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旧魔王に聖なる封印を!  作者: モタモタ猿
第一章 魔王の器
30/77

30.虹を穿つ


「助かったエレイナ! いっしょにあのムカつく女をぶん殴るぞ!」



 リーシャは意気揚々とそう宣言するが、エレイナは肩を竦めて応えた。



「あたしには殴るのは無理。だけど……援護はする」



 隣に立つエレイナが、鋭い目つきで弓に矢を(つが)える。

 イリーリャが面倒そうに眉根を寄せ、エレイナへ向けて羽根を数枚飛ばした。

 矢を番えたまま、しかし構えはせずに、エレイナは数歩下がることでそれらを回避。

 その瞬間リーシャが再び大地を蹴り、三度(みたび)イリーリャに空中戦を仕掛けた。



「何度来たって無駄──っ!」



 翼をかすめる矢にイリーリャの顔が強張る。エレイナの援護だ。

 しかし矢を避けるくらい、彼女にとっては容易なこと。

 が、目の前にはすでに空中で脚を振りかぶるリーシャの姿が──



「くっ……!」



 風を操り、強引な方向転換でくるりと蹴りを回避。

 回転の勢いを活かし、そのまま後ろ回し蹴りへと繋げた。

 リーシャは闇魔法で硬化した右腕でそれを受け止め、さらに足首を掴む。

 攻防の隙間から、イリーリャの驚愕の表情が垣間見えた。


 リーシャは見せつけるように笑みを浮かべると、イリーリャの蹴りの勢いを利用して回転し、左の裏拳を叩き込む。

 が、撃ち込んだ拳はまたしても岩の壁に遮られた。



「ほら、無駄でしょ?」


「うるさい!」



 またつぶてを撃ち出されるとまずい。

 リーシャは足首を掴んでいた右手を放し、岩の壁に手を掛けた。

 自身の身体を引き上げ、岩の壁の上方へ宙返りする。

 このまま脳天に踵落としをくれてやる。

 しかしリーシャのその思惑は、岩を瞬時に消し身軽になったイリーリャがくるりと翻ったことで不発に終わった。


 空ぶったリーシャの踵には目もくれず、イリーリャは眼下のエレイナの挙動を確認する。

 また弓矢でリーシャのフォローをしてくるだろう、と予測したからだ。

 がしかし、エレイナの姿は眼下の草原にはなかった。

 いや、正確に言うなら、彼女の姿は地上にはなかった。


 眼前(・・)

