33.‶魔双王〟と‶竜王〟
強風がゼレウスのローブをはためかせる。
飛び立つザナドが生み出した風に引っ張られる感覚を覚えたその瞬間、ゼレウスの全身は降り注ぐ熱に照らし出された。
「ゼレウスッ!!」
リーシャの緊張に満ちた叫び。
逃げ道すら覆うほど巨大な火球がザナドの口から吐き出され、ゼレウスへ向けて降下する。
刹那、炎が二つに裂けた。
弾けるように火球は消え、衝撃波がリーシャの外套を翻す。
熱の余波に目を細めながら、リーシャは帽子を抑えた。
どうやら火球はフュージアで斬り裂かれたようだ。
「無事かゼレウス!」
リーシャとエレイナがゼレウスのもとへ駆け寄る。
少し離れた場所でイリーリャも同様にギグルへ駆け寄ると、そばにしゃがみ込み安否を確認していた。
「どういうことだあれは! 何が起こっている!?」
「皮肉にも生存本能を刺激してしまったようだな。見てのとおり、ザナドは竜に変身する力を持っている」
「変身だと……!? そんな力、おとぎ話でしか聞いたことないぞ!」
「……どうすれば倒せるの」
厳しい声色にエレイナに問われ、ゼレウスは自らの喉元のあたりを指し示す。
「下顎に弱点がある。幼少の頃、ザナドの竜化の力が暴走したことがあった。しかし我がアッパーカットを決めれば無事、元どおりになったのだ」
「ゼレウス……それがきっかけでザナドに嫌われちゃったんじゃない?」
「む、そんなバカな……いや、確かに奴は執念深い性格だった……」
否定はできなかった。
「なんだありゃあ!」
背後から男性の声。
周囲を見てみれば、いつの間にか人族の援軍が来ていた。
町の近くにいた兵士や冒険者は先の魔法に巻き込まれなかったらしく、アーズルードがデーモンに指示を出し前線の魔族たちを下がらせたのと同じように、後方に控えていた彼らが前線で戦っていた人族たちを撤退させている。
「しかしどうやって近づくか……」
ザナドは空を飛んでいる。
地上すれすれでは活動しづらいためか、高度をどんどんと上げていっている。
アーズルードがある程度は操れるようなので、そのまま気ままにどこかへ飛んで行ってしまうことはないだろう。
当然、野放しにはできない。
しかし空を飛ぶ手段など……。
本来の姿に戻れればとゼレウスは歯噛みする。
「ゼレウス、あれ」
「む?」
エレイナに呼ばれ、ゼレウスは彼女の指さすほうを見た。
視線の先には、見覚えのある鉄の塊。
「‶噪天の爪〟! 人族も持っているのか……!」
少々意匠は違うが、魔族の砦で乗った物と同じ。
後方から来た人族たちが乗ってきた物のようで、今も乗車したまま周囲に状況の確認をしている。
見たところ、‶噪天の爪〟は戦場での伝令にも使われているようだ。
「あぁ、空を飛ぶ魔族への対抗手段になるからな。……まさかあれで追うつもりかゼレウス!」
「それしかなかろう! おい、そこの! ‶噪天の爪〟を貸してくれ!」
‶噪天の爪〟に跨る人族の一人へゼレウスが駆け寄る。
「いや、これから私は後方へ状況を伝えに……」
「悪いが走ってくれ! 急を要する!」
「待て待て! 何に使うつもりだ!」
横からハンドルを奪おうとしたゼレウスだったが、両手の平を掲げて制止させられ、仕方なく取りやめる。
「よしエレイナ! 私たちも行くぞ! 後ろに乗れ!」
「リーシャちゃんもう乗ってる!」
声のするほうを見てみれば、リーシャはすでに他の‶噪天の爪〟に跨っていた。
そのすぐそばには一人の女性が佇み、物悲しげな雰囲気を漂わせている。
ああ、リーシャの押しに負けたのだろうな、とゼレウスたちは悟った。
エレイナがリーシャの後ろに乗り込み、ゴーグルを受け取る。
おそらくあのゴーグルも押しの強さを以って譲り受けた物だろう。
「さあ、私たちも飛ぶぞ、ゼレウス!」
