第5章2話 入宮
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打ち合わせにない発表はあったものの、予定通り初代聖女が装備していた伝説のローブを受け取ったラズとエリーゼはまだ城内の一室に残っていた。
理由は入手した装備を早速試してみたい、というだけである。ようは冒険者の性だ。
そして、エリーゼは専用装備に身を包んだ生ヒロインを見てみたいという、プレイヤーの性である。
「じゃじゃーーーん! エリさんエリさん、どうですか!」
勢い良く内側から開かれた扉の向こうにいるのは、純白を基調としたシンプルなワンピースに着替えたラズが両手を広げて立っていた。
胸元は多少開かれているものの全体的に清楚な印象を受けるデザインだがローブよりはドレスに近い。しかし、頭に被ったベールが神秘的な雰囲気を演出していた。
頭のてっぺんからつま先が見回した後、エリーゼは満足気に深く頷く。
「ええ、いい感じよ。うるさい口を閉じてる間はパーフェクトだわ!」
「何気に酷くないです、それ?」
部屋に入ったエリーゼは開かれた扉を元に戻すと、人目がないのをいいことに、ドサッとソファーに座った。
次期王妃様は畏まった席で溜まった鬱憤を晴らすかのように、だらしない姿勢になっている。
「そうは言っても、ヒロインの本来の話し方はもっとお淑やかで凛としてんのよね。折角の決戦装備なのに、ここまでバカっぽい感じだとキャラ崩壊の領域だわ」
プレイヤーとして何度も見たし、ソフトのパッケージにも描かれていた装備の実物を見るのはちょっとした感動がある。しかし、着ている人間の方が原作から遠のいているのはエリーゼ的には残念であった。
「そうはおっしゃられましても、ゲームのヒロインと比較されたら誰だって見劣りするんじゃないじゃないですかね」
「あんたの場合、ルックスだけなら整合率1○○パーセントだけどね」
「まあ、それ言ったらエリさんもそうですよね」「だまらっしゃい。悪役令嬢とヒロインなんてエルフとオーガぐらい違うわよ!」
「もう種族変わってるじゃないですか!?」
どういう訳か『聖域の乙女』というゲームに登場するヒロインと悪役令嬢に転生を果たした二人だが、どちらもその設定からは大きくそれているのが現状だ。
少なくとも、ストーリー開始前からヒロインのレベルが上限に達することはないし、悪役令嬢が婚約者である王子をなじりながら尻を蹴飛ばしたりもしない。
「私はまだ出番自体少ないからどうでもいいんだけど、気付いたら攻略対象の方までかなりおかしくなってんのよね……」
「そうなんですか?」
「ウォルターはもっと猟犬みたいな雰囲気であんな柔らかい感じじゃないし。アイザックはもっとど天然な感じで、赤点取ったり、課題を忘れてたり、とかあんなにしっかりしてない」
「まるでエリさんじゃないですか。ザック様でしたらこの間のテストで平均超えたって喜んでましたよ」
「一発ぶん殴るわよ」
殴られたところで最上位のゴーレムよりもさらに防御力の高いラズにはなんのダメージもないのだが、二人の間ではお馴染みのやり取りになりつつある。
「じゃあ、ルーカス様はどうなんですかね」
「瘴気災害の一件で莫大な資金を手にしたせいで、引きこもり度が加速してない?」
「そういえば、実験とダンジョン攻略以外はまるでお姿を見かけませんねぇ。授業への参加すらまばらになってますが、テストはエリさんより――」
「で、後はギルバートよね。アイツに関しては――」
エリーゼが所見を述べようとしたその時、扉を叩く乾いた音が響く。
「ギルバートだ。少し話があるのだが、中に入ってもいいか?」
「あ、はい。どうぞ〜」
「失礼す――…………」
ドアを開いたその体勢のままギルバートは目を見開いて硬直する。
不自然な挙動にラズは首を傾げて、声をかけた。
「あの……ギル様……?」
「……はっ!? ああ……ええと、なんだその、そうだ、綺麗だ、リア!」
いつもより神々しい装いにより魅力増量中のラズに思考停止したギルバートがなんか再起動する。
「ええと……あ、ありがとうございます」
少し顔を赤らめたギルバートがボキャブラリーの欠片もない賛辞を贈ると、共鳴するようにラズは目を伏せて照れながら礼を返すと背を向ける。
(なぜでしょうか。見た目を褒められるのはいい加減慣れたつもりでしたが、ギル様から言われると変な感じがします)