 リーシャと違い、空中まで跳び上がるほどの力などないはずの彼女が、なぜか、いつの間にか目の前にいた。



「──っ!!」



 抜刀し、振り抜かれる剣。

 武器が変わっていることに虚を突かれたが、イリーリャは風の力を借りて素早く後退することで直撃を免れた。

 胸鎧にわずかに届いた剣先が、じんじんとした感触を残す。

 頼りを失ったリーシャ共々、エレイナは地上へと降りた。



「‶中空に踊る(エリアル・ステップ)〟を使ったのか。びっくりしたぞ、エレイナ」


「あ、脚痛ぁ……」



 着地し、脚を畳んだ姿勢のままのエレイナが、眉根を寄せながら太ももをさすさすと撫でている。


 彼女の腰につけられた、筒状の魔道具。

 ‶中空に踊る(エリアル・ステップ)〟と名付けられたそれは細身で、ちょうど片手剣の柄くらいの長さだ。

 いくつかの規格があり、エレイナの持つ物は最も携行性に優れたものである。

 足裏に土魔法を展開し一瞬だけ固定する魔道具だが、一度に使えるのはほんの数歩分だけ。

 サイズの大きな物であればもっと多く空中を歩けるが、エレイナの持つ物は三歩程度だ。

 歩数のすべてを上昇のために使い、安全な着地のためには回せなかったのだろう。

 痛がりながらもエレイナは立ち上がる。



「まだいけるか?」


「もちろん」



 エレイナは小さく笑みを湛えながら頷いた。



「面倒ねぇ……何が面倒って、一人雑魚が増えたところで勝てないってこと、わざわざ教えてあげなきゃいけないのが面倒だわ」


「今エレイナに斬られてただろお前!」


「胸元かすっただけなんですけど? あー、あなたみたいに控えめなサイズだったら当たらなかったかも。はぁー大変だわ、大きいと」


「斬り落としてやれエレイナ!」


「無理だって」



 まるで見せつけるように空中で腕を組むイリーリャを指さすと、エレイナから苦笑が返される。

 人族が魔王を前にしているにしてはやけに自然体だが……頼りになる友人だ。

 リーシャはニヤリと笑ったあと、イリーリャへ向けて駆け出した。


 エレイナが‶中空に踊る(エリアル・ステップ)〟を所持していることはもうバレてしまっている。

 さっきのような奇襲はもう通用しないだろう。

 これ以上こちらに切れる手札はない。

 おそらく、これが最後の攻防となる。


 イリーリャが放つ羽根の隙間を縫うように、リーシャは進み続ける。

 労せず避けることができたのは、初めから狙いがリーシャではなかったためだ。

 すり抜けた羽根は背後のエレイナへと向かう。

 友が狙われたことを理解しつつも、リーシャはその対処をしなかった。

 信頼しているからだ。彼女ならこの程度、簡単に捌くことができるだろう、と。


 ただし、これでエレイナの援護は遅れるはず。

 イリーリャとの一対一。

 一人では勝てないことはわかっている。

 エレイナが来るまで生き残らなければ、この戦いには勝てない。



「うおぉおぉおお!!」



 吠える声を地上へ置き去りにし、リーシャは跳び上がる。



「アハハハハハッ! あなたには独りが似合ってるわよ、リーシャ!」



 いやらしく嗤うイリーリャの顔目掛けて、拳を振るう。

 が、翼に纏った岩の鎧を合わされ(しの)がれた。

 リーシャは空中での頼りを失い、地に落ち始める。

 本来であれば、そうなるはずだった。



「ッ!?」



 イリーリャの振るった翼に引っ張られるように、リーシャが空中で軌道を変える。

 いや、実際に引っ張られたのだ。

 岩の鎧に引っかけた、闇の糸によって。



「小賢しい!」



 岩の鎧が瞬時に消え、リーシャは頼りを失う。

 が、寸でのところで翼の先端を握り空中で方向転換。

 勢いのまま、イリーリャの側頭部へ向けて蹴りを放った。

 しかし再び展開した岩の鎧によって防がれる。



「いい加減放しなさいっ!」



 掴まれた翼をイリーリャが勢いよく振り上げ、リーシャはさらに上へ放り投げられた。

 痛みを伴って散る羽根に、イリーリャの顔が不快そうに歪む。

 リーシャは空中で素早く体勢を整えると縦に一回転し、イリーリャの脳天目掛けて踵落としを放った。

 岩の鎧が展開され防がれるが、リーシャはそれを蹴ってさらに跳び上がる。



「おぉらァッ!」


「無駄だって」



 殴り下ろし。岩を踏み台に蹴り上がり、横薙ぎの蹴り。再び殴り。

 すべて防がれ、徒労に終わった。

 また岩を飛ばされれば、リーシャは痛手を負うだろう。



「さようなら~♪」



 イリーリャが嘲笑い、羽根に魔力を通す。

 しかしその刹那、イリーリャの顔は驚愕に強張っていた。

 岩の鎧が黒い何かに覆われ、炸裂できない。



(闇魔法のコーティング!?)



 無意味に思えたリーシャの攻撃。何度も繰り返していたのは、これを岩に纏わせるためか。

 イリーリャは歯噛みするが、ただ攻撃手段が一度封じられただけだ。

 魔法を解除し、コーティングされた影もろとも消し去る。



「ここだッ!」



 岩の鎧が消えた瞬間リーシャが吠え、再び踵落としを放った。

 必要な高さは魔法が解除される一瞬前、岩を踏み台にすることで確保できた。


 岩の展開はもう間に合わない。

 ハーピーとヴァンパイアの膂力の差は歴然だ。受け止めれば翼が折れてしまうだろう。

 イリーリャに取れる選択肢はもうない……はずだった。


 リーシャの外套が、ぶわりと翻る。

 が、これは予兆でしかない。

 イリーリャに残された、最後の手段。

 それは──



(ただの……風魔法!?)



 虹色の羽根にばかり気を取られ、失念していた。

 逆巻く風の魔力を全身で受け、イリーリャは背面へと身体を倒す。

 リーシャの踵落としを回避すると同時に、身に纏った風をただただシンプルに、刃に変えて撃ち出した。


 ハーピーの最も基本的な戦術。

 風を身に纏い、懐に入られれば風を刃に変えて迎撃する。

 シンプルだが強力。だからこそ洗練され続けた技術体系。


 極められた技は実力でしか返せない。

 第四魔王イリーリャ・ミディスは一流の戦士だ。

 返すには、リーシャも極めた技を使うしかない。



(広がれ……)



 言葉が表層に浮かび上がるか否かの瀬戸際。それほどまでに加速した思考。

 風の流れを感じた瞬間、リーシャはほとんど反射的に魔力を練っていた。



(闇よ!!)



