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旧魔王に聖なる封印を!  作者: モタモタ猿
第一章 魔王の器
35/77

35.‶隔炎〟


 ‶噪天の爪(ラークスパー)〟の前部を傾かせ、落下の勢いすら利用しながら、リーシャはゼレウスたちのもとへと急ぐ。



「邪魔だッ!! くそッ……ゼレウス、エレイナッ!!」



 が、ザナドの振るった腕に阻まれ遠回りを強いられた。

 焦燥感から悪態が突いて出る。

 しかしその瞬間、下方から勢いよく現れた黒い壁に視界を遮られた。

 予期せぬ出来事に焦燥感を忘れ、思わず急ブレーキをかける。



「なんだ、闇魔法か!? いや……」



 アクセルを回し黒い壁を迂回しようとするが、壁は上下左右ともに果てが見えないほどに大きかった。

 闇魔法かとも思ったが、しかしすぐに違うとわかる。



(ザラザラした質感……ちょっと透けてる?)



 見覚えがある。それも最近だ。

 ザナドの翼、その翼膜がこのような……。

 予感めいたものに背を押され、リーシャは壁を伝うようにして下方へと向かった。






「なんだ、こりゃ……」



 ザナドの頭部にて、アーズルードは思わず声を漏らす。

 突如下方から伸びてきた黒い壁。

 二枚だ。

 四方を覆いかねないほどに巨大だが、左右に二枚。


 アーズルードにはそれが翼だとわかった。

 なぜなら、自分たちデーモンの背にも同じものがあるから。


 ザナドの頭部から身を乗り出し、アーズルードは下方を見る。

 黒い翼の根元。二つの人影と、小さく煌めく白い輝き。

 これが誰の翼なのか、考えるまでもない。

 仕掛けた罠は問題なく発動し、かの旧魔王を‶噪天の爪(ラークスパー)〟から引きずり落とすことに成功した。

 だが……。



「なんだよ、このデカさは……!!」



 翼は魔力の象徴だ。

 そして強大なデーモンは、翼や角に通常とは異なる特徴を持っていることがある。

 より稀有で貴重なのはアーズルードの六翼のほうだろう。

 だがここまでの巨大さとなると……。



「‶旧魔王〟ゼレウス・フェルファング……!」



 ‶竜王〟の巨体すら包み込み、広げれば街ひとつを覆えそうなほどに巨大な翼。

 どれだけの強さがあれば、これほどの威容となるのか。

 この身震いが怒りから来るものなのか、それとも畏怖なのか。

 アーズルード自身にもわからなかった。






 柄から迸る白い稲妻が、エレイナの肌に落ちる。

 傷を残すことはない。が、確かに刻まれる痛みにエレイナの口元は歪んだ。



「でっかゼレウス! 前はこんなじゃなかったよね?」


「ああ、大きすぎて不便だからな。今小さくする」



 天を裂く黒翼が小さくなっていく。

 数回羽ばたいて体勢を整えたゼレウスは、エレイナをお姫さま抱っこで抱えた。



「あ、これだよこれ! ボクたちと戦った時の姿! でも、今となってはこっちのが違和感あるなぁ」



 ごく普通の、平均的な大きさとなった翼。

 頭部にはうねるように前に伸びる一対の角。

 封印されていた期間のほうが長いため、むしろこの本来の姿にこそ違和感があった。



「ゼレウス! まさかとは思ったが、やはりこれは貴様の翼だったか! 三人とも無事のようだな!」



 リーシャの乗った‶噪天の爪(ラークスパー)〟が降りてくる。



「リーシャちゃんも無事でよかった! 見て見て! これがボクの神々しい全貌だよ!」


「美しいな! あれ、なんで抜けてるんだ? エレイナが抜いたのか?」


「ええ」



 ゼレウスの腕の中、フュージアを持つエレイナが答えた。

