19.虹色のハーピー
「はぁー! お腹すいたー」
「お疲れさま、リーシャちゃん。エレイナちゃんとゼレウスも。そうだ、ボクが労いのお歌を歌ってあげよっか?」
「ありがと。でも恥ずかしいからやめてね」
「ほう、私は聞いてみたいな。声変わり前の少年が最も美しい歌声を奏でるというからな。フュージアの声はまさしくそれだ」
「え、ボクって美少年~? 困ったなぁ~。もし擬人化したら、かわいい女の子になってみたかったんだけどな~、えへへ」
「ん? 美少年って言ったか私?」
「む、そこの席が空いているぞ。皆、我に続き座るがいい」
食堂の一角、ちょうどいい席を見つけたゼレウスに続き、三人はテーブルに着いた。
ちなみに、ゼレウスは背中からフュージアが生えている都合上、通路を遮ってしまわないようできるだけ壁際の席に着くようにしている。ちょうどいい席とはそういう意味だ。
『飛空艇』という、驚くべき来客。
しかし未知の技術を目の当たりにした次の瞬間に知ったのは、ごく普通の、つまらない作業をしなければならないという事実だった。
そう、荷下ろしである。
食料、生活必需品、消耗品、武器や防具、数多の魔道具などなど。
それらを運び出す手伝いをするだけで、ゼレウスたちの一日は消え去ってしまった。
というわけでこれから夕食の時間である。
「ところで擬人化とはなんだ?」
それぞれが思い思いのメニューに舌鼓を打つなか、リーシャが疑問を口にする。
今日は自分で料理を選びたいらしく、オークたちにも皿を献上しないよう伝えてあるとのことだった。
統率の取れた現代のオークらしく、その情報はすぐさま共有されたらしい。今日は戦闘もなかったことも重なって、リーシャへ自動的に料理が運ばれることはなかった。
「擬人化っていうのはね~。ボクみたいな無機物とか、動物とか、あと概念とかを人の姿にする創作のことだよ! 女体化っていって、女の子にすることが多いみたいだよ? ゼレウスも一歩間違ったら女の子だったね。歴史上の偉人だって女体化されちゃうんだから」
「なに? なぜ我が……歴史上といっても、肖像画だとかが残ってるだろう。それを参考にすればいいではないか」
「だって創作だもん」
「おぉ、これはぐうの音も出んな、ゼレウスちゃん」
「誰がゼレウスちゃんだ」
小さく笑い飛ばしながら食事を進める。
そうやって談笑するなか、ふとゼレウスは視界の端に映るものに目を奪われた。
歩く度にふわりと揺れる、無数に連なった羽根。
鳥の翼のような両腕を持った魔族、ハーピーだ。
それ自体は珍しい存在ではなく、昨日までいなかったはずのハーピーがこの砦にいるのもおかしな話ではない。
というのも、今朝現れた飛空艇に乗っていたのは主にハーピーの軍勢だった。
だから食堂にハーピーたちがいるのはおかしな話ではなく、ゼレウスが目を惹かれた理由も他にあった。
食堂を悠々と歩く、ハーピーの一団。
その中心にありながらも燦然と存在感を示す、一人のハーピーがいた。
ゼレウスの目を惹いたのは、まさしくその彼女。
(虹色の翼……あれが‶虹天王〟か)
第四魔王、‶虹天王〟イリーリャ・ミディス。
彼女についてはリーシャからある程度聞き及んでいるが、声を掛ける理由は特にはない。
そのためゼレウスは自身の食事に意識を戻したのだが、どうやら向こうは違ったようだ。
妖艶に細められた目が、こちらを見やる。
しかしその視線はゼレウスではなく、三角帽子を目深に被った彼女に注がれていた。
「あら、そこにいるのはリーシャ姫じゃありませんこと~?」
「…………はぁ」
帽子の下から小さなため息が聞こえる。
「今日はオークからの貢ぎ物もありませんのね~……もしかしてバレちゃったのかしら? あなたがな~んにもできない、ただのお子サマだってこと」
