22.揺らぐ天秤
「……結論から言って、違うわ。あたしは死にに来たわけじゃない」
顔を逸らしたエレイナは自嘲するように笑う。
「そうか。ならばいい」
思ったよりゼレウスがあっさりと引き下がったため、エレイナは少々肩透かしをくらった。
嘘をついたわけではないからか、彼は気づけなかったのだろう。
死にに来たわけではないが、死ぬ覚悟がないわけではない。
目的を達成するためには命を懸けるつもりだし、目的を達成した暁には自らの人生を投げ打つつもりだ。
『死にに来た』のではなく、『ただで死ぬつもりはない』。
エレイナの思考を言語化するなら、それが最も近い表現だった。
だが、表には出さない。
「ねぇゼレウス。あなたはあたしのことをどう思ってるの? ……今のあたしは、あなたとリーシャに護ってもらっている。そんな立場だけど、あたしはあなたたちのことを……」
「『敵だと思っている』か?」
「……ええ」
エレイナが後ろめたそうに目を伏せる。
ゼレウスたちから当たり前のように気を配られることに、罪悪感があった。
しかし同時に、目的のためには敵であることが必要でもある。
だから敵同士であることを明言してもそれは計画の一端でしかなく、罪滅ぼしにすらならなかった。
「案ずるな」
「え?」
顔を上げれば、不敵に笑うゼレウスの姿が目に入った。
「そう思うのが常識だ。千年変わることのなかった常識……だがもしお前が相反する思いに苦しんでいるのなら、我がこの世界の常識を変える。それまでの辛抱だ」
エレイナは唇をぎゅっと結ぶ。
そうしなければ零れ落ちてしまいそうだった。
自分の中に秘めた思惑が、計画が、覚悟が。
やがて意を決したように、エレイナは別の言葉を以って唇をほどく。
「……ゼレウス、あなたは勘違いをしてる。あたしは魔族を理解しようと思ってここに来たわけじゃないし、歩み寄るつもりだってない。だから……もう遅いかもしれないけど、言っておく。あなたたちがどれだけあたしのことを案じてくれても……あたしは敵のままだから」
エレイナの背筋を冷や汗が伝う。
もしこれで彼の怒りを買えば、無事ではいられないことがわかっているから。
だがゼレウスは冷静にエレイナの言葉を解きほぐした。
「お前は敵に忠告をするのか?」
「…………」
そうだ。
揺らぐことのない敵同士であれば、言葉に意味などないはずだ。
ゼレウスから見たエレイナの言動は、確かに矛盾を孕んでいた。
「よくわからんが、そう思い詰めるなエレイナ。お前の人の好さに我は助けられた……しかし敵なら敵でよいのだ。それを我が変えるのだからな」
しばしの沈黙。
心が軋みを上げる。
これ以上彼と話していると、覚悟が揺らぎかねない。
エレイナはため息をついて、この話を終わらせることにした。
「もうわかった。あなたは案外口が上手いってことがね。流石は元魔王サマってとこ?」
「どうだろうな。我は配下に裏切られてここにいるからな」
「……そうだったわね」
エレイナは小さく笑みを浮かべると、膝を抱え自らを隠すように縮こまった。
会話が途切れるが、フュージアの一言が次の話題へと繋ぐ。
「それで、ゼレウスはエレイナちゃんのことどう思ってるの?」
フュージアの問いに、エレイナの好奇心がちらりと惹かれた。
彼女は膝を抱える腕に口元を隠しながら、ゼレウスの様子を伺う。
「未来の我が民、第一号だ。あるいは側近か」
「……現実感なくて、文句言う気も失せるわ、もう……」
エレイナは再びため息をついた。
その時、地下牢に石畳を叩く音が響き渡る。
「なんだ~? 私がいない間に、なかなか面白そうな話をしているじゃないか」
「あ、リーシャちゃん!」
カツカツと音を立てながら、リーシャが階段を下りてくる。
「それで? 私のことはどう思っているのだ、ゼレウス?」
檻の前まで来たリーシャが、ニマニマと笑いながらそう問いかけた。
「他国の姫だからな。扱いが難しいところだ」
「ん? あぁ、そこは気にしないでいい。シンプルに、ゼレウスが私をどうしたいか言いたまえ」
「ふむ。であればオークを統べた暁には、ギグルの補佐を任せよう。オークからの信頼も厚いようだからな」
興を削がれたと言わんばかりに、リーシャがため息をつく。
「色気のない答えだなー、まぁいい。……大事な話がある」
ピシャリと切り替わるリーシャの真剣な声に空気が引き締まった。
