23.旧魔王と脱出劇
「それじゃ、ギグル殿に話を通したらまた戻る」
「はい。許可さえあればすぐにでも鍵は開けますので」
見張りのオークに話を通したのち、リーシャは背を向ける。
しかしその場をあとにしようとした瞬間、突如背後から響いた轟音にびくりと肩を持ち上げた。
振り返った彼女の目に飛び込んだのは、破壊され向かいの壁まで吹き飛んだ、扉だったもの。
どうやら地下牢へ続く扉が内側から蹴破られたらしい。
扉の隣に立っていた見張りのオークはあまりの出来事に硬直する。
その驚愕が解ける前に、地下牢へ続く階段、薄闇の中から人影が現れた。
「な、ゼレウス! なんで……いやどうやって!?」
「まだ居たかリーシャ、ちょうどいい! エレイナの装備はどこにある!」
「それなら私の部屋に……ってちょっと待て!」
返事を聞くや否やゼレウスは背を向け、駆け出そうとした。
ひょこりと現れたエレイナが後ろに続いたその時、ゼレウスの前に影が立ち塞がる。
「ここは通さ──グハァッ!?」
「今は邪魔だ! 我が未来の民!」
ゼレウスの裏拳がオークの胴を捉えた。
壁に激突した彼はそのまま気絶する。
「加減はしたが……リーシャ! 治療をしなければならないお前はこれで追ってこれまい! さらばだ!」
廊下を駆けていくゼレウスたちを、リーシャは唖然とした表情で見送る。
「追ってくるなということか……まったく」
やがて意図を理解した彼女は、苦笑混じりのため息を吐きながら治療を始めた。
そのまま、去っていくゼレウスとエレイナの背中をただ眺める。
「…………立場がなければ、私もいっしょに行きたかったな」
羨ましげに目を細めたリーシャの呟きは、誰にも届くことなく消えた。
◇
「よし、リーシャの部屋についたぞ!」
廊下を走り続け、目的地に辿り着く。
砦内は想定外の脱獄に混乱している者も多く、ここまで大した妨害もなかった。
しかし。
「オークがいっぱい追ってきてるよ!」
「まったく、真面目な奴らよ! 将来有望!」
「言ってる場合か!」
ツッコミを受けながらゼレウスがドアノブに手を掛ける。
そして一瞬の空白ののち、唐突に扉へ頭突きをして破壊した。
「なんで!?」
「鍵がかかっていたからだ!!」
「あそっか!!」
エレイナの納得の声がでかい。
どうやら流石の彼女もこの状況でいつもどおり冷静というわけにはいかないらしい。
なぜ頭突きを選択したのかツッコまれなかったことがその証拠である。
二人はリーシャの部屋へ素早く潜り込む。
「急げエレイナ!」
「わかってる!」
オークたちの足音が近づいてくる。
もうほんの数秒もすればこの部屋になだれ込んでくることだろう。
元々身一つでここへ乗り込んだエレイナだ。荷物は少ない。
剣帯、弓、矢筒。彼女は手慣れた様子で装備を整え終わった。
「準備できた!」
「よし! 抱えるぞエレイナ!」
「は!?」
反論する間もなくエレイナの身体は持ち上げられた。
例によってお姫さま抱っこだ。
その状態のままゼレウスが窓を蹴り割る。
このまま窓から飛び降りるつもりなのだろう。
「じ、自分で跳べるから! 逆に怖いからこれ!」
「そうか! すまんが時間が惜しい!」
リーシャの部屋は二階にあるが、飛び降りられないことはない。
少なくとも冒険者であるエレイナなら普通に可能だ。
だから抱えてもらう必要などなかったのだが……。
追手のオークによって扉が開け放たれる。
瞬間、ゼレウスは窓に足を掛け、藍色に染まった空へと勢いよく飛び出した。
「ひっ……~~~~~っ!」
声にならない悲鳴を上げながら、エレイナはゼレウスの胸元を握り締める。
着地の衝撃は驚くほど小さかった。
そして自らの頭を押しつけるほどに彼へ身を寄せていたことに気づいたエレイナは、慌ててその胸元から顔を引き剥がした。
「悪かったな」
「え、ううん……」
