第4章3話 返り討ち
大幅に書き直したせいで遅くなりました……
謁見の間へと到着したラズとギルバートはどことなくよそよそしい雰囲気で来訪者の入場を待っていた。
王太子の外交で磨き抜かれたネゴシエーションで何とか馬車から出てきたものの、一度覚えた違和感が胸に纏わりついて離れないままだ。
――こ、これは一体どういうことでしょうか。状態異常? 病気? 先程から時折お胸のあたりがきゅんと締め付けられるような感じになります。それになんだかさっきから落ち着きません。いえ、落ち着きがあるとか人から言われたことは生まれてこの方まったく無いんですけど。
自分の調子がいつもと異なり、戸惑っているラズはあれからずっもギルバートのことを直視できないでいた。
「ラズマリアちゃん。急に呼び出してすまんのう」
「いえ、事情はギルバート王太子殿下より伺っておりますわ。お気遣い痛み入ります」
国王から急に話し掛けられたラズであったが一瞬でパーフェクト令嬢モードに移行して当たり障りの無い返事をする。
――これから教会の方とお話するんでした。気を引き締めなくてはいけませんね。
自戒の念を込めて自らに言い聞かせていると、ついに招かれざる客が登場する。
「聖光教国マスカロアの使節団が参りました!」「うむ。通せ」
入り口を守る二人の兵士が重厚な扉を押し開けると、その向こうから白地の半分を金色が彩るローブを被った一団がやってくる。
白と金は光の女神の色として教典に明記されており、高位の神官になるほどこの金色の割合が増える特徴がある。ラズは「まあまあ偉い方たちですね」と心の中で呟く。
ところが、最後に入って来た人物の姿を確認して、それは間違いであったとすぐに知る事になった。
チェストプレート、籠手、ブーツ、腰当て。到底、教国より遣わされた者とは思えぬ鎧姿に中性的な顔立ちをした男。
淡青色の髪を頭の後ろで結び、琥珀色の瞳からは殺伐とした鋭さが滲んでいるが、ひと目で麗人とわかる容姿の持ち主だ。背格好が中背よりやや低くく、服装によっては女性と間違えるかも知れない。
ラズはこの特徴を持つ人物に心当たりがあった。書類上の情報しか無いが間違いない。
「…… 五聖剣の一角を派遣するとは、教会も随分と本気だな」
隣りに居たギルバートが小さな声で呟いたのをラズだけは聞き逃さなかった。
教国に属する聖騎士の中でも頂点に君臨する実力と女神への深い信仰心を持つ五人だけが名乗る事を許される最強の称号こそ 五聖剣なのだ。
そして、史上最年少で叙階を受けたのがこの場にいる彼である。現在の年齢はまだ19歳とラズは聞いていた。
単独での戦闘力としては教会最高峰の存在であり、高々交渉事で送り込まれる人物などでは決してない。
武力の行使も辞さないという教会側の意向を示唆しているのは明白だ。
使節団が直立したままの姿勢で両手を開いて胸の上で重ね、頭を垂れる神官の礼を取ったところでオルヴィエート王が静かに言い放つ。
「おもてをあげよ」
「この度は我ら女神様の下僕を快く受入れ下さったことを感謝申し上げます。貴国にはお喜びになった主により慈愛の光を齎されることでしょう」
年老いた神官がしわがれた声で上辺だけの感謝を述べるとそれを聞いたギルバートは内心で鼻を鳴らす。
――アポの一つも無しに土足で乗り込んで来ておいて、歓迎ご苦労とは猛々しいことだ。面の皮が厚くなり過ぎて周りがよく見えんのだろうな。
「社交辞令はよい。して、何故に我が国の聖女を指して『迎えに来た』などと申したのか。事と次第によっては協会と言えどただでは済まさぬぞ」
普段は穏和で人当たりの良い国王が今はあからさまに不快感を示している。
先日発生して瘴気災害の解決はラズなくしては成し得なかった。そして、誰よりも恩義を感じていたオルヴィエート王はラズの意思を一つも確認もせずに身勝手な振る舞いをする教会のやり方に憤慨していた。
聖女を失えば国益の損失に繋がるのは明白であるが、それ以上に個人的な怒りが大きいのは彼のみぞ知るところだ。
「陛下は誤解してあらせられます。聖女台下は主の思し召しにより人々を救う為に聖都へと遣わし下さった至上の存在なのです。これまでは巡礼の途上であったに過ぎませぬ。ですぎ救済を求める聖徒達が女神様の施しを待つ今、台下には一日も早く教会本部に戻り、責務を果たして頂かなければなりませぬ。だから、こそ我々がお迎えに参ったのです」
聖女は教国へ向かう途中だった。ここは通過点に過ぎない、というのが教国側の言い分である。
あまりにも強引な詭弁に誰もが耳を疑った。
「はぁ……巡礼も何もわたくし数ヶ月前までオリハルクスの領地から一歩も出た事無かったんですが」
「ええ、ええ。それは女神様がお定めになった運命だったに違いありません」
――どこのあやしい宗教ですかね、って宗教そのものでしたね……
呆れて半眼になったラズを使節の男はなんの感情もこもっていない笑みを浮かべてたしなめる。
「初代の聖女も我がオルヴィエートに降臨し、生涯を過ごしておる。その理屈で語るならば、この国こそが有るべき場所であろう」
糠に釘を打つような反応にも王は動じずに言葉を続けるが、使節の老夫も依然飄々とした態度のままだ。
「先代もまた女神様の導きによって貴国へと訪れたのでしょうな」
