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◆ ワイバーンの育て人 下

「サンドラ」


 入り口のドアノックを叩いても返事がないことに、アルフレドは首をひねった。


「サンドラ、俺だ。アルフレドだ。いないのか?」


 かちゃんと内から鍵の開く音がした。

 女二人で不用心だからと、サントラリア家には大きな固い鍵がついている。


 扉が開き、華奢な女性が現れた。


 そのきれいな顔がぐちゃぐちゃに涙に濡れていてアルフレドは驚く。

 この気丈な幼馴染はめったなことでは人に涙を見せない。

 祖母を失った葬式の時でさえ彼女は静かな白い面で喪主(ドリエンテ)を務めたのだ。


「何があった」


 そっとその身を押し家に入り、後ろ手にしっかりと鍵をかけた。


「またダビドか!?」


 サンドラが首を振った。

 そのまま細い腕が伸び抱きつかれて、アルフレドは香った甘いにおいに一瞬声を失った。

 倒れ込みそうな彼女を支え、膝をつく。


「……とりあえずソファに座ろう」


 力の入らないサンドラの体を抱くように支える。


 なんて細くて軽くて、なめらかで甘くて熱いのだろうと、こんな状況なのに頭に血が上りそうになって必死で押し込める。


「何があったサンドラ。教えてくれ」


 ソファに崩れ落ちるサンドラに、ソファのわきに膝を落として尋ねる。

 震える傷だらけの手が三枚の紙を差し出した。

 買取の申込状だ。


 三枚すべての申込人の名前欄に、『バレンジア国空軍』という固い筆跡があった。


「……なんであの国の空軍がサンドラのワイバーンを買うんだ」


 バレンジアは隣国で、東側の国との戦争の多い国だ。


 軍が買うならばきっと、暴力的なほどの命令でも恐れず従い、もうもうとした煙の中を進める勇ましい種類のワイバーンだろう

 穏やかで賢い、サントラリア牧場のワイバーンたちとは真逆の存在だ。


 だが、と


 アルフレドは昨日のサンドラの姿を思い出した。


 ごつごつとしたワイバーンに跨る華奢な少女は、そのすべてが美しかった。


 魔物が忌まれるこの世界で、ワイバーンは一種別格の魔物だ。

 搬送や移動に使えるからだけではない。どこか神聖なものとして扱われている。

 大陸の神話に出てくる、星の最後の救い手として現れる少女が使役していたとされる魔物だからというところも大きいだろう。


 蝙蝠の羽、ドラゴンの顔、蛇の尻尾、鷲の脚をもつ一種異形の姿のこの魔物は、人々に恐怖とともに何かしらの畏敬の念を抱かせる。


 それに彼女は軽々と乗り、心さえ通わせているように軽やかに動かし、深い愛情を注いでいることがわかる柔らかさで、一切の暴力を振るわず笛のみで操った。

 乗られているワイバーンさえ喜んでいるように見えるその姿は、まるで神話そのもののようだった。


 あんな風に舞えるなら

 あんな風に飛べるなら


 やってみたい、手に入れたいと思ってしまった、魅せられてしまった人間が、ワイバーンに日常的に乗る空軍の中にいたとしてもまったく不思議ではないとアルフレドは思う。


 彼女は美しすぎた。

 長かった髪を切り、化粧もせず、固いワイバーンの皮から体を護るための武骨な男物の衣装に身を包んでさえもなお。身を飾るための全てを削ぎ落としむしろ際立つ整った中性的なその姿は、その動きは、目を離せないほど美しすぎた。


