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旧魔王に聖なる封印を!  作者: モタモタ猿
第一章 魔王の器
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37.‶抗う意思の光〟


「えーーー!! ゼレウスも変身できるの!? ボク知らなかったんだけど!」



 蒼いオオカミとなったゼレウスを見て最も驚いた様子を見せたのは、意外にもフュージアだった。

 ゼレウスは笑みを深め、少々得意げな様子を見せる。



「驚かそうと思ってな、お前にも隠しておいたのだ。といってもその機会は相当先だと思っていたのだが……フュージアが刺さっている状態ではこの姿には──」


「うお~~~! もふもふだぁ!」



 リーシャの歓声がゼレウスの言葉を遮る。

 彼女は満面の笑みでゼレウスに駆け寄ると、勢いそのままに首元へ抱き着いた。

 が、その瞬間リーシャの表情は暗く沈み込む。



「いや結構ゴワゴワだ……」



 ご期待には添えなかったらしい。

 なんだか冷静になったリーシャはスッとゼレウスから離れ、名残惜しそうにゴワゴワを何回か撫でた。



「乗るのはいいけど……あたしに背中を任せていいの?」



 言われたとおり弓と矢筒を拾いながら、エレイナがおずおずと問いかける。



「リーシャといっしょに乗るなら、二人はあたしに背中を預けることになる。物理的にも、精神的にもね。……リーシャとフュージアはそれでいいの?」



 ゼレウスたちと違い暗い表情のままのエレイナの声色は、どこか不安げだ。



「私は……正直言ってゼレウスの判断はおかしいと思う。裏切られて、そのけじめもつけぬまま今までどおりとはいかないだろう。……けど」



 リーシャが軽やかにゼレウスの背中へと飛び乗る。



「裏切られたのはゼレウスだ。本人がそう言うのなら……私はそれを受け入れる」



 あくまでゼレウスの判断を受け入れただけで、エレイナのことを受け入れたわけではない。

 リーシャの言葉はそう言っているようにも聞こえた。

 だけど、当たり前の反応だろう。自分にはそれを悲しむ権利などないと、エレイナは黙して受け入れる。



「……フュージアは」


「ボクは……」



 先程、彼はエレイナがゼレウスに何をさせるつもりかを知って、激しく激昂した。

 八百年来の相棒を陥れたのだ。どれだけの感情が返ってくるのか見当もつかない。

 エレイナは凍えていく自分の心に必死に薪をくべながら、彼の言葉を待った。



「ボクもゼレウスに任せるよ。でも、エレイナちゃんにはあとで伝えなきゃならないことがある」


「……わかった」



 受け入れよう。

 どんな恨み言も、軽蔑の言葉も。

 それに相応しいことを自分はしたのだから。


 エレイナは覚悟を決めると、ゼレウスのそばに歩み寄った。

 すると、リーシャが上から手を差し伸べてくれる。

 一瞬ためらいながらもエレイナがリーシャの手を掴んだ、その時だった。

 ゼレウスから意外な指示が飛ぶ。



「エレイナが前に乗れ。魔剣はまだ抜くな、ちょうどいい持ち手になる」


「持ち手って……」


「おお、ホントだ、ちょうどいいな」



 リーシャがゼレウスの背中に刺さっている魔剣の柄を握り、支えにしながらエレイナを引き上げる。

 魔剣も聖剣と同じく選ばれた者しか抜けないため、リーシャが握っても不意に抜けてしまうことはない。

 フュージアが刺さっていた時とは異なり背中側に柄があるので、刃を触る心配もないのは確かにちょうどいいといえるだろう。

