31.二人で二つ
「その減らず口、ぶん殴って塞いでやる!」
イリーリャへ向けて駆け出すリーシャの背中をゼレウスが見送る。
「案ずるな。イリーリャはああ見えて理性的な人物だ。リーシャ殿を殺すまではすまい」
そんな言葉を掛けたくなるほどに心配そうな顔をしていたのだろうか。
ゼレウスは一度目を閉じ、感情の波を落ち着かせてからギグルへと向き直った。
「であれば、人族へ向けた矛も納めてほしいものだな」
「オーク、ハーピー、ヴァンパイア、サキュバス……生存に人族を必要とする種族は、止まることを許されない。貴殿ならわかっていることだろう、‶旧魔王〟」
「そうだな。……我のことは殺す気で来い」
「言われずとも。そうしなければ勝ち目がなくなる」
ギグルは大剣を構え、挑戦的に笑った。
応えるようにゼレウスが突っ込む。
しかしその瞬間地面が隆起し、まるで獣の牙のように立ち並んだ石の棘が生成。
ゼレウスの全身を覆う巨大な顎の如く、左右から迫った。
アーズルードの魔法だ。
ゼレウスは駆け出した推進力を拳に乗せ、地面ごと砕いて対処する。
立ち止まったゼレウスへ、間髪入れずギグルが斬りかかってくる。
見切り、ゼレウスはたった一歩動くだけでそれを回避した。
突進の勢いを活かし、ギグルは肩から激突。
ゼレウスはそれを手のひらで受け止めながら、勢いに逆らわず後退した。
追撃の横薙ぎ。ゼレウスはさらに後退する。
しかしその刹那、背後の地面で石の棘が生成された。
ゼレウスは振るわれる大剣を下がってやり過ごしたあと、ほぼ同時に襲い来る石の棘を回転し、すべて裏拳で砕く。
パラパラと、砕かれた石の欠片が草原に落ちた。
「……なんという速度」
「少し連携が甘いな。先程の……イリーリャ・ミディスはもっと間断ない攻撃をしていたぞ」
「今の攻撃の隙間など、あってないようなものだ。貴殿でなければな。……それにアーズルード殿はまだ、本気を出していない」
「ほう」
ちらりと上空を見てみれば、肩を竦めるアーズルードが見えた。
「ならば、まずはその本気を見せてもらおうか」
言うや否や、ゼレウスがその場を飛び立つ。
「なっ……しまった!」
叫ぶギグルを置き去りにし、空中のアーズルードに一瞬で肉薄。
驚愕に表情を強張らせつつも、アーズルードは笑みを浮かべた。
「こんな高さまで、一息で……!」
胸倉を掴まれる。
「鎧を着ていないからな。身軽なのだ」
「いやそういう問題かよ! うっ……おぉおおぉぉお~~~!!?」
ゼレウスの身体が回転し、アーズルードはそれに勢いよく引っ張られた。
力の向かう先は地上。
大地に向け、アーズルードは放り投げられた。
しかし翼を羽ばたかせてどうにか空中で一回転。地面に叩きつけられる寸前で、アーズルードはくるりと着地する。
「あ、あぶねぇー……」
「大丈夫かアーズルード殿」
「いや油断した。こりゃ、魔法が届く範囲ぐらいは余裕で跳んできそうだな……」
「おれの近くにいるのを勧める。そのほうがこちらも護りやすい」
「了解」
遅れてゼレウスが着地する。
その眼差しからは渦巻くような底知れぬ威圧感が放たれている。
彼はいつでもこちらへ近づき、あの圧倒的な膂力を以って殴り込んでくることができる。
そう思うと、どこか安全圏にいると思っていたさっきまでの自分が嘘のように消え去った。
(できればアレは使いたくないんだけどな)
アーズルードは全力で戦うことを決意した。
立ち上がり、両手で魔法を発動。
右手に炎を、左手に黒紫の光を纏わせる。
「! それは……」
「‶二重詠唱〟」
異なる属性の同時行使。
常人には不可能なことであり、それこそがアーズルードが魔王という地位に登り詰められた所以の一つ。
‶魔双王〟。それがアーズルードの異名だ。
ゼレウスは感心した様子で笑みを向ける。
「稀有な才能だな。努力でどうにかできる領域ではあるまい」
「お、わかってるね。どうやら八百年前にも同じ能力を持った奴がいたみたいだな。ま、こう見えてオレは努力もしてるけど……なっ!」
アーズルードが腕を斜めに振り上げ、火球を放つ。
振るう軌道を交差させるように、左手からも魔法を撃ち出した。
火球を回避したゼレウスに無数の闇の穂先が迫る。
流石にすべて回避するのは困難な量だ。半身になり、回避しきれない分は手刀で打ち払う。
体勢を戻し正面を向くゼレウスの背後で、広がった炎が波打った。
アーズルードが右腕を引き手を握り込むと、それらがゼレウスを呑み込もうと襲い来る。
瞬間ゼレウスは駆け出し、アーズルードへ迫ろうとした。
しかしギグルに阻まれ、大剣の腹と前腕での押し合いとなる。
「ふぬ……うおぉおおおおッ!!」
「!」
ギグルの膂力に押され、ゼレウスの踵が地面を抉る。
不利を悟ったゼレウスはすぐに競り合いをやめると、背後から襲い来る炎を避けるために身を翻した。
後方へ跳び上がり、炎の波を上から見送りながら着地する。
炎はギグルを呑み込む前に消え去った。
(純粋な膂力はギグルのほうが上か?)