「試し乗りは、いつ」

「……あした」


 ぽろぽろと、深いワインレッドの瞳から涙が白い頬に零れた。

 男のように刈った短い黒髪が、柔らかくソファに当たっている。


「……人を殺すために、育てたんじゃない」


 その言葉に思わず手を伸ばし、傷だらけの幼馴染の柔らかい手を握った。


「兵器にしたくて育てたんじゃない。人を助けて、人を護って。人とともに、寄り添って、あたたかく、日の当たるところで活き活きと生きて欲しくて」

「わかってる」

「愛を感じ、幸せに生きて欲しくて、おばあちゃんみたいに、そう、そうしようと思ってたのに」

「わかってる。サンドラ」

「軍に入れば背に兵士と爆薬を積んで、あの子たちは戦場に行く。飛び散る血を浴びて、悲鳴を浴びて戦う。一人でも多くの人を殺すために、空を、誰よりも早く飛ぶ。それをしたらあの子たちはきっと、とても傷つく。きっと悲しい。だって人を愛するように、私たちに育てられたのだから」

「……」


 震える透明な声に何も返せず、アルフレドはそっと彼女の涙をぬぐった。


「……どうしてこうなったんだろう。いつ間違えたんだろう。教えて、アルフレド。私はいつ、どこで間違った?」

「間違ってない。君は精いっぱい頑張った。いつも一生懸命、必死に、こんなに傷だらけになって、長年の夢さえ捨てて頑張った。俺が保証する」

「……うぅ」


 力なくサンドラは泣いた。

 何もできない自分を呪いながら、アルフレドはその細い声を聞いていた。






 目を覚ますと目の前にアルフレドの顔があった。

 綺麗な顔だわ、とサンドラは思った。



 そうして今の状況を思い出した。


 がばと身を起こす

 家のソファだ


 品評会を終えた後湯にも入らず、夕飯も食べず、サンドラは泣き疲れて眠ったのだ。


 目の前のアルフレドもまたサンドラと同じ状況で、ソファに上がることもなく上半身だけをそこに投げ出してすうすうと眠っている。

 その大きな右手が、サンドラの傷だらけの手を握っていた。


『好きな女性がいるから』


 だから上司の娘との結婚を断ったと彼は言った。

 サンドラを真っすぐに見据えて。


 むき出しの額をそっと撫でた。


 かつては穏やかな目をした、子犬のような少年だった。走り回って、じゃれ合って、いっしょにどろんこになって遊んだ。

 いつの間にか大きな、それでもやっぱり穏やかな、精悍な青年になった。


 この人が好きだ。


 こんな状況なのにそう思った。諦めて、一度投げ捨てたはずの気持ちだった。


 かがみこんで、彼の額にそっと唇を当てて、離してからその髪を撫でる。

 彼が好きなのは別の女性かもしれない。彼が自分に向けるあのあたたかさは、ただの幼馴染に向ける親愛なのかもしれない。これはただの自惚れ、勘違いかもしれない。でも今だけはどうかそれを許してほしいと思う。