 流石にそれを喜べるほど、エレイナも開き直ってはいないが。



「リーシャ、エレイナを支えてやれ。鞍も手綱もないからな。後ろから魔剣の柄を握れ」


「……わかった」



 後ろにいるリーシャに抱き留められる。

 籠められた力が控えめで遠慮がちなのは、きっと気のせいではないだろう。



「エレイナは弓を準備しろ」


「ええ。でもこれで何を……いや、まさかあたしが……?」


「そのまさかだ。お前がザナドの逆鱗を撃ち抜き、変身を解除させろ。そして……」



 ゼレウスが地面に刺さったフュージアに近づき、その柄を咥えて抜き取る。



「我がフュージアを突き立て、ザナドにかけられた蘇生の魔法を解く。準備はいいな? 出発するぞ」


「……ちょっと待って」


「なんだ? これ以上は待てん、手短に頼む」



 出鼻をくじかれつつも、ゼレウスはエレイナの言葉を待った。



「……‶敵意〟よ」


「!」



 背後から息を呑む声が聞こえる。

 なんの話をしているのか、説明をする前に伝わったようだ。



「‶支配の魔剣〟の力は、持ち主に対する‶敵意〟を鍵に発動する。だから……難しいだろうけど、あたしへの‶敵意〟を抑えれば発動はしない」


「……そうか。それならもう、我に対して発動することはない」


「! どうして……いえ、対策ができるのならそれに越したことはないわね」



 エレイナは深入りするのをやめた。

 ゼレウスがどうやって裏切り者である自分に敵意を向けずにいられるのか、それを聞くのは甘えのように感じたから。


 自身の疑問を断ち切り会話を終わらせると、背中にコツンと何かが当たる。

 リーシャが頭を預けてきたのだ。

 背中に当たって折れ曲がった帽子のつばの感触が、そう伝えてくる。



「私は……まだ発動してしまうかもしれないな」


「……それが当たり前よ」



 そう、それが当たり前だ。ゼレウスの反応のほうがおかしいのだ。

 そう思っていたのに。

 言葉とは裏腹に、さっきまでよりもしっかりと。

 ぎゅっと抱き留めてくれるリーシャに、エレイナは目頭が熱くなるほどに、どうしようもなく嬉しくなってしまった。



「今度こそ準備はいいな? ……《隔炎》」



 ゼレウスが呟くと、その足元で蒼い炎が激しく燃え上がる。

 下は草原だが、燃え広がりはしない。

 ゼレウスがそうならないよう操作しているためだ。

 蒼い炎はそのままゼレウスの四肢に集い、足首に灯った。



「さぁ、行くぞ!」



 ゼレウスが駆け出す。

 ぐんぐんと速度を上げると勢いそのままに大地を蹴り、空へと跳び上がる。

 オオカミの姿では、空を飛ぶことはできない。

 だが《隔炎》さえあれば。



「空を、駆けてる……」



 思わずエレイナは呟く。

 質量を持った炎、《隔炎》を足場にしているのだ。

 後ろを振り返ってみれば、残っていた蒼く揺らめく足跡がふわりと消えていく。


 まるで神話だ。

 伝説やおとぎ話の如き巨大なドラゴンと、空を駆ける蒼いオオカミ。

 自分がその登場人物になっていることに。その現実離れした状況と不釣り合いな、弱者である自分に。

 エレイナの身体は緊張と恐怖にすくみ上がり、心臓はバクバクとうるさいほどに脈打ち始めていた。



「ザナドが動いた!」



 空を駆け上がり‶竜王〟のもとまで辿り着いた時、フュージアが警告を放つ。

 ザナドの首が動き、ゼレウスたちの姿をその瞳に捉える。

 同時に、ザナドはゆっくりと動き出した。

 いや、違う。

 あまりに大きすぎてゆっくりに見えるだけで、これは……この速度は!



