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第5章5話 課題

大変お待たせしました

仕事がまったく終わらないんですよね……

 学生会室は一般の学生にとって羨望の場所だ。選ばれた者だけが学院についての談義を交わし、

訪れた者に悠々とした印象を覚えるであろう。だが、今はところ狭しと並ぶ書類と殺伐とした空気が充満する最悪な空間と化していた。


 とはいえ、これでも数日前に比べれば遥かにマシになっている。変化をもたらした理由は作業の進捗状況が大幅に改善した事が大きい。

 その要因となった三人を一瞥してから、ラズはエリーゼにひそひそと話しかける。


「お三方とも本当によく働いてくださってますね」


 エリーゼの宣言どおり、ヴァレンティーナたちの復帰は鶴の一声であっさりと認められた。元の役員であれば素行も含め心配はいらないだろう、とギルバートのお墨付きを午前の内に貰った旨を昼休みに伝えると、ヴァレンティーナは大きな眼に涙を浮べると人目もはばからずにエリーゼを抱擁して喜びを表した。

 昨日の敵は今日の友とはこのことだろう。


 放課後に入り、役員就任の挨拶もそこそこに彼女たちは即座に作業へと移る。昨年までの経験も相まって、テキパキとした手さばきは見事なものであった。事務作業の能力がエリーゼ以下のウォルターやルーカスから書類の山の一角を颯爽と奪い去るほどである。

 有り余る有能さを一時間足らずで証明して見せたおかげでウォルターを力仕事に回す余裕が出るなど、好循環が止まらない。


 切羽詰まった現状を打破する心強い味方を引き込んだエリーゼには既存のメンバーも放しで感謝し、褒め称えた。


 しかし、当のエリーゼはというラズの問いかけに対してなぜか首をひねっていた。


「お世辞抜きにすっごく助かってるし、感謝もしてるんだけど、なんか私の扱いが変なのよね……」

「どこらへんがですか?」

「私のティーカップが空になると間髪入れずにわざわざ手を止めてまでお茶を入れにきてくれるのよ」

「とっても親切ですね」

「皿に載ってるお菓子がなくなったら知らぬ間に補充されるのよ」

「おすすめのお菓子をお裾分けしてくださってるとかですかね」

「明日は昼食を一緒に取らないかって誘われたわ」

「……これはもう完全に懐かれてますねぇ」

「肉体年齢は向こうのほうが上なのにどうしてこうなるのよ……」


 納得のいかないエリーゼは鼻から深く息を吐いた。

 不遜な態度を取った自分達の境遇に理解を示す懐の深さや翌日には役員の増枠を認めさせた影響力がヴァレンティーナらにはカリスマ性として映っていた。


 実際にはラズの入学によって任を解かれた役員がラズのパレードの開催に伴い発生した人員不足により都合よく元の位置に戻されただけなのだが、経緯を知らない彼女たちはあろうことか王国で一二を争う怠惰な令嬢をリスペクトする格好で落ち着いてしまった。

 そして、恩返しの意味も込めて彼女達はエリーゼの世話に力を入れている。


「これはエリさんの一番のお友達が誰かを教えて差し上げる必要がありますね」


 腕まくりをする素振りを見せたラズをエリーゼが片手で制する。


「それ悪役令嬢の常套句だから。あんたヒロインだから」

「では、どうしろとおっしゃるのですか」

「あんたが一番でいいからおとなしくしてなさい。せっかく手に入った即戦力に出て行かれたらさすがに心折れるわよ」


 眉間を指で揉みほぐしながらエリーゼが投げやりに告げるとラズは自身の両頬を手で押さえた。


「えへへ……本人公認なら仕方ないですね。今回は見逃して差し上げます」

「次回なんて粗大ゴミよりいらないわよ……」


 ラズとエリーゼ以外も各自が軽い雑談をしながら、書類の整理は着々と進行していた。

 依然として綱渡りのスケジュールではあるが軌道に乗ったと言っても許されるくらいには好転している。

 このまま順調に進んでくれれば、どうにか間に合うだろうといった見通しである。


 そう……順調にいけば、の話である。

 訪れかけた平和を脅かす存在はそんなタイミングで現れた。


「聖女様にどうかお目通り願いたい!」


 ノックもなく開かれた扉の先から投げかけられた凛々しい声に各々が書類へと向けていた目線が同じ向きになる。


「ええと……なにかわたくしにご用でしょうか?」


 名指しを受けた本人は僅かに警戒しながら名乗り出ると、乱入者は綺麗な姿勢で中へと踏み入ってきた。あまりにも突然の事に誰かが止める間もないまま、ラズ達の座る最悪の机の前で止まると――


「ああ……完璧だ……! これを完璧で呼ばずしてなんと呼ぶべきか! 高貴さが漂うローズピンクの髪はまるで薔薇の妖精だ! そして、非の打ち所がないプロポーション! まさしく思い描いた姿そのものだよ!」


