27.旧魔王 対 三人の魔王
「ちょうどいい……ゼレウス殿、少し聞いていただけるか」
先のハーピーとのやり取りのあと、自然と生まれた戦闘の切れ目をきっかけに、オークの一人がゼレウスに声をかけた。
ゼレウスがその続きを促すと、彼は剣を構え直しながら手短に伝える。
「ゼレウス殿……我々もあなたと戦いたいわけではない。しかし我々は戦士! 加減は無用!」
昨晩その膂力を見せつけたばかりだ。ゼレウスが手加減をしていることは当然バレてしまっている。
だが彼らはそれを責めているわけではない。
オークたちの瞳を覗き込めば、そこには敬意が感じられた。
‶旧魔王ゼレウス・フェルファング〟という、強者への敬意。
そして。
(そうか……『忠誠心』だったのか)
ゼレウスは納得する。
何もかも変わったように見えたオークにも、変わらない部分はある。
強者への敬意と、その強さに従う忠誠心。
戦士としての誇りがそうさせているのだ。
二日前、この戦場で見たオークの瞳の中の光。
それは彼らの王、‶騎士王ギグル・ア・グル〟への忠誠心だったのだ。
オークたちとて、ゼレウスを憎く思っているわけではない。
しかしそれでも、忠誠心が彼らを茨の道へと突き動かしている。
自分たちが強者だと認めた、‶旧魔王ゼレウス・フェルファング〟に立ち向かうという道へと。
「……我も戦士の誇りを愚弄したいわけではない。加減をしているのは我が野望のためだ。お前たちを一人として失うつもりはない。だから全力を以って──手加減をさせてもらう」
そう言って、ゼレウスは猛々しく嗤う。
なんとも奇妙な言い回しだが、本人はいたって本気である。
「おい新人! 助けはいるか!?」
オーク、ハーピーと相対するゼレウスに、背後から声が掛けられる。
どうやら冒険者たちが合流したようだ。
ゼレウスは首だけで振り返り、忠告する。
「いらん! お前たちは生き残ることだけを考えろ!」
「そうか……お前もな、新人!」
ちらりと、冒険者たちが親指を立てて応えるのが見えた。
笑みを浮かべる彼らにつられるように口角を上げると、ゼレウスは再び前を向く。
冒険者たちはゼレウスを中心に左右に分かれ、それぞれ魔族と相対した。
空にはデーモンの魔法が飛び続けている。
人族の魔法使いの大多数はその対処に追われていることだろう。
魔力量の多いデーモン相手では、先に魔力が枯渇するのはおそらく人族側だ。
その時が来る前に地上戦で押しきる。それが人族の唯一の勝利条件である。
「やはり一人で突撃してきたか。貴殿らしいというべきか? ゼレウス殿」
オークの軍勢が二つに割れ、ひときわ大きな影が現れる。
「ギグルか。やはりオークの王はこの時代も前線に出てくるのだな」
「いや、そうでもない。今回は特別だ。……おれも手助けはいらん」
背後のオークたちにちらりと目配せをしながら、ギグルがそう指示を出す。
彼はその厳めしい表情をそのままに、ゼレウスを正面から見やった。
「残念だ。貴殿とは一騎打ちしてみたかった」
矛盾したセリフ。
ギグルはオークに手助けをしないよう指示を出しておきながら、一対一で戦えないことを嘆いている。
しかしゼレウスが抱いた疑問はすぐに解消された。
上空から舞い降りてくる、二つの人影によって。
「悪いなギグル殿。優先すべきは勝利だ」
「戦士の誇りとやらは捨てなさい、ギグル。少なくとも今はね」
「ああ、わかっている。今だけは勝利への忠誠を誓おう」
六翼のデーモンと、虹色の翼のハーピー。
第二魔王アーズルード・ゼフィと、第四魔王イリーリャ・ミディスだ。
一目見てわかるその特異な容姿に、背後の冒険者たちが息を呑むのがわかった。
「まずはアンタを殺す。それでこの戦場の不安分子はなくなるからな」
「我がこの戦いの大勢を決めるか。話が簡単で助かる」
笑み混じりのアーズルードの宣告に、ゼレウスもまた不敵な笑みで答える。
アーズルードはさらに笑みを深めると、手元で炎を生み出した。
「水の護りを……」
ギグルが呟くと同時に、彼の身体を水の魔力が覆う。
瞬間、無数の炎の雫が上方から降り注ぎ、相対するギグルを巻き込みながらゼレウスに襲いかかった。