「伏せろッ!」


「きゃあぁああぁあッ!!」



 振るわれた腕をゼレウスが掻い潜り、エレイナたちの頭上を轟音が通り過ぎる。

 風切り音なんてものじゃない。まるで暴風だ。

 ゼレウスなら避けられるとわかっていたのに、思わずエレイナは叫び声をあげてしまった。



「このまま近づく! フュージア! お前の刃が通るか確かめるぞ!」


「よぉーーっし!!」


「いけぇ、ゼレウス!!」



 ゼレウスの声に、フュージアとリーシャが気合の籠もった返事を返す。

 怯まない。

 彼らは怯む様子など、微塵も見せない。

 まるで物語の登場人物のように。

 ザナドに向けて突っ込んだゼレウスが、その肩のあたりをフュージアで切り裂く。



「やったかゼレウス!?」


「いや……」


「斬れたのは鱗だけだ! 肉までは届いてないよ! ていうか追ってきてる!」



 動き出したザナドは交差したゼレウスを目で追い、身を翻した。

 巨大な翼を羽ばたかせ、空を駆けるゼレウスを追い始める。



「このまま街から遠ざかれば、とりあえず他のみんなは助かるんじゃないか?」


「ずっと追ってくるかもわからん以上、リスクがある。今すぐここで仕留めるべきだ」


「まずい、火球が来るよ!」



 首だけで振り返り背後を一瞥したゼレウスは、薄く開かれたザナドの口から覗く灼熱を見た。

 ゼレウスが素早くザナドの正面から逃れると同時に、火球が頭上を通り過ぎていく。

 リーシャは魔剣の柄を、エレイナは弓といっしょにゼレウスの毛を握り込んで、振り落とされないよう踏ん張る。


 ──そうだ。幼い頃、自分が冒険者や物語に憧れたのは、彼らのようになりたかったからだった。

 おとぎ話の英雄やお姫様のような、特別な存在に。

 だけど──



「そこかしこに炎を吐かれてはかなわん。逃げ続けるのもリスクか……やはり逆鱗を攻撃するしかないな。……いけるか、エレイナ?」



 自分は彼らのような、強者ではない。

 魔王でも聖剣でも、お姫さまでもない。

 魔剣の力に頼って、それすらも十全に扱えない弱者であり、卑怯者。

 エレイナは震える声で、消え入るように呟く。



「あたしにできるかどうか、わからない……」



 嘘をついた。

 できるかどうかわからないんじゃなくて、やりたくない。

 恐ろしくてできない。

 怖くてたまらない。


 あのアイススケートとやらをした時も、最初の一歩を踏み出すのに時間がかかった。

 ‶噪天の爪(ラークスパー)〟に乗ってレースをした時も、ただリーシャにしがみついていただけだった。

 どうしようもないほどの臆病者。それが本当の自分なのだ。


 ‶竜王〟と対峙することとは別種の恐怖。

 今、この両肩には無数の命がのしかかっている。

 ロントリーネの街の人々。

 リーシャと、彼女が護ろうとした魔族たち。

 もしかしたらゼレウスの命でさえ。



(それを使い潰すつもりだったのは誰!!)



 自責する。矛盾を孕んだ自分自身に。

 魔剣の力に頼ったのは、自分では何もできない弱者だからだ。

 ゼレウスを騙し裏切ったのは、そうしなければ魔剣を振るうことすらできない弱者だったからだ。


 裏切りが失敗しても、死ぬのは自分だけのはずだった。

 弱者である自分は自分一人の命を背負うだけで精一杯。

 そんな自分がこの恐怖を克服できるだろうか。

 いや、きっと、一生──



「逃げられんぞ」


「!!」



 その低い声に、息を呑む。心臓が早鐘を打つ。

 ゼレウスなら気遣うような言葉をかけてくれると、どこかでそう思っていた自分にエレイナは気がついた。



「おいゼレウス、そんなプレッシャーをかけるような……」



 リーシャが思わず口を挟むが、ゼレウスの言葉はエレイナに向けて続けられる。



我々(・・)は、不安や恐怖から決して逃れられない」



 彼の言葉に、エレイナはしばし目前の恐怖を忘れる。

 強い疑問があったからだ。



「……‶我々〟?」


「そうだ。人族も魔族も関係なく、生きとし生ける者は恐怖から逃れられない」


「…………あなたが言っても、説得力がない……」


「それは我が強いからだ。我はただ、恐ろしさや焦燥感に‶力〟で抗っているに過ぎない」


「そんなこと…………いえ、そうね、確かにあなたは強い。だけどあたしは弱いから、魔剣や卑怯な手段に頼った。恐怖を乗り越える強さを持てって言いたいの? それができればあたしだって──!」


「違う!!」



 声を荒げるゼレウスに、そこに籠められた感情の強さにエレイナは怯んだ。

 ゼレウスは加速と同時に方向転換し、ザナドの周囲を回るような軌道へと舵を取る。



「確かにお前は魔剣と裏切りを手段とした。だがエレイナ! 本当にその二つが、お前にとっての‶抗う強さ〟なのか!」


「っ……! それ以外に、あたしに何ができたっていうのッ!?」


「エレイナ……お前は──」



 距離を離すのをやめたため、ザナドの攻撃範囲に入ってしまった。

 振るわれた腕にゼレウスの言葉が途切れる。

 だがそのリスクは織り込み済みだ。危なげなく回避し、ザナドの背中側へと回った。


 エレイナはゼレウスの紡ぐ言葉を待つ。

 それは、彼女にとって意外な言葉だった。



「お前は、比類なき弓の名手だッ!!」


「!!」



 それは、初めて会った時と同じ言葉。

 恐怖を忘れる。

 今度は疑問ではなく、内から湧き上がる別の感情ゆえに。



「それほどの実力を得るために、お前がいったいどれだけの月日を研鑽に費やしたかは知らん! だがお前が弓に費やしたその月日が、その最初の一歩こそが‶抗う強さ〟だ!! 魔剣でも聖剣でもなく、それこそがお前の本当の武器だ!」