「明日、ハーピー、デーモン、オークの軍勢が、三人の魔王の指揮のもと、ロントリーネへ攻撃を開始する」
「……!」
エレイナは息を呑む。
新たに二人の魔王が現れたことから、想定できたことではあった。
だがそれに覚悟が追いつくかどうかは別の話だ。
自分の命を捨てる覚悟はできている。
しかし街のみんなは……。
エレイナの表情が苦悩に歪む。
「それってヤバいの? 八人も魔王がいるんだから、そのうちの三人くらいなら全然大丈夫そうだけど」
少し緊張感に欠けた声色で、フュージアが口を挟む。
「第二魔王だの第四魔王だの……魔王の序列が示すとおり、魔族の中での権力争いもあってな。多少兵士を派遣することはあっても、魔王同士が協力して戦うことは非常に稀だ。ましてや三人以上が手を組むなど……対‶最後の魔王〟以来じゃないか?」
「え゛……じゃあ明日が歴史の変わり目?」
詳しく話を聞くと、今回の計画はオーク側が大きく譲歩したとのことだった。
第七魔王ギグル・ア・グル。
彼が王になる以前、オークの序列はもっと高かった。
繁殖に人族を必要とする彼らには積極的に戦う理由も存在し、オーク自身の戦闘力も高かったためだ。
が、ここ数年でオークの影響力が失われ始めた。
影響力の小さい種族は他にもいるが、オークのような力のある種族の影響力が失われたのは歴史上稀な事態。そこを利用されたとのことだった。
この侵攻作戦の首謀者は第二魔王アーズルードだ。
オークが先に出兵し、ロントリーネの戦力を偵察していたのは、彼にそう指示されたためである。
「ゼレウスは、とりあえずは私の客ということになっている。エレイナも併せて、二人には私の指揮下で戦場に出てもらう……そうしなければ怪しまれるからな。だが……」
リーシャがエレイナを見やる。
このままいけば彼女は人族同士で戦うことになるだろう。
エレイナは口を噤み、顔を俯かせた。
「……とりあえず、部屋は分けるべきだな。すぐにギグル殿に取り計らうから、もう少しだけ待っていてくれ」
答えを出すには少し時間がかかるだろう。
そう判断したリーシャは、まずは目の前の問題の解決に取りかかることにした。
「すまなかった。こうなったのは私の見通しが甘かったせいだ。……もし脱獄するなら私が手伝おう。考えておいてくれ……エレイナ」
そう声を掛けたあと、リーシャは地下牢を立ち去った。
「どうしよう……このままじゃエレイナちゃん、味方同士で戦うことになるよね?」
「リーシャは最前線で魔族を救ってきた。今回もそうするだろう。でなければ疑惑を呼ぶ。そしてその従者であるエレイナもまた、最前線へ出るのが自然……ロントリーネの冒険者たちも、エレイナが裏切ったと考えるだろうな」
「そんな…………ごめん、ボクがエレイナちゃんを誘ったから……」
「了承したのはあたしだから。それに裏切りも……周りから見れば事実みたいなもんだし。あたしはこのままでいい。でも三人の魔王が手を組んだ事実を、ロントリーネのみんなは知らない……」
飛空艇が砦に物資を供給しに来ることはそう珍しいことではない。
ロントリーネの者たちも、飛空艇が来たことは観測できていても、魔王が協力体制を取っていることを知る由はない。
「伝えなければ死者が増えるだろうな」
「……あたしはここで成すべきことがある……その達成こそがきっと、みんなのためにもなる」
「その『みんな』が死んだとしてもか?」
「…………」
伏せられた彼女の表情は、それが本意ではないと語っていた。
「そうか」
ゼレウスが立ち上がり、鉄柵へ近づく。
「──ならば、我が救いに行こう」
「え?」
ゼレウスの両手が力強く檻を掴んだ。
ローブの下に隠れた彼の筋肉が膨らみ、鉄柵が徐々に曲がり始める。
金属が悲鳴を上げ、力の余波を受けた石畳に小さなヒビが入っていく。
「ま、待って。あなたには人族を助ける理由なんてないはず……!」
「あるとも。言っただろう、人族も魔族も、すべてを支配するとな……ッ!」
「ぬぅん!!」とゼレウスが最後の気合を込めると、人一人通れる程度のスペースが鉄柵に生まれた。
「あの街の住民も、未来の我が民となるのだ。一人でも多く、我が手に入れる」
檻を超え、ゼレウスは右手を握り込む。
やがて手を開き、彼は振り返った。
「ついてくるか? エレイナ」
彼は敵だ。
さっき自分でそう宣言したばかりなのに。
敵でもよいと言う彼の言葉に。
敵などいないと言外に語る彼の笑みに。
エレイナは自然と手を伸ばしてしまった。