余談7 ステラの危機(前半)
感想ありがとうございます
まずいことになってしまいました。
これほどのピンチは何度も死線をくぐった私史上でも記憶がありません。
そこら中に罠の仕掛けられた邪教徒の集会所を単独で強襲した時ですら、これほどまでに追い込まれてはいませんでした。
咄嗟に誤魔化す為とはいえ、なぜあのような事を言ってしまったのか。
料理なんて得意どころか最近までキッチンに立ったこともない。私にできるのは携行用の干し肉を焚き火で炙るのと同じ要領で、直火で焼くぐらいだ。
しかし、ライナス様はこの寂れた礼拝堂に足を運んでくださった唯一の方です。
私の様子を見に毎朝顔を出してくださるラズマリア様を除くとまるで誰もいらっしゃってはくださいません。
ですから、なんらかの形でお礼をしたいと思っていたのは事実です。
聖騎士時代はまったく気にしていませんでしたが、人に全く会わないというのは非常に寂しいことだと知りました。
世間話などは殆どしない口でしたが、事務的な会話は絶えない立場で、人と関わらない日なんてほぼなかったものですから、これも新たな発見の一つですね。
……いえ、それよりも今は喫緊の問題を解消するための策を練る必要があるのでした。
料理を教わるにしても過去を捨てて転がり込んだ身の上なので宛はどこにもありません。
ライナス様の他に王国で面識があるのも一緒に馬車へ乗った皆様のみです。
やはり、メイドのリタさんに頭を下げて料理の手解きをしていただくのが一番速やかであると思われますね。
研鑽を重ねるのに費やす時間も必要と考えれば、猶予は残されていないでしょう。
もはや悩んでいられる戦況ではないと判断した私はすぐに行動を開始した。
礼拝堂の扉に施錠を済ませて、学院の端から端へと移動する。
聖女台下からは「困ったことがあったらいつでも訪ねてください。落ち着いたら遊びにきてくださいね」と仰せつかっており、部屋の場所も教えてくださっていた。
既に生涯をかけて返す程のご恩がある台下にこれ以上の迷惑は掛けたくなかったですが、今はお言葉に甘えるしかないようですね。
部屋の扉を叩けばすぐにリタさんが現れたので軽い挨拶をして室内へと入れて貰う。
「ごきげんよう、ステラちゃん。今日もとっても可愛いですよ」
中に入ってすぐの応接間を通り越して台下の私室まで招かれると、そこには見知った二人の令嬢がソファに座ってこちらを見ていた。どうやらのどかにお茶を楽しんでいるところであったらしい。
「いいえ。ラズマリア様の神々しい麗しさの前では私など見るに堪えないことでしょう。エリーゼ様もご無沙汰しておりましたが、益々美しくなられましたね」
「この部屋の中で堅苦しい世辞なんていらないし、楽にしていいわよ」
あれ、台下の部屋でしたよね、ここ?
