1.‶夢見の魔王〟の復活
眼前。
胸元で揺れる、艶のある髪。
その持ち主の手には一振りの剣が握られていた。
金色の細工の施された、白く美しい剣。
‶魔封じの聖剣フュージア〟。
その切っ先に胸を穿たれる。
試さずとも感覚で理解できた。
魔力が、魔法が……その一切が封じられていると。
「──!」
聖剣の持ち主が叫ぶ。
すると人影がもう一つ、胸元へ飛び込んできた。
新たな切っ先が煌めき、今度は腹を貫かれる。
瞬間、全身から力が抜けた。
「■れで終わり■、‶魔王〟……」
身体を貫く二振りの剣が、それぞれ持ち主の手から離れる。
それ以上立っていられず、‶彼〟は膝から崩れ落ちた。
その様子を二つの影が見下ろす。
二百年続く、人族と魔族の戦争。
今ここで、そこに一つの終止符が打たれた。
四人の勇者によって。
‶彼〟の腹を貫いたほうの勇者は息も絶え絶えといった様子で、残る二人の勇者は地に伏している。
辺りには激しい戦闘の跡が残っていた。
「────……」
黒髪の勇者は小さく呟くと、踵を返す。
声を出す余裕すらないもう一人の勇者は無言のまま、身体を引きずるようにしてその後ろをついていった。
それぞれ倒れ伏す二人の勇者に声を掛けながら身を起こさせると、肩に手を回してその身体を支える。
満身創痍の勇者たちだったが、倒れ伏した二人もまだ意識はあるようだった。
混濁の中に沈もうとしている、‶彼〟の意識とは対照的に。
(これで終わり、か……。我が祖国。我が軍勢。我が配下。我が……友たちよ)
そしてすべてが途絶えた。
◇
声が聞こえる。
──もう■前に魔王は務まらな■。残念だ、■■よ……。くっくく、代わ■にこの俺が──
混濁の中、途切れ途切れに。
この声は‶奴〟か。
──あな■は魔王軍を追放■れました。……こ■なら誰も■ち入ることはできない……必ず■迎えに──
こっちは配下の声だ。
そうだ。
あの日、魔王軍のナンバー2に玉座を奪われ、最も信頼する側近によってここに安置され……。
戦う力を失った魔王だ。
あのままでは、血の気の多い魔族たちを束ねることなどできはしなかっただろう。王位を奪われても仕方ない。
側近に裏切られた可能性も低い。
失脚した前王を匿うリスクや、この場所へ辿り着くまでの危険性を鑑みれば、確かな忠誠心がなければ不可能なことだからだ。
しかし……あれから迎えが来ることはなかった。
また声が聞こえる。
「────なよ」
(……む?)
今度は非常に近く。
先程の遠い記憶の中から呼び起こされる声とは違い、隣り合うどころか、愛を囁き合う者たちのような、ほど近い距離から声が聞こえた。
「おぉーい! 起きてよゼレウスっ!」
ただし無遠慮に掛けられるその声は、恋人たちのような甘いものでは決してなかったが。
少年のような、中性的な声だ。
仕方なく、『ゼレウス』と呼ばれた彼はその重い瞼を上げた。
「ん、くぁ……っいつから呼んでいた? おはよう、フュージア」
あくびを噛み殺しながら、胸元へ向けて挨拶を返す。
顔を動かさずとも顎を引くだけで正面から会話できるのは、この状況における唯一の利点といえるだろう。
デメリットと比べれば余りにも小さすぎるメリットだが。
今度は何年ぶりの覚醒だろうか。計る術はない。
「おやおや。ようやくお目覚めかい、‶夢見の魔王〟さん?」
芝居がかった、からかうような声色。
しかしよくあることだ。それには取り合わず、ゼレウスは自身が起こされた理由を視線で問いかけた。
「おはようゼレウスっ! それより……気づかないかな? キミの身に起きてる変化について!」
今も胸に刺さったままの、白き剣。
先程から聞こえる少年のような声はこの剣から発せられているものだ。
‶魔封じの聖剣フュージア〟。
意思を持ち言葉を操るこの剣は、傷つけた者の魔力を封じる。
かつては忌々しくも感じたものだが、今となっては永き退屈を共に過ごした相棒のようにも思えた。
「なんだ、妙に声が上擦っているな? 一体どうしたというのだ」
「そりゃ上擦りもするさ! まだわからない? ほらよく見て。早くキミもこの開放感を味わって!」
「やけにテンションが高いな……こっちは幾年ぶりかの寝起きだぞ、まったく……」
ゼレウスは文句を言いながらも視線を巡らせ、フュージアの心を躍らせる原因を探り始めた。
ふむ……特に変化はないな。
寝ぼけた頭が異変を見逃す。
そうやってしばらく無言でいると、痺れを切らしたフュージアが耐えられないといった様子で声を荒げた。
「もぉお! 気づいてよ! キミの身体に刺さってる剣の数は何本だい!?」
「そんなの二本に決まって…………おぉ!」