「はぁぁ……いくらなんでも褒め方ってもんがあんでしょうが。ほんとあんたって、王子力ゼロのゴミよね」
「随分と洒落た挨拶だな。返事は拳でいいか?」
「そのゴブリン以上に短絡的な思考をいい加減なんとかしないとモテないわよ。それに引き換え弟の方は初々しくて、キラッキラで可愛かったわね。あれは目の保養だわ」
「確かにクラウス殿下は見ていて微笑ましかったですね〜」
「むっ……」
「そういえば、弟君がいらっしゃると聞いてましたが、お姿は初めて拝見しました」
オルヴィエート王とマルティナ王妃の間に生まれた子がクラウス王子である。通常であれば王位は正室の子が優先されるが、王位継承権はギルバートに次ぐ第2位の立場だ。しかも、これまで公の場にはほとんど姿を表してこなかった。
「……生まれつき身体が弱く、外に出ることも少なかったからな。最近は体調が安定してきたらしいから、負担の少ない公務なら調子を見て顔を出すかもな」
「ま、どのみち普通に生活していて、うっかり王族に会うことなんてほぼないでしょ」
なお、現時点の立ち位置で考えればエリーゼ自身も王族の一員に片足を突っ込んでいるのだが、本人に言えばまだ結婚してないからノーカウントであると否定するだろう。
「そうとも限らん。恐らくだが、学院祭は見に来ると思うぞ」
「つい先日入学したと思っていたのに、もう学院祭の時期ですかぁ。見所が満載の大きなお祭と家族から聞いていたので今から楽しみです」
ラズがこれまでに経験した祭りといえば前世を含めてもオリハルクス領恒例の血気盛んな狩猟祭のみである。
冒険者が一斉に魔境へと飛び込み巨大な野生動物を狩って、獲物の大きさや質を競う祭りで、持ち込まれた肉の塊を喰らい、振る舞われた酒樽を飲み干してとてんやわんやの大騒ぎになる。そこら中で勃発する喧嘩や、酔いつぶれて地を這う者が続出する荒々しいばかりで文化的な要素は一切ない。
「ほう、それは調度良かった。ちなみに二人とも学院祭がどんなイベントか知っているか?」
「どんなイベントって、あっちこっちで模擬店があったり、よくわからない研究の成果を展示したり」
「騎士科のみなさんは模擬戦や演武を披露なさると伺いましたね。他にも演劇が催されたり、最後には舞踏会もあるんでしたっけ?」
エリーゼとラズは顔を見合わせて自信なさげに答える。長らく田舎に引きこもっていた二人が王都で開かれる祭りを目にしたことなどあるはずもない。
「概ねの認識は間違っていない。王立学院が他国の教育機関に引けを取らぬ事を広く示す意味合いで出来るだけ規模を大きくした博覧会兼派手な祭りというのが主なコンセプトだから、色々と出し物がある」
「なるほど〜。王家としても重要なイベントなんですねぇ」
「そうだ。成り立ちからして冒険者の色が濃い王国は教養や文化の面で侮られがちでな。それを払拭したいという事で始まったのが王立学院の学院祭だ」
教養や文化面という単語を聞くと、ラズは思わず目をそらす。
「オリハルクスのお祭りは反対に冒険者一色ですが、見る人が見たら野蛮ですからねぇ……」
「という事でリアには開催に向けて、最大限の協力を頼むたい。それとエリーゼ、貴様は死ぬまで働け」
ギルバートがなんでもないように告げた非情な発言にエリーゼは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。
「あんたの仕事でしょう。それを人に振るなんて職務怠慢よ。私達は絶対に引き受けないわよ」
「ええ!? わたくしはむしろやりたいんですけど……」
迫力のある真紅のつり目はラズの方を一瞥もせずにギルバートを睨みつける。
自分が面倒事に巻き込まれるのはもちろん御免のエリーゼだが、ラズが忙しくなるのも看過することは許されない。
彼女にとって親友の部屋はオアシスである。
美味しいお菓子と紅茶を飲みながらどれだけだらだら過ごしていても許容される最高の環境は王太子を引っ叩いてでも死守するほどに大切なのだ。
雑務に追われたラズが部屋を空ければ、エリーゼに待っているのは小うるさいメイドにせっつかされる日々しかない。
「どうあがいてもオレはリアのパレードにかかりきりになるからな。それに本来は学生会と実行委員が総出で取り組むイベントだ。お前もまったくの無関係という立場にはない筈だが?」
ばん!