我が物顔で仰られても返事に困りますが、台下ご自身もそれを訂正する素振りはないので、大人しく頷いておきましょう。
「それで、あんたの事だから急に遊びたくなったって訳じゃないんでしょう?」
「ええ、実は大変困ったことになりまして。つきましては、どうか、蒙昧なる私をお導きいただきたく、お願いに参りました」
「さあさあ、遠慮せずになんでも言ってください! わたくしは魔物の殲滅からトイレ掃除まで手広く取り扱ってますので!」
「……偶像に昇格したあんたに便所の清掃を頼むシスターなんかいないわよ」
呆れた顔のエリーゼ様ですが、かなり近いところを突いた引き合いを出されて非常に言いだしづらいです……
ですが、大海を上回るほど広大なお心のラズマリア様ならばきっと真剣に聞いてくださるはず。
恐れていてはなにも掴めないのは今も昔も同じこと。当たって砕けるのみです。
「実はお願いしたい事というのはですね……」
「はい」
「……早急にお料理を覚えたいのです」
「「お……料理!?」」
お二人は同時に立ち上がると、驚嘆の声を上げた。
「ええ……実はかくかくしかじかで……ライナス様というお優しい方が――」
「「ふむ」」
「転んだのを見かねて灯具の修理を手伝ってくださって――」
「「ふむ……?」」
「咄嗟にお料理を振る舞う約束をしてしまいました」
「「………………」」
なぜか事の顛末を話せば話すほどお二人の顔の傾きがどんどん増えていき、最後には頬が肩にくっつきそうな状態である。
「エリさん……これはアレですね」
「ええ、間違いないわね」
台下とエリーゼ様はお顔を合わせると全く同じタイミングで頷いて振り向くと私を指差した。
「魔性の女です!」「ビッチね!」
「どうしてそうなるのですか!?」
主の下僕たる私が不貞と揶揄される様な真似など誓って犯しておりません。
「どう考えてもあんたに気があるわよ、その男」
「たったのひと月で男性を籠絡してしまいましたか…… ステラちゃん、なんて恐ろしい子……!」
「い、いえ……ライナス様からそんな様子は感じませんでしたよ……? ほら、お二人の勘違いではありませんか?」
「ステラちゃんは自分で思っているよりもずっとずっとパーフェクツ美少女ですよ。一目惚れという線も考えられます」
「えっ、え〜!?」
ちょっと待ってください。仮にそうだったとして私はどうすればよいのでしょうか。そういった類の話は縁遠い世界に身を置いていたので、対処の方策を私は持ち合わせていません。
「あれ? ちょっと待ちなさい、ラズ。そういえばあんた、恋愛なんてのは苦手だったわよね」
「ふふふ、恋愛小説を愛読するわたくしにとってはむしろ大好物……! 人の恋バナなら大歓迎です!!!」
親指を胸の前で立てながら奥歯をきらりと輝かせた台下は、妙に生き生きとした表情を浮かべた。
「うん、なんかムカつくわね」
一瞬、頷きかけた私は修行が足りないようです。
それにしても、まさかここまで面白がられるとは思わなかったです。しかし、背に腹は変えられません。
「ライナス様のお考えがどうであれ、私がこの一ヶ月の中でとても救われたのは事実ですから。なので、どうしても感謝の気持ちを形にしたいのです。お願いします、ラズマリア様……料理の得意な方を私に紹介していただけないでしょうか」
こちらの本気をわかってくださったのか、台下は優しげな笑みを浮かべて首を縦に振る。
「もちろんです。二人の恋の成就の礎石となる為とあらば、協力は一切惜しみません。わたくしの持てる技術を伝授して差し上げましょう!」
「で、ですから、私は感謝の気持ちを……って、え、台下自らですか!?」
「おや、わたくしではご不満ですか?」
「そ、そんなわけではないのですが。てっきり貴族のご令嬢は炊事なんてしないのかと」
どなたであれ手解きを受けられるならば贅沢を言うつもりはありませんが、台下が自ら料理する姿は想像がつかない。
「こんなんだけど腕は確かよ。まっ、真竜を山程ぶちのめすお嬢様からしたら誤差の範囲でしょ」
「あ〜……」
台下は比類なきお方であり、初めから一般的とは言い難い存在です。前提が間違っていると言われれば、返す言葉が浮かびません。
よくよく考えれば万が一怪我や火傷をしても光魔法があるので、躊躇う理由がないですよね。
