34.緊急解放
リーシャ、エレイナの乗る機体はザナドの周囲を迂回しつつ上空へ、ゼレウスはまっすぐ正面から突っ込む。
より警戒されているのはゼレウスだ。アーズルード、ザナドともに、突っ込んでくる機体へ注意を払う。
真一文字に薙ぎ払われるザナドの腕を、ゼレウスは機体を大きく傾けて掻い潜る。
鱗の壁にも見紛うそれが頭上を通り過ぎた時、開けた視界に無数の闇の棘が飛び込んできた。
アーズルードの闇魔法。
ゼレウスはその場で機体ごと回転し、棘のいくつかをフュージアで弾きながら再び加速した。
数回斬ったところで消しきれない。そう思わせるほどの量。
ゼレウスはもう一度アクセルを包帯で固定すると、ホーミングするそれらを引き連れたままザナドへと飛び移った。
腕に着地すると同時に加速。肩まで一気に駆け上る。
首周りを移動し、ザナドの背面へ。
しかしゼレウスの狙いはアーズルードもわかっている。
ザナドの首の付け根あたりで上を見上げた時、そこにはまたもや無数の闇の棘が待ち受けていた。
ザナドの頭部から見下ろすアーズルードが、見せつけるように口角を上げる。
「……捌ききれるか? ‶旧魔王〟」
背後からも闇の棘が迫っている。ゼレウスに立ち止まる暇はない。
無数の矛先へ向け、正面から突っ込んだ。
眼前、隙間なく棘が迫る。
フュージアで消しきるのは不可能な量。シンプルだが的確な対処だ。
そしてシンプルゆえに、今のゼレウスでは返す手段も一つしかなかった。
ザナドの首の上で、ゼレウスの姿が掻き消える。
いや、ただ横方向へステップしただけだ。アーズルードは魔法を操作し、その影を必死で追う。
ゼレウスはその場で回転してフュージアで道を作り出すと、即座に駆け抜けた。
もちろん闇の棘は依然四方八方からゼレウスに迫り続けている。
そのはずなのだが。
(速、すぎる…………)
アーズルードは愕然としていた。
ゼレウスが取った手段こそ、最もシンプルなものだった。
魔法の操作にも限界はある。使用者の能力という限界が。
であればその知覚能力を凌駕した速度で動けば、魔法の操作も追いつくことはできない。
実力には実力を。
ゼレウスは最低限の数だけをフュージアで捌いて隙間を作り、ただ圧倒的な速度を以って闇の棘のすべてを回避した。
シンプルな能力差。ただそれだけが、アーズルードとゼレウスの間には横たわっていた。
ゼレウスがアーズルードに肉薄する。
闇の棘は操作を放棄され、ザナドの鱗や空の彼方へと消えた。
もはや攻撃魔法の通用する間合いではない。
しかし。
「む……!?」
ゼレウスの拳が空を切る。
アーズルードの身体が何かに引き寄せられるかのように後方へ下がり、その軌道から外れたためだ。
アーズルードの腰に巻き付けられた、闇の糸。
それが彼の身体を引っ張り、ゼレウスの虚を突いたのだ。
大して速い回避ではない。本来であればゼレウスがそれを見切れぬはずはなかった。
だがそれも予備動作があればの話である。
ザナドの鱗にでも引っかけておいたのだろう、闇の糸を魔法操作で手繰ることによる、意識の外の動作。
魔法の操作をするために身体を動かす必要はない。
しかし操作をする際に身体を動かし、イメージの補完をすることは往々にしてあることだ。
魔法の扱いに長けたエルフやデーモンでさえ、何の動作もなく魔法を使える者は少ない。
身体はまだしも指先、果ては目線や呼吸など、誰もが無意識の領域の中に魔法操作のルーティーンを持ってしまっているのだ。
が、アーズルードはその領域にいない。
だからこそ、ゼレウスでさえこの回避を読むことはできなかった。
しかしここまでは想定の範囲内だ。アーズルードが空中へ逃れることはわかっていたこと。
だからこその──
「いっけぇぇえ! リーシャちゃん!!」
「ぅおっっしゃぁぁあぁああッ!!」
リーシャ、エレイナの乗る機体が、空中へ逃れたアーズルードへ向け突進する。
これこそがゼレウスたちの真の狙い。
このために彼女らを上空に待機させたのだ。
だがゼレウスは気づく。
まるで空に放り出されるように退くアーズルードの表情には、一切の焦りがないということに。
そして迫るリーシャの気迫を受けてもなお、その表情は崩れない。
アーズルードの左腕が掲げられる。
が、視線はゼレウスから離れない。まるで、それ以外は警戒に値しないとでも言うように。
「うっ……おぉ!?」
「きゃあっ!」
リーシャとエレイナが小さな悲鳴を上げる。
アーズルードは掲げた手の先へ、三日月のように弧を描く闇を展開した。
弧状の闇は‶噪天の爪〟の底に添えるように広がり、機体に黒い道をなぞらせる。
アーズルードの用意した闇のレールは、リーシャたちの乗る機体をあらぬ方向へと受け流した。
作戦失敗。
再びザナドが操られ、ゼレウスは離脱を余儀なくされた。
鱗を蹴り自らの‶噪天の爪〟へ跳びながら、ゼレウスはリーシャたちの様子を確認した。
少々機体の体勢を崩されただけで二人とも怪我はないようだ。回転するザナドに巻き込まれないよう離れていく。
