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旧魔王に聖なる封印を!  作者: モタモタ猿
第一章 魔王の器
36/77

36.支配


「何が起こっている……ど、どうしてエレイナがゼレウスを刺して……」



 リーシャが困惑に満ちた様子で問いかけるが、誰も、何も答えない。

 エレイナだけでなく、ゼレウスも。

 胸を貫かれたというのに彼は声も上げなかった。

 異常な状況だ。

 沈黙は短い間しか続かなかったが、その間にリーシャの不安と困惑はまるで崖から突き落とされたかのように深まっていく。


 ──声を上げないということは、痛みがない?

 フュージアのように、あの禍々しさを帯びた剣には何か秘密がある?

 ふと、リーシャの思考の片隅にそんな疑問が浮かんだ時だった。



「‶魔剣〟だッ!」



 フュージアの鋭い声色に、沈み込みかけていたリーシャの思考は現実に引き戻された。

 突然のエレイナの凶行。

 魔剣とはなんの話だと疑問も浮かぶが、状況から推察し、浮かび上がった自身の考えと事実を繋げる。



「リーシャちゃん! ボクをゼレウスに──」



 聞き終わる前にリーシャは地を蹴っていた。

 魔剣の力。それがどんなものかはわからないが、フュージアには策があるらしい。

 エレイナの腰に下げられたフュージアを奪おうと、リーシャは駆ける。



「っ! ゼレウス、あたしを護って!」



 鋭く踏み込むリーシャを上回る速度でゼレウスが立ちふさがった。

 リーシャの対処を彼に任せ、エレイナは二人から距離を取る。



「なぜ庇うゼレウス! エレイナは貴様を刺したんだぞ! それとも私に知らせてないだけで、これは何かの策なのか!?」



 ゼレウスは答えない。

 いや、まさか………………答えられない?

 眉根を寄せるゼレウスの表情を見て、リーシャはその可能性に至る。



 ──魔法を封じる力がいい感じに作用して、精神操作系のアレもズバッと解除できるんだよね!



 確か、フュージアはそんなことを言っていた。

 正しくは魔封じの力ではなく聖剣としての力らしいが、まさかそれがフュージアの策?

 ようやくリーシャは今の状況を正しく理解できた。


 ゼレウスは魔剣の力によって何らかの精神操作を受けていて、フュージアに触れればそれは解除される。

 そしてもしゼレウスが自分の意志で動けないのなら、フュージアを取り戻すのはリーシャの役目だ。

 仕方なく覚悟を決め、リーシャはゼレウスに向けて殴り掛かった。



「エレイナちゃん……自分が何をしているか、わかってるの?」



 静かだが確かな怒りを含んだ、フュージアの声。



「もちろん。ゼレウスを裏切って……リーシャと戦わせてる」



 答えながらまるで肘掛けのように、フュージアの柄にエレイナの腕が置かれた。

 彼女の言葉どおり、リーシャの仕掛ける攻撃をゼレウスが捌き続けている。



「っ……どうしてこのタイミングで……いや、ゼレウスが魔王を倒したからか」


「ええ。ゼレウスは‶最強〟ね……魔族を滅ぼせるほどに」


「キミは……! ゼレウスに同士討ちをさせるつもりなの!!」



 聞くまでもなく明らかだ。

 ゼレウスは今まさに、リーシャと戦わされているのだから。



「いや……だけどその前に、操作されたゼレウスじゃあザナドを倒せないかもしれないよ」


「いざとなったら逃げさせる。そのために今、‶支配の魔剣〟の力を使ったんだから」


「‶支配〟……それがあの剣の能力! キミは聖剣も魔剣も操ることができるの?」


「聖剣も抜けることを知ったのはついさっき。どっちも不完全みたいだけどね。本来の使い手なら身体能力も上がる」


「……ちょっと待って。聖剣が操れることはわかってなかったの? ……じゃあさっきゼレウスを助けるために飛び込んだのは、エレイナちゃんにとってもホントに命懸けだったってこと?」


「…………」



 エレイナは口を噤む。

 表情は見えない。

 柄に置かれたエレイナの腕によって、フュージアの視界が遮られているためだ。



「ねぇ、エレイナちゃん。今のキミは笑っているの? 全部思いどおりにいって……リーシャちゃんとゼレウスを戦わせて……こうなることをキミは望んでいたの?」



 動揺からか、エレイナは小さく身じろぎした。

 フュージアほど近くにいないと気づけないほどに、小さく。

 その瞬間垣間見えた彼女の口元。

 その口角は、上がってはいなかった。



「……もしかしてゼレウスを助けるために支配したの? ザナドに勝てなかったとき、ゼレウスに逃げさせるために」


「『助けるために』なんて、そんな聞こえのいいものじゃない。でも……ゼレウスは見捨てないでしょ? 人族も魔族も。彼は決して逃げ出さない」


「それは……ボクもそう思う。……でもキミは裏切ったんだ。八百年前のザナドと同じように! ゼレウスは強いけど、心が傷つかないわけじゃない!! 自分が何をしてるのか、本当にわかってるのッ!!」



