第5章3話 引継ぎと始動
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ラズの謁見が執り行われた翌日、日用的に使用するには高価過ぎるアンティークが平然と並ぶ学生会室にはギルバートが招集した学生会役員が一堂に会していた。
パレードの開催決定からすぐに動き出したのは、自分抜きで学院祭を運営するには一刻も早く引き継ぐべきと判断したからだ。
「わざわざ役員全員を参集した理由は他でもない、来月に差し迫った学院祭について話し合う必要が生じたからだ。大変残念なことにオレは極めて重要な公務へ専念せざるを得ない状況に陥った為、準備や計画の大部分を皆に譲ることになった。ああ……学院祭を余すことなく存分に楽しめるお前たちが羨ましくて仕方ないぞ、まったく」
取ってつけたようなわざとらしい落胆に何人かは白い目を向ける。
ただの丸投げ宣言である事は明白で、ルーカスがいの一番に異論を唱えた。
漆黒の髪を揺らしてすっと立ち上がると、僅かにずれた眼鏡の位置を整える。
「僕は名ばかりの役員で構わない、と言う条件で学生会には参加した。手を貸す義務はないし、貴重な時間をくだらない事に割くのはそれだけ損失だろう。助けが必要なら他を当たるんだな」
名前だけ入れておいて時々開く会議に付き合えば専用の研究室を貸し出す、というのが二人の間で交わされた密約であった。それを反故にされたのだから抗議するのは当然の反応である。
しかし、近日中にお披露目が予定されている以上、危険物を隠す理由は失われている。ギルバートとっては守る意味のない口約束でしかない。
まして、猫の手も借りたいこの状況……使えるものはなんでも使うのが当たり前だ。
はじめからルーカスの隣に座った公爵家の子息であるアイザック、ギルバートの脇に控えた見習い騎士のウォルターは協力を惜しむ性格ではないので勘定に入っている。
よって、ルーカスだけは反発が必至だと、ギルバートは想定していた。
もっとも、多くの貸しがあるルーカスを相手に交渉するのは赤子の手をひねるほど簡単である。
「そうか……それは非常に残念だ。是非とも協力して貰いたかったのだがな。ところで、ルーカス……お前、昨日もまた研究室を一つ吹き飛ばしたそうじゃないか?」
「うぐっ!?」
「ええっ、またですか!?」
「確かこれで3週連続じゃない? ホントによくやるわよね」
ラズ達が入学してから約半年の間で犠牲になった部屋の数は既に6つ。今回で遂に7つめである。
前にラズから危険な実験を咎められて以来、ルーカスは比較的安全な魔法で実験を行うようになった。しかし、失敗すると魔法陣が大なり小なり暴発する為、運が悪い時は壁に穴を開けたり、部屋が水で埋め尽くされる等の事故が発生している。
「し、仕方ないだろう。魔法技術の発展に犠牲は付き物だ!」
マズいことをしている自覚はあったのかルーカスは動揺を顔に出しつつも、語気を強めて強引に正当性を主張する。
同業者ならばあるいは賛同を得られたかもしれない。だが、それを説く相手が人の弱みを逃さぬ王太子となると、それは悪手でしかない。
「ああ、そうだな。致し方ない犠牲はどうしても存在する。嫌でも認めるしかない現実だものな」
「そ、そうだろう。わかって、くれてなによ――」
「では、友人としては心苦しいが犠牲はお前に払ってもらうとしよう。積み重なる修繕に要した費用を請求させてもらうぞ。ちなみに期限は明日だ」
「あ、あすぅぅぅぅっ!?」
あまりにも無慈悲な宣告にルーカスの声が裏返る。
「ちなみに、いくらぐらいなんですか〜?」
「たったの白金貨10枚だ」
「……一般家庭の給料四年分は"たった"ではないとボクは思うよ。というかいくらなんでも納付期限が短すぎるんじゃないかな」
繰り広げられるワンサイドゲームに見かねたアイザックが助け舟を出すと、ルーカスは大きく首を縦に振る。
「オレの立場から言わせてもらえばしっかりと弁済して貰う他ないのだが、まあ……困った時はお互い様という言葉もあるしな。そうだろう、ルーカス?」
「ああ、学院祭の準備なら安心して僕達に任せてくれいいぞ、殿下」
「相変わらず、清々しいほど変わり身が早いわね……」
一番悪いのが誰かなどルーカス自身が理解していた。だから形勢を立て直すのを諦めて、ギルバートがこれ以上強行に走るのを防ぐ方向に対応をシフトしたのは悪い判断ではない。ただし、攻略対象の残念すぎる姿にエリーゼはドン引きした。
「……とりあえず期限は先延ばしにするが弁償はしてもらうから覚悟しておけ。念の為釘を刺しておくが真面目に働いてなかった場合は……」
「ば、場合は?」
「お前の家に事の顛末を記した請求書を送る」
「そんなことになれば父上に殺されるぞっ!?」
血相を変えたルーカスを見てギルバートは満足そうに微笑む。
「どうだ。さすがに火がついただろう」
「むしろ凍りついたぞ……」
「うん……まあ、自業自得だよね」
慰めるようにアイザックが背中を叩くとルーカスは力なく着席した。
「全員が快く協力してくれるなんて、感謝の思いの胸の内がいっぱいだ。本当にありがとう」
白々しく礼を述べたギルバートを忌々しそうに睨んだエリーゼは頬づえを付く腕を組み替える。