高級感の滲み出るローテーブルを手で乱暴に叩くとエリーゼは勢い良く立ち上がる。
「無関係に決まってんでしょうが。誰が私をマスコットに任命したと思ってんのよ! ラズ、帰るわよ」
「まあ、待て。別に貴様が戦力になるとは微塵も思っていない。煩雑な用務に取り組む勤勉さを持ち合わせていないクズなのはオレも嫌というほどわかっている」
婚約者の責務を感じたギルバートの訪問をあろう事か寝坊によりすっぽかした回数は一度や二度ではない。彼女が怠惰なのは関わりのある人間の間では共通認識であり、本人もそれを否定しない。
「はぁぁっ? だったら初めからいなくても問題ないわねっ!」
怒りを顕にしたエリーゼがドレスを翻し、扉に向かって歩き始めても、ギルバートは表情を変えずに話を続ける。
「謁見を終えたつい先程の話だ。親父からお前の扱いについてとある提案を受けた。それも実に恐ろしい内容だ」
到底無視できない話を耳にしたエリーゼがピクリと反応し、ずんずんと進めていた足を止める。
ギルバートの言う親父とは、国王陛下をおいて他にいない。
その陛下が自分について言及したとなると聞かない訳にはいかない。
「折角、息子の婚約者が王都に住んでいるというのになかなか会えないのも寂しいものだ。これを機に王宮内の一室をお前に与えてはどうか、とな」
「なっ…………なんですって!?」
現在はまだ婚約者という立場に留まっているエリーゼだが二年後に成人を迎えれば、晴れて王太子妃となる彼女は明日からでも王族として宮殿に居住する権利を持っている。
世の多くの女性が憧れるプリンセス生活も、結婚する気などさらさらないエリーゼにとっては御免被りたい権利でしかないが。
「オレとしても見たくもない顔を城でまで見なくてはならないというのは陰鬱でたまらんから、遠回しに成績不振の馬鹿者は寮で学業に専念すべきだと断ったのだが……」
ギルバートは遠い目をしてそこで言葉を一旦区切ると、エリーゼは緊張のあまり固唾をのみ込む。
「あの耄碌じじい、信じられないことに勉学ぐらい婚約者であるオレが直接指導してなんとかしろと抜かしやがった」
10歳にも満たない内にギルバートと婚約したものの、大の勉強嫌いであるエリーゼは王太子妃としての教養がまるで備わっていない。
才覚云々の前にあらゆる手段で授業からの脱走を繰り返し、仮病を頻発し、悉く逃げ続けた結果である。
彼女はその道では知られた問題児中の問題児であり、王家の命により派遣された数多の講師達に白旗をあげさせた実績まであるくらいだ。
ギルバートが手に終える範疇ではないし、向上が望めないことを考慮すれば忙しい彼にとっては不毛な時間の使い方である。
「くっ……なんて暗く閉ざされた絶望の未来なのかしら……! 貴重な放課後をなにが悲しくてあんたとの勉強なんかに費やさなくちゃいけないのよ……」
「それはこちらの台詞だ。ただでさえ先月から無限に等しい事務処理地獄だというのに、落ちこぼれの面倒まで見ねばならないとなれば流石にオレの身が持たんわ!」
二人揃って頭を抱える姿にラズは「仲良しだなぁ」という言葉が浮かんだが、今それを言うと更にややこしくなりそうなので口をつぐむことにした。
「とにかくだ! お前の入宮という最悪の事態は是が非でも回避せねばなるまい。その為には手段を選んでいる場合ではないだろ?」
「不本意だけど、どうやらそのようね……」
常日頃よりいがみ合う二人の意見が珍しく合致する。
「ですが、もしエリさんが陛下から直々に打診されたらお断りなんて出来ないですよね?」
「そう、そこが問題だ。だからこそ、まずは学院祭の統括責任者であるオレの代行をエリーゼが真面目に努め、成功させる必要がある」
「まったく意味がわかんないわよ。あんた、これにかこつけて雑用を押し付けようとしてるだけじゃないわよね?」
疑いの目を向けられたギルバートは
「まあ、聞け。ようは学生寮に住む必要性があれば、親父のことだから無理強いまでしない筈だ」
「王宮に住めない理由じゃなくて、学院に残りたい理由を無理やり作るって訳ね……」
王国民にとって王宮に住まうというのはそれ自体が大変な名誉であり、否定するなどもってのほかである。
住みたいけどどうしても都合が悪い、という建前が重要なのだ。
「そうだ。お前が学院に対する並々ならぬ強い愛着を持っていると自他ともに認めさせた上で、卒業までは学院で過ごしたいという意向を親父に伝える。だから、最低限の体裁を取り繕うには目に見える形で身を粉にして働くほかあるまい」
「ああー、もうっ! ただ平穏に過ごしたいだけなのに、どうして私がこんな目に合わなくちゃいけないのよっ!」
「まあまあ、エリさん。わたくしも微力ながらお手伝いしますのでまずは挑戦してみましょ〜」
「ええ、頼むわね……はぁ……」
唯一なんの悩みも抱えていないスーパーポジティブ令嬢のラズの能天気な笑顔はエリーゼの鬱屈とした深いため息を誘発した。
こうして王国一怠惰な令嬢であるエリーゼにとって過酷な一ヶ月が幕を開ける。