「それにしても本当に上手いこと化けてるわね。冷めた目でツンツンしてたあんたが忙しなく笑ったり驚いたり、もう人格ごと入れ替わってんじゃないのかしらって思うレベルよ」
「自分でも驚いています。たぶん騎士として作り上げた外面と長らく押し殺してきた内面は別物だったのでしょうね」
最近、自分自身もよくわかっていなかった自分のことが少しづつわかるようになってきた。
実は思っていたより掃除が好きだった。汚れていた物がきれいになると気持ちがスッキリする。
実は苦い物が嫌いだった。買ってきたはいいが食べれなかった野菜もある。
自分に好き嫌いがある事に驚いた。
だから気付いてしまった。
私が積み上げてきたのは単に誰かが考えた理想の聖騎士を演じるだけの虚像だったのだと。
個としての意思や意識を放棄し、求められるままに偉大な五聖剣であろうとした。
盲目的に命令に従い、信じるがままに武を振るうだけ。
それに引き換え、座を失って修道女となってからは一つ一つ自分で考え、決定する必要があった。他人に委ねることなく見つけた自分の答えだ。
例えば、今夜はなにを食べるとか、新たに買う食器の柄はどうするとか、祭壇の花をどれにするかだとか。決まりのない些細な問題と毎日にらめっこだ。
能動的に過ごすようになって、徐々にだが自分の好みがわかり始めている。
その影響なのかは定かではないが、最近は騎士時代の記憶が唐突に蘇ることがあった。
私が聖騎士になった理由もその中に眠っていたのだ。
"あなたが正しい騎士になれば女神様もお喜びになられるでしょう"
これは私が騎士の道を薦められた時に掛けられた言葉だ。
憶測の域を出ないが、この一言が私を聖騎士に仕立てたのだと思う。
当時の私は神官の定型句を主人の"命令"として"受諾"したと考えると説明がつく。
やっぱり、元はホムンクルスだった影響があるのかもしれない。
今もその特性が私の中に残っている可能性をないと断じるのは難しいだろう。
現に女性として過ごす事になってもすんなり受け入れてしまってるし、自分でもおかしいと思うところはある。
これも可能性の話だが……台下の言葉を再び"命令"として捉えていると仮定すれば辻褄は合う。
無論、真偽は誰にもわからないかもしれない。
でも、もしそうだったとしても私は台下が与えてくださった新しい生活に満足しています。
なによりも今は"どうしたい"が鮮明にあるのですから。
かつてないぐらい生き生きしています。
あの小さな礼拝堂を再興しながら、様々な経験や発見に囲まれる毎日が楽しくて、宝物のように大切なんです。
無意識の内に長く押し殺していた心が芽吹き、不満などある筈もありません。
「でも今の私が本来の姿だったらいいな、と思っていますよ」
「つまり、あざとく転んで男の胸に飛び込んだのが本当のあんたって事で良いわけね」
「違いますから! ただスカートに慣れてないだけですから!?」
すぐに否定したが、私を見るラズマリア様の目が不服そうである。
「なんか女として負けてる気がしますねぇ……」
「そうね」
「否定してくださいよ!?」
「良かったわね、ラズ。いい見本がいたわ」
「え〜、真似できる気がしませんよ」
「見本という意味では私の方こそラズマリア様の優雅さを見習わなくてはいけません」
以前の癖だったり、不慣れなことだったりとボロが出そうになる事が少なからずある。
椅子に座る時もつい、鎧をまとっている時と同じように大きく足を開いて腰掛けてしまうことがある。修道服でその動作をすると、大変はしたない格好になってしまう。
……私室で鏡に映った自分を見て一人悶絶したのは秘密です。
そういった意味では予断を許さない場面の連続なのだ。常に油断することがないように一人で自室にいる時も、動作や仕草には注意を払うなど努力はしているが、今回はかなり危なかった。とにかく早く慣れるしかない。
「それで台下がご指南下さるとのことでしたが……」
「そうでした。まずは胃袋を掴むって話でしたね」
「もう……それでいいです……」
頻繁にお会いするようになって最近わかったことがあります。
台下は時々人の話を聞いてくれません。自由奔放そのものです。
でもまあ……聖女という肩書がなんの枷にもなっていない生き方は私からすると少しだけ羨ましいかもしれません。
次回はステラ強化回です
上がるのは主に女子力です