 先程までパチパチと散っていた青白い稲妻は、いつの間にか収まっている。



「なに、じゃあエレイナが人間の勇者ということか」


「そうみたい。でもおかしいんだよね~、なんでボク気づけなかったんだろ? やっぱ色々鈍っちゃってるのかなぁ」


「かもしれんな。リーシャ、そちらへエレイナを移動させるぞ」


「よし来い」



 抱えるエレイナをリーシャの後ろに座らせる。

 しかし‶魔双王〟がそれを大人しく見過ごすはずはない。

 アーズルードの指示で、ザナドが‶噪天の爪(ラークスパー)〟目掛けて腕を振り下ろした。



「まずい!」



 リーシャがアクセルを回そうとする。

 だがゼレウスの手がそっと添えられ、リーシャは思わず右手の力を抜いた。

 判断としては間違っているだろう。

 ザナドの長く巨大な腕は今にもこちらを叩き落とそうとしている。今はとにかく逃げるべきだ。

 だが不思議な安心感がリーシャの手を止めていた。


 瞬間、頭上からザナドの腕ではなく蒼い光が降り注ぐ。

 円形、盾のように広がる大きな蒼い炎。

 リーシャたちの頭上に広がったそれが、ザナドの巨大な爪を受け止めていた。



「これって……」


「ゼレウスの……魔法、か? そうか、封印が解かれたから……!」



 そう。ゼレウスはもう魔法を封じられてはいない。

 自らの手を確かめるように眺めながら、ゼレウスは笑みを浮かべた。



「八百年ぶりの魔法だが……確信がある。腕は鈍っていないようだ」



 手のひらをぐっと握り込んだあと、ゼレウスは蒼炎を操りザナドの爪を弾く。

 ついでに炎を(つぶて)のように飛ばして再利用したが、ザナドの強靭な鱗に(すす)をつけることしかできなかった。



「蒼い炎……どういう理屈でさっきの爪を防いだんだ?」


「《フェルファングの隔炎(かくえん)》。触れることのできる炎だ。我の創った魔法だが、この時代には伝わってないようだな。残念だ」


「うわー懐かしい。あれ強かったなぁ……まぁボクなら一撃で消せるけどね!!」


「ああ、今となっては頼もしいとも。……二人とも離れていろ。エレイナ、少しの間フュージアを頼むぞ」



 こくり、とエレイナが頷きを返す。



「ゼレウスはどうするんだ?」


「まずはアーズルードを叩く。たとえ奴の操作が失われたとしても、この姿ならザナドを逃がすこともない」


「なら私も──」



 手を上げ、遮られる。



「少し待っていろ」



 ゼレウスはそう言って不敵な笑みを浮かべると、ザナドの頭部、アーズルードを見据えた。



「……我一人で足りる」



 背中越しに言い残し、ゼレウスは空を飛んだ。

 こちらを見下ろしていたアーズルードと同じ高度まで、一息で到達する。



「ハッ、飛ぶ速度も速ぇのかよ」



 吐き捨てるようにアーズルードが言う。



「背筋を鍛えればお前も同じことができるぞ」


「聞いてねぇよ。そんなことより、どうやって封印を解いた?」


「我もまだよくわかっておらん」


「はぁ? まぁ教える理由がないか」



 正直言って、エレイナがどういう理屈でフュージアを抜くことができたかゼレウスもわかっていない。

 が、アーズルードは情報を秘されたと勘違いしたようだ。

 些細なことのため、いちいち訂正もしないが。


 エレイナがこの時代の勇者なら、フュージアがそれに気づけないとは思えない。

 あとで彼女を問いただすべきだろう。

 そのためにも、まずはこの戦いを──



「……始めようぜ、‶旧魔王〟」


「いや、終わらせる。これ以上の被害が出る前に」



 魔法が放たれる。

 二人、同時。漆黒の闇と、蒼い炎。

 ぶつかり合い、せめぎ合う属性の奔流を、ザナドの剛腕が断ち切った。