「うわ、味方もろとも!?」
フュージアの非難めいた叫びを聞きながら、ゼレウスはそれらを回避する。
草原に炎が燃え移り、視界のすべてが揺らめく朱色に埋め尽くされる。
そのあまりの熱波にゼレウスが眼前に手をかざした時、炎の壁が切り裂かれた。
朱色をゆらゆらと映し込みながら現れる、白き鎧。
高熱に怯むことなく踏み込んだギグルが、ゼレウスに肉薄する。
ゼレウスの背丈に迫るほどの長さの大剣が、踏み込みとともに力強く斬り上げられた。
(! 水魔法で炎を軽減しているか)
ゼレウスは一歩退いて回避しながらそう推測する。
先程呟いた際、ギグルは自身へ水属性の加護を付与したのだろう。
魔法を行使できるオークは珍しくはないが、決して多くもない。
恵まれた肉体を活かす戦い方のほうが主流だからだ。それでも魔法をきちんと修めているあたり、流石はオークの王といったところか。
魔法を封じられてさえいなければゼレウスも同じことができたが……。
ないものねだりをしても仕方ない。
幸い、ギグルの攻撃は大振りで回避はしやすい。
しかしそれは彼の実力が足りないわけではなく、あえてそうしているに過ぎないだろう。
大剣が空気を引き裂く音が、ゼレウスの鼓膜を叩く。
すべてが一撃必殺の斬撃。一度でも当たればこの戦いは終わる。
だがそれほどの斬撃であれば、当然攻撃後の隙が生まれるはずだ。ゼレウスがそれを見逃すわけはない。
が、ゼレウスは回避に徹せざるを得なかった。
その原因は、ゼレウスを囲うように展開する炎にある。
「右後方から一つ!」
フュージアから指示が飛ぶ。
何度も繰り出されるギグルの斬撃の隙を埋めるように放たれる、一条の炎。
ゼレウスの周囲を走る炎の壁から伸びたものだ。
操っているのは当然、上空からこちらを見下ろしているかの六翼のデーモンである。
ギグルの斬撃を回避した直後のため、少々無理のある態勢での回避を強いられる。
ゼレウスはその脅威に必要以上には抗わず、その場でくるりと回転することで再びギグルを正面に見据えた。
背後を通り過ぎて行った炎の尾が偶然フュージアに断たれ、はらりと消える。
「ハハハ! 芸術的な体捌きだな。ならこれはどうだ?」
アーズルードがオーケストラの指揮者のように腕を振るう度に、尾を引く炎の弾丸がゼレウスを襲う。
直撃はせずとも、熱波がゼレウスの皮膚を焼く。
ギグルはゼレウスほどには炎の影響を受けていないらしく、怯むことなく斬り込んできていた。
が、炎が生み出す脅威は熱だけではない。
「シィィ……!」
「……ッ!」
炎が空気を喰らう。
ギグルの大剣は避けられ空気を裂き、わずかな隙を突いたゼレウスの拳は剣の腹で受け止められる。
激しい攻防とは対照的に、二人の呼吸はどんどんと細くなっていった。
言葉を交わす間も余裕もなく、しかし両者は剣と拳、そして表情を以って意思を伝える。
(死ぬ気かギグル!)
(この状況でもこちらを案ずるか‶旧魔王〟! だが先に倒れるのは貴殿だ!!)
いくら魔王といえど、酸素がなければ生きてはいられない。
本来であればまだ疲弊していないはずの両者が、ともに息を切らし始めていた。
水の加護で熱は軽減できても、呼吸のほうはどうしようもない。
このままではギグルが窒息してしまうのではないか。
そう懸念したゼレウスは、いったんギグルから大きく距離を取った。
幾筋もの炎がそのあとを追跡する。
「邪魔だ!」
ゼレウスは拳を横薙ぎに振るい、その拳圧で炎を打ち消した。
「マジかよ!」と、空から笑い混じりの驚嘆が聞こえる。
「ギグル! 受け取りなさい!」
イリーリャの声とともに、虹色の羽根が降り注ぐ。
それはギグルの胸元の鎧の隙間と彼の周囲の地面に突き刺さると、魔法を展開した。
「フゥーーー……」
ギグルの呼吸が整う。
彼の胸元に刺さった羽根が風を生み出し、空気を供給したのだ。
さらに周囲の地面に刺さった羽根からは小さな水の渦が展開され、ギグルのほど近く、延焼しすぎた草原が消火される。
(火だけではなく、水や風も羽根から生み出せるのか!)
