第3章5話 死の森
ブックマークと感想ありがとうございます
のどかで美しい森は変わり果てた姿になっていた。瘴気をもろに浴びた木々は覆い茂っていた葉が枯れ落ちて幹も乾きみすぼらしい。
所々に毒々しい赤紫の沼のようなものが大地を覆っており、異常な光景が広がっていた。
「ひどい有り様だな」
「生き物が見事に何も居ませんね」
「静かすぎて逆に落ち着かないや」
下草が無くなって歩きやすくはなっているが、五人は十分に警戒しながらより深くへと進んでいく。
エリーゼが知っているゲームのイベントではちょびっと浮かんだ瘴気があって、一、二回魔物と戦闘し、なんとなく浄化して帰るチュートリアルイベントだ。
当然村に生じた被害など皆無である。
この村以降はゲーム内時間が進む度に瘴気イベントが発生し、徐々に難易度が上がっていくというシステムになっていた。そして後半になると現れる厄介者が『瘴気穴』。
それまでの瘴気はそこにあるというだけで増加はしないが、『瘴気穴』が出現したイベントはもたもたしているとどんどん瘴気が蓄積し、限界を迎えるとモンスターの生成速度が跳ね上がる。そしてモンスターの密度が高まると最終的にはスタンピードが発生してゲームオーバーになる。
だからこの戦いは時間との勝負になる。
エリーゼ達に出来るのは魔物をなるべく倒して氾濫を防ぐと共に何とか大元の在処を掴むこと事だ。根本を取り去ることが出来るのは光魔法が使えるラズのみである。
できれば何故ゲームと違う展開になっているかを探りたいところではあるが、まずは目の前のことに集中するべきだと、エリーゼは頭を切り替えた。
「あんた達! 瘴気の中では魔力の回復が速くなるわ。魔法は温存しないでじゃんじゃん使いなさい!」
「むぅ……僕が言おうと思っていたのに」
ルーカスが口を尖らす。
この情報をもたらすのは本来彼の役目である。チュートリアルらしくヒロインに対し丁寧に色んな事を説明してくれるところだったが、ラズマリアが不在でその枠にエリーゼが加入しているので、全て強制スキップ確定だ。
「……あんたは今回温存無しで撃ち放題なんだから、メイン火力なのよ。知識よりも魔法に期待してるわ」
「べ、別にお前に言われなくても、僕の魔法の凄さを知らしめてやるつもりだったんだからな!」
「はいはい、すごいすごい」
瘴気の正体は乱れた魔力。大気に混ざる事が出来ない状態の魔力は時間が経てば自然と正常な形に戻るのだが、あまりにも量が多いと話が変わる。これは空気に溶け込む事が可能な許容値に限界があるからだ。
逆に言うと瘴気下では正常な魔力の濃度が上昇している為、人が魔力を取り込む量も増加する。すなわち魔力回復速度が上がる、という設定だったわね、とエリーゼは公式攻略本の隅っこに記載された解説を思い返していた。
攻撃手段が魔法しか無い彼女にとっては有利とも言えるが、ラズが別行動中なので戦う旨みも少ない。と言っても被害を最小限に食い止めるため、背に腹は代えられないが。
そういえばラズはどんな調子かしらね、と考えている時だった。
パキッ。
何処かで枝が折れる乾いた音が響く。
訳がわからず誰もが首を傾げる中、一人だけ声を張り上げる。
「ばか! 戦闘準備!」
エリーゼによりしっかりと調教済みの彼等はこの号令が掛かれば食事中でも皿を放り出して、構えを取る。
「うおっ! 後ろから出てきたぞ!?」
「ワォーーーーーン!」
「やっぱりフォレストウルフね。チェンジよ! アイザック左撃って!」
狼の群れによる背後からの奇襲にルーカスが浮足立つ。いつもの陣形である先頭のウォルターが今は最後列の状態である。
エリーゼはすかさず、こういった事態を想定して事前に決めてあった作戦を発令する。
まずはギルバートが火属性の魔法を詠唱しながら後衛組を追い抜いてルーカスの壁になる。
「それっと!」
後衛三人は反対に下がりつつ、アイザックだけは弓で一番端の狼を牽制する。
動きなから素早く射られた矢が後ろ脚に突き刺さり、一匹の脚が止まる。的が動かなければ名手にとって当てるのは容易く二本、三本と矢が刺さる。
その横を構わず走り抜ける影が現れるが、既に迎撃体制は整っていた。
「大地よ! 『流砂縛』」