 二色の魔法が弾け、ゼレウスとアーズルードの視界を塞ぐ。


 見えない。ゼレウスの姿が。

 考える前に、アーズルードはザナドの鱗を蹴って背後の空へと身を踊り出した。

 焦燥感がアーズルードに魔法の発動を選択させる。


 念のためだ。ゼレウスが近接戦を仕掛けてくることを見越した、反撃の魔法。

 念のために置いておいたそれだったが、功を奏した。

 空を飛び瞬時に接近してくるゼレウスに向けて、闇の棘が迫る。

 ゼレウスはそれを回避するために遠回りすることを強いられた。

 おかげで、互いの速度に差があったとしてもすぐには追いつかれない。


 だがアーズルードの焦燥は尽きない。

 距離を取り続けながら魔法で追撃、ザナドを操作し誘い込むように爪の一撃を叩き込ませる。

 が、ゼレウスはそのすべてを容易く回避する。



「ちょこまかと逃げるな……《隔炎》」



 アーズルードの周囲を蒼い炎が渦巻く。

 ザナドの一撃すら防いだ炎。

 包み込まれれば脱出はできないだろう。

 だが速度が足りず、アーズルードはそこから逃れることができなかった。



「やはり背筋を鍛えることを薦める。そして自身の身体に適した羽ばたきを見つけろ。そうすれば我の魔法も避けられた」


「……うるせぇよ」



 炎の向こうから声がする。

 声はこちらへゆっくりと近づくと、炎の檻にゆらぎを生んだ。

 そこからゼレウスの手が差し込まれ、球状の炎の中にその姿が現れる。


 ‶旧魔王〟と‶第二魔王〟が正面から対峙する。

 アーズルードは歯噛みしながら、ザナドに《隔炎》の檻を外から攻撃させた。

 金属音にも似た轟音が炎の中に響くが、決壊させるには至らない。


 だが一瞬の空白ののち……堕ちる。

 蒼い炎の塊が中の二人もろとも空を堕ち、大地を(えぐ)る。

 ザナドから離れ地上へと降りていたリーシャたちのそばに、それは落ちた。



「うおぉおおぉっ!?」


「ゼレウスッ!!」



 巻き起こる風にリーシャは帽子を抑え、フュージアはエレイナの手の内でゼレウスの名を叫ぶ。

 蒼炎が渦となって消える。

 現れたのは……アーズルードの胸倉を掴み、地面に叩きつけるゼレウスの姿だった。

 どうやら蒼炎の檻はザナドに落とされたわけではなく、ゼレウス自身が操作しただけだったらしい。



「無事だったか!」


「アーズルード殿……!」



 リーシャが駆け寄り、イリーリャとともに戦いを見守っていたギグルが呟く。

 人族、魔族ともにあらかた避難は済んでいる。

 戦場の最前線に残っているのは、ゼレウスの帰りを待っていたリーシャたちと、残る二人の魔王、ギグルとイリーリャのみ。



「……あとはザナドだけだ」



 アーズルードの喉元から手を離し立ち上がると、ゼレウスはリーシャたちへと振り返る。

 勝負は一瞬。アーズルードとの決着にはほんの数分もかからなかった。

 そう、誰もが感じたその時。



「ゼレウス後ろッ!」



 フュージアの声に振り返る。

 気絶したかに思われたアーズルードが、両腕をだらりと下げながらも立ち上がっていた。


 ──近距離。アーズルードは魔法使いだ、脅威ではない。いや──!

 ゼレウスは口角を上げた。

 アーズルードが踏み込んでくる。

 魔法ではない。彼が最後に選んだ攻撃手段は──



(‶拳〟……!!)



 一切余裕のない、剥き出しの予備動作がそう物語っている。

 しかしアーズルードの筋力では何の脅威にもならないはずだ。少なくともゼレウス相手には。

 右拳。斜め下から抉り込むような軌道。

 ゼレウスは完璧な予測を立てる。

 が、たった一つの要素だけがその予想を超えてきた。



(この速度……!)



