第2章8話 首刈り聖女
今回は終始三人称です。
誤字報告、評価ありがとうございます。
王立学院の構内には階層によって難易度が幅広いダンジョンが存在している。多くの学生が研鑚の為に挑戦したこのダンジョンは開校後に自然発生したものでは無く、ダンジョンの上に学院を建設したのである。
オルヴィエート王国は元々魑魅魍魎が跋扈する未開の地であり、その中でも魔物の侵入を防ぎやすい地形をしていたこの地が集落として栄えた。不憫な高台に王都を整備したのは、反対に安全を確保しつつ拡大できる場所が無かったからだ。
その時代には既に存在が確認されていたこのダンジョンは今や深部まで制圧済みにも関わらず破壊される事なく今日まで残されてきた。これは魔境からの脅威を排除した後も、並以上の危険性を有する魔物が徘徊する領域を開拓する為には戦う術を多くの者が持つ必要があった事に起因する。
そして、このダンジョンを活用して効率的にレベルを上げる目的で生まれたのが学院という育成機関である。出来た当初、学問はオマケで戦闘訓練とレベル上げを主とする泥と汗に塗れた養成所であったが、その目的は王都の周辺整備が進捗するに連れて優先度が低下した。しかし、現在でも騎士科と魔法科の学生達の健やかな成長の為に歴史あるダンジョンは健在だ。
そして、この長い年月を経た穴ぐらへ新たに挑戦する者たちが入り口の前に並んでいた。
軽鎧を着けたこの国の王太子を筆頭に武装した主要な貴族の子息と運動服の聖女にローズレッドの露出度高めな衣服を纏った少女まで揃った豪華な六人だ。
学院内の隅にある石で出来た小屋にはめられた頑丈な鉄の扉は中からは出られるが、外からは鍵を開けないと入れない。
勝手に入られては困るのでダンジョンの入り口は常に封鎖されている。
「それじゃあ、準備は良いかしらぁん?」
厚い筋肉包まれた屈強な肉体をくねくねとゆすりながら問い掛けたのはアン先生である。ちなみに、ラズ達がいないところで誤ってアレクサンダー先生呼んだ男子学生は手取り腰取りみっちり扱かれたので、呼称に注意が必要である。
「ああ、いつでも行ける」
皆を代表して応えるのはもちろんギルバートだ。
話し合ってリーダーを決めた訳ではないがこういった場面で取り仕切るのは自然と彼がやる事になる。
「いいことぉん。絶対に5層より先は踏み込まない事よぉん。必ず転移陣で戻ってきてちょうだぁい」
「……もちろんだ、アン先生。無理はしないと誓おう」
熊のように大きい手のひらで両手を握られ、一瞬だけ頬は引き攣ったものの、驚嘆に値する精神力で何とか堪えてゆっくり手を引き放す。
「そ・れ・じゃ・あ――」
おもむろに自身のスカートの中へと手を伸ばすと、大黒柱の様な太モモの辺りから一本の立派な鍵を取り出す。
仲良く全員がこれから開く扉に目をそらし……移した。
「――穴に入れて、まわして抜くとぉん……あぁん、開いたわぁん。ホント、硬いんだからぁん……ふぅ」
念の為言うならば解錠して扉を開けただけである。
六人は小走りで小屋の中に入り、真ん中に描かれた魔法陣に乗った。そして、数秒も過ぎると魔法陣が淡く輝き、そこに誰も居なくなる。
「みんなイッちゃったわぁん。まあ、ああはイッたけど万が一奥までイってもラズマリアちゃんが居れば大丈夫よねぇん」
現在は講義時間であり彼ら以外の学生は未だ基礎訓練の真っ最中である。かわいい教え子達を指導する必要があるので彼……女は全員がダンジョンに転送されたのを見送ると、すぐに踵を返して去っていった。頭の中は既にどの学生を手厚く濃密に色々と教えようかという事でいっぱいである。
☆
「ダンジョンの外にも魔物が居るなんて聞いてない」
「ルーカス……それ本人の前で言ったら殺されちゃうよ……」
「いや、殺されるより酷い目に遭うかもしれん」
「ん〜、無しよりの有りね」
「ど、どんな目に合うのでしょうか?」
「ラズが知るにはまだ早いわよ」