炎と煙に苛まれながらも、ゼレウスはイリーリャへの賞賛の笑みを浮かべた。
思い出されるのは、デニアス砦から脱出した時のこと。
イリーリャの放った虹色の羽根が発火し、ゼレウスの右手は火傷を負った。
しかし今回の彼女は、風と水の魔法を以ってギグルを援護した。
複数の属性を使い分けられるということは、それだけ多様な戦術を組み立てられるということ。
戦場においてそれが脅威であることは言うまでもない。
そして配下にできればきっと、その脅威は頼もしさへと変わるだろう。
ギグルとは対照的にゼレウスの呼吸は荒く、その周囲はいまだ炎に包まれている。
この好機を逃す‶騎士王〟ではない。
一歩。焼け跡から登る黒い煙がギグルに踏みつけられ、ぶわりと広がる。
歩幅を広く、ギグルは加速した。
白き鎧が黒煙を裂き、ゼレウスへ突撃する。
眼下、足元の土が抉れ、跳ねる。
振るわれた大剣が土埃を斬り裂き、巻き込まれた草がそれを追うようにして舞い上がった。
回避すれば、また炎の弾丸がゼレウスを襲う。
ゼレウスと違い、ギグルの呼吸はイリーリャの羽根によって確保されている。
それがどれほどの間効力を発揮するかはわからないが、ゼレウスが不利であることに変わりはない。
打破するには、この炎の壁をどうにかしなければ。
「──左後方! ──右! ──真後ろ!」
炎の中で、呼吸を必要としないフュージアの声だけが響く。
退き、時にはギグルの巨体を回り込むようにして回避し続ける。
魔王同士の連携の経験はないのか、炎と大剣の波状攻撃には切れ目があった。
ゼレウスはそのわずかな隙を突いて拳を打ち込むが、大剣で受け流され、決定打にはならない。
少々侘しい思いはあるが、このまま窒息まで追い込めるか。
そうギグルが考えた時、くるりとゼレウスが回転した。
襲い来るフュージアの剣身を、ギグルは冷静に剣の腹で受け止める。
しかし不思議にも思えた。
フュージアを利用したその攻撃が、大した脅威ではなかったからだ。
確かに、フュージアの魔封じの力を受ければ、ギグルを護る水の魔力は消え去る。
だがそれも当たればの話だ。
相手に背を向ける大ぶりな動作。消耗しているのか、威力も乗っていない。これなら拳を振るわれたほうがよほど脅威だ。
くらう道理はない……が、だからこそ疑問も深まる。
ギグルはゼレウスを高く評価していた。
自分と匹敵する、あるいは超越している傑物であると。
そんな相手が、戦場で意味のない行動をするだろうか。
満足に呼吸できていないはずなのに、ゼレウスは隙を見つけてはくるくると回転斬りを繰り返している。
フュージアの剣身が、アーズルードの操る炎の軌跡を断つ。
断たれた炎はその場で跡形もなく消え去った。
ギグルは初め、それを偶然だと思った。
毎回炎が斬り落とされていたわけではないからだ。
しかし──
ゼレウスが一歩、大きく跳び上がって後退する。
背中の剣身が炎の壁に触れるが、消えはしない。斬撃でなければ効力を発揮しないのだろう。
炎の弾丸を背負いながらギグルは追撃を仕掛けた。
ゼレウスはそれを回避し、回転斬りで炎を迎撃。
その瞬間、ギグルはゼレウスの狙いに気がついた。
(まさか、『消火』しているのか……!?)
思わずギグルは小さな笑みを浮かべた。
気づいてみれば単純明快な話だった。
炎が呼吸を苛むなら、それを消してしまえばいいだけなのだから。
すぐに思い至らなかったのは、ゼレウスが魔法を使えないことを知っていたからか。あるいはフュージアの魔封じの力をどこか軽んじていたか。
しかしそれを魔王と対峙しながら実行するとは。
ギグルはゼレウスの評価をさらに引き上げる。
炎の弾丸は放っておけば草原に落ち、新たな火種となる。
襲い来る炎をわざわざ斬り落としているのはそれを防ぐためだ。
攻防を重ねるうちに、ゼレウスの背中越しの斬撃はどんどん正確になっていく。
炎の弾丸はすべて斬り落とされ、その刃はギグルにすら届きかねない。
気づけば周囲の炎の壁もあらかた消え去っていた。
背後の壁すらついでとばかりに斬り裂かれていたのだ。
二人の魔王による攻撃のすべてを掻い潜りながら。
(やはり貴殿とは一対一で戦ってみたかった……!)
ギグルは獰猛に笑う。
これほどの強者に出会えた幸運に。
オークの本能を刺激する、敬意すら抱きかねないその強さに。
無事草原の消火に成功したゼレウスは「ふぅーーー」と息をつき、満足そうな笑みで額に浮かんだ汗を拭った。
「アイススケートの経験が生きたね、ゼレウス!」
「ああ!」
そんなわけあるか。
と、ここにエレイナがいたらそうツッコんでいたかもしれない。
「ふっ……」
戦術の修正が必要だろう。
どこか晴れやかな笑みを浮かべたギグルは空を見上げると、アイコンタクトでそれをイリーリャへと伝えた。




