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◆ ワイバーンの育て人 上




 渓谷を雲が走っている。


 頬を冷たく撫でていく朝の風にまつ毛を瞬きながら、サンドラ=サントラリアは胸いっぱいに息を吸い笛を吹いた。

 人間には聞こえないその音の指示に正しく従い、相棒のレオンが羽をひらめかせ大きく旋回した。

 天を縦に切り裂くように昇っていく。

 そこから山を描くように下降しているとき、横に黒い影が並んだ。


 横を見てサンドラは微笑んだ。


 また笛を吹いた。


『ついてこられる?』と挑発するように片手をひらひらさせ、ぐんとスピードを上げる。

 ジグザグと折れ曲がりながら、銀と黒の2体のワイバーンは、じゃれあうように朝焼けの中を飛んでいた。


 谷の裂け目、台のように平たくなった場所に、サンドラは降り立った。

 隣に背の高い男が並ぶ。


「ああ、気持ちよかった。また腕を上げたわねアルフレド」

「サンドラは相変わらずだな。相棒の息を読むのが本当に上手い」


 そう言いながら歩み寄る幼馴染が身に纏う黒色の衣裳を、サンドラは眩しいような、切ないような思いで見つめた。

 風が彼の短い深い茶の髪を揺らす。

 穏やかな同じく黒に近しい茶の目が、優しく微笑んでサンドラを見ている。


 アルフレド=レジェス


 同い年なのに落ち着いた、言葉少なく穏やかな、いつも人に頼られて自然にまとめ役になる青年だ。


「……似合うわね、飛竜使師(ワイバーナー)の制服。どう、楽しい?」


 なるべくさりげなく言ったはずなのに、幼馴染の顔が陰った。


「まだ基礎ばかりだ。今更こんなことまで教えてもらわなきゃいけないのかと驚くこともある。ワイバーンの騎乗法、手入れの仕方、爪の切り方、鳴き声の意味。きっとサンドラも同じことを思ったと思う」