 かざした手のひらから影が半球状に広がる。

 展開を急ぎすぎたために魔力が安定せず、ボロボロの布切れのように頼りない、闇の盾。

 だが間に合った。

 風の刃のほとんどを、黒い盾が受け止める。


 リーシャに極めた技があるとすれば、それは闇魔法の速度と正確性だ。

 一人でも多く戦死者を減らすために戦場に赴き、献身的に治療し続けた。

 たくさんの怪我人を少しでも早く、正確に、確実に救うために使い続けてきた闇魔法。

 正確性を犠牲にし、その技術のすべてを速度にのみ集中すれば、魔王の技にも対抗することができた。

 形見の帽子を護り、自身のダメージをも軽減することができた。


 もう一度、リーシャに攻撃のチャンスが与えられる。

 闇の盾を展開したまま、イリーリャへ向けて降下。そのまま殴り込むつもりだ。

 しかしリーシャは気づかない。

 自らの頭上に、虹色の羽根が舞い降りてきていることに。


 翼を掴んだリーシャを、イリーリャが上方へ放り投げた際に千切れた羽根だ。

 あの時、リーシャを引き離すだけなら、下方へ投げ捨ててしまえばいいはずだった。

 そうしなかったのはイリーリャの策略である。

 時間差で羽根が降ってくるよう、イリーリャはわざとリーシャを上へ(ほう)った。

 つばの広い帽子を常に被っているリーシャは、上方向の視界が極端に狭い。ほぼ見えていないといってもいい。

 だからこそ終始、頭上からひらひらと舞い落ち、イリーリャの風魔法に吸い込まれるように加速した羽根に気づけずにいたのだ。


 イリーリャの最後の攻撃。

 その動作はすでに、とっくの前に終わっていた。

 魔王と、ただの一介の魔族。

 その実力の差はどうしようもなく埋めがたい。

 ……だがそこにもう一人、共に戦う友がいたなら。



(来たわね、従者ちゃん)



 イリーリャは視界の端、下方にエレイナを捉える。

 彼女が来ることはわかっていた。

 が、リーシャは羽根で奇襲できる。

 単純な話で、イリーリャは上方からのリーシャの攻撃と、下方からのエレイナの攻撃をあとたった一度捌けばいいだけである。

 その後、羽根に籠めた魔力を解放してリーシャを奇襲し、空中戦のケリを付ければいい。

 一介の魔族では上下からの攻撃を捌くことなど不可能かもしれないが、イリーリャなら可能だ。


 腰元の剣、その柄に手を添えながら、エレイナが空中を蹴る。

 二歩目だ。

 イリーリャにはエレイナの歩数を数える余裕すらあった。

 ……だが寸でのところまで、その必要などなかったのだということには気づけなかった。


 三歩目。

 エレイナが斜めに跳躍し……イリーリャから遠ざかる(・・・・)



「──は?」



 エレイナの肩に通され担がれていた弓が、するりと抜け落ちていく。

 淀みのない流麗な動作。

 腕を伝った弓を左手で掴み、剣の柄といっしょに隠すように握り込んでいた矢を右手で持ち、番える。


 彼女が剣を握っていたのはフェイントだった。

 そのうえ最後の一歩を退きつつ跳躍することで、射線と広い視界を確保。

 空中でしっかりと狙いを定める。


 もしエレイナに極めた技があるのなら、それは弓術だ。

 一人を好む冒険者。必要に駆られ、近距離での使用すら視野に入れたその技術は、魔王自身には届かなくとも、その技のひとつくらいになら、届く。

 矢尻が向けられる先には、ひらひらと舞い落ちる二枚の羽根。

 撃ち出された矢は、その二枚ともを見事に撃ち抜いた。



(噓でしょ!? そんなこと──)



 イリーリャは困惑を表には出さなかった。

 あくまでも冷静に、上方からのリーシャの攻撃を避ける。

 それは彼女が優秀な戦士である証だが……ほんの一手、思考が遅れてしまうのは致し方ないことだった。

 闇を纏った左手で、リーシャがイリーリャの胸倉を掴む。

 風で反撃、あるいは土で防御。だがその思考が遅れる。



「おぉおおおぉお──!!」


「まっ……!」



 言葉が意味を成す前に、衝撃が声を潰した。

 リーシャの渾身の拳がイリーリャの胸元に突き込まれ、空から引きずり落とされる。



「──らぁあッ!!」



 振り抜いた拳で、イリーリャは背中から地面に叩きつけられた。

 痛みすらほとんど感じる間もなく、彼女の意識はそこで途絶える。

 イリーリャと一塊になって着地したリーシャは、左手で帽子を抑えながら立ち上がり、頬を伝う血を拭い去った。



「ようやく黙ったな!!」



 イリーリャの身体を足の間に置いたまま、リーシャは仁王立ちで勝利を宣言した。


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