 誤解していた。

 冷たい言葉をかけられているのだと。

 でも、慈悲だけの言葉でもない。

 これはきっと……‶激励〟だ。



「意思の力だけが、人に新たな一歩を踏み出させる! エレイナ、お前は弱者などではない!! 抗う意思の強さを、最初の一歩を、お前は遥か過去に踏み出しているのだ! だからできる! 『できるかどうかわからない』などということは、決してないッ!!」



 自分の考えが否定されているのに、胸が温かくなる。

 目頭が熱くなる。

 心が、奮い立つ。



「……あたしじゃなくても……あなたでもリーシャでも、逆鱗を攻撃することはできる。……でしょ?」



 だけど彼の言葉は、やっぱり慈悲でもある。

 心は決まった。

 でも少しだけ、彼の言葉に甘えてしまう。

 エレイナは、ゼレウスがどんな言葉を返してくれるのか、もうすでにわかっていた。



「何を言う。我は知っているぞ、お前の弓の腕前を」


「それなら私も知ってるぞ! さっきイリーリャから聞かされたからな。ひらひらと落ちる羽根を二枚、たった一度の射撃で撃ち抜いたって。それがなかったら私の負けだったとな! ちなみに私は気づきもしなかったぞ!」



 リーシャの言葉に、エレイナは思わず小さく笑った。


 やっぱり、ゼレウスの言葉は勇気をくれる。

 歴史書や物語の中で語られる魔王とは真逆の姿。

 彼はそう、まるで、聖剣に選ばれ人々を導く──



「お前に任せるのが最も確実な手段だ。……いけるか、エレイナ?」


「……ええ」



 静かに、しかし力強くエレイナは答えた。

 矢筒に手を伸ばし、矢を引き抜く。

 迷いも、恐怖も振り払う。

 罪悪感だけはそのままに心の奥に沈め、目的を果たすための意志を固める。



「逆鱗は下顎にあるのよね?」


「ああ、そのはずだ。しかし我が知っているのは幼い頃のザナド、正確な位置まではわからん。胸元に潜り込んで探す必要があるだろう。行くぞ!」



 三つの力強い返事に背中を押されながら、ゼレウスはザナドの背後から腋の下を通り、胸元へと飛び込んだ。



「あった、逆鱗!」



 フュージアが叫ぶ。

 少し遅れてゼレウスたちもその位置を視認。

 ザナドの下顎、正面から隠れた位置にそれはあった。



「一度離脱するぞ! エレイナ、確認したな!」


「ええ!」


「どの位置からなら狙える」


「……正面から」


「えぇっ!? どういうことエレイナちゃん!」


「どういうこととはどういう意味だフュージア! 私は帽子で何にも見えんかったぞ!」


「帽子脱げ! ……ないか、不便だなぁリーシャちゃん! 逆鱗は顎の裏にあったんだよ! 前からじゃ見えない位置!」


「じゃあ正面からは無理じゃないか!」



 リーシャもゼレウスたちと同じ認識のようだ。

 それはつまり、現代の技術を以ってすれば矢の向きを一八〇度変えられる、というわけでもないということである。

 ゼレウスがエレイナに説明を促すと、彼女は落ち着いた様子で答える。



「正面から撃つわけじゃない。ザナドの正面から近づいて、胸元のほうへ駆け抜けて」


「まさか……その交差する瞬間に撃つのか」


「ええ……頼める?」


「ふっ……」



 ゼレウスは思わず笑みを浮かべた。

 八百年前にも見た、その瞳の中の光に。

 それは数日前彼女の瞳の中に見た、ギラギラとした光ではない。

 現実を知り、失意に打ちのめされ、恐怖に震え、それでもなお乗り越えようとする意志の光。


 ‶抗う意思の光〟。

 ゼレウスがその光を見たのは、そう、かつて聖剣を手に挑んできた──



「任せろ」



 答え、ゼレウスは加速した。

 ザナドから離れれば、再び追われる。

 少し引き離してから反転し、ザナドの姿を正面から捉えた。


 勇姿。

 今のエレイナの姿は、まさにそう呼ぶのに相応しかった。