リーシャの言葉に、ゼレウスを制止した人族の男性が気づく。
「まさかとは思うが、これに乗ってお前……」
「ああ……‶アレ〟の顎をぶん殴ってくる」
ゼレウスはニヤリと笑い、親指で空を指し示す。
人族の彼は一瞬呆けた顔を返したあと、ゼレウスに‶噪天の爪〟を譲った。
「──発進!!」
「うわぁ! 急になんだ!?」
エレイナ以外の声をハモらせながら、ゼレウスたちを乗せた‶噪天の爪〟は空へと舞い上がった。
「それやめなよ。知らない人びっくりするから」
「これから浸透させていけばいいじゃないか。エレイナもいっしょに」
「イヤ」
「照れなくてもいいじゃないかぁ~、わっ……と。ありがとな」
返事の代わりに帽子を抑えるエレイナへ、リーシャは感謝を返した。
風を正面から受けながら、二つの‶噪天の爪〟は高度をぐんぐんと上昇させていく。
「リーシャちゃんこれ高度上限とかないの?」
「ない。だが空中で魔力切れを起こせば安全に着地できなくなるから、それが実質的な高度上限だな。ゼレウス、メーターを気にしとけよ。地上に降りれば私が補給する」
「ふ……そんな手間は取らせん」
ゼレウスは不敵に笑い、‶噪天の爪〟の速度を上げた。
空の果て、雲に近づく。
滞空したザナドが空中で振り返り、その全貌を正面から見せた。
空を、視界を覆う巨体。
その大きさは先日の飛空艇を思わせるほどだ。
広がった翼が雲を隠し、薄紫色の翼膜が太陽の光を透かして、まるでステンドグラスのようにゼレウスへ色を落とす。
鱗は元のザナドと同じく黒色で、腹は白い。
強靭かつ巨大な鱗に覆われた四肢は太く立派だ。
が、その腕は短くがっしりとした脚とは異なり、少々不釣り合いに思えるほどに長い。
死体ゆえの虚ろな目が、変わらずゼレウスを見据えた。
ゼレウスを狙った魔法が空の果てに消える。
リーシャとのレースで掴んだ運転技術を駆使してアーズルードの魔法を回避しながら、ゼレウスはザナドの周囲を一定の距離を保ちつつ回った。
ゼレウスが竜の姿になったザナドを殴り飛ばしたのは幼い頃の話であり、当時は変身後の姿ももっと小さかった。
せいぜい成人したリザードマンの倍程度だ。
腕もあれほど長くはなく、しかしもし今のあの不釣り合いな腕に利点があるとすれば……。
「うぉおおぉお! ……っとぉ!」
警戒するゼレウスとは対照的に果敢に接近したリーシャだったが、縦に振るわれたザナドの腕に阻まれた。
ギリギリのところで回避に成功するが、長い腕、その遠心力の乗った風圧が、リーシャたちの機体を激しく揺るがす。
「不用意に近づくなリーシャ! 狙うなら魔法で狙え!」
「くそぉ! 私もアッパーカットしたかった!!」
身を縮こませるエレイナにホールドされながら、リーシャはザナドから距離を取った。
ゼレウスの右手首に残る、ボロボロの包帯。
左手で‶噪天の爪〟を操縦しながら、ゼレウスはそれを口元へ運んだ。
ハーピーの纏う風によって切り裂かれ、リーシャの治療のおかげで用無しとなったその切れ端を噛むと、勢いよく引っ張ってほどく。
そしてザナドから離れ合流してくるリーシャたちに向けて声を掛けた。
「もしもの時はそっちに着地する。少し低い位置を飛んでいてくれ」
「え? それってどういう……」
エレイナの疑問を背中で受け止めながら、解いた包帯を巻き付けてアクセルを固定。
ほんの少しだけハンドルを曲げた状態で、‶噪天の爪〟を前進させる。これでハンドルを離しても、‶噪天の爪〟はザナドの周囲をひとりでに旋回するはずだ。
ゼレウスは膝を畳み‶噪天の爪〟の上に着地すると、ためらうことなくそこから飛び立った。
ザナド目掛けてゼレウスが空を駆ける。
しかし大人しく見過ごされるはずはなく、その長い腕がゼレウスへ向け勢いよく振り下ろされた。