ギグル一人に集中できる状況ではないため断言はできないが、ゼレウスはそう感じた。
アーズルードが再び魔法を繰り出す。
「こりゃ実質三対一だな!」
上空から魔法を撃たれていた時と比べ、攻撃の隙間がなくなっている。
それどころかアーズルードがメインの立ち回りに変化し始めた。
確かに彼の言うとおり、複数の魔法使いを相手にしているが如くだ。
だがゼレウスは笑う。
「三対一だと? それは違う」
「なに?」
ゼレウスはその場で回転し、襲い来る魔法をフュージアで一文字に斬り裂いた。
「我にはフュージアがいる。だから二対二だ」
そう言って、ゼレウスは不敵な笑みを浮かべる。
消え去る闇の残光がフュージアの剣身に反射し、キラキラと瞬いた。
「! そーだそーだ! ボクも数に入れろー! ボクたちは二人で一つ! ……あれ、それじゃあ結局二対一かな?」
「ならば二人で二つだ」
「それだあ!」
緊張感のない会話を交わす二人に、ギグルは微妙な表情を浮かべた。
「ハッ……なるほどね。確かに魔封じの聖剣は無視できない脅威……つーかオレらデーモンにとっちゃ、最悪の敵か」
指揮者のように手繰るアーズルードの魔法が、目の前ですべて斬り裂かれ消失していく。
最初は火の魔法とギグルとの連携だけで封殺できていたのに、もはや通じる様子はない。
炎はフュージアに消され、闇は拳に弾かれ、石は砕かれる。
ゼレウスの言うように数的有利がないどころか、アーズルード側が不利であるとすらいえるだろう。
ゼレウスを止める術が、アーズルードたちには存在しないのだから。
「ぐぉ……速度では敵わん……!」
腹にゼレウスの一撃をくらったギグルが膝をつき、唸るように呟く。
瞬く間に勝負は決した。
アーズルードにも近接戦闘の心得はあるものの、超一流の戦士であるギグルやイリーリャには及ばない。
前衛もおらず、空からの攻撃もできないとなれば、アーズルードにはもう為す術はなかった。
「もういいよ、ギグル殿」
「すまん、おれが不甲斐ないばかりに……」
「あー、そういうんじゃねぇって。最初から無理だったんだよ。どうしても勝てない相手ってのはいるもんだぜ」
「? なにを……」
ギグルの背後、膝をつきながらも振り向いた視線の先で、アーズルードが腕を突き出す。
握られた手のひら。上向き、開かれたその手の中には、黒い何かがあった。
ギグルからは見えず、ゼレウスとフュージアだけがその中を視認した。
ぬらりと艶めくそれは石か、あるいは暗い色の宝石のように見えた。
が、正体は掴めない。
ゼレウスとギグルが揃って眉根を寄せた時、草原の果て、戦場の周囲を囲むように、いくつもの巨大な光の柱が立った。
「なんだ? 何かが身体を通ったような……」
周囲の冒険者たちから声が上がる。
ざわざわとした喧噪は広がるのでなく、まるで示し合わせたかのように同時に起きた。
人族、魔族問わず。
「違う! 何かが通ったんじゃなくて、身体から抜き取られたんだ!」
誰かがそう叫ぶ。
混乱の最中、皆が理解した。
自身の身体から魔力が消失していると。
キョロキョロと、アーズルードが変わらぬ態度で周りを見渡す。
「……ここまで魔力を喰うとはな。魔力が足りない場合、代わりに体力が失われる。まぁ死にはしねぇよ」
オークたちが膝をつき、無数のハーピーが空から落ちるなか、アーズルードが平然と呟く。
突如引き起こされたこの状況においてもアーズルードは落ち着き払っている。
彼が何かをしたのは明らかだ。
「一体何を! アーズルード殿!!」
息を荒くしたギグルが、膝をついたままアーズルードへ厳しく問いかけた。
アーズルードは笑みを返すと、手のひらの黒い何かをはらりと落とす。
それが地に落ちた瞬間、逆巻く風がそこから吹き荒れ、周囲の光の柱たちが瞬く間に漆黒に染まった。
一拍の間。
巨大な柱のすべてが、ガラスのように砕け散る。
「勝負を捨てたわけじゃないし、別に裏切ったわけでもない。ハーピーと違ってデーモンが落ちてないのは、オレの部下だからだ。目こぼししてくれ」
砕けた黒い柱が無数の粒となり、アーズルードの足元、黒い何かが落ちた部分へ勢いよく集まっていく。
逆巻く風は地面へ向けて逆流し、黒い粒が霧のように滞る。
そして無数の粒の中で人型の影が形作られた。
少々背の低い、流線型のフォルム。
下半身はごつく、他の種族にはない太い尻尾がある。
あのような姿をしている種族は一つしかない。
「オレたちじゃ勝てないなら、歴史の中から蘇らせればいい。‶旧魔王〟ゼレウス・フェルファングを歴史に葬った、もう一人の‶旧魔王〟を」
「まさか……!」
ゼレウスが驚愕の声を上げる。
あの影はリザードマンだ。
だがゼレウスが愕然としたのは、それが理由では当然ない。
アーズルードが両手を広げ、叫ぶ。
「‶最後の魔王〟ザナド・リュシーを!!」
リザードマンの中でも珍しい、見覚えのある黒い鱗を、ゼレウスは晴れた霧の向こう側に捉えた。




