第3章8話 極上のベット
そのうちいい枕が欲しいです。
遠くに見える森の様子を見て天幕の中に戻る。
精強な我が守備隊も手を焼いていたあの瘴気が今は目に見えて減っていた。救援に来た少数の者達を王太子殿下が率い……ているのかはかなり怪しかったが、とにかく彼等は行動を開始して数時間しか経っていないのにも関わらず、大きな結果をもたらしたようだ。残った魔物の討伐は我等が必ず果たす。
殿下とその一行には大きな借りが出来てしまったので、せめてもの報いになるよう我々も掃討戦は気合を入れねば。
王侯貴族の集まりにしてはやけに軽いふざけた連中だな、などと出発前は思ったがいい意味で期待を裏切られたと言ったところか。次代の王が若くして国の危機を救ったとあれば、王国はますます安泰だ。
「た、隊長。報告があります!」
裏返った声で天幕の中に駆け込んできたのは殿下が来た時に報せを持ってきた若い兵士だ。
「どうした?」
「殿下が、戻られました!」
「おお、そうか。ならば、総員で出迎えなくてはな。見張り以外は皆呼び出せ。勇者達の帰還を最大の敬意を表するぞ」
「は!」
命令を受け取った若い兵士は再び走って、天幕から去ってゆく。
こうしては要られまい。私もお迎えに上がらねば。
天幕の外は晴れ間が見えて、明るくなった皆の心に呼応しているようだ。
早歩きで村がある方へ向けて急ぐ。
万が一にでも酷い負傷者や死者がいれば祝勝どころでは無いので、まずは全員の無事を確認せねば。
障害物の無い開けた場所に到着すると、間違い無く六つの影がこちらに向かって来ているのを見えて、ひとまず安堵した。
「ああ、よかった。全員健在の様子だ」
多くの者を恐怖のどん底に陥れた瘴気を払拭し、王子を含め全員が脱落する事なく戻って来た。万事解決と言っていいほどだ。これで一族の首も繋がった。
と、思ったがどうにも彼等の様子がおかしい。
「ぬおっ!? ぶはっ!?」
「ざまぁみなさい! この馬鹿王子!」
王太子殿下が何故かなにも無いところで派手に転ぶと、桜色の髪をした令嬢の背中に乗った燃え盛る炎のような赤髪の少女が中指を立てながら、罵声を浴びせていた。
「……なんと、まあ………… おい、お前……あれは、何をやっているのだ?」
「あ、隊長。よくわかりませんが、なにか揉めているようです」
「それは見ればわかるんだが……」
思わず近くにいた兵士に問いかけるが、彼らもよくわかっていないらしい。
王族が地に転がっているにも関わらず、手を差し伸べるどころか全員がずんずんと進んでいた。不敬と取られてもおかしくは無い筈であるが。
「はぁ……」
どうやら彼等は理解の及ばない存在らしい。
私は深く考えるのをやめることにした。
☆
力を使い果たしたエリーゼは現在、幸福の絶頂にいた。
心地よいまどろみはさながら大空を漂よう雲になった気分だった。
――あったかい……それに……ふわふわだわ……なんて極上のベットなのかしら
あらゆる問題や不安から解き放たれ、まさに最高の気分である。一切の軛が無い安寧に身を委ね、弛緩し切った身体は今にもとろけ出しそうである。
――もう、このまま朝まで寝よ……今日は十分働いたもの……………… ん? 私、何を働いたんだったかしら。え〜と……魔物だらけの森の奥に入って……トロール! そうよ、トロールに向かって全力の魔法をぶっ放して、魔力欠乏になって気絶したんだったわね。あれ、その後はどうなったのかしら? って、さっきから妙な浮遊感があるけど、これはまさかただの眠気じゃ無い!? 私もしかして、既に死んでたりしないわよね!? イベント前に死ぬとかふざけんじゃないわよ!?