 ――人目を憚ることなく一方的に褒めちぎり始めたのである。


「なんか一段とやばい奴が現れたわね」

「エリさん……あのお方は公爵家のご令嬢だったかと思いますね」

「あれが、ご令嬢ですって!? ギルバートに爪の垢を煎じて飲ませたいくらい王子様オーラが溢れでてるわよ……?」


 黄金色の繊細な頭髪は短く整えられており、すららと長い手足と相まって、おとぎ話に登場する白馬の王子様を実写にしたような風貌のせいで公爵令嬢と言われてもピンとこないエリーゼは首を傾げた。


「今をときめく聖女様がボクなんかの事を知ってくれているなんてこの上ない栄誉だよ。ご明察の通りボクはニンブス公爵家のフランチェスカ。テラティア嬢もどうぞお見知り置きを」


 流水のように滑らかな動作でフランチェスカは一礼する。ただし、胸に手を当て腰を折る男性式の礼である。


「ええと、ラズマリア・オリハルクスです。よろしくお願いします」

「……エリーゼ・テラティアよ」


 どうも調子の狂う相手ね、と内心で呟いたエリーゼは眉を顰めつつも、時間の惜しさから話を切り出した。


「単刀直入に言わせてもらうけど、ご覧の通りで私達は超絶忙しいのよ。他愛ものない話をしている暇はないわ。むしろ手を貸してほしいくらいの状況ね。もし、事務作業が三度の飯より好きだって言う話なら歓迎するわよ」

「大粒のルビーのように美しいだけでなく勤勉なところも魅力的だね。だが、安心してくれたまえ。君の時間を奪うのはまた今度にさせてもらうよ」


 気障ったらしくウインクをするとフランチェスカはラズの方に向き直る。そして、忠誠を誓う騎士のようにその場でひざまづくと勿体ぶるようにゆっくりと手を伸ばした。


「聖女ラズマリア様……どうか、ボクの理想のヒロインになってくれないだろうか?」

「………………はいっ?」


 目を丸くしたラズが間の抜けた声を上げると、それを肯定と受け取ったフランチェスカは熱っぽい笑みを浮かべる。


「ありがとう。キミなら受け入れてれるだろうと信じていたよ!」

「いやいやいや、待ってください!? 言葉の意味をはかりかねているだけですよぉ!?」

「キマシタワー?」

「エリさん!? ち、違いますから!」


 エリーゼの投げやりな呟きに顔を赤らめて否定するとフランチェスカは前のめりになってラズの顎をくいっと上げた。


「突然のことに不安を覚える気持ちはよくわかる。だけど、ボク達ならどんな障害も必ず乗り越えていける筈さ!」

「……うっ、うう……エリさん、助けてくださいよぉ」


 引き締まった表情で真剣な眼差しを送るフランチェスカの勢いに、生物の頂点に近い筈のラズが怯んでいた。


「なんのつもりか知らないけど、貴重な戦力であるラズを多忙も多忙なこの現状ではいそうですか、って貸すわけないでしょう。学院祭が終わるまでは他所を当たってちょうだい」

「学院のために多大な尽力をしてくれている君たちには本当に申し訳ないと思うけれど、こればかりは譲る訳にはいかないんだ。なんせ今回の舞台に聖女様は必要不可欠な人物だからね」

「……舞台? ああ……! そういえばお芝居イベントがあったわね…… 忙しすぎてすっかり、忘れてたわ」


 エリーゼの言うイベントが意味するところは少し違ったが、事情を知らぬフランチェスカはエリーゼの態度が若干緩和した今を千載一遇のチャンスが巡ってきたと捉えた。

 そして、前のめり気味になって入れ替わった交渉相手に迫る。


「学院祭のメインイベントと言えばボク達演劇部による公演以外ないだろう。そして、輝かしき今回の演目はオルヴィエート建国冒険譚。その主役の一人である初代聖女様役にこれほど相応しい人物は彼女を置いて他にいるだろうか。いや、いない! いるはずがない。彼女はこの国に生まれ落ちた人間であれば誰もが憧れるこの物語から、今回の公演のために飛び出してきてくれたヒロインに違いないとボクは一目見た瞬間に確信したんだ!」

「わたくしは直系の子孫ですから見た目が似ているに決まってるでしょうけど……お芝居の経験なんて皆無ですよぉ?」


 矢継ぎ早に思いの丈を語るフランチェスカを眉をハの字にしたラズが見上げた。

 