「いやいや、ご先祖様も大体領地でのんびりしてたみたいですよ?」
張り詰めた空気の謁見の間にそぐわない気の抜けた声がラズの口から上がる。
この場で初代聖女について最も詳しい者のは門外不出の古文書が門内で読み放題だったラズを差し置いて他にいない。
これには老獪な使節の男も一瞬間が空いた。
「……我々は昔話をする為に参った訳では御座いませぬ。台下には聖都へ還御なさられすようお願いに参りました。天命を阻む障害は我々があらゆる手段を用いてすべて掃滅致します故ご安心召されよ」
「聖戦もやぶさかではない、とでも言いたげに聞こえますよ」
「とんでもございません。ですが、我々は神の下僕であり、天より遣わされた台下を御護りするのは我等の使命に他なりません。その為には大いなる決断を迫られる事も御座いましょう」
伝法と言っても過言では無い思想に思わずオルヴィエート王も王太子ギルバートも言葉を失う。
同席した王国側の家臣団の間でも緊張が走る。
聖戦も辞さないとなるとオルヴィエート王国は慎重な対応を迫られる。
教国との争いは勝っても負けても凄惨な結果を招くことが予想されるが問題はそれだけに留まらない。
南の教国が動けば漁夫の利を狙って北の帝国も動き出すのは目に浮かぶ光景だ。
応戦するには戦力を二分しなくてはいけないとなるとかなり厳しい戦いになるのは考えるまでも無い。
「そうですか。それが教会の総意でよろしいのですか?」
「勿論で御座います。今は難しくとも台下も何れご理解頂ける日が訪れましょうぞ」
きっ、強い目線で問い質すラズを前にしても、少しも動じる事は無く、男は変わらずに取り繕った笑みを貼り付けたままだ。
それなりの教育を受けていても所詮はただの小娘に過ぎない、と高を括っていた彼らは青二才が凄んだところで恐れるに足らずとあぐらをかいていた。
事前の調査報告では「賢く無さそう」という情報を得ていたのでまるっきり眼中に無かった。
彼等は知らなかった。ラズの頭が悪くなるのは熱が入った時と内輪にいる時だけという事を。
無意味な睨み合いを止めてラズが溜息を一つ吐くと、今度は冷たい視線を使節団に向ける。
「その必要はありません。残念ですが、教会を粛清する他ありませんね」
「……今、何とおっしゃいましたか? 台下と言えど冗談では済まされませんぞ」
「わたくしが聖都に戻り次第、教会を一度解体し、正しい姿に再編致します。さて、貴方達が改心するにはどこへ更迭するのが良いでしょうか?」
口から出た言葉とは百八十度反対な女神像にも引けず劣らずの慈悲を帯びた微笑みに男は先ほどまるで揺らぐことの無かった顔から表情が消える。
「台下、貴女は一体何を――」
「貴方方曰く『女神様が遣わした』わたくしと人が選んだ教皇猊下……はたして女神様に近いのはどちらでしょうか?」
「そ、それは……」
今度は使節団側がどよめき立っていた。
意気揚々と聖女の回収に乗り込んだ彼等が誰も想定していなかった展開に固まる他なかった。
王国側の抵抗までは頭にあったが、聖女自身が逆襲して来るなどとは夢にも思わない。まして自分達の首長よりも立場が上と主張するなど天変地異を予知するようなものだ。
使節団は攻め立てていた筈が気づけば窮地に立たされていた。
天よりの遣いであるとされる聖女に比べ、教皇は枢機卿同士による投票を行う儀式であるコンクラーベで決定される。
どちらがより聖なる存在に近いかと問われると前者であることを否定するのが難しい。
なんせラズはバイブルで明確に神聖とされる光魔法をこの地上において唯一行使可能な担い手に他ならない。まともに話し合えば議論の余地すら無いに違いない。
この問題は穏便に終着させたいところであるが当の聖女の逆鱗に触れたとあっては後の祭りである。
なんびとたりとも侵すことのできない権力を有すると思われた教会が聖女という実在する奇跡の前には砂上の楼閣だと気付かされた神官達は既にパニックに陥っている。
当然、ラズが投げ掛けた問への答えを持つ者などいない。
そこへ使節らの応答に見かねた鎧姿の青年は前へ歩み出る。
「聖女台下。私から申し上げて宜しいでしょうか」
「……ひょ、氷厳卿!」
「ええ。構いませんよ」
ラズの許しを得た彼は冷徹さが伺える口調で話す。
「台下が抱かれた疑問は教会の歴史において論議の的になったことのない盲点でしょう。従って、私……氷厳卿レグルスが五聖剣の名において教会本部に聖断を仰ぐ間、数日ほど保留にさせて頂きたく存じますがお許し頂けますでしょうか」
「いいですよ。数日で答えが出るとも思えませんが」
この展開を予想していたラズは二つ返事で了承する。
「寛大なご配慮を頂き感謝の言葉もありません。それでは本国へ連絡を行い次第、予定通り聖女台下の護衛の任に就かせていただきます」
「……わたくし、護衛なんて頼んでませんよ?」
「命じたのは教皇猊下です。此度の遠征で私が同伴したのは他でもない至聖なる台下を聖都にお連れするまでの道のりを警護する為です。では、後ほど合流致しますのでどうぞよろしくお願い致します」
踵を返すと足早に去って行ったレグルスを見送ると、どちらからともなくラズとギルバートは顔を見合わせた。
意図せずしてギルバートの方を見る事に成功したのであった。
ギル(うむ。リアは絶対に怒らせてはいけないな!)