「……イリーリャ殿……そのバカ丸出しの言葉遣いはなんだ? やめることを薦める」
尋ねずとも誰もが理解できた。
この二人は犬猿の仲だ。
リーシャの声色から滲み出るはっきりとした嫌悪感が、それを雄弁に物語っていた。
「ニセモノの姫様にはちょうどいいと思ってぇ~。……聞いたわよ? ひとりぼっちの姫さまが、ついに従属の呪言を使ったって。トラウマは克服したのかしらぁ?」
「……トラウマ?」
エレイナがそう呟くと、イリーリャは口元をその虹色の翼で隠しながら、わざとらしくクスクスと笑う。
「あっと、これは秘密だったわねぇ~? そりゃ従者にも当然、話してないわよね~」
「…………チッ」
リーシャが隠しもせずに舌打ちする。
イリーリャのその言葉には、周りの魔族、彼女の取り巻きのハーピーですら少々困惑した様子を見せていた。
どうやらイリーリャ以外はリーシャのトラウマとやらを知らないようだ。
「イリーリャ・ミディス……リーシャから聞いたぞ。第四魔王‶虹天王〟……その七色の翼が由来か」
「ええ、綺麗でしょ?」
ひらりと、見せつけるように翼が翻される。
「あぁ、美しい。しかし……強大なハーピーの羽根には魔力が宿るという。お前もそうなのか?」
「ふふ……秘密。あなたのことは私もギグルから聞いたわ。‶旧魔王〟ゼレウス・フェルファング……」
彼女はゼレウスの名を呟きながら近づくと、その瞳を覗き込んだ。
翼の半ばほどにある手が、その鋭い爪が、優しくゼレウスの頬を撫ぜる。
夕陽のように鮮やかな、彼女の朱色の髪が揺れた。
「……色男。残念だわ。その姿のとおり人間だったら、私のハーレム候補にしてあげたのに」
「ふわー、おっぱい大っきい」
「!!?」
イリーリャと、これまで泰然とした態度を崩さずにいたゼレウスが揃って固まる。
当然だが、今のセリフを口走ったのはフュージアである。
考えてみれば、イリーリャはテーブルに着くゼレウスの顔を間近で見るために屈み込んでいる。
イリーリャの胸はフュージアの言うとおり非常に豊満だ。
そして位置的に彼女の胸はフュージアの目の前にある。
たぶん、つい言葉にしてしまうほどの迫力があったのだろう。
が、ゼレウスにとってそんな理由は関係ない。
以前リーシャに、フュージアの声と自分の声とを混同されてしまった記憶が蘇る。
もし今の言葉を誤解されたなら……。
ゼレウスは慌てて真実を伝えた。
「待て。今のは我が言ったわけではないぞ、勘違いするな」
「え、ええ……するわけないでしょ、普通に考えて……」
どうやら杞憂だったようだ。
代わりにリーシャがムッとした表情になっていたが。
「その胸に刺さっているのが聖剣フュージアね。ちょっと触ってもいいかしら?」
「どうぞー」
剣と会話が成り立っていることに少々驚きながらも、イリーリャは手を伸ばす。
フュージアの柄や剣身を、猛禽のような鋭い爪が撫でた。
なぜかついでと言わんばかりにゼレウスの胸板も触られた。
「なにをベタベタ触って……男漁りしすぎて恥を失ったか、イリーリャ殿っ!」
「あら、いいじゃない。こっちはあなたの従者じゃないんでしょう? それともこっちも操っているのかしら?」
「ゼレウスは違う。彼は魔族だ。操る必要などない!」
「私はそうは思わないけれど。ね、あなたもそう思うわよね、アーズルード?」
「──そのとおり。‶旧魔王〟ゼレウス・フェルファングは、紛れもない危険因子だ!」
イリーリャが振り向きそう問いかけると、どこからか男の声が響いた。
が、姿が見えない。
イリーリャの視線の先を辿ってみると、そこは食堂の入り口だった。
閉ざされた扉。
その先に声の主はいるようだが……なぜか姿を現さない。
そしてどこからか音楽が流れ始めたその瞬間、食堂の扉がバンッ! と開け放たれた。
今度はイリーリャがため息をついているのが、ゼレウスの視界の端に映った。