 かつてないほどにフュージアが声を荒げる。

 あの牢屋の中、アーズルードに向けて放たれた極寒の声色とは別種の、それでいて遥かに強い怒り。

 初めてフュージアからぶつけられるその強い感情に、しかしエレイナは怯まなかった。



「……ゼレウスに魔族を滅ぼさせる。すべてが終わったらゼレウスを解放して、あたしはどんな罰でも受ける。どんな苦痛も。どんな辱めも。どんな拷問も。どんな生き地獄だって……!」



 絞り出すように。

 軋む歯の音すら聞こえるほどの覚悟で。



「そ、そんなことをして……どんな意味があるの……」


「この戦争が終わる」


「!!」



 呪詛を吐き出すように、エレイナは世界平和を願った。



「そんな…………そんな、ボクはキミと同じことを──」



 フュージアの愕然とした様子の言葉。

 その意味にエレイナは小さな疑問を抱いたが、それを問いただす機会は訪れなかった。

 ゼレウスとリーシャに起きた異変に気がついたために。

 凄まじい速度で繰り広げられていた攻防が途切れ、いつの間にか二人は対峙したまま立ち尽くしていた。



「諦めたのリーシャ? それならそこで大人しくしてて。ゼレウス、ザナドはあなた一人でも倒せる?」


「いや待てエレイナ。ゼレウスが……」



 リーシャが戸惑った様子で何か言おうとしたが、ゼレウスが片手を上げてそれを遮る。



「構わん、リーシャ」



 ゼレウスの声を聴いた瞬間、エレイナの背筋は凍り付いていた。

 冷や汗が滲み出し、心の奥底から震えが昇ってくる。


 ゼレウスにリーシャとの・・・・・・会話を・・・許した・・・覚えはない・・・・・


 ‶支配の魔剣〟の力が解除されているのだ。

 その事実を後押しするように、ゼレウスはリーシャに背を向けた。エレイナを護るよう命じているはずなのに。



「えっ!? ゼレウス、‶支配の魔剣〟の力が解けたの?」


「‶支配〟……それがこの剣の力か」



 ゼレウスに正面から見据えられる。

 いつもどおりの泰然とした態度。

 感情を素直に出す彼だが、そうでない時の表情は読みづらい。

 怒っているのか、それとも失望しているのか。

 エレイナはその感情を読み取れず、自分に下される罰がなんなのか、ただ震えて待つことしかできなかった。



「条件があるな?」


「え……?」



 いつもと変わらない声色。

 それが逆にエレイナの恐怖を煽る。

 歯牙にもかけない。お前にはその価値もないと、言外に伝えられているようで。



「支配するための条件だ。先程までの我はそれを満たしていた。が、何かをきっかけに覆った」


「……何がきっかけだったんだ?」


「わからん。なんか解けたのだ」



 リーシャの問いかけにゼレウスはけろりとした様子で答える。

 遠くでこちらの様子を伺っている虹色のハーピーから「えぇ~……本当にそんなこと起こるの……」と呟く声が聞こえた気がした。



「っ……ゼレウス! それ以上近づいたら撃つ!」



 数歩跳ねるように飛び退き、エレイナは弓を構える。

 無意味なことはわかっている。だが、この行為自体には意味がある。



「……それが条件か?」


「!!」



 向けられた矢じりに構うことなく、ゼレウスは言葉を続けた。



「‶支配の魔剣〟の発動条件は、さっきまでの我にあったものであり、今の我にはないものだ。思い当たるものはひとつ。……何らかの‶感情〟ではないか?」



 ……これが最後のチャンスだ。

 いや、悪あがきと呼ぶのが相応しい。

 さっきまでゼレウスの中にあったはずの‶とある感情〟を再び呼び起こすために、エレイナは矢を放った。


 結果はわかっている。

 ゼレウスに弓矢は効かない。実際にエレイナの放った矢が掴まれたことがあるのだから。

 だから、これは本当に無意味な、ただの悪あがきに過ぎなかった。

 ……そのはずだった。



「……っ!」


「────えっ!?」



 矢は命中していた。

 ゼレウスの左肩。

 矢じりを向けていたのは自分だ。放ったのも自分。この攻撃はエレイナ自身の意思だった。

 だというのにエレイナは激しくうろたえ、動揺を抑えられなかった。

 痛みに肩を抑えながら、ゼレウスが獣のように嗤う。



「どうした? 我を傷つけることは想定外だったか?」


「なっ……貴様なら避けられただろうゼレウス! ……動くな! すぐに癒す、矢を抜くぞ!」


「ああ。……っ」



 リーシャがゼレウスに駆け寄り、治療を始めた。

 肩から矢を抜いた瞬間、彼のローブがじわりと濡れていく。

 赤い、血。人族となんら変わりのない、命の巡り。

 エレイナの動揺は収まらない。



「だがこれですべて確信した。魔剣の発動条件は、持ち主へ対する‶何らかの悪感情〟。エレイナが当てる気のない矢を放ったのは、我の感情を刺激するためだ。傷つけるためではなくな」



