15.‶共感〟
ゼレウスに浄化の魔法をかけたあと、就寝の挨拶を交わして彼の部屋を出る。
そのまま隣室、リーシャの部屋へとエレイナは足を踏み入れた。
「寝ちゃってるし……」
嘆息し、二つあるベッドの内の一つ、リーシャの寝転ぶベッドへと近づく。
この部屋に運んだ際に一度目を覚ましたはずなのだが、リーシャは被った魔女帽子もそのままに再び眠りについてしまっていた。
いっそ起こさないという選択肢もあるが、寝る前に風呂に入りたいという気持ちもわかる。
それにまだ歯磨きだってしていない。
起こしてあげるのが情というものだろう。
「ほら、起きてリーシャ」
「んん……ん~」
「もう……帽子、曲がっちゃうわよ?」
‶夜陰の三角帽子〟と呼ばれていたか。
それは昼に活動するヴァンパイアである彼女にとって、陽の光から身を護るための重要なアイテムのはずだ。
そう思ってわざと話題に出したのだが、返ってきた反応はエレイナの想定を少々超えていた。
「ん……んぅ? ……なにッ!? 帽子が!?」
「わぁっ!」
ガバッと勢いよく起き上がるリーシャに驚いたエレイナが、上体を逸らす。
リーシャは自らの頭上に帽子がないことに気がつくと、すぐさま反転し背後を確認した。
大輪の花のように開く、藤色。
帽子の裏地だ。
彼女はそれが無事にそこにあることに、安堵のため息をついた。
「び、びっくりした……大丈夫?」
「あ……ああ、いや、すまない。大丈夫だ。起こしてくれてありがとう」
リーシャは確かめるように帽子を胸に抱くと、それをベッドの上に置き直す。
「……大切なもの?」
帽子を丁重に扱うリーシャの姿。
予感めいたものを持ちながらも、その様子を気にしたエレイナはそう問いかけた。
「親の形見さ。二人とも戦争で……よくある話だろ?」
「……そうね」
苦々しく笑いながら、リーシャはクローゼットを開き着替えを用意し始める。
やはり予感は的中した。
彼女の言うとおり、この戦乱の世の中では珍しくもなんともない話だから、という理由もあるだろう。
しかし。
(あたしと、同じ……)
同じ境遇。
きっと、どんな言葉をかけても心の虚ろへ消えるだけだろう。
それをわかっているから、エレイナはリーシャへと声を投げ掛けることもなく、この話題もすぐに終わった。
「ふぁあ……さっさと風呂入って寝るかぁ~」
あくびをしながら、リーシャは部屋に備え付けられた浴室へと向かう。
「背中を流してくれるか、エレイナ?」
「……仕方ないわね」
リーシャの頼みを受け入れる。
最初からそういう話だったはずだ。
だから仕方ない。
エレイナは自らの感情を……リーシャへ抱いた感情を隠しながら答えた。
不要な感情だと切り捨てるのなら、それを誰かに吐き出すことだって許されないのだから。
「──おお! ムネでっかいな、エレイナ!」
「いやあたしは別にそこまででも……ってちょっ、なに手ぇ伸ばしてんのよ」
「叩かなくてもいいじゃないか。なるほど、ちょうどいいサイズってやつか。ちょっと触らせてくれ。……なぁ~、私はもうこっから成長しないかもしれないんだぞ? 冥土の土産ってやつだ」
「いや死ぬの? 正直言って洒落になってないわよ、それ」
「墓まで持っていくという意味さ。そうだ、代償に私のを揉んでも構わないぞ?」
「別に嬉しくないんだけど」
「頼むよ~~~」
「ないない。女同士だけど、普通にありえないでしょ」
それからしばらくして、浴室からは何度かの黄色い悲鳴と、吐息混じりの笑い声が響いた。
そしてさらにそののち、風呂から上がった二人はやけに疲労していた。
「すっごい揉まれたぞ……」
「仕返しよ。触りすぎだっての」
エレイナが下ろした髪をタオルで包み、ぽんぽんと叩きながら言う。
リーシャはというと、ベッドの上で枕を抱きしめながら息を整えていた。
ほんのりと赤く染まった二人の頬には、風呂上がりのぽかぽかとした暖かさ以外のものも宿っているようだ。