 今朝を一人で迎えなくてよかった幸運に震えながら、それでも容赦なくやってくる現実に、絞られる胸をおさえてまた涙が一粒落ちた。







「本当に休んで大丈夫なの?」

「ああ、俺は成績優秀だ。一日の遅れならすぐ取り戻す」


 眠たげに目をこする幼馴染と昨日の夕飯になるはずだった朝食を食べながら話をした。


「先に湯をいただいてもいいかしら」

「……どうぞ」


 何故かサンドラを直視しない幼馴染を不思議に思いながら布と着替えを持ってバスルームに向かった。


 体と髪を一緒に流す。

 どうしても流れる涙を一緒に流す。


 私は結局彼らを救えなかった。

 零れ落ちそうな嗚咽を必死で抑えた。


 受け入れるしかない。

 自分の行動の結果なのだ。


 何も考えず、ただただ自分の子たちのすばらしさを伝えたくて行った行為が、彼らを軍の目に留まらせ、殺戮の道に導いた。


 どうしてもおさまらない涙を、もう隠す必要もないのだからと髪を拭きながら戻って


「ごめんなさい長くて。どうぞ」


 声をかけた先の幼馴染が固まっていた。


「何?」

「いや、俺は自分のうちで入ってくる」

「なんで?」

「……着替えがないから」

「ああ、そうね。ごめんなさい男物のない家で」

「……破壊力がすごい」

「はい?」

「なんでもない。身支度を整えたらすぐに戻る」

「……ごめんね」

「いいや。こちらこそいつも役に立たなくてごめん」

「傍にいてくれるだけでうれしい。一人は、寂しいから」


 じっとアルフレドがサンドラを見ている。


「ダビドは馬鹿だけど、俺はあいつの気持ちがわからないでもない」

「……あなたが?」

「うん。傍にいると手を伸ばしたくなる。守りたいのに傷つけたくなる。男なんてみんな馬鹿だ。やり方が違うだけで」


 クスリとサンドラは笑った。


「そのやり方こそが、女には一番大事だわ」

「うん、そうだよな。また後で」

「うん。ありがとうアルフレド」


 微笑んで彼を見上げた。


「待ってる」

「……」


 額を抑えて彼は去っていった。






「バレンジア国空軍一等兵、ルイス=ペレス=ビシオソである。サントラリア牧場主サンドラ=サントラリア、ワイバーンを並べよ」

「並んでおります」


 現れた皆似たちょび髭の男たちに、サンドラは礼を取った。


「お試しください」

「うむ」


 恭しく甲冑をつけた鳩胸を反らし、ルイス=ペレス=ビシオソなる軍人はタブラの鞍に飛び乗った。


 ギャアアア、と聞いたこともないような声が響いた。


 タブラが暴れ、翼を振り乱した。


「タブラ! どうしたの!?」


 サンドラは走り出そうとした。

 その体を後ろから止められた。


「離してアルフレド!」

「今行っては駄目だ!」


 男の力に体はびくともせず、暴れ続けるタブラが男を振り落とす目の前の光景をただ見ているしかなかった。

 振り落とされた男が、よろよろと戻ってくる。


「一体何をしたサンドラ=サントラリア! 事と次第によっては容赦はせんぞ!」

「誓って何もしておりません! 賢くおとなしいあの子がどうしてあのようなことをしたのか、私にもわからないのです!」

「匂いでしょう」


 言い切ったアルフレドを、二人は呆然と見た。



「は?」

「鉄の匂いを嫌っておるのです。彼女は」


 じっとアルフレドは軍人が身に纏った甲冑を見た。


「どういうわけか鉄の匂いを嫌っておるのです。どういうわけか」


 両の目から涙が落ちるのをサンドラは感じていた。


 鉄の匂いのあとに、彼らが心底嫌いな音を流す。


『あの子たちを護るためだ。恐ろしい厄災が、あの子たちに近づかないように』


 そう言って微笑む祖母の顔が、見えた。


 何者とも戦わず、人を慈しんで守り、とにかく早く、正確に飛ぶ。

 それが祖母の目指したワイバーンの姿だった。


 決して

 決して


 彼らが人殺しの道具になどならないように、彼女は彼らをそう育てたのだ。


「鉄の甲冑と鉄の武器を纏わず戦地に赴く戦士などおられません。どうぞこの牧場の戦いを嫌う、穏やかな飛竜をご放念下さい」


 地に膝をついて泣き崩れるサンドラの代わりに、アルフレドが礼節を守って穏やかにそう言った。


「……」


 悔し気に己の甲冑を睨みつけながら、ふん、と息を吐いて軍人達は去っていった。