 先程までとは違う、失意と恐怖を乗り越えたその姿は。



「ゆくぞ、エレイナ!!」


「はい!」



 翼を羽ばたかせ、こちらへ接近してくるザナドへ正面から突っ込む。

 ゴーグルに護られているエレイナの目は、もうどこにも逸らされることはない。

 ‶竜王〟の口が敵を飲み込もうと開いたその瞬間、蒼いオオカミは下方へと逃れた。


 刹那、エレイナは上半身ごと振り返っていた。

 鼓膜を激しく叩く、牙と牙のぶつかり合う硬質な音にも一切怯むことなく。


 弓を構えた左手を突き出し、右手で引き絞る。

 逆鱗を視認。

 最小かつ最速の動作で構えたものの、猶予はない。

 狙いを定める時間は、この思考速度すら凌駕しなければならない。


 ……可能だ。

 奮い立つ心が力を与え、湧き出る勇気が身体から余計な力みを取り除く。

 かつて経験したことのないほどに研ぎ澄まされた、明瞭な感覚が今のエレイナにはあった。

 極限の集中に時間が引き延ばされたような感覚へ陥るが、その初めての経験にすら慌てることはない。

 矢を放ち、エレイナは前を向く。


 確信があった。

 自分の放った矢が、ザナドの逆鱗を撃ち抜く確信が。



「……見事」



 ゼレウスの静かな賞賛に、その確信が現実になったことを知った。

 頭上を通る‶竜王〟の巨体が黒い塵となって消える。

 まるで黒雲のようなそれがすべて晴れる前に、中から黒い影が零れ落ちた。


 黒い鱗のリザードマン。

 元の姿に戻ったザナドは意識を失っているらしく、空気の抵抗を受けながらただただ落下していく。



「ゼレウスっ!」


「ああ!」



 ザナドへ向けて加速、フュージアの声を置き去りにする。

 かなり上空で戦っていたはずだが、落ちるのは一瞬だ。

 草原がぐんぐんと近づいていく。


 だがもう慌てる必要はない。

 ゼレウスは急ぎつつも、背中のエレイナたちに万が一のないよう慎重にザナドへと近づき、その胸を口に咥えたフュージアで貫いた。

 同時に、辿り着いた地面へ縫い付けるようにして突き立てる。



「やったッ!」



 フュージアの歓声が響いた一瞬の空白のあと、ザナドの身体は黒い塵のようになって舞い上がった。

 塵はふわりと風に運ばれ、瞬く間に空へと溶けていく。



「うおおぉおっ! 本当にやったじゃないか! しかも一発で! すごいぞエレイナ、ゼレウス!!」



 リーシャが興奮した様子でエレイナに抱き着き、そのままゼレウスの背中ごと抱き込もうとする。



「ちょっ、いたたっ! 剣が当たってるからリーシャ! 柄がぐりぐりしてる!」


「あっ、すまん」


「もう……ゼレウス、魔剣はもう抜いていいのよね?」


「ああ」


「……っ」



 エレイナはリーシャを背中で押し返すと、ゼレウスの背から魔剣を抜いた。

 魔剣の柄から迸る赤黒い稲妻に肌を焼かれるが、鞘に納めればそれも収まる。

 僅かに回復した魔力で自分の右手を癒しながら、エレイナはゼレウスの返事にどこか哀愁のようなものが滲んでいたことに気がついた。



「どうやらお前にも魔王は務まらなかったようだな、ザナド」



 塵の散っていった空を見上げ、ゼレウスが呟く。



「……残念だ、強敵(とも)よ」



 呟いたその言葉が、八百年前ザナドから送られた言葉と同じだと気づけたのはフュージアだけだった。

 意趣返しかとも考えたが、ゼレウスらしくないと彼は思い直す。



「それって皮肉じゃなかったんだ? 八百年前の」


「……覚えていたのか。少なくとも我にとってのザナドは、互いに高め合う存在だった」


「ライバル?」


「かもな。案外、ザナドもただ我に勝ちたかっただけで、始末する気はなかったのか……今となっては知る由もないが」


「ふーん…………じゃあボク、ザナドのこと悪く言うのやめるよ」


