25.時代の象徴
「さて、話は終わったな。帰るぞエレイナ。今回も我は馬小屋に泊まる」
「ん」
「待て、新人」
人混みの中から、またも見覚えのある顔が現れる。
フュージアが「あ、心配性の人」と小さく呟いた。
初めて冒険者ギルドに訪れた際、フュージアに新人いびりの人だと勘違いされつつも、身体に剣の刺さったゼレウスを純粋に心配した彼である。
名は知らないが、ゼレウスより高い身長に筋骨隆々の肉体を持った、冒険者の中でも目立つ存在だ。
「おぉ、お前か。どうした、まだ聞きたいことがあるのか?」
「いや……」
心配性の彼は困ったように笑うと、腰に下げた荷物に手を伸ばす。
「俺は心配性でな……まぁこれは冒険者なら誰でもそうなんだが、常に治療道具を持ってる。その右手、ちゃんと処置していけ。じゃないと心配で仕方ない」
やはりというべきだろうか、どうやら心配されているようだ。
彼の手には真っ白な包帯が握られている。
「……魔族に一人、協力者がいる。明日合流できれば治療してもらえるだろう。心配はいらない」
「悪化したり菌が入ったりすれば、それだけ治療に時間も魔力もかかる。いつ合流できるかどうかもわからんのだろう? 包帯だけでも巻いておけ」
「……そうだな。では頼もう」
座るよう促されたゼレウスは大人しくそれに従う。
心配性の彼は水の魔法を発動させるとそれを操り、ゼレウスの右手を包み込んだ。
流水のように手のひらでうねる魔法が、汗や汚れを落としていく。
役目を終えた水はそのまま消滅した。
続けて彼は清潔な布を取り出し、皮膚に残った水分を優しく拭き取る。
手際よく包帯が巻かれ、治療はすぐに終わった。
「少し痛みが和らいだな……礼を言う」
「礼を言うのはこちらのほうだ。エレイナを……我々の仲間を助けてくれてありがとう」
彼はそう言って笑うと振り返り、冒険者たちに呼びかける。
「さぁみんな、彼の言うとおり、我々は明日に備えて休もう。今日はこれで解散だ」
彼の言葉に冒険者たちは返事をし、それぞれ立ち去っていく。
ゼレウスとエレイナも連れ立ってギルドを出た。
夜、エレイナの家の馬小屋。
左手を枕に、ゼレウスは藁の山に寝転んでいた。
暗闇の中、闇に慣れた目で包帯の巻かれた右手を眺める。
「……痛むの?」
フュージアの心配そうな声。
どうやら深刻な表情をしているように見えてしまったらしい。
ゼレウスは苦笑しながらそれを否定する。
「いや、そうではない」
患部を覆っているため火傷の痛みは和らいでいる。
問題なく眠れるだろう。
しかしまだ目を閉じる気分にはなれなかった。
「……魔族は闇、人族は光……活動場所を違えば、魔法での治療はほぼ不可能になる」
闇魔法を扱える人族は存在しない。
ただの一人でさえ、歴史上にすら存在しないのだ。
同じように、魔族の中にも光魔法を使える者はいない。
遥か過去、その事実は種族の垣根を作り出し、千年を超えてもなおその垣根はなくなっていない。
「治癒魔法は強力だけど、今のゼレウスみたいに種族的に孤立しちゃうと、自分で自分を治す以外の方法がなくなるんだよね」
「ああ。つまりエレイナも相当危険な橋を渡っていたということになる」
「そっか。う~ん……そこまでしてエレイナちゃんは何をしようとしてたんだろうね? 妨害工作と情報収集が目的だったって言ってたけど……」
「おそらくは嘘だろうな。しかし他に何か達成していたようにも思えんが……」
「考えてもわかんないねー……まだ会って日も浅いし、エレイナちゃんに仲間じゃないって思われるのも、仕方ないのかなぁ……」
「あれはエレイナなりの慈悲だろう。好意を受けても自分は返せない……そう忠告しているのだ」
「ポジティブだねぇ、ゼレウス」
フュージアがため息混じりに言う。
エレイナの思惑に関しては肯定も否定もしなかった。
ゼレウスは右手を掲げるようにして暗闇に伸ばす。
「この右手は時代の象徴だ。痛みはまだ、耐えるほかない」
「うん……光と闇の属性は、魔道具を使っても変換できないみたいだからね。八百年前から変わったように見えるこの世界も、人族と魔族の垣根は変わらないままか……」
「そうだな。……だがこの右手を見ろ、フュージア。これを処置したのは人間だ。見ず知らずの魔族を、ただ心配だからと案ずる者もいるのだ。人族と魔族が手を取り合う未来は、必ずある」
「……そうだね! エレイナちゃんともすぐに信じ合えるようになるよね、きっと!」