巨大な爪の軌跡がゼレウスの姿を隠し、エレイナたちが悲鳴を上げる。
だが振り回されながらもザナドの腕に掴まるゼレウスを発見すると、彼女らはほっと安堵の息を漏らした。
ゼレウスにしがみつかれ、煩わしそうに振るわれるザナドの腕。
ゼレウスはそれが上方へ振るわれた瞬間を見計らい手を離した。
勢いに乗って、ゼレウスの身体が宙を舞う。
ザナドの頭上を経由し、そのまま逆の腕に着地。
狙いはザナドの頭上にいるアーズルードだ。
黒い鱗をしっかりと踏みしめ、ゼレウスは‶竜王〟の身体を駆け上っていく。
「近づかせるかよッ!」
アーズルードが手をかざし、鱗の上を炎の波がうねる。
進むべき道先、視界のすべてを炎に覆われたゼレウスは空中へ逃れた。
炎が空中のゼレウスを追って立ち昇り、球状になって包み込む。
しかし一瞬の空白のあと、炎の球は弾けて消え去った。
ローブを翻しながら、炎の中よりゼレウスが現れる。
「クソ、‶魔封じの聖剣〟が……!」
悪態をつきながらアーズルードは空中へと逃れた。さらにザナドへ身体の回転を命じ、ゼレウスを振り落とさせる。
そうしなければ瞬く間に距離を詰められ、一撃で沈められていたことだろう。
足場を失ってもなお冷静なゼレウスとは異なり、アーズルードの背中には冷や汗が伝っていた。
「アーズルードを先に叩くのは困難か」
ザナドが回転し始めると同時に鱗を蹴り、巡回させていた自身の‶噪天の爪〟に着地したゼレウスはそう呟く。
‶噪天の爪〟を操作しながら手段を考えていると、興奮した様子のリーシャが下方から飛んできた。
「うおぉおゼレウス! 見てるだけでスリルがヤバいな!」
「いやなんで楽しそうなのよ! こわ!」
「高いし速いもん! ボクも楽しいよ! エレイナちゃんは?」
「やば!」
「アーズルードが飛び上がったところを私が叩くか!?」
「よし、やってみよう」
「わかった!」
二台の‶噪天の爪〟が加速し、エレイナが慌ててリーシャの背中にしがみつく。
一瞬ののち、ゼレウスたちのいた空間をザナドの尻尾が通り過ぎていった。
まるで追い風のように、風圧がゼレウスたちの背を押す。
ザナドは身体をねじるように空中を翻ると、二台の‶噪天の爪〟を正面に見据えた。
ゼレウスもまた、機体の後部を振るように反転。
その隣をリーシャたちの機体が、スピードを保ったまま通過する。
しかし獲物が立ち止まる時を見計らっていたのか、ゼレウスへ向けてザナドの火球が吐き出された。
太陽が近づいてきたのではないか。そう思わせるほどに巨大な火球。
ゼレウスは急加速してそこから逃れる。
リーシャ直伝の急発進である。が、遅れてゼレウスは自身の判断ミスに冷や汗をかく。
「ああっ! 炎が街のほうに!」
フュージアの悲鳴にゼレウスは素早くハンドルを切った。
狙ってか否か、ザナドの吐き出した炎は人族の街ロントリーネ目掛けて落ちていく。
フュージアで斬り裂くべきだったと、ゼレウスは火球を追う。
が、どうあがいても間に合わない。加速したことが仇となった。
しかしゼレウスが歯噛みしたその瞬間、遥か下方に魔法陣が展開された。
防御魔法。
人族が展開したのであろうそれが幾重にも重なり、障壁の層となって火球を受け止める。
どれほどの魔力が籠められていたのか、火球は防御魔法を容易く砕いていく。
ゼレウスはハンドルを切り、火球を追うのをやめた。だが諦めたわけではない。
「消えた……よかったぁ……っ」
人族の防御魔法がザナドの火球を耐えきったからだ。
ゼレウスは自嘲するように笑う。
人族を甘く見ていたと気がついて。
八百年前でさえ、彼らは強大な敵だったのだ。護られてばかりでいるはずがない。
(……余計な世話だったようだな)
賞賛の笑みを浮かべながら、ゼレウスは再びザナドへ向けて直進した。