「そんな薄っぺらい前置きなんてどうでもいいから、さっさと話を進めなさい。時間もないのにこっちはなにをするかもわかってないのよ」
「それもそうだな。さっそく、本題に入ろうじゃないか」
「……疲れる事が大嫌いなあのエリーゼ様が積極的になられているなんて……! 夢でも見ているのでしょうか?」
「目覚ましが必要なら、遠慮しなくていいわ。今なら特別に脳みそまで筋肉のその頭に『破城槌』をプレゼントするわよ」
小規模な砦くらいなら一撃で吹き飛ばすだけの破壊力を有する必殺の魔法を浴びれば、先日レベルが35に到達し、ますます頑丈になったウォルターと言えどもひとたまりもない。目が覚めるどころか確実に潰れてなくなるだろう。
「黙れ、ウォルター。学祭の開催に向けてエリーゼは学院の為、学生の為、身を粉にして働いてくれる事になった。余計なちゃちゃを入れるようなら燃やすぞ」
「っ、殿下……!?」
なんの前触れもなしに二方向から発せられた容赦のない本物の殺意にウォルターは思わず後ずさりする。
彼は決して臆病者ではない。むしろ、仲間のために体を張るのも厭わぬ、勇猛果敢な戦士の一人である。
だが、度重なる実践の中で養われた胆力を持ってしてもすくみ上がる程に目の前の二人からの圧が凄まじかった。
王子とその婚約者が揃いも揃って獰猛な獣のような鋭い眼光を飛ばす異常な光景に直面して、平常心でいる方がどうかしているというものだ。
ここが社交界の会場なら失神するものが続出したかもしれない。
「ふんっ、まあいい。残された時間を無駄にする訳にはいかないから話を進めるとしよう」
ウォルターが無言で頷くと、ギルバートは再び口を開く。
「まずは学生会がするべき事から説明したほうがいいか。主なものだと学生達の展示や模擬店の内容の把握と場所の調整。審査して不適切なものは却下しろ。それから当日の警備、誘導、トラブル対応に関わる人員の配置。特に、貴婦人や令嬢がよく来る化粧品や服飾関係は手厚くしろ。その場で売れとか無理難題を要求する輩が毎年数組は現れる。次に会場設営に関してだが、学院で保管している装飾関係は滞りなく各所に届くよう整理しておけ。あと、開催日時や代表的なイベントがわかるような広告の作成と配布も手配しろ。で、来賓の来場後のスケジュール設定についてだが、事前にルートを考えておけ。展示等の配置もルート上に優先して置けば当日が楽だ。後は――」
「多いわよ!」
「これでも主要な来賓のリストアップと招待状の発送は完了済みで早期に発注が必要な看板や横断幕もオレが手配してあるんだぞ?」
これらを一人で処理しようとしていたギルバートの社畜っぷりとこれから立ち向かうべき業務の膨大さにラズを覗いた一同は言葉を失った。
このメンバーの中でラズだけは勤勉に学生会の活動に携わっており、ギルバートが先々の事務までこつこつと進めているのも知っていた。
「まあ、既にわかったと思うが要するにお前らだけで進めるには人出が足らん。無論、実行委員として人を集い、作業を分担する流れは例年と変わらないが、指示を飛ばす側の頭数は少なく見積もっても倍は必要だ」
通常であれば学生会の役員は信任を受けた10名の学生で構成されるが、ギルバートを除くと残った役員はマスコットのエリーゼを含めて5名である。
現時点でも半数が空席となっている状況な上、実務能力がラズ以外未知数という不安要素の残る面子しかいない。
「どこからどう見ても詰んでるじゃない。指示を待つ学生で溢れ返る悲惨な未来しか見えないわよ、それ」
「だから足りない分は増せ」
「ああ、なるほどねー……って、すぐに使える人間がそこらへんに転がってるはずないでしょうがっ! パンを買いに行くのとは訳が違うのよ!」
「そんな事は百も承知だ。だが実際問題、役割分担をしないとキャパオーバーは避けられないぞ」「うっ………………」
人が足りないと当日に間に合わないのはエリーゼもなんとなく理解している。そして、指示を出せるような人員が簡単に手に入らない事もわかっている。
だが、今の人数で開催まで漕ぎ着けるのと適任者を探し出すのとで比較するなら後者の方がまだ希望がある。
「作業を進めながら使えそうな者を捕まえてくるのが一番効率はいい。まあ、ダメでもお前ら全員が二週間くらい徹夜すればなんとかなるんじゃないか?」
言い渡された想像の斜め上をいく過酷なスケジュールに全員の顔が同時に青ざめる。
「二週間も徹夜出来るのは人類とは呼びませんよ、殿下!?」
「さすがにわたくしでもきついものがありますねぇ……」
「父上に殺されたほうが一思いに死ねる気がしてきたんだが……」
「……ボクたちがいままでに入ったどのダンジョンよりも、この部屋が一番危険かも」
ラズでさえも暗い気持ちになる絶望のどん底である。しかし、エリーゼだけ希望を失っていない。
「で、でも私達にはラズがいるじゃない! あんたなら五人分働くぐらいガチれば余裕よね!?」
「エリさんまで思考回路がブラックになってます!?」
もちろん、他力本願である。
「ドラゴンを素手で倒せるんだから、学院祭の運営なんてスライムを倒すようなものよ、きっと」
なんでも平均以上にできてしまうことに定評のあるラズならギルバートの代わりが務まるのではないか?