ゼレウスが感嘆の声を上げる。
それを聞いて、フュージアは「ふふん!」となぜか得意げな様子を見せた。
「まさか……遂に朽ちたのか! ‶聖剣タイダリス〟が!!」
ゼレウスが歓喜に叫ぶと、フュージアが「大正~解~!」と呑気に肯定する。
以前目覚めた時まで、ゼレウスの身体に刺さった剣は二本あった。
‶魔封じの聖剣フュージア〟と、‶虚脱の聖剣タイダリス〟。
しかしゼレウスが土くれに背を預ける自らの上半身を見てみると、そこに刺さっていたはず剣が一本、跡形もなく消失していた。
「ぬぉおおお! 動く! 動くではないか! 我が身体がぁ!!」
横たわった姿勢のまま、両腕を持ち上げる。
そのあまりの感動と喜びに、ゼレウスの手はわなわなと打ち震えていた。
「やっと気づいたかマヌケ魔王め! はやく起きてみてよ! ほら立って!」
よし! と返事をしつつ、ゼレウスは身を起こそうとする。
マヌケ呼ばわりされても、この喜びの前には些事でしかない。
消えたのは‶虚脱の聖剣タイダリス〟だ。
この饒舌でいつになくハイテンションな聖剣が『魔力』を封じるのに対して、聖剣タイダリスは傷つけた者の『身体能力』を封じる。
そして聖剣が刺さっている限り、その効力が消えることはない。
永遠の混濁と不自由。
タイダリスが刺さっている限り意識はまどろみ、永き眠りを隔てなければ喋ることすらままならなかったのだ。
しかしさらに永き時を経て、今、タイダリスは朽ちた。
退屈と停滞に支配されていた身体は自由を掴み、意識はどんどん明瞭になっていく。
「ぬぉおおおおっ! ──ッ!!?」
喜びの叫びを上げながら身を起こそうとしたゼレウスだったが、突如身体を襲った痛みに顔を引き攣らせる。
「ど、どうしたのゼレウス!? 何が起きたの!?」
フュージアが焦燥に満ちた声で問いかける。
ゼレウスは苦痛に身を捩り、その痛みの元に手を伸ばしていた。
痛みの原因、その箇所は……‶腰〟である。
「ぐ、ぐお……ピキってなったぞ……!」
「え、腰痛? うわダサ」
酷い言い草である。
生身の身体を持たないフュージアでは、この苦しみは一生理解できないことだろう。
どうやら身体を動かすのがあまりにも久しぶりすぎて腰を痛めてしまったらしい。
少し待てば治るだろうが、ゼレウスは「ふぅ……」と息を吐いて一旦起き上がるのを諦めた。
憎まれ口を叩きながらも「大丈夫?」と心配してくれるフュージアに礼を返す。
かつてこの地に安置された際、動けないゼレウスの身を案じた側近が土の魔法で背もたれを創ってくれていたのだが、それでも長い年月からくる身体への負担は計り知れないものがあったらしい。
「しかし……やはりタイダリスは我々の目算どおり朽ちてくれたな。──僥倖! 我々はついに自由を得たぞ!」
「そうだね、おじいちゃん魔王サマ」
「む……ふん、もう我は魔王ではない」
タイダリスが刺さっている間は老化することもなかったため身体はまだ若いままだが、このざまでは年寄り呼ばわりされても仕方ないのかもしれない。
しかしこの程度の軽口、今まで散々叩き合ってきた仲である。気にもならない。
「タイダリスには悪いけど、まぁあっちはボクと違って喋ることもできないし、たぶん意思も持ってない。今は、朽ちてくれたことを素直に喜ぼうか」
フュージアいわく、聖剣にも格があるらしい。
かつて四本存在した聖剣のうち、意思を持ち喋ることができるのはフュージアただ一振りだけだったとのことだ。
さて、早くも腰の痛みは引いてきた。
たぶん若さゆえだろう。そうであって欲しい。
今度こそ上半身を起こすと、ゼレウスの身体に纏わり付く背の低い草花たちが、ブチブチと音を立てて千切れていった。
そしてゼレウスの背後、土の中に埋もれていたフュージアの剣身が、徐々に姿を現す。
白銀の輝き。
かつてこの胸を貫かれた際にも見たこの輝きには、未だ一片の曇りもない。
(まぁ剣身のほとんどは背中側にあるから、我では確認できんのだが)
胸元からも剣身の根元部分が多少見えているため、フュージアの姿に変わりがないことは一応わかる。
「さぁ行こうゼレウス! 地上の世界へ!」
およそ数百年ぶりに立ち上がったゼレウスは、自身の身体に異常がないか確かめると……嗤った。
「ああ、この世界を……今度こそ我が手中に収めるために!!」
獣のように、獰猛に。
その威圧感に溢れた笑みは、まさに魔王と呼ぶに相応しいものだった。
しかしフュージアは言う。
「な~んかカッコつかないなぁ。背中から剣が生えちゃってるんだもん。むしろカッコつけるほどダサい」
だろうなと、ゼレウスはため息を零した。