「悪く言ったことなどあったか? 我も奴も気にせんさ」


「そっか…………あ、器が大きいから?」


「ふ……そうだな。さて、二人とも降りろ。元の姿に戻る」



 ゼレウスは小さく笑みを浮かべると、自らの背の上に視線を送る。

 さっきまで漂っていたどこか物悲しげな雰囲気は、ザナドの姿を模っていた塵とともにどこかへと消え去ってしまった。

 エレイナは返事と同時に降りるが、リーシャは背中の毛並みに身体を埋めるように抱き着いて粘る。



「もうちょっといいじゃないか~、なんならこのまま乗って帰ろう。ゴワゴワも慣れるとちょいフワだな。私が撫でまわして毛繕いしてやる」


「なにちょいフワって」


「へぇ~、ボクも触ってみたかったなぁ。ゼレウスそのまま帰ってあげなよ、別に何か消耗するわけじゃないんでしょ? …………ゼレウス?」



 突然途切れた会話に、フュージアが不思議そうに問いかける。

 しばしの間が空いて返ってきたのは……ゼレウスの苦しげな声。



「エレイナ……我に、魔剣を刺せ……っ」


「え、なんで……」


「! どうしたのゼレウス」



 異変に気づいたフュージアの声色が鋭くなる。

 彼の言葉に従い、エレイナは腰に下げた魔剣に手を伸ばした。

 が、それを振るった罪悪感を割りきることができず、握る寸前で手がこわばる。



「うわぁっ!」



 ためらった一瞬の間にゼレウスが両前足を上げ、背中に乗っていたリーシャを振るい落とした。

 転げ落ちたリーシャを放ったままゼレウスは跳ねるように数歩前進し、地面に刺さったフュージアのそばへ。

 身を翻し、ゼレウスの瞳がエレイナとリーシャを見据えた。


 フッ……フッ……と荒ぶる息。

 低く重い唸り声が、エレイナたちの背筋を凍らせる。

 まるで獣のように。

 その深緑の瞳からは、先程まで確かにあったはずの理性は失われていた。



「まさか…………暴走?」



 フュージアの言葉に、エレイナはゼレウスの言葉を思い出す。



 ──幼少の頃、ザナドの竜化の力が暴走したことがあった。しかし我がアッパーカットを決めれば無事、元どおりになったのだ。



 ゼレウスが、竜化したザナドの弱点を知ったきっかけ。

 今、それと同じことが起こってしまっているのでは。


 剥き出しの敵意がピリピリとエレイナの肌に突き立てられる。

 ゼレウスが魔剣を刺すよう指示したのはきっと、この状態の彼なら‶支配〟できるからだろう。

 後悔とともにエレイナは魔剣を抜く。

 同時に魔剣の柄から赤黒い稲妻が迸り、再びエレイナの右手を焼いた。


 これは拒絶反応だ。

 エレイナが本来の使い手ではない証。

 フュージアを握った時にも同じように青白い稲妻が出たが、聖剣と魔剣の違いか、あっちは傷を残すことはなかった。



(っ、大丈夫……これは自分で治療できる……!)



 痛みに耐え、魔剣を力強く握る。

 エレイナの魔法適性は、火属性と光属性の二種。

 魔力の総量こそ少ないものの、この程度の傷なら光魔法で癒せる。

 だが──



「エレイナ、避けろッ!」


「っ……!!」



 藍色の影がエレイナを覆い、見下ろす。

 獣といっても知能がないわけではない。

 エレイナが剣を抜いたことに反応し、先制攻撃を仕掛けてきたのだ。

 瞬きする間もなく爪が振り下ろされる。


 反応できない。

 リーシャであれば避けられただろうか。

 ……あぁ、自分はどうしようもないほどに凡人だ。

 この傷(・・・)は……今の魔力量では決して癒しきれない。



「ごぼ……っ」



 肩から喉を、そして胸部を通り脇のあたりまで。

 爪の描いた血の軌跡に溺れ、エレイナは声を上げることすらできずに魔剣を取り落とした。


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