地肌が剥き出しになった地面を駆けていた二匹の狼が前足からずぶりと沈む。はまった足を引き抜こうとするが液体のように流動する砂地獄に呑み込まれてゆく。
地の底に沈み行く仲間を飛び越えて熊のような図体をした一匹の狼が最前列で構えていたギルバートに飛び掛かる。
振り下ろされた鋭い爪撃を飛び込み前転で回避して背後に回る。
喉を鳴らしながら左右に別れた敵の両方へ順に鋭い眼光を送った。
逆立った体毛と剥き出しの牙が警戒心を物語っている。
「タイラントウルフ……既に進化してるわね。予想の範疇ではあるけど割と最悪だわ。あんたたち、適正レベルからちょいはみ出してるけどハメ殺すわよ! 全員、歯食いしばんなさい!」
「「「おおー!」」」
飛んで来た指示に詠唱中のギルバート以外皆が応答する。フォレストウルフの適正レベルは10程度あれば問題無い。小さな群れで行動する狼で知性が高く奇襲が得意だが、慣れれば倒すのは難しくない。
しかしタイラントウルフの適正レベルは少なくとも20は必要だ。安定して倒すなら全員23は欲しいところだ。
なんと言っても俊敏性を備えた巨躯の獣というだけでも並々ならぬ脅威である。加えて、爪と牙と手下を使って上手く立ち回り、遠吠えで仲間を呼ぶこともある。
かなり危険な相手だが勝算がないことは無い。
「前衛同時攻撃! ギルバート、横に飛ぶから着地取りなさい!」
ようやく前線に到着したウォルターとギルバートが同時に白刃を振るう。
大狼は大きく横に飛んで躱すが、ギルバートが着地点を予測して追撃する。
「『飛火槍』! どんぴしゃり……お前の読みはどうなってるんだ?」
ギルバートが呆れ顔で炎の槍を穿つ。
魔物の行動パターンは完全に同じでは無いがゲームに似通っている事をこれまでの戦いの中でエリーゼは気が付いていた。
この動きは前衛が近寄ると、後衛にターゲットを切り替えて、横跳躍からの突進というパターンでゲームと全く同じだ。
「グオォォォン!?」
音を立てて燃焼する火炎の槍が毛深い腹部に直撃すると、格上ながらも高火力の一撃で怯んでいる様子が伺えた。
もちろん攻撃の手は緩めない。むしろ、怯み中こそが重要だ。
「大地よ! 『速石砲』」
硬直した身体を解そうと全身ぶるぶるとを振るっている最中に放たれた土の魔法は王太子ギルバートもかつて顔面で味わった岩石の砲弾である。
狙いすました一撃がタイラントウルフの頭に吸い込まれる首から上が大きく仰け反る。
「ルーカス、今よ!」
「『飛火槍』! ふははは、どうだ犬っころめ! 僕の魔法で焼きつくしてくれよう!」
身動きが止まっているので、ルーカスの放った魔法も当然直撃する。元々焦げ茶色の体毛であったが既に半分が炎で焼け焦げてしまった。
「とっとと次の詠唱始めなさいよ、このばか! 大地よ! 『速石砲』」
再び放たれた石の砲弾がまたしても狼の頭部にクリーンヒットすると巨体が目を回しながら地面に転がる。倒した訳では無いが、スタンに追い込んだ。
エリーゼの立案したハメ殺し戦法の肝はタイラントウルフの耐久度の低さである。スピード特化のステータスの為、高威力の攻撃を受けると蓄積ダメージに関わらずどうしても隙が生まれるのだ。そして、拘束が解けるギリギリのタイミングでエリーゼ達が追撃を加えているおかげで、満足に動く事すらままならない中、魔法の雨に晒され続けている。
ただし敵の弱点を情け容赦無く突いているとは言え、一方的な展開に持ち込めているのはエリーゼの存在が無くしては成り立たない。速攻魔法のアタッカーという本来は存在しない強力な手数が一枚増えているから可能なのであって、ゲームならすぐに修正パッチが入るレベルの反則技である。
ダウンした敵を全員で蹂躙していると、藻掻いていたタイラントウルフの動きが止まる。
「前衛後退! 盾構えなさい!」
号令が掛かるとすぐ様攻撃の手を止めてウォルターとギルバートが下がって、カイトシールドの裏に隠れる。
全身が傷つけられた手負いの獣は素早く起き上がると、大きく息を吸い込む。
「グオォォォォォォォン!!!」
腹の底から出た強大な咆哮が全員を襲う。
「くっ……なんて威力だ!」
「ふんばれ、ウォルター!」