「入り口とはいえダンジョンの中でリラックスし過ぎでは……?」
「そうですよ〜。せっかく来たんですからもっとテンション上げていきましょう!」
「それも違うと思いますよ……ラズ様……」
「そうは言っても5階層までなら楽勝だぞ?」
この通称学院ダンジョンはラズが高速制圧した隠しダンジョンよりも道幅が広く、全体的に明るめであ歩きやすい。足元はある程度の硬さがある土で出来ており、壁面や天井は切れ目の無い繋がった岩だ。
出現する魔物は5層までならゴブリン、コボルト、ブルースライム。いずれも駆け出しの冒険者が正面から戦えば問題無く倒せる程度の危険性である。
「浅層のうちは罠も少ないと聞いたな。過剰な心配はいらないだろう」
「早く帰りたいし、さっさと進むわよ」
「だそうだぞ、ウォルター?」
「はいはい、わかりましたよ」
入り口部分の安全な領域から踏み出す前にそれぞれが武器の準備をする。ウォルターとギルバートの前衛組は剣を鞘から抜き、アイザックが背中に回していた弓を手に持つ。
ルーカスとエリーゼは元々手にある杖を使うので準備は不要で、ラズは存在自体が抜身の凶器そのものである。前衛二人、後衛三人、不明一人とやや後衛が多いものの、一人は瞬間発動の魔法で攻守に輝くエリーゼなのでバランスは悪く無い。
短い準備を済ませた一行は遂にダンジョンへと突入する。
先頭にカイトシールドとロングソードを構えたウォルターを据え、数歩離れて後ろにギルバート。更に下がってルーカス、エリーゼ、アイザックと並ぶ。
ちなみにラズはエリーゼの近くを適当に歩いている。
この形は事前の話し合いで決まったが、エリーゼは何も言わずに顔をしかめた。何故ならこの配置はゲームでよく見たものと同じだったからに他ならない。
より厳密に言うならば、ヒロインが居るはずの場所に自分という悪役令嬢がはまっていたからである。しかし、実力に天地ほどの開きがあるラズを含めたパーティーでは、彼女が悉くを排除して終わる結果しか起こり得ない。そのため、実質五人パーティーと遊撃のラズとして考える事になったのだ。
また何故ヒロインの立ち位置にエリーゼが入るのかと言うと、それは単純に土魔法が射線を気にせず行使可能な魔法が多いというアドバンテージがあるからである。反対にルーカスの火魔法やアイザックの弓は敵が見えないと使いにくい。
ヒロインは支援魔法と回復が主だった役割で攻撃には積極的に参加しない。間違っても最前列で圧倒的な暴力をふるったりはしない。
入り口から数分歩いたあたりに到達した頃、このダンジョンに来てから初めて敵に遭遇する。
「ゴブリンですね」
「うん、ゴブリンだね〜」
男性の腰丈程の背格好とヨモギのような緑の肌が特徴の人型をした魔物を先頭のウォルターが発見した。
気が付いたのは向こうも同じのようで、お互いに警戒しながら六人と三匹がにらみ合う。
「ふむ。まずここは――」
「それでは、わたくしから参りますよ〜」
「あ、ちょっと、ラズ!?」
指示を出そうとしたギルバートを華麗にスルーし止めようとしたエリーゼの声も届くことなく、見敵必殺がスタンダードのラズは地面を蹴り出した。
足場が大きく抉れる程の脚力が生み出した加速は比喩無しで弾丸にも比肩する。
ギルバートとウォルターの脇を桜色の閃光が通り過ぎると、身体が持っていかれそうな程の強風が吹き荒れる。
そのまま目にも留まらぬ速さでゴブリン達の間をすり抜けると、同時にボロリと首が落ちた。
地面に転がった双眸からは急激に光が失われ、最後には黒い煙へと変貌する。
「ウォルター、今の見えたか?」
「いえ……ほとんど見えなかったですね……」
前衛二人は反応するどころか目で追うことすらままならなかったらしい。
敵だったら死んでたな、とギルバートは他人事のようにつぶやくと彼の無二の相棒は複雑そうな顔を浮かべた。
文字通り敵の命を刈り取った武闘派聖女がにこにこと笑顔で歩いて戻ってくるが、彼女の唯一の友人はドン引きしていた。