どんなピンチもノリと勢いでなんとかしてくれる親友に最後の希望を希望を抱くエリーゼだった。しかし、そう世の中甘くない。
「何を言っている? 王宮での打ち合わせにはリアにも参加してもらうと伝えたはずだぞ。空いてる日以外はお前がなんとかしろ」
「なんですって!? 聞いてないわよ……!」
ばん!
ぶつけどころのない憤りがアンティークの机に叩き込まれる。
「あ〜……昨日、確かにとおっしゃってましたよ。その時のエリさんはなんか、こう……抜け殻のようになってましたけど」
口を開けて放心状態になったエリーゼには目もくれず二人は大規模パレードの方向性について話し合っていは継続していた。
他動的とはいえ神輿に乗る当事者の意見も確認しながら進めたいというギルバートの意向にラズも同意し、協力を惜しまないと申し出た。
そのやり取りはさっぱりと耳には入っておらず、下城の時間になってラズに声をかけられるまで彼女は心ここにあらずであったのだ。
「う、嘘よ……こんなの、なにかの間違いだわ! だって、ラズまで抜けたら、頭数の半分が剣と魔法のことしか考えてないアホってことじゃない……」
「アホ………………」
「魔法のことしか頭にないの事実だが赤いのにだけは言われたくない。どうせ、お前なんてなんにも考えていないだろ」
ウォルターが脳筋なのも、ルーカスがマッドなのも、エリーゼが堕落しているのも全てただの事実でしかない。目の前で始まった不毛な争いにギルバートは顔をしかめた。
「ええい、大人しくしろ! 人員確保については絶対条件だが、どのみち社交性の乏しいお前らの貧弱な人脈になど毛ほども期待はしていないし、人材発掘の主戦力はアイザックだ。残りは黙って作業してろ」
「なによ。それならそうと初めからそう言いなさいよ」
「ええっ、ボクなの?」
泥沼の仲間割れにため息を吐いていたところで突然自分の名前が挙がり、アイザックは素っ頓狂な声を上げる。
「聞けば普通科の色々な専攻に顔を出しているらしいじゃないか。もしかすると顔見知りの中に適任がいるかもしれないだろう」
この王立学院の教育課程は主に三つに分けられる。ラズ達が所属する魔法科と魔法が使えない者が武術や馬術、戦術などを習得する騎士科、そして非戦闘系の知識や技術を学べる普通科がある。中でも普通科は履修可能な科目の幅がやたらと広い。例えば、土木、農業、鍛冶などの産業や美術、音楽、文学といった文化的な専攻まで多種多様だ。
ここ数カ月、アイザックは図書館で得た専門知識の理解できなかった部分を各専攻の学生や教授に質問する為に、普通科棟に入り浸っていた。
「確かに知ってる人はそれなりにいるけど適任かどうかなんてボクにはわからないよ?」
普通科へ話を聞きに行った際も元々知り合いがいた訳ではなく、行き当たりばったりでしかなかった。聞きたいことを知っている者に出会えたのも手当り次第に声を掛けまくった結果である。少なくともアイザック自身は人を見る目に自信など持っていない。
「いいか、お前がスカウトに失敗すれば、壊滅確定だ。忙殺が嫌なら死ぬ気でなんとかしろ」
「うう、責任が重たすぎるよ……」
突然降ってきた重責にアイザックは常磐色の頭を抱えた。
「じゃあまずは実行委員の招集からだ。今日中に文書を作って回しておけ。いいな?」
「ああもう、やってやるわよ! あああああっ、ちくしょおおおっ!!!」
伯爵家の令嬢にあるまじき咆哮が今日も変わらず平和な学院に虚しく響き渡った。
ちなみに、学生会室のすぐ近くには図書館があり、騒々しい叫び声は多くの利用者から顰蹙を大人買いする形になったが運の良いことに犯人が特定される事はなかった。