突き出した盾事ウォルターが圧倒的な音圧に耐え切れず仰け反るがギルバートが後ろから身体を支えて踏み止まった。もし転んでいれば確定で追撃が来るところなので、上手くやり過ごせた事でエリーゼが一つ気を吐く。
「ラストスパートかけるわよ。アイザック、『風旋射』……行けるわね?」
「……うん、当てて見せるよ」
「私が足止めするから必ず殺りなさい」
弓に矢を番えながら、緊張した面持ちでアイザックは魔法の詠唱を始める。使用するのは風魔法なので長くは掛からない。
それまでの短い時間でにより荒々しく高速で疾駆する激高状態のタイラントウルフを捕まえるのは至難の業だ。
ただし何度も倒した経験のあるエリーゼにとっては息をするのと変わらないが。
「大地よ! 『流砂縛』」
ジグザグに走り回っていた大狼の前脚が水に落ちたように沈むと、勢い余って全ての足が砂に浸かる。もがき暴れるが、中々抜け出すことは出来ない。
「『風旋加』。当たれっ! 『風旋射』!」
動きが止まった敵目掛けて放たれた矢に付与した風魔法が唸りを上げながら、回避出来ない狼へと襲い掛かる。
弓を離れてからも加速する風の矢は無慈悲にも血走った瞳を貫いた。そして、留まることなく森の向こうへと矢は飛んで行ってしまった。
頭部の一部を失っても暫くその場で暴れていた大狼はついに拘束から抜け出すことなく力尽きた。
「ふう、当たって良かった……」
緊張から解けて胸を撫で下ろし、アイザックは弓を降ろした。
通常は山なりに狙いをつけるが、魔法の乗った矢は軌道が全く違うので勝手が違い、練習では彼でも何度も外していた。今回はエリーゼの期待に応える形の結果を齎し、心底安堵している。
一際大きな炸裂音が響いて、魔物の亡骸は黒い煙となり虚空へと消え、全員から思わず声が漏れだす。
「はぁ……一旦休憩。ウォルターあんた元気でしょう。警戒してなさい……」
何と言っても連続で魔法を行使しながら指示を飛ばすエリーゼの消耗が最も激しい。
それがわかっているから不遜な態度にも誰も文句は無い。
疲れが隠せない彼女は短いスカートでその場にドカっと座り込むと背中の大きなリボンの中に埋れていたうさぎの形をした可愛らしいポシェットを手に取る。紐とフックがついていて普段はお腹に紐を回して固定している。
マジックアイテムの類いではないがラズの手製である。ちなみに素材は大層な魔物のドロップアイテムをふんだんに使用した贅沢な一品である。
カスタム悪役令嬢プリきらエリーゼはラズによって実はこまめに改造されていたりする。
うさぎポシェットの中から赤い液体の入った小瓶を取り出して一気に飲み干す。錬金で作製した魔力回復速度上昇ポーションが枯渇した胃にしみる。
「……オレだけひたすら走り回っていただけでした。遠距離攻撃手段が無いとこういう時は不憫ですね」
ウォルターが少しだけ暗い顔をするが、エリーゼはそれを鼻で笑い飛ばす。
「はん! 私達全員がルーカスだったら、笑っちゃうくらい一瞬で全滅するわよ。あんたはちゃんと最前列で身体張って役割を全うしてんだからそれで十分でしょ」
「おいこら、赤いの。それ僕に喧嘩売ってんのか?」
「……あんた、フォレストウルフの奇襲で一番びびってたでしょうが。文句あんなら次はチェンジ出さないから、自分でなんとかしなさいよ?」
エリーゼが半眼でツッコミを入れると、ルーカスはドヤ顔でウォルターの肩を叩いた。
「適材適所だぞ、ウォルター」
「あ、ああ……」
「そこは任せろ〜、じゃ無いんだね」
アイザックが苦笑するがルーカスは素知らぬ顔でそれをスルーした。
「初戦でこれとは中々にしんどいな」
袋に入った水を飲みながらギルバートは遠くを見つめていた。この森の先には何が待っているやら。
「タイラントウルフ以上は居ないと信じたいわね……」
エリーゼも同じ事を考えはしたが、頭から振り払うことにした。撤退を判断するにはまだ材料が足りない。動ける内は時間を稼がなくてはいけない。
まずは回復に専念する、そう決めて漏れ出した吐息は命を失った森に消えていった。
ラズ「月と言えばうさぎですよね!」
エリ「この世界の月にうさぎはいないわよ?」
ラズ「可愛いから何の問題もありません!」
エリーゼは『うさぎのポシェット(EX)』を手に入れた!