 軍からの買取申込みが取り下げられたため、タブラ、パブロ、ファロには次点の各申込人たちの試乗があった。


 タブラは世界を股にかけて活躍する記者の一団に買い取られていった。

 その翼で世界を駆け巡り、戦争の開始等国民にいち早く知らせるべき情報を読売にして空から降らす、ドラゴン使いの記者団だ。


 お客様に引き渡す際につける備品の一覧の中に、あのぺたぺたした魔物の皮の大きな袋があった。

 匂いを遮断する性質があるので金属を運ぶ際はこれに入れて運んでほしいという説明を、今回学んだ理由とともに買い手に伝えた。

 笛のそれぞれの音によってどう動くか、お客様とともに何度も一緒に練習し、これもまた忘れないよう紙に書いて渡した。



 パブロはある国の霊峰の神木を国から命じられて年に12本だけ切り取る、木こりの集団に。


 ファロは金持ち相手に国境を跨いだ長距離・最速、ただし超超高額で配達を行う『ピッカラのワイバーン便』に


 タブラのときと同じ手続きを踏んで、それぞれ引き取られていった。



 別れるとき、彼らは皆一声だけ鳴いた。


 たった一声

 ギャ、というその音が、彼らの別れのあいさつなのだと分かった。



 どうして最近、こんなに泣いてしまうのかしらと、空に消えていく彼らを見ながら止まらない涙を必死で拭った。


 胸に寂しさと、何かあたたかなものがあった。

 このあたたかなものこそが、育て人として祖母からもらった心なのかもしれないとサンドラは思った。


 野生を生きるべきものを野生から切り離し、自らの手で育て、最後は人に委ねる。

 どうしてそんなことをしなくてはならないのだろうと、頭のどこかで考えていた気がする。


 尾のない、魔物を倒せない、人を乗せて他のどんなものよりも早く飛ぶ優しいワイバーンを、この世には相棒として求める人がいる。


 そういうものと生きたいと考えている人たちがいるから、そういう人たちと生きてほしいと願うからきっと、育てるのだろう。


「サンドラ」

「なあに」


 顔を上げれば穏やかな幼馴染……否、元幼馴染で恋人が、緊張しきった真剣な顔でサンドラを見ている。


「どうしたの?」

「……結婚してください」

「……」


 手をつないでいる方の反対の彼の手に指輪があった。

 二人で夕飯を食べたあと、ソファでくつろいでいるときにあんまりにも切羽詰まった顔で言ってそれを差し出すので、思わずサンドラは笑ってしまった。


「はい、喜んで」


 彼の顔が一瞬泣きそうにくしゃっとなって、それから子供のときのような笑顔になった。

 手を優しく取られ、そっと指に指輪を通される。


「……大切にする」

「ありがとう。……好きよ、アルフレド」

「……悪いけど俺の方が好きだ。なんたって初めて机を並べた6歳の日に、一目で君に恋をした」

「……」


 穏やかな、深い茶の瞳が、宝物を見るように眩し気にサンドラを見た。


「君に額にキスされたあの日、俺がどんなにうれしかったか、君は知らない」

「……起きてたの」

「あの状態の君に何かするわけにはいかなかったので、唇を噛み締めながら寝たふりをしてた」

「……」


 微笑み、サンドラはじっと自分を見つめるアルフレドの瞳を見る。

 涙が一つ落ちた。これはとても幸せな涙だと思った。そっと彼の指がそれを拭う。


「……あなたの夢の邪魔をしたくなくて、一度、諦めようとしたけれど、それがどうしてもできなかった」

「俺の夢なら今、叶ってる。『この子におれのお嫁さんになってほしい』っていう、6歳のころからの夢が」

「……きっと後悔するわ。私には何故かいつも強い風ばかりが吹く」

「しない。どんな風の中でも顔を上げ前を向いて進むことを絶対に諦めない君が、俺はずっと好きだ」

「……」

「飛ばせてくれ、一緒に。同じ風景を、俺はずっと君と見ていたい」

「……変わり者の苦労性」

「諦めの悪い努力家だ」


 ソファの上で手をつなぎ、互いの体温を感じながら肩を寄せて、元幼馴染の二人は微笑んだ。








お読みいただきありがとうございました。

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[良い点] 何故か引き寄せられる物語でした! 文章がいいのかな?わかりませんが、すごく好きです!
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