを──」


「わかってる……誰も、殺させはしない……!」



 抜き、構える。

 ふらつく身体を気合で支える。

 死に‶抗う強さ〟をその瞳に宿し、エレイナはゼレウスのもとへと駆けた。



「リーシャッ!!」


「リーシャちゃん!」


「! ギグル殿、頼む!」


「おおッ!!」



 タックルによってかち上げられたゼレウスの懐に潜り込みながら、ギグルはゼレウスの右前脚を左脇に抱え込んだ。

 牙がギグルの首元に迫る。



「やめろゼレウス!」



 リーシャが再びゼレウスの顎を蹴り上げ事なきを得ると同時に、ギグルの右手がゼレウスの喉元を捉えた。

 が、代償に左の爪がリーシャを背後から襲う。



「リーシャちゃん後ろ!」



 フュージアが危機を伝えるが、回避は間に合わない。

 エレイナもまだ辿り着いてはおらず、庇うことはできない距離。


 しかしその時、一陣の風がエレイナの目を奪った。

 風の色はひときわ目を惹く、美しい七色。

 硬質な物同士が激しくぶつかり合い、金属音が高く響く。



「まぁったく、世話の焼ける姫さまねぇ!」


「あ゛ぁ!?」


「イリーリャ!! そのままそっちを抑えてくれ!」



 低空を()け速度を乗せたイリーリャの後ろ回し蹴りが、ゼレウスの左爪を真正面から抑え込んだのだ。

 ハーピーの強靭な脚力を活かし、イリーリャはゼレウスの膂力に抗う。



「これでさっきの借りは返したわよリーシャ! ……ってちょ、重っ! 強っ! もう無理なんだけど!」


「うぉおぉおっ! 腑抜けめッ! 私も支えるからがんばれ!」



 脚を上げたまま姿勢を崩しそうになるイリーリャを援護するため、リーシャもゼレウスの前足を下から支えた。

 右前足、喉元をギグルが抑え、左前足をリーシャとイリーリャの鉄爪が封じ込める。

 だが三人とも、揃って苦悶の表情を浮かべていた。

 両前足と顎を持ち上げられてもなお、ゼレウスの膂力と体重のほうが勝っているからだ。

 もう数秒と持たない。



「エレイナぁッ!!」


「っ……あぁああぁああぁあッ!!」



 だけどもう、その数秒すら必要ない。

 背中合わせのギグルとリーシャが開いた隙間に身を滑りこませ、エレイナはフュージアをゼレウスの胸元へと突き立てた。


 刹那、リーシャたちを押しつぶそうとしていた重みが消える。

 オオカミの巨体が、黒い煙となって霧散する。

 現れた人影を、倒れゆくゼレウスの背を、リーシャとギグルの手が左右から支えた。



「やったッ! 元に戻ったぞ!」



 やけに遠くから聞こえるリーシャの歓喜の声を、エレイナは不思議には思わなかった。

 彼女はすぐそばにいるはずなのに。



「エレイナちゃんッ!」


「っ! ゼレウスを頼むギグル殿!」



 暗くなっていく視界の端に、駆け寄ってくるリーシャの姿が見えた。


 ──あぁ……いい夢を見れた。

 聖剣を抜き、魔王を封じる。

 まるで勇者のような役回りだった。

 幼い頃に夢見た、物語の主人公のような。


 瞼が重い。聴覚も鈍くなってきた。

 だが身体に走る衝撃に、エレイナの意識は少しだけ目覚める。



「しっかりしろエレイナ!! すぐに治療するからな!」



 鈍りつつある触覚が、リーシャに背負われていると伝えてくる。

 あるはずの痛みはもうほとんど感じない。



「ちょっと、まさか人族のところに行くつもり? 殺されるわよ」


「知るか! 私は誰も死なせない! ……エレイナ、ちょっと我慢してくれよ。ロントリーネまで走るぞ!」



 もう返事をする余裕すらない。

 あらゆる感覚が消えていく。



「バカね。そんなわがままで救えたら世話ないわよ」


「イリーリャ、提案が──」



 遠ざかるギグルの声を最後に、エレイナの意識は外の世界と隔絶された。

 代わりに浮かび上がってくるのは、懐かしい光景。

 窓から差し込むぽかぽかとした陽光と母の手の温かさに、幼いエレイナがはにかむ。



「大切な娘だ。少なくとも、俺より弱い奴にはやらん」



 聞き耳を立てていたのか、席を外していたはずの父が戻ってきている。



「あら、じゃああなたも私からレーナを奪えないわね?」


「う……そんなことないだろう」


「試してみる?」


「やめとく」



 父が澄ました顔でそう答えると、母はくすくすと笑った。


 やっぱり、自分が何と答えたのかは思い出せない。

 でも、今の自分ならこう答えるだろう。



 ──大丈夫だよ、パパ。あたしはどこにも行かないよ。……だって──



 ‶背中で護ってくれるような人〟に……憧れがあった。

 だけどそれは幼い頃の話。


 物語の登場人物のようにはなれなかった。

 英雄にも、勇者にも、お姫さまにも。

 それどころか、誰かの心を裏切った『悪』と成り果てた。

 だからもう、恋も、愛も、誰かからの信頼も、この幼い憧れも。

 今のあたしには、どれも相応しくないのだから。


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