急速に意識が再起動を果たし、慌てて見開いた眼にぼんやりと写ったのは桜色のいい匂いがする頭といつもより一メートル以上低い地面だった。
「って、なんでホントに浮いてんのよ!?」
「あ、エリさん、お目覚めになったんですねぇ! 調子はどうですか! 元気ですかー?」
「ぐっ…… あんた、声がでっかいのよ。極上のベットが勝手に喋るんじゃないわよ!」
「いきなり辛辣ですね!? でも、元気そうで何よりです」
いつもと変わらぬ調子のエリーゼを背負ったラズはくすりと笑った。
空中おんぶ状態にも関わらずエリーゼは尊大に尋ねる。
「それで、首尾はどうなのよ?」
「はい。大元の『瘴気穴』は浄化出来たので瘴気は現在、自然減少の傾向ですね。ちなみに、わたくし達はたった今キャンプまで戻ってきたところです」
エリーゼが周囲を見回すと、出発した村の広場を過ぎたあたりであることがわかった。守備隊がキャンプの端に作った櫓はすぐそこに近付いており、任務の終了は目前である。
「そう……よくやったわ。お疲れ様」
「エリさんの方こそ大活躍だったらしいじゃないですか! 何でも、怒髪衝天のあまり未知の力が覚醒して超必殺技を使ったとか!」
ギルバートより尾ヒレに背ビレに足まで生えた友人の武勇伝を聞かされたラズの瞳の中には一等星が煌めいていた。
何が行われたかを瞬時に察したエリーゼがドスの効いた声を出す。
「そういうくだらない事するのは……あんたしかいないわよね?」
「おお、天気が良くなってきたな、アイザック?」
「絶対にボクを巻き込まないでね、殿下」
横を歩いていたギルバートにエリーゼが湿った視線を送るが、大げさにそっぽを向いてアイザックに話しかけ、目を合わせようとしない。
「ああ、わたくしも是非ともこの目で拝見したかったのに、本当に残念です。こんな事なら頑張って木を避けずに、全てなぎ倒して探索すれば間に合ったかもしれません!」
「やめときなさい。そこまでいったらもうあんたは聖女じゃなくてボアよ、それ……」
実のところは制御が間に合わず何本か轢いてしまったのだが、エリーゼの知るところではなかった。
「そうだ、あの決めゼリフを再現してください。是非、生で聞きたいです!」
もしラズが髪の毛を操作する事ができたなら頭頂にあるアホ毛がぶんぶんと振られていたことだろう。もとより上がりやすいテンションが今や爆上げになっていた。
もっとも、褒めそやされている本人は貼り付けたような笑みに青筋を立てているのだが。
「へぇ……どんなセリフだったのかしら?」
「はい! 『土に変わってお仕置きよ!』ってギル様が言ってました」
「ぶっ!」
ギルバートは笑いを噛み殺してぷるぷると震えていた。エリーゼが言っているところを想像したのだろう。
「……大地よ。『地創』」
「ぬおっ!? ぶはっ!?」
地面から生えた土くれの腕に足首を掴まれ、ギルバートは勢い良く地面にキスをした。
「ざまぁみなさい! この馬鹿王子!」
「……自業自得だね」
「……因果応報だな」
王太子が地面に転がってもこのパーティは気にしない。何だったら、場合によっては転倒したところで積極的に土も被せる。
今回は土にまみれたギルバートに一瞥をくれることも無く、キャンプに向かって通り過ぎていく。
しかし、その歩みを止めるものが現れた。
「……エリーゼ様」
神妙な面持ちをしたウォルターが唐突に頭を下げる。
「……なによ」
「この度は命令違反を犯し、誠に申し訳ございませんでした」
「ラズ、降ろしなさい」
「えー……、って言える雰囲気じゃなさそうですね」
空中をふよふよと移動していたラズは地面に降り立ち、エリーゼを柔らかい背中から降ろす。ついでに、『天啓』状態を解除して、無駄に発光するのも止めた。
「正座!」
「はい!」
軽鎧にブーツと言う出で立ちのウォルターは躊躇無く犬のようにしゅっ、と未舗装の地面に膝をたたんで座る。