ゼレウスがエレイナの足を下ろし、そっと地に着かせる。
一瞬状況を忘れ、エレイナはほっと息をついた。
「ゼレウス上!」
鋭く飛ばされるフュージアの指示。
見上げれば飛来する‶何か〟がゼレウスの視界に入った。
暗くて判別はできないが、複数。
反応はできたが、ちょうどエレイナから離れたタイミングだ。
物体はゼレウスだけでなくエレイナのほうへも飛ばされている。
リスクは無視すべきか。
仕方なく、ゼレウスは自身へ向けられたすべてを回避しながら、エレイナへ向かう飛来物を掴み取った。
「っ!」
ほんの一瞬遅れてエレイナが回避行動を取る。
「羽根……」
手を開いて見てみれば、それは握り込んでも隠せないほどに大きな、虹色の羽根だった。
当然、サイズから考えてそこらの野鳥の羽根ではない。
ハーピー。
魔力の宿る羽根。
──この攻撃はまだ、終了していない。
ゼレウスがその答えに思い至ったその瞬間、手のひらで炎が上がった。
「ぐ……!」
炎を纏う羽根を捨てるが、これは魔法の火だ。
いとも簡単に右手へ燃え移ってしまっている。
ゼレウスは右拳を地面へ向けて振り抜き、地に埋めた。
ここが石畳でなくて助かった。
土に包まれた右手の炎は、火傷を残しながらも消え去る。
「あら、驚かせちゃったかしら?」
美しくも妖しい笑い声が上空から降り注ぐ。
夜空に広がる、虹。
羽根から魔法を放ったその張本人が、空を見上げたゼレウスの視線を惹き込んだ。
彼女の髪色と同じ橙色を基調に、無数の色がグラデーションを描いている。
「‶虹天王〟か。先回りするとは……素晴らしい対応速度だ」
「お褒めに預かり光栄ですわ旧魔王サマ。でもわかってるのかしら? あなたたちが逃げ出したってことは、リーシャ姫がそれを手伝ったということ。かわいそ~……責任問題になるわよ?」
「この脱獄にリーシャは関わっていない。あとで地下牢を見に行ってみればわかる」
「……ふぅん? ……でもそっちの従者ちゃんはどうなの? 今逃げられているということは、やっぱり従属の呪言は使ってなかったってことよねぇ?」
「…………なんか解けたのだ」
「はぁ?」
「従属の呪言にも何らかの条件があるのだろう。なんか解けたのだから仕方あるまい」
月明かりに照らされるイリーリャの表情が、あからさまに怪訝になる。
「うわー、明らかな嘘。そこは言い訳思いつかなかったんだね、ゼレウス……」
囁くフュージアの言葉にゼレウスは答えない。
魔王と対峙している状況がそれを許さないというのもあるが、そもそも返す言葉がなかった。
「まぁなんにせよ、逃がすつもりはないわ」
ドシンドシンと音を立てて、オークたちが次々と窓から飛び降りてくる。
上方ではイリーリャが再び翼を翻し、魔力の宿った羽根を飛ばそうとしていた。
「っ! 走るぞエレイナ!」
その攻撃範囲から逃れるように二人は駆け出す。
石造りの建物の間を駆け抜けると、外壁や屋根の上からデーモンやハーピーが次々と現れた。
「ちょっと待って! こっち出口じゃないわよ!」
「わかっている!」
降り注ぐ魔法や羽根を掻い潜りながら、オークを引き連れ駆ける。
リーシャの部屋は宿舎の奥まった位置にあったが、そこが砦の最奥というわけではない。
そのさらに奥にある、宿舎とは異なる建物。
それが倉庫や食糧庫であることを、ゼレウスはリーシャから聞いていた。
ゆえに向かうべき場所に当たりがついた。
今目指すべきなのは──
「ここだ!」
「これは……‶噪天の爪〟の倉庫?」
「砦の門にはもう数多の兵士が配置されていることだろう。だが、これならどこからでも出られる」
辿り着いたのは、‶噪天の爪〟の整備所と倉庫を兼ねた場所。
複数台の‶噪天の爪〟が眠るガレージだった。
ゼレウスは並べられた‶噪天の爪〟のうち手近なものに近づくと、掛けられた布を剥ぎ取り、エレイナに発進の準備を促す。