 言って、口を押さえた。


「……ごめん」

「ううん。私が悪い。自分で決めたくせに、未練たらしくて嫌になる」

「仕方ないだろう、ずっとそのために頑張っていたんだから」

「うん……」


 言いながらサンドラは、ばっさりと切った短い自分の髪を撫でる。

 ワイバーンがじゃれるときに髪を食むから引っ張られてそれはもう痛くて、手入れも面倒だからと切ったものだ。

 飛竜使師の夢を諦め、ワイバーンの育て(びと)になると決めたあの日に。






 サンドラ=サントラリアはワイバーンの育て人をしている祖母に育てられた。


 ワイバーンは小型の飛竜である。頭はドラゴン、両手はコウモリの翼、一対のワシの脚を持ち、ヘビの尾の先には猛毒がある。

 固いうろこに覆われた体は実に剛健で俊敏で、魔物のなかではかなり賢い部類に入る。


 野生から卵を採集し、または牧場内で繁殖させて孵化させ、それぞれの方針で育てる。


 輸送・護送に特化させるもの

 軍で使うことを前提に育てるもの

 魔物狩り用に攻撃力を上げるもの

 笛を使うもの、鞭を持って成すもの、育て方と育て先は牧場ごとに様々だ。


 祖母はワイバーンの尾を切り、笛をもって育てた。

 尾を切ると攻撃手段が減り性格からも攻撃性が薄れるため、戦争や魔物を狩るには向かなくなる。


 何者とも戦わず、人を慈しんで守り、とにかく早く、正確に飛ぶ。

 それが祖母の目指したワイバーンの姿だった。


 祖母の仕事を手伝いながら、サンドラは別の夢を見ていた。


 飛竜使師


 ワイバーンに跨り空を駆ける、空の騎士。


 王家に仕えその翼で王と国民を護るこの騎士団に、現在女はいない。


 それでも受験資格に性別の記載はない。サンドラは諦めきれなかった。

 幼い日、揃いの黒の甲冑を身に纏い一糸乱れぬ連携で空を舞う一団を見たときに、その姿が胸に焼き付いた。

 祖母の手伝いをしながら、年に一度だけ行われるその試験に向けて勉強を続け、17の歳、王家から合格通知が届いたときは、気を失いそうなくらい嬉しかった。

 同じく合格した、家業を手伝いながら試験勉強をしていたこの幼馴染と、抱き合って喜んだものだ。


 だが


 祖母が死んだ。

 合格通知の届いた次の日に。


 喜びの夜に、少し頭が痛む、と祖母は早く床に就いた。

 そして、そのままだった。


 歳は取っていても、元気な人だった。

 牧場の仕事で培った強い体を持っていた。


 どうして

 どうしてと


 問う間もなくサンドラには現実がのしかかった。


 牧場には16体の成体と、1体の幼体がいた。

 まだ訓練を完了していないので、商品として売ることはできない。

 飛竜使師になるため牧場を閉じるなら、引き取ってくれる牧場を探さなくてはならない。

 一軒一軒サンドラは近隣の牧場を訪ねまわった。

 そして、驚愕した。


 人の命令がよく聞こえるようにと耳を切り取り、むき出しになったそこに道具を固定されたもの

 狭い檻に閉じ込め、粗悪な餌を与え、鞭でもって罰するもの

 魔物を憎ませるためにそのにおいをつけた棒で叩くもの


 サントラリア牧場だって自分たちの都合で彼らの尾を切っているのだ。ほかの牧場の育成方針に口を出すことなどできない。


 でも、あんなワイバーンの悲壮な声をサンドラは聞いたことがなかった。


 もちろん暴力を使わない育て方をしている牧場もあったが、尾を切り落としてあるサントラリア牧場のワイバーンに、引き取り手は現れなかった。


 野に離すことも考えた。だが、生まれてからずっと人の手で餌を与えられ、攻撃の武器を失った彼らではきっと生きていかれない。


 泣いて、泣いて泣いて


 合格通知を破り捨て、サンドラは髪を切った。


 もう振り向かないと決めたはずだった。


 それなのに、憧れの制服を着た幼馴染の姿を見ただけでこんなにも胸が乱れるなんて、とサンドラはほろ苦く笑った。


「今日はどうしたの?」

「こいつと朝の散歩していたらサンドラの姿が見えたから追いかけた。……そろそろ行かないと」

「そう。またね」

「うん。牧場はどう?」

「遺産で食っているようなものだわ。もっといろいろできると思うのだけど、とりあえずやれることだけやっているという感じ。もうすぐ引き継いでから初めての品評会があるから、今はとにかくそのことだけ考えて頑張らないと」