「一回り以上格上の魔物相手に突っ込むのは勇敢とは言わないわ。ただの死にたがりの馬鹿よ。あんただけ死ぬのなら趣味でいいでしょうけど、パーティ全員が死ぬ可能性だってあったわ。そこんとこわかってんの?」
「……はい。今は身に沁みております」
悔しげに唇を噛みしめ、ウォルターは硬い表情で反省の色を顕にした。
今振り返ると結局のところはあの行動は自己満足でしか無い。
全員が生き残るために自分が余計な事をしないのがあの場でできる事だった。最悪はルーカスを担いで走るなど他に道はあった。
冷静になってそう気が付いたウォルターは事態を悪化させる無謀な突撃を選んだ事を深く後悔している。
でも、彼にはわからなかった。どう謝罪すれば許してもらえるかが。
「……目ぇつぶって、歯ぁ食い縛んなさい!」
言われたとおりにしたウォルターは身構える。
ビンタでも飛んでくるのか。エリーゼなら魔法もあるかも知れないと誰もが思った。
しかし、このパーティの指揮者が選んだ制裁は全員が想像していなかった方法だった。
「てい」
「なっ!?」
エリーゼはウォルターの額を中指でぱちっと弾くと、それ以上は何もしなかった。
「はい。この話はおしまいよ」
「しかし――」
「何よ、もっとデコピンして欲しいの? ドMなの?」
「いや、違いますけど!?」
「そりゃ、勝手な行動をしたのはあんたが悪いわよ。でもね、今回は引き際を誤った私が一番悪かったわ」
頭を掻きながら苦い顔をしたエリーゼは深いため息をついた。
「ですが、あれは撤退を決めてから発生した不足の事態。貴女が責任を感じる必要は無い筈だ」
「それでもよ。あんた達のおもりに来たんだから、無事に連れ帰る義務が私にはあんのよ」
前世の年齢を足すと中年の域に達するエリーゼの精神は勿論それなりに老け込んでいる。肉体に引っ張られて多少若返ってはいるものの、見た目は美少女で中身は成人女性なのだ。
それ故に年長者として彼らを守ろうという意識が働いている。
だから、トロールに遭遇してしまった事自体エリーゼにとっては失態なのだ。
トロールがこちらを舐めていなければ『破城槌』は命中しなかったであろう事はエリーゼが一番わかっていた。
十分な威力を出すために遥か上空から発射せざるを得なかったのだ。着弾に時間が掛かる分、動く敵に狙って当てるのは不可能。
薄氷の勝利に他ならない。
「赤いの……」
「エリーゼさん……」
「だから、もうこの話は終いよ。でも、次やったら今度はラズのデコピンだから覚えておきなさい」
「それ頭が無くなりますよね?」
「蘇生してあげるわよ、ラズが」
「いやいやいや、なんでわたくしがそんな恐ろしい事しなくちゃいけないんですかぁ!?」
剣呑な雰囲気が和気藹々としたものに変わった中、一人の男が口を挟む。
「あ〜、上手く纏まったところに水を差すようで悪いんだが、そろそろ開放してもらえると、嬉しいんだが?」
「さ、帰るわよ」
未だに土の腕に脚を取られたままのギルバートは爽やかなスマイルを浮かべたが、エリーゼは吐き捨てるように言った。
「おいおい、嘘だろう? ウォルター、手を貸せ」
「帰る、との指示ですので」
他のパーティメンバーにも目を配るが誰も目を合わせようとしない。
「リア、力を貸して――」
「ラズ、ああいうのはね、助けたら家までついてくるから、話しかけちゃ駄目よ」
「はーい!」
「オレは不審者か!?」
いつもどおりのやり取りが繰り広げられて皆、無事に帰って来れたことを内心で喜んでいた。
誰もが戦いは終わったと信じて疑わない。
この瞬間までは。
「何か来ます!」
危機察知能力の高いラズが何かに気が付く。すると――
どどどどどどどどど!
轟く大地と櫓の上居た兵士の叩く鐘の音が鳴り止まない。
「大暴走だ!?」
見張りの兵が張り上げた声にラズとエリーゼは顔を見合わせたのであった。
エリ「むにゃ、むにゃ……醤油……堅め多め薄めで」
ラズ「エリさん……夢の中で絶対ラーメン頼みましたね。って、あっ、よだれが背中にぃ!?」
エリ「じゅるり……」