息を整え終わったリーシャが起き上がり、落ち着くための最後の一息を吐き出す。
「はぁ……しかしエレイナは押しに弱いのか。これはいい収穫だな。ゼレウスとフュージアにも教えてやろっと」
「墓まで持っていくんじゃなかったの……!」
顔をさらに赤くしたエレイナが、リーシャに詰め寄る。
「わ、わかったからそう怒るな。ほら、髪を乾かしてやるからベッドに座れ」
「別にいい、自分でやるから。魔道具だけ貸して」
「ダメだ。そっちが終わったら、今度はエレイナに私の髪を乾かしてもらう予定だからな」
「なにそれ、フェアじゃないんだけど。髪の長さ的に」
「私の策略だ。よく気づいたな」
「はぁーーー……」
なぜかしたり顔で笑うリーシャにエレイナは頭を抱え、ため息をつく。
ポニーテールを下ろしても毛先が少々背中にかかる程度のエレイナと、腰まで届くほどに長いリーシャ。
単純に考えて、リーシャの髪を乾かすほうが大変である。
なんとしょうもない策略だろう。ゼレウスといい、どうして自分はアホな魔族とばかり深く関わっているのだろう。
そんな思考を、エレイナはツッコミとともに放棄した。
言われたとおり、大人しくリーシャの乗っているベッドに腰掛ける。
リーシャへ背中を向けると、彼女はすぐさま魔道具へ魔力を通し、その風量と温度を確認した。
風を送ることのできる魔道具。
火属性の魔法で生み出した熱、あるいは水属性の冷気のどちらかを併発させながら風魔法を発動することができ、そのうえ軽量。
人族魔族問わず、主に女性に人気の魔道具だ。使い方は種族問わず知っている。
「どうだ? そろそろ暑くなってきたし、冷たい風のほうが気持ちいいだろう」
「そうね、ありがと。……温風と冷風、交互にすると髪にいいらしいわよ」
「おぉ、そうなのか! よーし、任せろ!」
リーシャの小さな手櫛で整えられながら、エレイナの髪が丁寧に乾かされていく。
「……よし、こんなものか。いいか、エレイナ?」
「ええ。……ほら、次はそっち。座って」
「おぉ、ホントにやってくれるのか」
「そっちが提案したんでしょ」
「そうだな、じゃあ頼もう」
ぽすんとベッドに腰掛けたリーシャの背後に回り込み、ベッドの上で膝立ちになる。
湿り気を帯びた銀糸に手を差し込み、救い上げるようにして優しく持ち上げると、そこに風の魔道具をかざした。
振るうようにして乾かしていけば、それはやがて絹糸のようにサラサラとエレイナの手から滑り落ちていく。
「昔を思い出すな………」
「…………」
エレイナは言葉を返さない。
リーシャの呟きはきっと、かつての家族を思い描いてのものだ。
ならば何も言うことはない。
自分ならその気持ちを理解できるだろうということも、決して。
エレイナは自分の感情を切り捨てる。
それが自らの目的の障害となることを理解しているから。
「……はい、おしまい」
「早いな、もうか。やはり誰かにしてもらうと楽だな」
「でしょうね」
「あとは歯を磨いて……今日はもう寝よう。ベッドは二つあるが……いっしょに寝るか?」
「なわけないでしょ」
「ふっ……だな。私も、寝ぼけてエレイナの首筋に噛みつきかねない」
「……冗談よね?」
「いや……」
どうしてそこで言葉が途切れるのだろう。
身の危険を感じる。
場合によっては、リーシャを──
そこまで考えて、エレイナはふとその可能性に思い至った。
(そうだ……場合によってはリーシャに使わないといけないんだ。力ある指導者、あるいは指揮官……‶騎士王〟に近づけたのは幸運だったけど、もしそっちが無理だったら、リーシャを……)
エレイナは表情を消した。
そうしなければきっと、苦い表情を浮かべていただろうから。
幸い、リーシャは歯を磨こうと再び浴室へ向かったため、顔を見られることはなかった。
エレイナの心が人知れず揺らぐ。
目的の達成のためなら、いざという時にはこの感情を捨てなければ。
リーシャへと抱いたこの……‶共感〟という感情は。