明るくなるフュージアの声色にゼレウスは笑みを浮かべた。
明日に不安があるのは、ここで初めて眠った夜と同じだ。
だが人族の街と魔族の砦を行き来してわかったことがある。
希望は確かに存在する。
人族にも魔族にも、協力し合える者たちは確かにいるのだ。
包帯に包まれた右手を胸に置き、ゼレウスは眠りについた。
◇
ゼレウスが廊下を走り去ってから、気絶したオークの治療を済ませたリーシャは地下牢の様子を確認していた。
「これは……修理は無理か? やってくれたな、ゼレウスめ」
ぐにゃりと曲がった鉄柵を見てリーシャは苦笑する。
階段の上、砦内部から、わずかだが喧騒が聞こえてくる。
ゼレウスたちが大立ち回りをしているのだろう。
彼が追ってこないよう警告したのは、リーシャが脱走の手助けをしないようにするためだ。
追いかければきっと、そのまま助太刀をしてしまう。そう考えたリーシャは、しばし瞑目してその未練を振り切った。
それから少しすると、一人のオークが階下に現れた。
「……リーシャ殿か。部下の治療、感謝する」
「あぁ、ギグル殿。無事彼は目を覚ましたようだな。見てくれ……ゼレウスの膂力はヴァンパイアだけでなくオークをも凌ぐらしい」
「ふむ……」
興味深そうにギグルが曲がった檻に近づく。
彼はその状態を確かめたあと、湾曲した二本の鉄柵を掴んだ。
「ぐ……おぉおッ!」
息の詰まるような声とともに、ギグルの両腕の筋肉が膨らむ。
そして彼が気合を入れたその瞬間、曲がった鉄柵がもう一度内側に湾曲した。
「おぉ、直った! 流石はオークの魔王といったところだな!」
『直った』とはいっても、流石に元通りというわけにはいかない。
鉄柵にはへこみが残っているし、ゼレウスとギグルが握った部分は小さな波形を描いてしまっている。
「流石にこのままというわけにはいかないが…………しかし、デーモンでありながらこれを曲げたのか」
この檻には‶歯車型魔法陣〟に使われることもある特殊な合金が使われており、その頑強さは折り紙付きだ。
ギグルが曲げて見せたのは、それがどれほどの困難か確認するためである。
結論、これは一介の魔族どころか、オーク最高峰の膂力を誇るギグルがようやく曲げられるほどの困難だとわかった。
「ふぅん? 本当に自力で脱出したのねぇ」
「! ……イリーリャ殿」
階段を下りてくる、虹色の翼の彼女。
ギグルが檻を曲げ直す様子を見ていたのだろう、イリーリャは納得を示していた。
「ふん……私が脱獄を手伝ったとでも思ったか? 生憎ハズレだ」
「そうみたいね。でも従者ちゃんのほうはどうかしら。従属の呪言を使われているはずのあの娘が、どうして脱出したのかしら?」
「どうしてだろうな? 私は手の内を晒したくないから、自分で考えてくれ」
「そんなこと言ってる場合? あなたには嫌疑がかかっているのよ」
「エレイナには砦の構造も教えてない。特に、倉庫や武器庫のような重要な場所はな。ここに三人の魔王がいるという情報も大した価値はないだろう。どうせ増援は間に合わない。ほんの少し、心構えができる程度さ」
その言葉にイリーリャが何か言いたそうな顔をしたが、挟み込まれたギグルの言葉に口を閉じる。
「イリーリャ。今回は見逃してくれないか? リーシャ殿はすでにこの戦いの功労者だ」
「……ふん。魔王である私に敬称をつけず姫サマにはつけるの、おかしくない?」
「親愛の証だ。我々オークとハーピーは、互いの宿命を真に理解し合えるのだから」
「そう思っているのなら‶取引〟を再開するべきね。……まぁいいわ。ここで姫サマを裁いてオークの士気を下げるのも微妙だし」
そう言ってイリーリャは翼をひらりと広げ肩を竦めると、踵を返した。
そのまま階段を上がるのかと思いきや、彼女はふと振り返り思い出したように口を開く。
「そうそう、かの‶旧魔王〟サマは無事脱出しちゃったわ。私の羽根で、右手に酷い火傷をさせちゃったけどね?」
「……そうか」
「ふふふ……心配そうねぇ? 向こうじゃ魔法での治療もできないでしょうし」
「心配などしていない」
「そう? とりあえず私の配下に確認させたけど、逃げたのはロントリーネの方角よ」
「……私に見張りでもつけるつもりか? 無駄骨になるぞ」
もしリーシャがゼレウスの治療をしに人族の街へ向かえば、裏切りの確かな証拠となる。