「……いや、ゴブリンの首がどうして素手で飛ぶわけ……」
「え? 普通に手刀ではねただけですよ?」
「あのね、普通じゃ無いに決まってるでしょうが。そもそも、何の目的でそんな事すんのよ?」
「目的と言われましても、わたくしが殴ると激しく吹き飛ぶのでドロップの回収が大変じゃないですかぁ〜。そこらへんの手間を考えると首を落とすのが一番お手軽ですよ」
肩をすくめて「わかってませんねぇ、エリさんは」みたいな顔で語るラズに、エリーゼは少しイラッとした。
殆ど反射的に頭へチョップを落とす。
あまり強く叩くとエリーゼの方が痛いので軽くではあるが。
「だったら光魔法で倒しなさいよ、バカ。魔物の首を素手で落とすなんて聖女の絵面じゃ無いわ! 何処の狂戦士よ、まったく」
「はっ、確かに! 『光陣剣』以外の攻撃系光魔法なんて威力が低く過ぎてしばらく使ってなかったですけど、相手がゴブリンなら十分でしたね」
序盤の魔法は終盤だと全く使えないゲームあるあるがこの世界でも存在していた為、ラズの頭から存在がすっぽりと抜け落ちていた。
「とりあえず、今のでよくわかったわ。あんた今後は許可無く戦闘に参加するの禁止よ」
「ちょっと待って下さいよっ!? わたくしだけ仲間外れは嫌ですよぉぉぉ!? それに戦わないなら、何の為に来たんですかぁぁっ?」
涙目を浮かべるラズに抱き着かれたエリーゼは心底面倒くさそうな表情を浮かべ、引き剥がそうと頭を押し退けるが山をも砕く剛力を前にしてはまるで歯が立たない。
「ええい、鬱陶しいわねっ。逆にレベル上げの為にダンジョンに来てんのに、上がる余地の無いあんたが経験値掻っ攫ってどうすんのよ?」
「……そりゃそうなんですけど……ぐすん…」
経験値はあまり戦闘に協力していなくてもある程度獲得出来るが、強力過ぎる個人が加勢するとその時点でパーティーの総獲得経験値が減る。減少量は実力差に比例する為、ラズ程の戦力が参加したとなると獲得分はほぼ0になる。
皆最初から思っていたが、要するに彼女はダンジョンに来る必要など無い。むしろ、手を出せば出すほど成長を阻害するので居ない方が良い。
だが、ここには唯一異論を挟む者がいた。
「大丈夫よ。あんたにも大事な役目が有るわ」
「本当ですか!? なんですか、その大事な役目とは?」
「幸運の置物よ」
「えぇ……よく意味がわからないのですが、聞いただけで既に微妙な感じですよ」
「まずは冷静に考えてみなさい。一流の騎士や冒険者が早くても30年ぐらいかけて、ようやく到達するのがせいぜいレベル50よ。ところがあんたは明らかにそれより圧倒的短期間で最大レベルにまで達しているわ」
現代の王国内における最高レベルも60を上回ってはいない。対してラズは5年程で打止めへと至った。それも昼夜に渡って魔物を狩り続けていた訳でもないのに関わらずだ。
エリーゼはそこである事に気が付いた。
ゲームのヒロインも3年弱という期間で安全に決戦へ挑めるレベル40以上まで難無く上がる。それも放課後の選択肢でダンジョン探索を選んだ時と戦闘のあるイベントの時しか戦わないのにも関わらずだ。
この二つの事象からエリーゼはある仮説を立てた。沢山の魔物を倒しただけで無く、ラズマリアは獲得経験値そのものが増えているのでは、と。
「だから、ラズは経験値増加のギフトを持っている、こう考えた方が自然だと思わないかしら?」
「ん〜、そうはおっしゃられても比べたことが無いのでよくわからないですよ〜」
「いや、王家でもラズマリア嬢の成長速度には疑念を抱いている。エリーゼの言うギフトはもっとも可能性の高い仮説の一つだが、それを証明する方法が無くて確証には至っていない」
特殊なギフト持ちではないかというのは1番最初に過ぎった答えである。むしろそれぐらいしか答えが見当たらず、この突然変異の原因究明も難航しているのだが。