 アーズルードの四肢と背中を這う、無数の黒い糸。

 闇魔法の糸だ。

 彼はそれを束ね、精緻に操ることで筋肉を補強した。


 黒い糸の束から、ギチギチと軋みが上がる。

 速度だけでなく威力も増したそれを、しかしゼレウスは難なく受け止めた。

 予測は超えても、ゼレウスの膂力と反応速度までは超えられなかったのだ。



「少し踏み込みが浅い。だが……」



 ゼレウスが力強く、地を抉るほどに強く踏み込む。

 まるでひとつ、手本を示すかのように。

 放たれたのはなんの捻りもないただの正拳突きだった。

 アーズルードが吹っ飛び、地面を何度か跳ねる。



「……いい拳だったぞ」


「聞いて、ねぇ……つってんだろ、くそ……っ」



 空に向けて手を伸ばし、アーズルードは今度こそ気絶した。



「……まったく……第二魔王を危なげもなく倒すとは。人族をも支配する魔王……ゼレウスなら、本当になれるかもしれないな」



 いつの間にかそばまで来ていたリーシャに、呆れたような笑みを向けられる。

 アーズルードが立ち上がると同時に、ゼレウスを援護するためにこちらに駆け寄ってきていたらしい。

 遅れて、フュージアを持ったエレイナもこちらへ歩み寄ってくる。

 リーシャは空を見上げ、ゼレウスに問いかけた。



「‶竜王〟は……なんで動かないんだ? アーズルード殿が倒れて、操作が失われた結果か?」



 ゼレウスも同様に空を見上げるが、彼女の言うとおり滞空するザナドに動きは見られない。



「気絶する寸前、アーズルードは空に手を向けていた。おそらくだが動かないよう指示を出したのだろう。他の魔族も含め、アーズルード自身も襲われかねないからな」


「そっか! じゃああとはゼレウスがザナドを倒すだけだね! ボクならあの鱗も斬れるんじゃないかな!」



 背後、すぐ近くから聞こえるフュージアの声。

 同時にしゃらりと音が鳴る。



「ああ、試してみよ──」



 ゼレウスの呼吸が途切れる。

 ザナドから目を離し、フュージアのほうを見ようとした瞬間だった。

 ドッ……と、ゼレウスの身体を背後からの衝撃が貫く。



「……え?」



 リーシャの呆けた声。

 ゼレウスは自らの胸元を見下ろす。

 それはある種、見慣れた光景だった。

 胸元から棒状の物が伸びている……何かが身体を貫通しているのは。

 前後逆ではあるが、それが白銀の輝きを帯びてさえいれば、いつもどおりの光景のはずだった。



(この、剣は……ッ)



 血に錆びた刃物を思わせる、赤黒い剣身。

 細身の両刃の剣だ。湾曲はしていない。

 見覚えのない剣身だが、見るだけで邪悪だと感じさせるその威容には覚えがあった。


 これは魔剣だ。

 魔王であった頃なら何度か見る機会もあったが、今のゼレウスにはその使い手の心当たりはない。

 ただ一人を除いて。



「エレイナ、ちゃん……?」



 彼女の腰、抜き身のまま佩かれたフュージアが呆然と呟く。


 胸を貫かれてはいるものの、痛みはない。

 だがそれこそが魔剣の力が行使されている証。

 振るえば誰でも力の一片を使える聖剣とは異なり、魔剣は選ばれた者しかその力を行使することができない。

 フュージアの言を信じるなら、彼女は勇者でも魔剣使いでもなかったはずだが……。

 ゼレウスは真実を自分の目で確認するために、後ろを振り返ろうとした。

 だが──



「動かないで、ゼレウス」


「……っ!」



 その声を聴いた瞬間、身体が勝手に彼女の言葉を実現させていた。

 身体の自由を奪われる、強烈な不快感。

 まるで何かに‶支配〟されているかのような……。



「その状態で振り返ったら、危ないでしょ?」



 ゼレウスの隣を通って、エレイナが正面へと移動する。

 無表情。

 冗談めかした言葉だというのに、そこに感情は伴っていなかった。

 代わりにギラリと輝く意思の光が、その瞳には宿っていた。


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