確かにヴァンパイアなら人族相手に正体を隠し通せる可能性はあるが、リスクを考えれば現実味はなくなる。
それに、おそらくだがゼレウスは明日戦場に出るだろう。
会うチャンスはある。であればその際に治療をしてやればいいのだ。焦ることはない。
リーシャはイリーリャの思惑を冷笑とともに否定した。
「あら、私はただ教えてあげただけよ? 大切な大切な仲間である、ギグルとあなたにね」
「ふん……そうか、それはすまなかった」
言葉とは裏腹なイリーリャの妖艶な笑みに、リーシャはあえて澄まし顔で答える。
形だけとはいえ謝罪されたことに肩透かしをくらうイリーリャだったが、リーシャがちらりと見せた得意げな笑みを見つけると、その笑みを引き攣らせた。
この二人が犬猿の仲なのはよくわかっている。
もはや慣れたものだ。
二人の様子を眺めるギグルは、小さく息をつきながら解散を提案した。
「さぁ、明日に備えて今日はもう休もう」
「そうね。ふぁあ……まったく、アーズルードはどこで何やってるのかしら」
飛空艇で移動してきたばかりでそのうえ脱獄騒動の対処と、イリーリャも疲れはあるのだろう。
大人しく提案を呑んでくれた。
踵を返しあくびを隠す彼女の後ろに続いて、リーシャたちは地下牢から出た。
◇
魔道具が奏でる荘厳な音楽が、夜の闇に吸い込まれていく。
眼下に広がる草原の先に、遠ざかっていく‶彼〟の背中が見えた。
その背中から生えた剣身が月明かりによって淡く、しかし確かな存在感で明滅している。
砦の外壁に腰掛け、ゼレウスの背中を見送る人影。
その手にはグラスが持たれていた。
「うん……やっぱ、一人で飲むならワインだな。香りに集中できる」
グラスを傾け、第二魔王アーズルードは呟く。
しかしここは屋外。
惜しむらくは、風が少々香りをどこかへ運んで行ってしまうことか。
まぁそれも、今宵巡り合った風を酔わせていると思えば乙なものだ。
そんな取り留めのないことを考えながら酒を楽しんでいると、一人のデーモンが外壁まで飛んできた。
彼は近くに着地すると、すぐにその場でひざまずく。
「第二魔王様。ここにいらっしゃいましたか。報告を──」
「おい待て。お前新人か?」
かしこまった様子のその言葉を遮ると、彼は緊張した様子で姿勢を正した。
「え、は、はいっ! 何か粗相をいたしましたか!」
「ああ、現在進行形でしてるぜ。まぁ人員増やしたばっかだし、しゃーないか」
アーズルードは立ち上がり、伝令に来たデーモンに向き合った。
このデーモンにはまだ幼さすら残っている。どうやら緊張している様子だ。
アーズルードは彼を安心させるために、ニカッと笑いかけた。
「オレのことは『アズ』でいいぜ。様付けじゃなくて『パイセン』って呼んでくれ。近しい奴らはみんなそう呼んでる」
「わ、わかりましたアズ様……あっ、申し訳ありません!」
「ははっ、今時珍しいデーモンだな。無理そうならそれでもいいからよ。ま、そのうち慣れるさ」
再び笑いかけると、彼はかしこまった様子で頭を下げた。
アーズルードは視線を外し、もう一度草原を眺める。
ゼレウスの背中はもう見えなかった。
「流石に今からみんなで飲み会ってわけにはいかねぇな。そうだ、報告ってなんだ?」
「はい。まず、かの‶旧魔王〟殿を取り逃がしたということが一つ」
「おう、わかった。オレも見てたよ。足速すぎだよなアレ。ちょっと笑っちまったぜ。ありゃ追いつけねぇ。で、他は?」
「儀式の準備が無事完了いたしました」
「……そうか、ご苦労。今日はもう休んでいいぜ。みんなにも伝えてくれ」
脱走騒動に際し緊張感すら持っていなかったアーズルードが、その報告に初めて表情を引き締めた。
飛び去るデーモンを背に外壁の上を数歩歩み、彼は両手を広げる。
魔道具からは荘厳なクラシックが流れ続けている。
アーズルードは空になったグラスを、まるで指揮者のように振るった。
目を閉じた彼に視界には、暗闇ではなく自らを称えるためのオーケストラが映っている。
やがてクライマックスを迎えた曲は終了し、余韻だけが残った。
正していた姿勢を緩めると、彼はグラスを右手の指でクルクルと弄ぶ。
月明かりがアーズルードに降り注ぐ。
まるで巨大なスポットライトだと、アーズルードは思う。
しかしそれに照らされているのは自分だけではない。
そう、自分だけでは足りないのだ。
「‶旧魔王〟……明日が楽しみだな」
明日は栄光の日となる。
アーズルードは期待に笑みを浮かべた。