‶噪天の爪〟へ着地。
しかしハンドルを握ろうとしたその刹那、ゼレウスは違和感を抱いた。
ぬらりと艶めく、黒い何か。
機体の側面、死角にあったため着地するまで気づけなかった。
瞬間、黒い輝きが鋭利な棘となり、ゼレウスへ向けて伸びる。
あの時。ゼレウスがアーズルードに肉薄した時。
操作を放棄し彼方へ消えたかに思えた闇の棘の一部を、ここへ仕込んでいたのか。
黒紫の針の筵。
ゼレウスは咄嗟にそれらを裏拳で薙ぎ払ったが、砕くことができたのはほんの一部だった。
が、そもそもこれはゼレウスを傷つけることが目的ではない。
‶噪天の爪〟が貫かれ、機体の逆側から闇の棘が伸び出でる。
歯車に刻まれた魔法陣が内部の予備もろとも光を失い、機体の姿勢が崩れた。
まもなく、ほんの呼吸をする暇もなくこの機体は堕ちる。
「ま、マズくないゼレウス!?」
「ああ」
高さはどのくらいだろうか。
草原。街。人は粒ほどの大きさもない。
この高さ。ゼレウスとて落ちれば無事ではいられない。
だがそんな状況にあっても、ゼレウスの表情に一切の動揺はなかった。
……覚悟していたからだ。
アーズルードを追い打ちするという、リーシャの提案を呑んだ時。
‶噪天の爪〟に乗って、ザナドを追うと決めた時。
この戦場へ出た時。
あるいは、八百年前に魔王になった時。
死ぬ覚悟はとうにできていた。
「ゼレウスーーーーーッッ!!」
リーシャの声。
巨大化し、機体ごとこちらを飲み込もうとする針の筵から逃れ、ゼレウスは空中へ躍り出た。
上空から急降下したリーシャが、身を乗り出すようにして手を伸ばす。
(ッダメだ、届かな──)
交差する瞬間、リーシャは闇魔法の糸を手元から伸ばした。
だが届かない。
どうあがいても。
この刹那。次の瞬間。息を吐き、時間が過ぎ去っていく。
伸ばした手が掴まれぬまま。
「──問題ない!!」
「!?」
ゼレウスの叫び。
リーシャはその内容に驚いたが、息を呑んだ理由はそれだけではなかった。
帽子を抑えていた重みがなくなる。
背中にあった感触と体温が消え、機体の重心がさらに傾く。
「エレイナッ!?」
リーシャの見開かれる目と、エレイナの引き攣った顔がゼレウスの瞳に映った。
‶噪天の爪〟から飛び降りたエレイナが、‶中空に踊る〟を使って空を駆け下りる。
エレイナの反射神経はリーシャほど優れていない。
だから飛び降りるタイミングには少々ズレがあった。
そのズレを、そしてリーシャが手を伸ばしても届かなかった距離を、‶中空に踊る〟で埋める。
二歩。三歩。
空を駆けた先で、エレイナの手がゼレウスに届いた。
同時にリーシャの乗る機体が遠ざかっていく。
「っ!」
エレイナが掴んだ手を引き寄せようとする。
が、落下の空気抵抗で体勢が崩れ、上手くいかないようだった。
代わりにゼレウスが彼女の手を引き、困惑しながらも優しく肩を受け止める。
「エレイナ、なぜ……」
エレイナは答えない。
いや、わかりきっていることだった。
彼女はゼレウスを助けるために、恐怖心を押し殺して飛び込んだのだ。
ゼレウスはそれを悲壮感とともに受け止める。
……ゼレウス一人であれば、問題なく着地できた可能性があった。
エレイナの行動を否定したいわけではないが、あまりにもリスクが大きすぎる。
そしてリターンはない。
ゼレウスの表情が歪む。
「我一人なら助かる可能性があった」
「それって確実?」
「……いや」
空を堕ちながら、二人は手短に言葉を交わす。
ゼレウスは視界を巡らせてリーシャの位置を確認した。
遥か上空、旋回する‶噪天の爪〟が見えたが、ザナドの振るう腕に進路を妨害される。
リーシャの迎えは期待できないだろう。
「魔道具を使って我を支えるつもりか。可能か?」
「いいえ」
こちらに身を寄せる彼女の表情は見えない。
だがその声色を聞けば冷静であることがわかった。
エレイナの死の未来に心を乱す、ゼレウスとは対照的に。
「ならば今すぐ空を跳べ! お前だけでもリーシャに──」
‶中空に踊る〟を使って空中で待てば、リーシャの迎えが間に合うかもしれない。
抑えきれない焦りを見せながら、ゼレウスはそう指示を出した。
だがエレイナは。
「断る。……あなたには、万が一でも死なれたら困る」
そう呟くと、彼女はフュージアの柄を握った。
「? なにを……」
「デーモンなのよね? あなたの本当の姿は」
エレイナが顔を上げる。
相変わらず引き攣った表情。だが、彼女は確かに笑った。
握られたフュージアに力が伝わり、そして……動き始める。
「えっ……な、どうしてエレイナちゃんがボクを……!!」
バチバチと、青白い稲妻がエレイナの握る柄から迸る。
八百年もの間。
ゼレウスの身体に秘されていたはずのフュージアの剣身が。その白き輝きのすべてが。
「バカな……エレイナ、お前は……!」
「ゼレウス……あたしを抱えて、飛んでくれる?」
選ばれた者にしか抜けないはずの聖剣が今。
エレイナの手の内で、ゼレウスをその永い封印から解放した。