 驚愕のあまり、言葉が出ない。

 正解を言い当てられたからではなく、不意にゼレウスを傷つけてしまったことに。



「エレイナは我を裏切った、それは事実だ。だが我を傷つけて動揺したのなら、今までのすべてが嘘だったわけではない。いや……むしろ逆だ。お前は一度たりとも嘘を言わなかった。牢屋の中でのあの言葉の意味は……慈悲ではなかったのだな」



 ──あなたたちがどれだけあたしのことを案じてくれても……あたしは敵のままだから。


 あの牢屋の中で交わした言葉。

 ゼレウスの感情を刺激するための言葉。そのまま悪い意味に捉えてもらうことこそがエレイナの狙いだったのに。



「……あれを慈悲だと思うなんて」



 自嘲するように呟く。

 嫌われるための言葉だった。あるいは相容れない存在として警戒してくれれば。


 見誤っていたのだろう。ゼレウス・フェルファングという男を。

 どこか間の抜けた見た目と言動をしているのに、いざというときは理性的で思慮深い。

 『慈悲』という言葉だって、彼にこそ相応しい。

 そんな男を裏切ってしまった。



「さて……終わらせるぞ」



 エレイナはフュージアを剣帯から抜くと、地面に突き刺した。

 ゆっくりと、警戒する必要もない速度で。

 弓を捨て、矢筒を投げ捨て、その場から数歩下がる。

 もう抵抗する意思はないと、軽く両腕を広げて示した。



「どんな罰でも受けるわ」


「あとにしろ」


「………………へ?」



 聞き間違いだろうか。

 エレイナの思考に、さっきまでとは別種の困惑が広がる。



「アーズルードが起きたらまた面倒が増える。早くザナドを倒すぞ。矢筒と弓を拾え、エレイナ」


「え、いや、あたしは……」



 共に戦えというのか。

 裏切り者を、なんの罰も与えずに再び味方にする。

 それを慈悲とは呼ばないだろう。



「待て。それは流石に私も容認できんぞゼレウス。エレイナは裏切ったのだ。エレイナを信じたい気持ちは私も同じだが……実際に信じられるかどうかは別の話だ」



 リーシャの言葉に思わずエレイナもコクコクと頷く。

 自分を責める言葉を肯定するという、なんとも奇妙な状況になってしまっているが。



「ザナドは強い。ここまで被害が出ていないのは、アーズルードが魔族を巻き込まないよう操作していたからだ。本来のザナドであれば、我以外の者は助かっていないだろう」


「それなら……なおさらそんな相手、あたしじゃ何の役にも立たない」



 そう答えるエレイナに、ゼレウスは不敵な笑みを返した。



「……さっきの質問の答え、まだ伝えていなかったな。リーシャ、少し離れていろ」



 リーシャが戸惑いながらも頷き、ゼレウスのそばから離れる。



「さっきの質問って……」


「『我一人でザナドを倒せるか』……だ。結論を言う」



 そう言ってゼレウスは背中を丸め、その場に両手をつく。

 彼が何をしているのかわからず、エレイナとリーシャは困惑した様子で眺めた。


 黒い翼が大きくなり、ゼレウスの身体をふわりと包み込む。

 まるで球状の闇と化したそれは、次の瞬間、本物の闇魔法のように妖しく艶めくと、どろりと溶けだした。



「ゼレウス!?」



 突如起きた異変にリーシャはエレイナを見るが、彼女もまた驚いた様子で首を振る。

 どうやらこの異変に魔剣の力は関係ないらしい。

 リーシャはすぐにゼレウスのもとへ駆け寄ろうとしたが、一歩踏み出したところで足を止めた。

 どろりと溶ける闇の中から覗く、藍色の何かが見えたために。

 その色に、見覚えがあったために。



「これは……」



 どろどろとした闇を纏ったそれはさっきまでの球状を超えて巨大化し、ナメクジのような不気味なシルエットに変わる。

 闇はそのまま液体のように流れ落ちると、その内側に隠れた真の姿を晒け出した。


 現れたのは四本の脚。

 ゼレウスの髪と同じだ。

 同じ色の、深い藍色の体毛。

 力強く大地を踏みしめ抉る、巨大な爪。

 太く立派な一本の尻尾と、獣の耳。

 ゼレウスと同じ深緑の瞳の下には、猛々しさを感じさせる大きな牙が立ち並んでいた。

 その姿はまるで──



「蒼い、オオカミ……!」



 エレイナやリーシャの背丈を超える巨躯のオオカミが、溶けた闇の中から現れた。

 白く鋭い牙が開かれ、オオカミが言葉を発する。



「我が一人でザナドを倒すことは可能だ。だがお前たちが居ればもっと確実に、そして迅速に終わる」



 聞き覚えのある声。

 少々低く深みが増したようにも聞こえるが、それは確かにゼレウスの声だった。



「二人とも我が背に乗るがいい! ‶竜王〟の喉元まで、我が案内してやろう!!」



 変わった姿で、変わらぬ笑みを。

 ゼレウス・フェルファングは、いつもどおりの不敵な笑みを浮かべてそう宣言した。


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