「舞台の上でありのままに振る舞ってくれれば、必ずうまくいくさ。演劇部の主将であるボクが成功を保証するよ。だから、人助けだと思って頼むよ。この通り!」

「……うううー」


 公爵家の子女から深々と頭を下げられ、ラズはほとほとに困り果てる。

 助けを求められれば可能な限り助ける彼女の性格だ。しかしながら自分の仕事を手放すことも彼女はよしとしない性格でもある。

 ラズは今、葛藤と戦っていた。


「お話はわかりましたが、わたくしは学院祭の準備で手いっぱいですので、ご期待に沿うことは出来ません」

「そんな……」


 はっきりと辞退の意を示されフランチェスカは目に見えて落胆する。

 だが――


「まあ、ちょっと待ちなさい」


 珍しく真剣な面持ちのエリーゼが口を挟む。


「こっちはいいから黙って引き受けなさい、ラズ」

「え、さっきは貸すつもりないって、エリさんおっしゃってたじゃないですか?」

「劇の主役となると話が違うわよ。これはあんたにしかできないことなの。そして、あんたにとっても必要な事よ」

「ですが……まだまだ準備は序盤の段階ですし、わたくしが抜ければ確実に皆さんへしわ寄せがいってしまいます。それは嫌ですよぉ」

「気にしなくて大丈夫よ。こっちはなんとかするわよ……ルーカスとウォルターが」

「「え゛っ……!?」」


 突然の飛び火に静観していた二人が思わず声を漏らすが、エリーゼはそちらを一瞥もせずに言葉を続ける。


「とにかく、ラズは貸してあげる。ただし、交換条件ってわけじゃないけど、知り合いで学院祭の手伝いに興味がある学生がいたら斡旋してちょうだい。穴埋めをしないと本人も気にするわ。ラズが上の空になるのはそっちにとってもいいことないでしょ」

「それについては期待してくれて構わないよ。これでも顔の広さには自信があるからね。聖女様には後で台本を届けるから目を通しておいてくれると助かるよ。早速、明日の朝から練習に参加してもらうから、そのつもりでいてね。それじゃあ、ボクはこれから他の演者達に最高のニュースを伝えてくるからこれで失礼するよ。みんなの貴重な時間を取らせてしまって悪かったね。じゃあ、また会おう!!!」


 言いたい事を矢継ぎ早に話し終えたフランチェスカはくるりと反転するとスキップでも始めるのではないかというくらい上機嫌で去っていった。


 残された者たちが作業を再開するまでに時間を要したことは言うまでもない事である。




   ⭐︎




 その日の作業を終えてラズ達が自室に戻った時には外を出歩く学生の姿は殆ど見かけない時間になっていた。陽は完全に落ちて、無数の星の瞬きが夜を彩る。

 生まれ変わる前には徹夜で残業した経験もあるエリーゼではあったが、大前提として不労に対して並々ならぬ執着のある彼女からすれば日を跨がずとも苦痛には変わりない。


「そろそろ教えてくれてもいいんじゃないですか」

「なにかあったかしら?」

「わたくしがお芝居に参加することを二つ返事で了承した理由ですよぉ」


 元々ゆるゆるのたれ目がより一層下がった状態で、向かいに座るエリーゼの真意を探る。

 極めて珍しい事にラズは不安を覚えていた。

 なぜなら完全無欠の聖女になるため、あらゆる教養を広く深く叩きこまれてきた彼女も演技は全く持って未踏の世界なのだ。

 それを知っているかどうかはわからなかったが、少なくともエリーゼが自分を主役に推挙した根拠を聞く権利くらいは持ち合わせている筈である。


「なにを隠そう今回の劇は好感度アップのための大事なイベントなの。攻略対象と接触してから半年経ってなおもルート選びすらままならないウルトラヘタレのあんたにはうってつけよ」

「レア度みたいに言わないでくださいよぉ!」


 涙目を浮かべてラズが抗議するとそれを見たリタが少し離れたところで満足そうに頷く。


「でも、どうして好感度がアップするんですか? 劇を見に来てくださるかどうかもわからないですよね」

「シナリオ通りなら主演を引き受けたお礼として、主賓席の一つをあんたが自由に招待していい、って話になるのよ。で、特等席でヒロインの勇姿を見た攻略対象の好感度が爆上げっていうチョロいイベントよ」

「でしたら皆さんをまとめて招待とかでいいんじゃないですかね……って、なんでそんな心の底から呆れ返った顔してるんですか!?」


 問題は先送りにしつつとりあえず、全員の好感度を上げる良案だと考えたラズの言葉にエリーゼは思いっきり眉をひそめた。


「……あんたねぇ。ハーレムエンドでも目指すつもりなの? 男を取っ替え引っ替えして遊ぶ爛れた日々がご所望とはいい趣味してるわね」

「その可能性は微塵も考えてませんでしたよ!? でも、そんな簡単には、ハーレムな展開になんていくらなんでもならないですよね?」

「甘いわね。砂糖ましましのマロングラッセより甘いわ!」


 喝を入れるように一際大きな声を出した口へエリーゼは手元にあったマカロンを乱暴に放り込んだ。お世辞にも優雅な作法とは呼べないがそれを指摘する者はいない。


「そんなぁ……」

「雑にプレイしても好感度が簡単に上がりすぎるせいでバッドエンドよりハーレムエンドを回避するほうが難易度高いのよ。油断したら一瞬で男どもを侍らせるハメになるわよ」

「それわたくしにとっては充分バッドエンドですよぉ……」


 すっかりとしおれた花のように首を垂れたラズが力なく紅茶をすする音が響く。


「ぼやいてないでとにかく当日までに好感度を上げたい相手をちゃんと選んで招待チケットを渡す事。いいわね?」

「はい……」


 大きく立ちはだかる宿命にラズ(ヒロイン)の苦悩が終わる兆しはまだまだ見えない。

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