「……そうか」


 アルフレドが皮手袋をした右手を出した。

 サンドラも手を伸ばし、握手する。

 ぎゅっと彼の手に力がこもった。


「無理しすぎないでくれ。俺は家をあけることが増えるけど、何かあればすぐうちの者に」

「ええ。ありがとう」


 微笑み合って、それぞれの相棒に跨り別れた。


 空を矢のように飛びながら、サンドラは思う。


 あの日諦めたものはあの黒の制服だけではなかった、と


 飛竜使師として出世するためならどんなおかめでも受け入れろ、という笑い話がある。

 縦社会のその場所で出世するためには、上司の娘の婿になるのが一番の近道だ。


 自分の彼への気持ちが、単純な幼馴染に向ける親愛だけじゃなかったと気づいたのもまた、失ったあとだった。


 ぎゅっと右手を強く握る。

 女の目からこぼれた涙が、晴れた空できらりと光った。







「今日はいい天気だねえ」


 ペル爺が腰をとんとん叩きながら言った。


「本当にねえ」


 マル婆もおっとりと、餌を混ぜながら答える。

 祖母の古い友人だというこの夫婦は、サントラリア牧場に昔から務める心強い従業員たちだ。


「お嬢、用意はいいよ。そろそろあれをやっておくれ」

「……ええ」


 ペル爺にそう言われ、サンドラは暗い顔になった。


「嫌よねえ、あんたがおやりなさいよ」

「いいえ、私がやるわ。二人は皆のお昼の準備をお願い」

「そう?」


 マル婆に見守られながら、サンドラは倉庫からぺとぺとした魔物の皮で覆われた台車を出した。


 台車には人の腰半分ほどある、大きな鉄の歯車のついた装置が乗っている。

 三食ご飯の前に必ず行うこの行為が、サンドラは一番嫌いだった。


 牧場で思い思いに過ごしていたワイバーンたちが、台車を引きずってきたサンドラの方を見ている。


 グルル、と威嚇音を出しているのは若いオスのラゴ。

 幼体ノチェを腕に抱くように羽を広げたのは、母親のエラだ。


 皆息を飲むようにして、固まっている。


 台車の上の装置に乗ったハンドルを回す。


 人間には聞こえない音が響き、ギャア、と小さな悲鳴が上がった。


 大急ぎでサンドラは装置を倉庫に引きずっていき、また魔物の皮で覆った。

 彼らのお昼ご飯を持ったペル爺とマル婆が走っていく。


 嫌なものが終わり楽しい食事の時間になったワイバーンたちがそれに群がっている。


『どうしてこんなことをするの?』


 歯車を回す祖母の横で涙目になっている孫を、祖母は撫でた。


『あの子たちを護るためだ。恐ろしい厄災が、あの子たちに近づかないように』


 それしか聞けなかった。

 育て人とは違う夢を持つ孫に、祖母は作業の説明はしてもそれ以上の意味を教えなかった。


 もっとちゃんと聞いておけば、とサンドラは唇を噛み締める。

 祖母の育て方は、わかりやすく祖母の手によって数冊の冊子にまとめてあった。

 尾は幼体のとき、尾にしばらく痺れの効果がある葉を濡らして貼ってから、よく切れる刃にて一息に切り落とし、軟膏を塗っておく。

 季節、体調の変化ごとに必要な対策、妊娠した雌用の対応の仕方、餌の配合の変え方

 何十年もの経験を、細かく、細かく、愛を持って

 もしかしたら孫に必要になるかもしれないと、そう思ったのだろうわかりやすさで記されてあった。


『どうしてこんなことをするの?』


 問うても答えてくれる人はもういない。

 祖母の記録を追いながら、サンドラが自分で見つけなければならないのだと

 その分厚い手記に涙を落としながら、サンドラは祖母の想いを辿っていた。



「今回の品評会には何頭出すんです」


 空になった餌箱を片付けているペル爺が問うた。


「タブラ、パブロ、ファロの三頭はもういいと思うのだけど、ペル爺はどう思う?」

「同感ですね。ほかはまだちょっと早い」

「マル婆は」

「それでいいと思いますよ」

「よかった。ありがとう。今日協会に届を出してくるわ」


 品評会は年に4回

 牧場が『育成を終えた』と判断したワイバーンでいくつかの試験を受けその様子を買い手が見、買取の申し込みをする場であるとともに、各牧場の育成力を競う勝負の場でもある。


 サントラリア牧場に対する市場の評価はおおむね良い。

 穏やかな気性、人間への従順さ、そのスピードと正確性は、モノや客を乗せる輸送・護衛用にとワイバーンを探している客の好みによく合う。

 攻撃性を求めていたり、笛など覚えず単純に力によって従わせたいという客は、ちゃんとそうなるように育てている別の牧場から買う。

 本来住み分けて特に争う必要などないはずなのだが、そこで意地を張り合ってしまうのがやはり人間なのだろう。


「よう、サンドラ」


 この男のように。


 通せんぼするように立ちはだかった男に、返事をせずサンドラは横を通り過ぎようとした。

 男の腕が伸びて、肩をつかまれる。


「いい態度だなサンドラ=サントラリア」

「離してちょうだいポーラス牧場のダビドさん。私は協会に用があるの」

「品評会か? お前んとこみたいな零細牧場じゃせいぜい2~3頭だろう? それで従業員雇って、餌代払って、食ってけんのかよ。女一人で意地張って、少しの金しか稼げないで、やってる意味があんのか」

「意味はある。うちの牧場を愛してくれるお客様がいるもの」

「『尾無し』なんかに乗りたがる腰抜けどもだろ。一度うちの牧場の奴に乗りゃ、お前んとこのなんて誰も買わねぇよ」

「それはあなたが決めることじゃない。私に触らないで」


 振り向いて見上げ強く睨みつけると、一瞬ダビドの体が固まった。

 それから肩の手の力が余計に強くなる。


「お前のためを思って言ってやってるんだぜサンドラ、俺は。っつーかいいかげん早く俺の女になれよ。こんな男みたいな髪にしちまって。手だってボロボロだろ? うちに来たらいずれは大牧場主の夫人だ。楽させてやるからさ」

「お断りするわ。私はあなたが嫌いなの」

「なんで?」

「人の気持ちを考えないから。なんでも金で自分の思い通りになると思っているから。力で抑えつけて人に言うことを聞かせようとするから」

「……」


 手の力が緩んだのでサンドラは振り払った。


 背も高く決して不細工でも貧相でもないはずなのに、目に宿るねちっこい光と無遠慮さ、人を下から覗くような卑屈さが、彼から一切の魅力を消している。


 ダビドだって子供のころは、同い年の友人と言ってもいいくらいの付き合いがあった。

 ただ成長とともに彼の性格が歪んでいって、サンドラになにかと絡んでくるようになり、今では顔を合わすのも嫌になっている。

 何か言おうかとも思ったが特に言いたいこともなかったので、そのまま背を向け歩き出した。


 男は追ってこなかった。








 タブラ、パブロ、ファロの最終調整のため、サンドラは今日も空を飛んでいる。


 やはり飛ぶのが好きだとサンドラは思う。


 むき出しの耳を風が切り裂いていく。

 お日様の光が地上よりも近くで降り注ぐ。


 吹いた笛の音に合わせタブラが大きく旋回する。


 いい子、いい子とその固い背を撫でた。

 この子も今喜んでいる、とサンドラは感じた。

 固いうろことグローブ越しに、その胸の高鳴りを感じるようであった。


 不思議だなあと思う。

 魔物と呼ばれる、理性なきものと定義される生き物が人に寄り添い、人とともに生きてくれる。

 本来あるべきだった生を人が捻じ曲げたのだという者もいるだろう。

 それでも

 食事を与え寝床を作り寄り添って毎日を生きて、今この子は自分とともに空を喜んでいる。

 心が重なり同じほうを向いていることを楽しんでいる。


「明日はがんばろうね、タブラ。あなたは賢いから、きっといい人があなたを好きになるわ」


 ギャオオオオウとタブラが鳴いた。

 人語を解さないはずの生き物のそのタイミングの良いいななきにサンドラは微笑んだ。






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