「水と魔力はあるか?」
「いえ。すぐに準備する……けど」
厳しい表情だ。理由はわかっている。
「追手はすべて我が引き受ける。エレイナは‶噪天の爪〟に乗って、外壁の半ばほどまで上昇してくれ」
「それでどうするの?」
エレイナが不安げに問いかけると、ゼレウスは不敵に笑う。
「この時代の獣人は、魔道具を使って壁を登ったのだろう? 我も同じことをするだけだ」
「……え゛」
◇
「ゼレウス殿が出てきたぞー!」
オークの叫びが夜空に木霊する。
魔道具の整備室兼倉庫から、彼は‶噪天の爪〟を引き摺りながら現れた。
「ここはもう完全に包囲されています、ゼレウス殿! 従者殿とともに投降を!」
答えず、ゼレウスは‶噪天の爪〟の後部を右手で掴む。
「ぜ、ゼレウス殿? それをどうするつもりですか?」
無言のまま、残る左手でゼレウスは目の前を指さした。
威圧感だけが溢れ出し、誰かがごくりと唾を呑む。
ゆっくりと下げられたゼレウスの左手が、右手とは逆の、‶噪天の爪〟の前部を掴んだ。
機体を持ち上げ、ゼレウスはその場で一回転して勢いをつける。
その予備動作を見た瞬間、オークたちは理解した。
「な、投げるつもりだぁ!! 総員、回避ィーーーッ!!」
本能的に、オークたちは先程ゼレウスが指さした場所から飛び退いた。
空を飛ぶハーピーや一部のデーモンたちの反応が薄いのは、彼らが鈍いからではない。
情報として伝え聞いただけで、実感していないからだ。
オークを凌駕する、ゼレウスの膂力を。
「うおぉおぉおおおッ!?」
悲鳴を打ち消すほどに大きな衝突音。
デーモンたちは混乱しながら耳を塞ぎ、ハーピーたちは慌ててその場から飛び去り始める。
ゼレウスがぶん投げた‶噪天の爪〟は宿舎の壁に当たり、地に沈んだ。
その一瞬、ゼレウスの目の前にまっすぐな空白が生まれる。
「今だ、エレイナ!」
ゼレウスの背後の扉が勢いよく開かれる。
現れたのは‶噪天の爪〟に乗ったエレイナ。
ゼレウスの開いた道を進み、彼女は速度を上げながら瞬く間に舞い上がった。
その後ろをゼレウスが負けず劣らずの速度で追いかける。
宿舎の壁、半ばほどにまで機体が上り詰めたその時。
エレイナは横付けするかのように壁のそばで停止すると、下方へ手を伸ばし叫んだ。
「ゼレウス!」
ドン! と地を蹴る音。
ゼレウスはエレイナの手を掴むと、上昇の勢いそのままに彼女を引き上げながら空を浮かぶ‶噪天の爪〟の上に着地した。
エレイナの身体がゼレウスに抱えられる。
「え?」
またお姫さま抱っこだ。
文句を言う間もなく、ゼレウスは‶噪天の爪〟を蹴り再び跳び上がった。
気づけば宿舎の屋根の上だ。
エレイナを抱えたまま、ゼレウスが屋根の上を駆けていく。
「ま、待って! ここからどうやって脱出するの!? てか外壁を登るって話じゃなかったっけ!?」
‶噪天の爪〟の突進で扉を開いた瞬間、反射的に目の前にあったまっすぐな空白を進んだエレイナだったが、先に聞いていた計画との齟齬にも気がついていた。
ここは宿舎の屋根の上だ。外壁じゃない。
しかしもう降ろせとは言うまい。
こっちのほうが速いし、安全だから。
乙女心的にもこの状況は……まぁ悪くはないと言っているし。
「どうやらハーピーやデーモンたちもさっきの場所に集まっていたようだ。外壁に警備が手薄な箇所がある。このまま外壁に飛び移って、そこから飛び降りるぞ」
「それ安全なの?」
「もちろんだ」
「はぁ……そう。もう任せるわ」
「はぁ~、ドキドキしたねぇ~! ほら見てエレイナちゃん、星が綺麗だよ!」
フュージアに促され、エレイナは空を見上げる。
昼間の大きな雲はもうどこかへ行ってしまったのだろう。
確かに、頭上には美しい星空が広がっていた。
だけどなぜか、視界の端に映る彼の変わらない不敵な笑みに、エレイナの目はしばし奪われた。