「ええ〜……そうなんですか。あれ、そうだとしたら、わたくしのレベルはもう上がり切っているからギフトの意味は無いって事ですか?」
せっかく新たな能力が判明したのに全く活用できないとなると凄く損をした気分にラズはなっていた。そうだとしても既に大きく恩恵を受けている筈なので何一つ損はしていないのだが気持ちの問題である。
「いいえ。そうじゃないからこの話をしてんのよ。前にラズの兄が強いって言ってたわよね?」
「はい。お兄様の実力は領地内でもわたくしの次です。たぶん!」
「あんた自身はランキングから外しときなさい。それで一緒に魔境へ通っていた兄がやたら強くなったのが、ラズのギフトによる影響だとしたら?」
「……まさかラズ様自身のみならず他者の経験値も増加するということでしょうか?」
過去に無いギフトの効能にウォルターはにわかに信じられないといった表情で聞き返していたが、エリーゼはこの仮説に確信を持っていた。
何故ならゲームでは攻略対象も一緒にレベルが上がり、ヒロインだけが異常な成長を遂げることは無いからだ。つまりパーティー全体に影響を及ぼしていると考えるべきだ。
恐らくラズのギフトによって増えるのは分配後の獲得経験値では無く分配前の総獲得経験値である。
「だから幸運の置物ですか。つまり、わたくしが手を出した瞬間に経験値が下がるけど、居るだけで経験値が増えるから見守る為について行くと。……役目は役目なのでしょうけどなんかそれ寂しいんですがぁ〜……」
元々タレ気味の眉と瞳がより一層下がってしまったラズは再びエリーゼに抱き着く。
「んなこと知らないわよ。暇ならポーターでもやってなさい」
「ポー……ター……?」
「そうよ。魔石とかドロップの回収にポーションや松明の使用とかね。あんたなら人が何人か入るサイズのバックでも余裕でしょう」
いわゆる荷物持ちである。冒険者は荷物を持ちすぎると戦い支障が出るため、深いダンジョンに入る時は荷運びを雇う。
空間収納付きの指輪もあるがあれは人前で使うべきでは無いとリタに指摘された為、使用を避けている。
「ポーター、楽しそうですね! 帰ったら早速特大の鞄を買っちゃいましょう!」
「ラズ様に物持ちをさせるとおっしゃるのですか?」
「面倒くさいわね。本人に言いなさい。私はラズが乗り気になって、ギフトの恩恵が受けられれば何でもいいのよ」
しっし、と言わんばかりに手を払って邪険な目でウォルターを睨む。酷い言い様だが、ラズの嗜好をある程度は理解しているエリーゼは適当に何かさせたほうが喜ぶと踏んでおり、それは正しかった。
そもそも、見た目以外は膂力の塊なので荷物持ちが負担になることも無いので気にするだけ無駄なのだが、真面目なウォルターからすれば聖女に雑用をそれも荷物持ちなど言語道断。
「経験値が増えるならボクもそのほうがいいとは思うけどね〜。それに、ラズはポーターをやりたいんだよね?」
仲裁をしたのはアイザックである。彼もまた付き合いが短いながらにラズの性格を理解していたので、後押しする事にした。
「はい。ウォルター様、わたくしでは駄目でしょうか?」
前屈みの姿勢を取り、胸の前で両手を組み、止めとばかりに上目遣いで長身のウォルターを見上げるという、必殺のおねだりモードである。
この本気のおねだりをその身に受けて耐えられた者などいない。なお、受けた者は過去にリタしかいない。
これには真面目な彼も顔を少し赤くしながら怯み、一瞬だけ逡巡するものの結局すぐ折れた。
「……はぁ〜、わかりました。ラズ様にお任せしますよ」
ぱぁっ、という効果音が鳴り響きそうなくらい満面の笑みに変わったラズはその場から走り出した。先程ゴブリンが落とした魔石を拾うために。
「今日からわたくしは聖女改めポーターです!」
「「いや、そこは改めるな!」」
ギルバートとエリーゼが見せた完全にシンクロしたツッコミは広いダンジョンの未踏のエリアへと響き渡った。




